6.どうやらペットになるそうです3.
「あっ、猫ちゃんですの!」
「おや、燐の元から逃げ出したようですね。まったくあの子は」
まさかのキャロの母と邂逅した紫央は、衝撃を受けたままフラフラと屋敷の中を彷徨っていた。するといい匂いが鼻腔を誘い、釣られるようにたどり着いたのは厨房だった。
「ねえ、ディナ。猫ちゃんのお食事はどうしましょう。さっき、ミルクとパンを食べてくれましたけど」
「……そうですね。猫なのかそれとも別の生き物なのかはっきりさせないと、食べさせていいものと悪いものが違いますので、燐に種類を調べて欲しかったのですが。お肉でも食べさせておきましょうか?」
「お魚ではなくてですの?」
「魚ですと骨が喉に引っかかったら大変です。火を通した肉の方が安全でしょう」
「うー、確かにお骨が刺さったら大変ですの。では、お肉にしますの!」
(やったー、お肉だー!)
主従の掛け合いを見守っていた紫央は鳴き声をあげて喜ぶ。
この体ではさておき、人間だった頃は成長期真っ盛りの男の子だ。やはり肉が食べたい。
「ですが、その前に」
(うん?)
ディナがひょいと体を抱き上げてしまう。心なしか、腕に込められる力が強い気がする。
「少しじっとしていてくださいね」
そう言い、包帯を捲ると、メイドは満足そうに頷いた。
「傷が塞がっていますので、お風呂にしましょう。不思議と獣臭はしませんが、外にいたのですから綺麗というはずがありません。まぁ、心配するほど汚くもありませんが、一度しっかり洗っておきましょう」
「はーい!」
(まずいっ、これはまずいっ! 漫画で起こりそうなラッキーイベントだけど、あとで俺が人間だとわかったら……殺されてしまうかもしれない。逃げなくちゃ!)
「こら、暴れないでください」
手足をジタバタさせてディナの腕から逃げようとするも、ビクともしない。おそらく、逃げられるのを防止するために力を込めて抱きかかえていたのだろう。
(お願いだから離してっ、嫁入り前の娘さんが男と一緒にお風呂なんていけませんっ!)
どんなに訴えても口から出るのは「にゃーにゃー」という声だけ。
「わぁ、どうして猫ちゃんはこんなに鳴いているのですの?」
「お嬢様と一緒に入浴できることが嬉しいんですよ」
「わたくしも嬉しいですの。行きましょう、ディナ、猫ちゃん!」
(誰かたすけてぇええええええええ!)
必死になってメイドの腕から脱出しようと試みたものの、無駄な抵抗のまま浴室に連れて行かれてしまうのだった。
※
(……どうしてこんなことになったんだろ?)
思い返せばあっという間の出来事だった。
森の中で目を覚まし、デブ猫になっていた。モンスターらしき獣に襲われ、命からがら逃げ出し、心優しい少女に助けられた。
自分がもしかしたら異世界転生をしたのかもしれない予感をひしひし感じながら、恩人の貴族には何かがあると察した。
そして――美少女キャロと美女ディナと一緒にお風呂に入ることになった。
屋敷の大きさと相まって、お風呂も豪華なものだった。大理石が敷かれ、大人十人が余裕を持って入れる湯船。
日本人にはたまらない、足を思い切り伸ばせるお風呂だ。しかも、お湯は人魚の石像から勢いよく流れ出ているのから察するに、温泉でも引いているのかもしれない。
すでにデブ猫は湯船に浮かんでいた。
先ほどまで、散々、キャロとディナによって洗われてしまったのだ。
なんとか逃げ出そうとしたのも束の間、裸になった少女たちを見ないように紳士らしく目を瞑ったのが最後、逃亡は不可能となる。
急におとなしくなったデブ猫に首を傾げたディナだったが、まさか中身が思春期の少年であるとは全く思うはずもなく、これ幸いと泡まみれにした。
身体中を二人によって丹念に洗われてしまった少年は、尊厳とか色々なものを失いながら、しくしくと涙を流した。決して気持ちよかったとか、おかわりとかそういうことはない。断じてない。
(……もうお婿にいけない)
せめてもの抵抗とばかりに目だけは開けなかった。
正直に言えば、見たい。なにを、とは言わないが、すごく見たい。超見たい。
今まで見てきたどんな少女たちよりも、天使のように愛らしいキャロ。あまり表情が表に出ないが、それがまた魅力的に映る銀髪の美人メイドディナ。この二人の無防備な姿を見たくない男はいないだろう。絶対いない。
しかし、恩人を盗み見ることはしたくないと、少年は理性を総動員して目を瞑り続けていた。
耳には少女たちが楽しそうに体を洗いっこする声が聞こえる。聞き耳を立てているわけではないのだが、二人の息遣いまでがはっきりと耳に届くため、少年の心臓は高鳴り続けている。
(うん。ある意味、猫の姿でよかったのかもしれない)
元の姿のまま、こんな美味しいシチュエーションに恵まれることはないだろうが、猫の姿であればいろいろ反応しなくてすむ。
ただし、聴覚が鋭くなっているため、聞こえてはならないものまで聞こえてしまい、かなり心臓に悪い。
少年の脳裏の中では悪魔と天使が、目を開けろ、いや目を開けてはいけない、とか戦っている。年頃の少年に女性の体に興味を持つなというほうが酷である。
家ではずぼらな姉たちが、平気で裸で過ごしていたので見慣れてはいるものの、あれは女性ではなく姉という生き物として見ていたので、興味も関心もなかった。だが、まさか姉ではないというだけで、こうも関心を惹かれるものなのかと、己の煩悩を恥じるばかりだった。
(そういえば……姉貴たちはどうしているのかな)
虐げられたわけではないが、立場が一番弱い末の弟だった紫央は、使用人のごとく姉たちに使われていた。まあ、お礼を言ってくれるし、家族だからと少年自身もあまり気にはしていなかったが、年頃になるに連れて不満というものを覚えるようになった。
もし本当に自分が異世界転生したのであれば、もう家事と姉の世話から解放されたのは嬉しいのだが、果たして自分がいなくなった後の姉たちが、ちゃんとしているか不安でもある。
なんだかんだといって、姉思いなのが吾妻紫央という少年だった。
「お嬢様はデブ猫を拾ってからずっと楽しそうですね」
「はいですの。ずっと動物を飼いたいと思っていましたの。でも、わたくしにはあまり時間がありませんので、中途半端なことはできないと思って我慢してましたの。ですので、こうして偶然が重なって猫ちゃんと一緒に暮らせるのは夢のようですの」
「……キャロお嬢様」
姉のことを考え、少女たちを気にしないようにしていた紫央の耳に、二人の会話が届く。
楽しげにしていた先ほどまでと打って変わり、どこか悲しそうな声だった。
(まただ……キャロちゃんには何か事情があるのは間違いない。時間がないってどういうことだろう?)
またしても疑問を浮かべる少年だったが、問いかける言葉を持たないため、ただ湯船に浮かぶことしかできなかった。




