第4話 見える人(長治の場合)
彼は地方の銀行員だった。給与の高い憧れの職業ではあるが、実際には営業成績のために、身内や知人へのローンや融資の勧誘もかなり行っている。当然、自分や家族もローンづけ。
時はバブル時代。妻の実家には資産家が多く、融資先にはことかかなかった。営業成績は、常に支店トップ。次期支店長最有力だった。そんな中でのよもやのバブル崩壊。
幸い職場には残れたが給与は以前の半額。ローンの返済分を差し引くと家計は赤字になる。妻のパート代でなんとか生活できる状態だった。定年間近となり、やっと生活苦から抜け出す希望が見えてきたころ、本店から来たばかりの若い支店長に呼ばれた。有名な代議士の息子だ。
「確か、この支店での最古参だったよな。長い間、お勤めご苦労。突然だが私は、本店へ戻る。そこで次の支店長に君を推そうと想うがどうだね。」
夢のような話だ。職場へ戻るとどこから漏れたのか、
「おめでとうございます。」
今まで、邪魔者扱いしていた同僚たちが擦り寄ってきた。人間とはなんと浅ましいのだろうか。
支店長として初出勤したその日、いきなり本店から呼び出された。わけもわからずそのままホテルの宴会場に連れて行かれた。報道のカメラマンたちが集まっている。地方の支店長になっただけでこんなに祝ってもらえるものなのだろうか?
「いいか、余計なことはいうなよ。とにかく頭を下げるんだ。」
横に座った本店の融資担当の部長が耳元で囁く。
会見冒頭、部長にうながされ立ち上がると二人で深々《ふかぶか》と頭を下げた。
「この度は、関係者の皆様にはご迷惑をおかけすることとなり申し訳ありませんでした。」
部長の言葉は、とてもめでたい席でのものではなかった。ちらっと横目でその顔を覗くと、大粒の涙が流れている。
数年前の支店ぐるみの巨額な不正融資のことが今朝発売の週刊誌に載ったらしい。政治家がらみの一件だった。当時の支店長は、とっくに定年退職をしていた。前支店長は飛び火を恐れ早々《そうそう》に逃げ出したのだ。世間はそんな事情はおかまいなし。結局、長治が責任をとることで事を収めようというのだろう。汚れ役のお礼のつもりか退職金は格段に良かった。が、大半はローンの返済で消えた。そして、長治は熟年離婚。家を家族のために残して、わずかに残った退職金を持って、ホームレスになった。数年たてば年金が出る。サラリーマンなら誰でも想う。夢の年金生活。
当初は知人の家を転々《てんてん》としていた。しかし、度重なると相手もいやがり、居留守や客がいるからと明らかに長治を避け始めた。できれば公園暮らしはしたくなかった。駅、屋根つきの商店街、これら人気の場所では、新参者は隅で小さくなって暮らす他ない。時には空家ですごすこともあった。
ある春の暖かい夜、一件の大きな工場の軒先で、賞味期限切れで捨てられた弁当を食べていた。街中のコンビニや飲食店などはホームレスの激戦区だ。そこから出るごみは常連の連中が我が物顔で独占している。長治は、新しくできた店を見つけながら食べ物を調達する日々《ひび》が続いていた。
「ちょっといいかな。」
そういうと、一人の老人が長治の横に座る。色黒で小太りの老人だ。口元からは時折、金歯がのぞく。
「食べたいなら、どうぞ。」
気のいい長治は自分が拾ってきた食料を気前よく勧めた。この気のよさが銀行員として成功しなかった理由のひとつであった。
「いや、けっこう。それより、おまえさん、ここで暮らさないか。」
老人は工場を指差した。長治は老人の顔をじっと覗き込んだ。
こうして克治の印刷所に住むことになった。