第3話 見える人(祐二の場合)
官僚エリートの父と専業主婦の母。一流大学へいって国家公務員。周囲の期待を一身に背負った小学生にとって、将来には何の希望もなかった。レールの敷かれた未来。親のエゴを満たすだけの道具。そんな想いがつのり成績も落ち始めた。母は、近所の手前、恥ずかしいと怒鳴るが、勉強を教えてくれるわけでもない。父の帰りは、ほぼ午前様。でも、さすがに一流国立大出身だけあってか、休みの日には勉強を教えてくれた。もっとも、小学生には高度すぎる内容で。資格至上主義の母親は祐二が小六になると漢字検定2級を取らせた。彼女は赤ん坊の弟を公園に連れていっては、近所にそれとなく自慢げに言いふらしている。長男なのに祐二。不思議に思って、父に尋ねたことがある。成功には、一に努力、二に運も必要だから、と答えた。祐には神の助けという意味があるらしい。
祐二は時折、塾をさぼっては近所の老人の家に上がっていた。少しぼけた老婆が一人で暮らしている。祐二のことを、離れて暮らす息子と勘違いすることもある。ただ、祐二にとって老人の昔話は新鮮だった。貧しい時代を苦労して生きてきた話。古ぼけた写真を見ながら、パイロットの資格があったばかりに零戦乗りとなり最期は特攻で戦死したつれそいを思い出しては涙する老人の姿は、どこかほっとするものがあった。人はいないもののそこには家族の暖かさや絆が今でも感じられた。
しかし、そんな老人もやがては姿を消した。どうやら、転倒した際の骨折が悪化し、入院先からそのままどこかの施設に入れられたらしい。自分の親は素直に施設に入るだろうか?おいぼれの面倒はみたくないなと祐二は想うのだった。塾の帰りに久しぶりに、空家になったその老婆の家の前を通りかかると、ぼんやりと青白い光が磨りガラスの向こうに見えた。
「空き巣?」
家の間取りは熟知している。仏壇のある居間ではなく、台所のほうだ。そこには特攻服姿で敬礼をする、戦死した爺さんの大きな似顔絵があったはずだ。終戦後、遺骨代わりに送られてきたものだそうだ。祐二は裏へ回ると、欠けたガラスの穴から中を覗いた。見たことの無い老人が一人、絵の前に立っている。灯りがついてないのに、中の様子が良く見える。老人の体の回りがぼんやりと青く光っていた。
「見たな~。」
祐二は人生で始めて腰を抜かした。人は恐怖で本当にちびるものなんだと初めて知った。その幽霊が源二だった。祐二にとって未知の幽霊は実に興味深いものだった。親の知らない世界がある。それはすなわち、親の価値観が絶対ではないということだ。祐二にとって、退屈だった毎日は一変した。目の前に、初めて自分の力で登れる山が現れた。山頂にはどんな景色が広がっているのだろう。考えただけで、わくわくしてくる。
しかし、楽しいときはいつまでも続かない。やがて、塾をさぼっていたことが両親の知るところとなった。人は、やりたいことがあると集中力が増すらしい。時間の使い方も効率良くなる。祐二の成績は上がっていた。いかに、口うるさい両親でも文句は言わないだろうと、たかをくくっていた。祐二の希望は、すぐに打ち砕かれた。エリートの父は、
「役に立たない塾ならやめてしまえ。」
と静かに言うだけだった。しかし、母は
「恥ずかしい、塾をさぼるなんて。不良とか噂になったらどうするの。」
相変わらず、世間体を気にしている。近寄りがたい父だったが、母よりも祐二のことをわかってくれていたらしい。
結局、塾への送り迎えを母が行い、父は許可した人間以外とは連絡がとれないようにタブレットに保護者制限をかけ、外出時はタブレットのGPSで監視することで落ち着いた。