契約をしよう
「ほんとうに、この子で宜しいんですの?」
ほう、と息をつき、草珊瑚は椅子に座りなおした。
「こ、こんなナリで、女、ですと?」
店主から書類を受け取りながら、まだ疑わしい目で見やる大臣は、ようやく環姫が決まったというのにも関わらずちっとも嬉しそうではなかった。
「信じられないのも無理はございませんわ」
少し気の毒そうに老人を見つめる目は、祖父を慕う孫のようですらあった。
実際、草珊瑚としてもこれは予想外のできごとだった。あと二日三日は後処理に追われそうだ、とげんなりする己を叱咤しているところだ。
「まあ、女と申しましても……」
紅茶を持つ手が、少し震える。
彼女には、初めからわかっている。前に腰を下ろす者は、ただの子どもではない。四方国主のなかでも特に獰猛な性格を有するという白虎の血筋、見かけ通りに扱っていては命が危ない。皆、その愛らしい姿に騙されているようだが、さすがに延珠亭の店主ともなると世慣れたものだ。
細心、気に障らないように応対を続け、ようやく契約にこぎつけたものの、肩の荷が下りたという実感がないのは……やはり、この環姫のせいなのだろう。
褐色の肌の青年は、なるほど、稀に見る美青年だが、まず育ちがあまり宜しくない。混血をくり返した末の子どもであるのは一目瞭然で、その国籍を辿るのはすでに困難だし、まともな教育を受けたこともない。船の上で甲板掃除など雑用をこなしていたところ、船長から首根っこをつかまれて延珠亭に売られたのだ。
不幸な生い立ちではあるはずなのだが、本人はいたって単純で明るく、さっぱりした性格で、延珠亭の店主たちもそれに救われなかったと言えば嘘になる。だからこそ、できるだけよい主人を探してあげようと東奔西走していたわけなのだが……。
「揚羽」
呼ぶと、金茶の瞳がこちらを向く。情けなく眉が垂れている。本人もなにが起こっているか把握しきれていないのだろう。
草珊瑚はあの芝生の庭で、この瞳を見たときすぐにわかった。
契約は、すでに成されていた。
引き返すことなどできない。揚羽は、西の王太子殿下の環姫としてここを離れるしかないのだ。
「揚羽は、両性なのです」
できるだけ冷静にそう告げたとき、環姫が恥らうように顔をうつむけるのがわかった。
「りょっ、両性ですと?」
驚いたのは大頼だ。ぎょっとしたように主の横で身を縮めている環姫を凝視する。
「どうして最初に紹介してくれなかったのかな?」
ゆっくりと、家臣、店主、そして環姫の順に視線を移した不二白が、紅茶の入った杯を置いた。
カチャリ、と陶器が触れ合う硬質な音に、ビクリと反応してしまうのはまだまだ修行が足りないからだろうか。
うっすらと微笑んだ顔からは、戸惑いも怒りも感じ取ることができないが、草珊瑚は背筋に流れる冷たい汗を確かに感じていた。
やはり、そう来たか。
責められるのは覚悟していた。
なにしろ、両性は繁栄の象徴、なまなかな問題なくば国主の元へ差し出されるのが常だったから。
店主は、困ったように笑いながら、
「なぜと仰せられても……、失礼ながら、殿下の花嫁像からこれほどかけ離れた子はおりませんわ」
と、膝の上で拳を握り締めた。
「それに……」
こほん、と咳をして息を整える。
「両性とはいっても、見かけはほぼ完全な男性体ですし、しかも男性器も女性器もひどく未熟で、両性と言うよりも無性と申し上げたほうが宜しいかもしれませんわ」
草珊瑚のことばに、大頼は絶望の二文字を顔に貼り付けながら呻く。
「無性……で、では、子は……」
因果な商売だわ、と過去の行いを反省しつつ、店主は努めて冷静に言い放った。一応、環姫に心の中で侘びを入れながら。
「残念ですが、女性を孕ますことも子を孕むことも、今の時点では不可能、と申し上げるより他にございません」
そう、こんな問題だらけの環姫を、とてもじゃないが西に引き合わせることなどできるはずもなかったのだ。しかも、他の王室と比べて出生率が驚くほど低い国に、明らかに受胎能力のなさそうな子を紹介するほど無意味なことはない。
あまりにも直接的な表現に、揚羽は全身を小刻みに震わせて羞恥に耐えていた。
不二白はそんな環姫に気づいて、優しく語りかける。
「揚羽。揚羽の仕事は大きくふたつある。ひとつ目は、僕の精通を促すこと。もうひとつは、僕の子を産むこと」
「ム、ムリ……できな……」
滲む涙は、果たして悔しいからか悲しいからか、もしくは混乱からか。
不二白は己より頭ふたつ分は大きな青年に、慰めるようにそっと瞼に唇を落とした。
「うん。だからね。契約しよう。もし無理だった場合は、揚羽に自由をあげる。船旅で世界を百周回れるくらいの金貨をあげる。……でも、もし、子どもができて、僕のことを好きになってくれたら、一生そばにいてくれる……?」
「だ、駄目だ。そんなの」
間髪も入れずに断りを告げた環姫に、不二白の目がすっと暗くなる。しかし、「……俺に分がありすぎる」とか細い声で続けられたことばで、すぐに輝きを取り戻す。
その光景を、延珠亭店主がはらはらしながら見守っていることを、揚羽は知らない。
不二白は揚羽の手を取った。
「それは、承諾と受け取っていいんだね?」
鎖は今、繋げられた。