22.雷獣と魔法使いとメイド2.
「よし、毛玉。魔法陣の中心に立て」
「せめて少しでも片付けようと思わなかったの?」
魔法陣の中心は、ちょうど部屋の真ん中でもある。自称天才の工房はお世辞にも綺麗とはいえない。どちらかというと物が多すぎるせいなのだが、どちらにせよ天才少女には片付ける才能はないようだ。
「うるせっ、キャロを助けたらぴっかぴかに綺麗にするからいいんだよ!」
「しかと聞きましたよ、燐」
「お前も余計なこと言ってないで、さっさとこのデブ猫を魔法陣の真ん中に連れていけ!」
「はぁ。私は反対するためにここにいるのですが……」
そういいながらディナはライガーを抱きかかえると、魔法陣の真ん中に移動して、散乱している燐の私物を片手でどかし雷獣をそっと置いた。
「覚悟はいいか?」
「いつでも」
「はっ、いい根性だ。いくぞ!」
――ぱんっ、と燐が手と手を合わせた刹那、魔法陣が青白く発行する。
目を開けていられないほどの光量が魔法陣から放たれ、光の文字が浮かんだ。
「これは、古代文字ですか?」
驚くようなディナの声が聞こえるが、ライガーには彼女を気にしている余裕はなかった。
光の文字が螺旋を描き、雷獣の体を囲む。
すると、ゆっくりとライガーの体の中に、魔法陣から発せられた光と字の帯が流れ込んでいった。
「よしっ」
雷獣の体に熱が宿る。
まるで炎のようだ――そう錯覚してしまうほどの熱量が、小さな体の中で暴れ狂う感覚が襲ってきた。
しかし、
「あれ?」
「え?」
熱も、言葉にできない感覚も、すべて消えてしまった。
「これ、だけですか?」
メイドの疑問に答えることのできる者はいない。
魔法陣を描いた燐も、力を覚醒させるはずだったライガーも、なにも変化がないことに戸惑いを隠せないでいるのだ。
「どういうことだ?」
「……おかしい。あたしの魔法陣はちゃんと発動したぞ。デブ猫の体の中にも力を覚醒させるための術式が間違いなく取り込まれたはずなのに、どうして?」
燐はブツブツとライガーやディナには理解できない用語を口にして、自分に失敗がなかった計算し始める。
彼女の魔法陣が予定通りの効果を発揮していれば、今頃ライガーは雷獣としての力に覚醒しているはずだった。
(……まさか、俺が元人間だから効果がないのか?)
確証なんてないが、不安が宿る。
「ライガー、体に異常はありませんか?」
「あ、ああ、なにもないよ」
「あなたの力が覚醒しなかったこと残念ですが、これでよかったのかもしれません」
「どうして?」
「まだ雷獣として子供であるあなたに無理な成長を促せば、どこかでリスクを負っていたでしょう。その結果がどうなるのかさえわかりません。雷獣が絶滅種であり、未知な存在である異常、なにかあっても解決する方法がないのです」
「それでも俺はキャロちゃんを助けたかったんだ」
「ええ、わかっています。わかっているからこそ、あなたに危険な目に遭って欲しくないのです」
ディナだってキャロを助けられるものなら助けたいと思っているのだ。それでも、その上でライガーのことを案じてくれているのが痛いほどわかった。
優しい人たちばかりだ。こんな雷獣のことなんて心配せず、大切な人のために犠牲にしてしまえばいいのに。どうしてこんなにも暖かい人たちに過酷な運命が課せられているのか、神に問いたい。
「ああっ、もうっ! ちくしょう! ダメだっ、やっぱり失敗してねぇ。ならどうしてなんだよ!」
「燐、あまり大きな声を出さないでください。そろそろお嬢様がお勉強を終えて部屋に戻られますので」
「わーってるよ。とにかく、あたしは魔法陣をもう一度使えるように直すから、デブ猫は大人しくしてろ。いいな。あと、なにか変化を感じたら、すぐに言うんだぞ」
「うん。わかったよ」
「絶対に、完成させるんだ。キャロを助け――っ」
燐が自分に言い聞かせるように呟き、それを見たディナが声をかけようとした瞬間だった。
轟音によって屋敷が揺れた。
「な、なんだよ、なにがあったんだ?」
燐の荒らげた声が響く。と、同時に、ディナが工房を飛び出して外を見た。
「……そんな」
そして絶句し、硬直する。
「嘘だろ、まさか!」
そんなディナの姿になにかを察した燐も、続き外を見て目を見開いた。
「……ブラックドラゴン」
燐の呟きはライガーの耳にはっきりと届いていた。
間違いない、彼女はブラックドラゴンと言った。キャロを、歴代のグリンフィールド一族の人間を苦しめた元凶の名だ。
「ちくしょうっ、ついに来やがった。どうして今なんだよ! あと少しで、雷獣の力でキャロを救えたかもしれなかったのに! 失敗したこのタイミングでどうして! 神様はどれだけ私たちのことが嫌いなんだっ!」
怒鳴り声をあげた燐は、工房の中へ戻り、杖と魔道書を抱えるだけ抱えてブラックドラゴンが降り立った庭へと向かってしまった。
止める間もなく、走り去る少女に前足を伸ばしたが、届かなかった。
魔法使いの背中を見つめることしかできない雷獣は、その短い前足で床を叩いた。
「……ライガー、私はお嬢様の元へいきます」
「俺もいきます」
返事をまたずに、雷獣はご主人様のもとへと走った。




