自然
『自然について』
自然とは、一体なんでしょうか?また、自然と人間の結合点とは、一体どういった内容なのでしょうか?このような問いかけが、私のなかには、常日頃からあります。
自然の営みを一体性として捉えたときに、自然は、同時に、萌芽したり、花開いたり、枯れたり、花粉を散らしたり、雨を降らしたり、日を照らしたり、卵を産んだり、風を吹かしたり、成虫へメタモルフォーゼをしたり、囀ずりや鳴き声を響かせたり、光合成をしたり、自発性を持って日の光を探したり、大気を創造したりします。全てを、ひとつの時のなかで、過去や現在や未来、多様性や一様性を、同時に奏でているのです。人間も一体性として捉えたときには、自然と同様に、生が誕生したり、老いていったり、死んだり、歌を歌ったり、ダンスをしたり、食事をしたり、会話をしたり、病になったりします。
この視点から感じることは、人間の多様性や一様性も自然と、そこまで変わらない点が多くあり、結合するところがあります。このようなことから、人間は自然の産物であり、自然とも同胞や友であることは、私は迷信や盲信ではなく、生きた事実であると、捉えさせて頂いております。ドイツロマン主義の哲学者である、シェリングが「世界霊」と呼んでいた普遍的な宇宙や万物の霊の営みや理と、人間がもつ「心情」は、繋がりを持っていると言及されていたことにも、私は、うなずけます。古代インドにおいては、ヴェーダの悟りである、ブラフマンとアートマンの一体性を説く、「梵我一如」といったところと近似していると、思うのです。
では、人間と自然の違いはなんでしょうか…。
私が思いつくものは、自然は、絵を描いたり、字を書いたり、道具を用いたり、しないことです。
自然は、会話をしたり(命のコミュニケーション)、子孫の為に、求愛のダンスや歌を歌ったり、命のバトンを渡したりすることは、ありますが、絵を描いたり、字を書いたりすること、道具を用いたりすることは、ないように、思うのです。
ここに、何か、人間だけに神様から与えられた、神秘的な営みがあるように、思うのです。それだけ、書くという行為と、描くという行為、また、道具を使うという行為(良くも悪くも)には、人間らしさが如実に現れていると、私は捉えております。
また、自然の発育過程や営みには、「順序」というものがあるように、私は思います。たとえば、種から、いきなり、花が咲くことはありません。しかも、季節や地域の風土というものに、影響を受けて、従順なまでに、順序よく、その発育のプロセスや段取りを踏んでいかれます。
これは、人間におきましてもこのような「順序」というものが、あらゆる場面において、重宝されていることを、感じてなりません。この、順序やプロセスを、大切にすることは、この世界の理であることは、間違いないように、私は、思います。
何か、行き詰まったり、迷ったりするときは、このように、自然から学び、立ち還り、順序やプロセスを正しく、歩み直していくことは、人間にとってみましても、きっと益となることでしょう。
また、私は、強く思うことが、あります。それは、人間と自然が共生していく道こそが、これからの未来には、非常に大切なことであり、双方が生き残っていく、唯一の道であると。人間が人間のなかにある自然性を回復していくことこそが、現代に生きる私達にとって、いかほどに重要であるかは、知られてきていることでしょう。
自然について、先ずは、想いを巡らして、観察し、研究し、自身の一部として取り入れていくことは、とても先進的なことであると、私は、思います。
『自然』
自然の内奥にある神秘やアルカナを
自身の内部にも取り入れていくとき
また、その神秘を自発的に自己から
呼び覚ましていくときに
人はこれ以上ない
至福のエクスタシーに包まれて
純粋意欲も蘇ってくることでしょう
自然が持つ、いくもの表情や性質は
人間を飽きさせることはありません
その懐に抱かれながら
相互的に人間側も、注意力を巡らし
心の心を開いていくときに
その新たに産まれてくる溌剌とした力は
まさに、まことの幸福を自らが創造していく喜びと等しく
その親和力のなかで、かの新生を賜うが如く
俄然一体なる力に満ち溢れていきます
そのときに、一なるものは
同時に、全であり
全なるものは、あますことなく
一に打ち明けることを知るのです
全と一は、この結婚により
至高の一元世界に、花を添えるのです
これこそが、あまたの星辰にも流れている
極小と極大の力であり
この宇宙と地球に住む全ての命は
一つの愛を呼吸していることを
静謐に語りかけています
この語調のなかで
あらゆる営みや運動が生じてくるときに
人は「自然」と呼ぶことなのでしょう
自然とは、おのずから天然の営み
天の営みを成すものなのでしょう
この空気や水、光合成
こずえに咲く宇宙の根源的美
根源力というものが
愛の媒介者として、存在し
その乳房を人は
赤子のように吸って、呼吸をし
愛を永遠たるものとしようと自らも励み
生涯を生きているのです
また、それを言として
模倣し、継続させながら
いつの日にかは、その境涯になること
黄金の生命力
キリストやブッダへの到達というものに憧れて
幾多の歴史を紡ぎ、繋げてきているのが
人類史を辿るなかでも
垣間見れます
人間の心の営みのなかにも
その黄金なる自然が宿っていることを知る人々
また、その黄金を復興していこうと
励む人々こそが
ロマンの鐘を鳴らし続ける人々であり
自然と共生していく未来を創造していく
力を有している人々だと
この百合の花が教えてくれます
内外におきまして
光彩溢れる自然が
復興されていくことを
ここに切願致します
『自然 ー彼女ー』
彼女は私達の全てであり
彼女は、私達をその輪舞のなかに
招待してくれます
彼女は、あどけない少女のような
顔を持ち合わせながら
同時に、調和的気品が漂う淑女でもあります
彼女に恋する者は
その手をそっと握り返してくれて
微笑み、有限と無限の彼方へ
私達を連れ去ってくれます
彼女を愛する者は
その真摯な心持ちのなかで
大気の母乳を吸って
彼女と抱き合い、ひとつとなって
婚姻を果たし
永遠なる至福を約束してくれるのです
彼女は、とどまることを知りません
彼女は、静止することを魅せておきながら
絶え間なく、無償の愛の創造運動を
行い続けているのです
彼女は、いつでも未来を語りながら
その身体は、太古のままなのです
彼女の胸元で戯れることを
彼女は、咎めはしません
彼女に、逆らう者がいたとしても
彼女は、優しく日ごとの食物を
与えて下さることでしょう
彼女の優雅さには
病める者も疲れた者にも
そっと、生命力の源である
聖なる息吹きを
吹きかけて下さることでしょう
彼女を、私達が忘れていたとしても
彼女は、木陰から、秘かに
天上の祈りと愛のテレパシーを
私達に贈り続けて下さいます
私達は、その彼女の祈りのなかで
聖霊の御加護を賜り、日常という営みに
神性と彩りを発見し、幼子のような喜びを
感受することが出来るのです
彼女がいなければ、そこに愛は、生じず
また、命もありません
一枚の葉のなかに
彼女の幾千もの姿を垣間見ることが出来ます
いつでも彼女は、私達のなかにあり
私達は、いつでも彼女のなかで
呼吸をしております
彼女の演技ほど、私達を魅了するものはなく
彼女のドレスほど、美しいものはありません
彼女のまえでは、どんな一流の画家でさえも
才能は乏しくなり、また、彼女のまえでこそ
私達の才能は豊かに覚醒していくのです
彼女の慈悲の涙は、雨となり
渇いた私達の心の深淵に
潤いを与えてくれます
そして、その潤いから
私達は、天上の御心を知って
改悛し、感謝と喜びの祈りと
礼拝をするのです
それがやがて
天なる雲を創造します
ですから、雲とは、彼女と私達が愛し合った
愛の軌跡、そのものであり
それこそ、あまたの生命の源となる豊かな
海となるのです
愛する彼女と、私達は
一時も、離れることは、ありません
いつでも、どこにいても一体であり
一緒なのです
この彼女の愛の囀ずりに
気付かない者は、哀れです
私達は、彼女からの愛に気付くことから
全てが始まり、永遠の道
完成への道を
歩み出すことになるのでしょう
何故なら、彼女は
私達の全てであり
私達と彼女は
はじまりから、おわりまで
ひとつなのですから




