愛と愛情
わたしは盲目的な
愛情に溺れやすいところがある
ときに、人はそれを
愚昧であるといい
ときに、人は優しさと呼ぶ
盲目的であると
人は
実相から次第に外れていくのである
それはかなり危険であるかも知れない
ゲーテさえも臨終には
「もっと光を!」
と、叫んだぐらいである
盲目さを嘆き
知識や情報に溺れない
叡智を最後まで欲した
わたしも、光が無ければ
暗闇を歩けず
道が分からず
注意力だけでは足りず
愛情が完成しない
つまり、愛に到達出来ないことを知っている
光とは、知恵であり
愛の協力者である
全てを照らす太陽には
命を育むために
熱だけではなく光をも放っている
ただ熱が無ければ
そもそも全ては凍死、凍結する
この熱とは愛情である
愛とは太陽でいう
熱と光の一体性であり
愛には、知恵や叡智も含まれている
どちらかが欠けていたら
愛は完成しない
愛情と愛は質やレベルが異なっているように
わたしは感じる
愛情はまだ相性や形が残っており
ときには、適切に
命を守れずに、壊しかねない
たとえば、愛情は嫉妬や
恐れに移行する場合がある
愛情の程度が低ければ
殺人鬼を産み出す可能性すら孕んでいる
愛であるならば
真理であり、普遍であるがゆえに
相性やあらゆる枠組みを超えており
必ず、命を守り育むことが
出来ると、わたしは捉えている
恐れは愛に入ってこれない
愛情は有限であり
愛は無限である
愛はこの世界の王であり
中心であり、根底にあり
根源である
愛は総合でもある
もしもこの世界に愛が無ければ
この宇宙は崩壊しているだろう
愛は神様の営みと等しい
わたしたちの日々
日常に起きる何から何まで
全ての出来事は
愛の神様からの伝達であり
恵みであり
愛のレッスンである
愛という生命体や営みを
愛と呼んでいるだけで
本来は、愛という言葉ではないかも知れない
愛という呼び名については
仮称である
神様からすれば
もっと適切な真の名前があるのかも知れない
わたしは、愛情によって
なにかを溶かすことは
出きるかも知れない
壁や障壁を溶かしたり
枠組みを破壊することは
出来るかも知れない
しかし、そのあと
どんな道を歩ませてあげれば良いか
わたしだけでは、精度が欠けて
力不足なのである
わたしも、わたしなりに
愛情によって
ある程度の設計図や
道筋を立てること
炎を灯せることは
出来るかも知れない
ここで気付いたのだが、、
もしかしたならば、、
一人の人間が他者に出来ることは
ある程度のこと止まりなのかも知れない
無責任かつ
乱暴な言いかたになるが
結局は、最後は自分次第であり
他者を自立させるのは
また他者次第なのである
人間が出来る範囲は
いつでも
きっかけに過ぎない、、のかも知れない
あのイエス・キリストでさえ
奇跡を起こしたあとに
「あなたの信仰があなたを救った」
と、言われている。
人間は、いかに
強力なきっかけ役、
眠っている才能やパワーの
火付け役になれるのか、、
というところが
実相なのかも知れない。
最後は、いつだって
自分の手に委ねられている。
「自分を愛するように
隣人を愛しなさい」
という、あまりにも有名な聖句は
あまりにも、実践するのが
困難な聖句のひとつである。
その妙理を実際に
実践出来るようになるには
幾多もの輪廻転生を繰り返す
必要があるであろう。
愛に到達することは
すなわち、神の人になることを意味する。
神人合一の境地であり
人の最終形態といえよう。
嗚呼!愛を求めて、さまよう
全ての人々に
神様の祝福があらんことを!