第1話 見える人(健次の場合)
健次は今日も4時間のサービス残業をして帰りの電車に乗り込んだ。彼の勤める居酒屋は有名なブラック企業だ。『準備と片付けは時間外』が社訓。残業代がつかないだけならまだいい。いきなりのシフト変更に、連続シフトはざら。バイトが休めば、連帯責任としょうし緊急呼び出し。さらにはクレームがあれば即減給。正社員として入社したはずが、実態はパート社員。保険だってまとにかけてはいないだろう。明日こそ辞めようと思うけど、中卒の彼を雇ってくれるような職場は滅多にない。いつかは地方の工事現場でただ働きさせられるんだろうなと感じる日々《ひび》。
やっと、いすに座り自宅のある終点まで寝ていこうと思った矢先、一人の老人が入ってきた。満席の終電。誰も立ち上がるものはいない。健次はしかたなく腰を上げると隣に立つ老人に席を譲ろうとした。そのとき
「ラッキー!」
といって駆け込んできた金髪の若者が、健次の空けた席にどっかと座った。
健次は「ムッ」としたが、飲食業ということで上司から余計なトラブルは避けるように言われている。
「爺さんごめん。」
彼は老人に囁いた。
「わしが見えるのか?」
老人の言葉に健次はぎょっとした。周りを見回すと他の乗客は老人に気がついた様子はない。もっとも、終電の客など寝ているかスマホをいじっているかである。ガラケーもどきの携帯しかもたない健次は普段は寝ているだけだった。
「どいうこと?」
健次と老人は終点で降りた。老人は有人の改札を素通りした。
「ついに、年寄りは電車もタダになったのか。」
健次はうらやましく感じた。いつも自宅に向かう途中にある小さな公園に立ち寄る。ここに来ると、保育園に通っていた頃を思い出す。その頃は両親と双子の兄との四人で、よく近くの公園に行ったものだった。小さいころは自分の名前がいやだった。兄は健一。何をやっても兄の次。高三の夏、進学か就職かでけんかして家出してからは両親と連絡をとったことはない。できの良い兄がついているから大丈夫だろう。親父は地方のFラン大学出身のしがないサラリーマン。母は内職をしながらの専業主婦。
「父さんの学歴がないばっかりに・・・。」
母の口癖だった。高校中退。彼には、中卒という肩書きしか与えられなかった。甘かった。思い返せば、隣の就職組の連中が勉強もせず遊びほうけているのがうらやましかっただけだった。せめて高校だけでも出ていれば、もう少しマシな扱いを受けられたかもしれない。いまさら、世間知らずだった自分を悔いてもしかたがない。公園の一番高い、たこ型の滑り台の上から周囲を見回すと、ちょっとだけ自分が偉くなった気持ちになれる。そうやっていると今日の出来事を忘れ、明日も頑張れる気がしてくる。
「ちょっといいかな。」
いきなり横から声がした。さきほどの爺さんだ。健次は答えなかった。
「やはり、見えるのか。年寄りの世迷言だ。ちょっと聞いてくれ。実は、わしはすでに死んでいる。」
健次はうんざりしていた。いるんだよな、身寄りが無く死んでるのとおんなじというやつが。
「君が信じようが信じまいが、本当に死んでいるんだ。死にたてじゃ。俗にいう幽霊じゃな。怖くないじゃろ。君に見えている半数の人は死人じゃ。関わりが無いから気に留めることもない。わしは文次、『死なない老人と死にかけの若者』の著者の一人じゃ。」
年寄りの話はくどい。爺さんの話をまとめると、仲間がみんな死んで本が出版できなくなったため、代わりに残り3巻を含め全巻世に出して欲しいとのことだった。その後どうやって帰ったのかわからないが、目が覚めると健次は自分の部屋の玄関で寝ていた。
「冬じゃなくて良かった。」
顔を洗って鏡を覗き込んだとき、そこに老人の顔が映っていた。目をこすりもう一度見直す。そこにはぼさぼさぼの髪のさえない自分の顔があるだけだった。健次は昨夜のことを思い出した。
「夢だったのかな。」
もう一度寝ようとベッドに入るも、昨夜のことが頭の中をぐるぐると回り、寝付けない。
「ここだったよな。」
その日はシフト明けの休み。夕方になって健次は一件の工場の前に立っていた。
「あ、鍵がある。」
二重底になった郵便受けから細長い無骨な鍵が出てきた。恐る恐る中に入ると、がらんとした鉄骨むき出しの部屋の中央に、古ぼけた機械が一台あるだけだった。どうやら活字式の印刷機らしい。すでに電気は止まっているようで、灯りはつかなかった。
「爺さんの言ったとおりだ。」
「ここだ、ここだ。」
そういいながら、見知らぬ三人が次々《つぎつぎ》入ってきた。一人はスエット姿のみすぼらしい老人。もう一人はやけに小さい。ランドセルをしょっている。最後の一人は学生だろうか。セーラー服を着ていた。四人は顔を見合わせるとしばらく立ち尽くした。
「もしかして、みんな見える人?」
長治、祐二、司。三人とも老人の幽霊と遇ったらしい。
「例の本、わたし読んだよ。」
司がスマホでSNSをみながら口を開いた。
「で、どうだったのさ。」
祐二はものおじせず聞く。彼はタブレットで宿題をしている。
「久々《ひさびさ》に笑えたし、泣けた。じいちゃん思い出した。」
司は、じいちゃんっ子だったのだろうか?
「で、ここにきたということは皆同じ思いということでいいのかの。」
還暦ぐらいだろうか、少し背中の丸まった長治が問いかける。
「年寄りはせっかちだな。とりあえず来てみただけさ。」
司はちょっとふてくされていた。
「あの~。」
健次はおそるおそる口を開いた。
「なに!」
三人は異口同音に聞き返す。
「いや、とりあえず自己紹介しない?」
「無理!」「だめ!」「バカ?」
三人に否定されて健次は、ますます萎縮した。
「他人に簡単に個人情報を教えることはできません。」
最年少の祐二に諭されてしまった。
「わしは、同じ老人の思いをかなえて成仏させてやりたくてな。」
長治がぼさぼさの顎鬚をさすりながら、ぼそりと言った。
「僕は世の中を騙すってのが面白いかな。」
祐二はタブレットをランドセルにしまった。
「わたしは続きが読んでみたいだけ。」
司もスマホをしまった。
「ぼ、ぼくは、今の仕事を辞められるかと思って。」
健次はやっとまわりに聞き取れるくらいの小声でうつむいてぼそぼそと話した。
「へえ~、お兄さん素直だね。」
祐二は、健次をからかうように覗き込んだ。
そのとき、止まっているはずの電気がつき、部屋の中央《中央》の印刷機が動きはじめ、一枚の紙が出てきた。
司が拾ったが、一目見るなり
「ムズ、これ何語?」
といって長治に渡した。
「眼鏡をなくしてしまって、よう見えん。」
健次も覗いたが、見たことの無い漢字だらけで読めない。
「これは、死者からの手紙ですね。」
最後に手渡された祐二が告げた。
「旧字体ですね。要約すると、例の本は見本の1冊だけで、出版することなく関係者四人とも死んでしまったらしいです。作品は全4巻、すでに原稿は完成しているようです。せっかくの作品が世に出ず埋もれるのが悲しいと四人は死に切れずにいる。かれらの代わりに作品を出版して欲しいそうです。」
話を聞いていた司が
「見返りは?」
とたずねた。
「報酬は、かれらに入るはずの印税。ただし、赤字のリスクもありますね。」
四人の間にしばしの沈黙が走った。
「ゲラ刷りの終わった原稿は、この部屋の奥の金庫にあるそうです。やってくれるなら暗証を教えるとのこと。」
四人は一週間後にまた集まることにした。健次は迷っていた。売れれば魅力的な話だ。夢の印税生活。だが、老人と子供とJC。どうみても戦力にならない。
健次は決断できずに集合の日を迎えた。職場には有給を申請してある。さて、自宅を出ようとした時、携帯がなった。
「自宅にいるんだろ。すぐシフトに入ってくれ。久々《ひさびさ》の大人数の客だ。・・・休み?。それは自宅待機ってんだ。6時には入れよ。」
無茶苦茶な店長の電話に健次はいらついたが、集合は5時だ。とりあえず、集合してからでも間に合うだろうと思った。
「おそーい!」
健次が到着するなり、司が文句を言う。時計を見るとすでに30分ほど過ぎている。
「電車が事故で遅れた。」
嘘ではなかったが本当でもなかった。実際に健次の乗った電車は10分ほど遅れた。それは待ち構えているバイト仲間に見つからないように、遠回りをして乗り継いできたからでもあった。
「ぼくは、暇だしやってもいいけど、小学生だからお金はないよ。」
祐二が真っ先に口を開いた。
「わたしも、学生だから。でも、SNSで拡散することはできるよ。」
「さしづめ広報部長だね。」
司の言葉に長治がふざける。
「そうゆう爺さんは何ができるのさ。」
司がくってかかる。
「銀行員だったから、座って金勘定ぐらいかな。」
長治が札束を開いて数えるまねをする。
「ところで、そっちの兄ちゃんは何ができるんだい。」
長治が健次に向かって薄笑いを浮かべながら問いかける。
「しがないバイト生活で、これといって出版関係は。」
健次が言い終わらないうちに、
「つまり、ど素人の集団ね。」
祐二が、時計を見ながらあきれたようにしゃべる。おそらく、塾の時間でも気にしているのだろう。
「いきなり、出版社に持ち込むのも無理だから、まずは一巻目をネットに載せて様子を見よう。どこかの出版社がくいつけば紙にすればいい。」
祐二の小学生ならぬ発言に一同は目を丸くしたが、あまりの正論に誰も反論できなかった。
そのとき、健次の携帯が激しく鳴った。
「あ、今日は無理です。今ですか・・・病院です。え?ちょっと熱が・・・先生にですか?忙しそうなのでちょっと・・・。」
見かねた長治が携帯を取り上げると
「はい、院長の小石川です。あ、職場の方ですか。本日の出勤は無理ですね。検査途中ですがね、どうやらインフルのようです。一週間は出勤できませんよ。」
勝手に店長からの電話を切ると、携帯を健次に返した。
「一日で治せって。できなきゃクビって。おまえさん、あのブラック企業、ほったぐり食堂で働いてんだな。」
さずが、元銀行員、その手の話には詳しいらしい。
「良かったじゃん。もっといいとこあるって。」
司が慰めてくれた。
「『ひとつ上のサービスを』といいながら、ひとつ上の利益率の良い商品を勧めてくる、通称、ぼったくり食堂。未払いの給与や退職金の話をされても、のこのこ行っちゃだめだよ。難癖をつけて逆に何十万も支払わされるってさ。」
タブレットの上にすばやく指を滑らしながら、祐二が付け加えた。最近のネットは、そんなことまでも簡単に解るらしい。
いつまでも今の理不尽な仕事を続けるわけにはいかない。わかってはいても踏ん切りがつかないでいた。
「これで、兄ちゃんがフリーになったわけだ。とりあえず、代表で小説サイトに登録してもらえばいいんじゃないか。」
勝手に無職にされた怒りより、なぜか悪い夢からさめたような爽快さが健次にはあった。
「爺さんのほうがよかない?」
健次の問いに長治は苦笑いした。
「わしゃ、住所不定の身じゃ。」
「いわゆるホームレスってやつですね。」
老人特有のとぼけた答えに、祐二がすかさず反応した。
「エー、はじめてみた。」
司が鼻をつまみ眉をひそめる。
健次は、店長に連れ戻されるのを恐れて、引越しした。家賃も節約したい。四人の中で唯一、住所が決まっている成人の健次の契約で、『死なない老人と死にかけの若者』を無料の小説投稿サイトに載せることとなった。
原稿は祐二がスキャナで読み込んでアップした。司は、ネットではちょっとした有名人らしく、SNSのフォロワーが千人ほどいるらしい。彼女の書き込みによって徐々《じょじょ》に本の存在が広まっていった。
長治は空家となっていた印刷所に寝泊りし、原稿の番をしている。
四人は週一回の集会を続けた。お互い名前も住所も知らないままだったが気にならなかった。無職の健次にとっては生活がかかっていたが、ほかの三人はお金には困っていないようだった。
梅雨も明けようというころ一巻目の評価が出た。
「最近、いくつかの出版社からメールが届くよ。」
メールは司が受けて、みんなに配信していた。ただ、端末を持たない長治を除いて。内容は作家本人に会いたいってもので、明らかに引き抜き目的だった。
「この出版社がいい。」
長治は健次の携帯を覗き見ながら、おもむろにいった。
「こことは昔、取引をしたことがある。小さいけど作家を大事にするところだ。」
長治に勧められた出版社に赴いた健次の前に出てきたのは、羽振りのよさそうな若い男だった。高そうな腕時計に、金のブレスレット。接客業をしていた経験から、信用の置けないと感じた健次は、トイレに行くふりをして急いで帰ってきてしまった。
「そうか、先代が亡くなって今は息子が継いでいるのか。残念だったな。」
作者不明の話題性もあってか、本の人気は落ちなかった。学校が夏休みになると四人で集まる回数も増えた。
「そろそろ二巻目を出さないと、夏が終わっちまう。」
出版物にとって季節は大事だ。夏の話を冬に出しても売れない。そんな折、彼らの投稿サイトが経営不振で閉鎖されるとの情報が流れた。
「別のサイトを探すか、自費出版をするか。」
彼らに突きつけられた究極の選択だった。
「自費出版で行こう。」
長治が行った。彼が年金が出るまでの生活費にと持っていた退職金の一部を元手として出してくれることになった。格安の印刷サイトを見つけた健次は早速注文した。まずは様子見で百部限定の出版、送料別で原価のまま千円でネット販売をすることにした。そして代金として表示された10万円を指示に従い前払いした。納品当日、長治と健次がいつもの印刷所で待っていると早速一台のワゴン車がやってきた。
「百冊だからあれくらいだろう。」
ドライバーは宛名を確認し、ガランとした印刷所の中を確認すると、すぐに無線でどこかに連絡しはじめた。やがて、一分とったたないうちに大型トラックが砂ぼこりを巻き上げながら入ってきた。一台、二台・・・五台の4トントラックが並ぶ。運転手たちは、呆然と立ちつくす長治と健次を尻目に、手際よく次々《つぎつぎ》とダンボール箱を建物に運び込む。
「こちらが明細と残りの請求書になります。入金は五日以内にお願いします。」
ドライバーはそういい残すと急いで去った。
「ええと・・・前金10万、残金が990万円・・・一万冊?」
唖然とする二人のもとに、一台の自転車が勢いよく突っ込んできた。
「届いた?」
祐二だった。その問いに二人はただ建物の中を指差すだけしかできなかった。しばらくして中から叫び声がした。
「やられたね、兄ちゃん。悪質サイトにひっかかったんだ。単位が、100冊1部になってる。金額も頭金1%の表示だね。ま、兄ちゃん頭悪そうだし、ひっかかっても仕方ないか。」
健次は反論するだけの語彙を持ち合わせていなかった。
どうやら、100冊単位での注文に気づかず100と打ち込んでしまったらしい。おかげで一万冊届いたってわけだ。さらに頭金表示を全額表示だと思わせる紛らわしさ。一冊あたり千円と飛びついたのが失敗だった。
「詐欺じゃないのか?」
長治が尋ねる。
「納品はあるし、単価も法外ってわけじゃない。さらに、残金があった場合は、後日請求ともあるね。残金表示は特にないけどね。」
祐二が注文サイトの内容を解説した。こんなことなら、祐二に頼めばよかった、健次はいまさらながらに思った。
「1万冊の在庫。どうする?」
「今予約は約80冊だね。」
長治と健次の手持ちをあわせても400万。
とりあえず、400万を入金し、支払期限を十日間延ばしてもらった。
「十日で590万か。」
支払えなければ、せっかく印刷した本の販売権が取られてしまう。著作権までとられないのがせめてもの救いというところか。
うだるような残暑の中、健次は近所の本屋に飛び込み営業を始めた。いくら話題性があるといっても、どの本屋も数冊程度しか置いてくれない。しかも、代金は売れただけで、さらにマージンとして10%ほどを要求された。数日間、足を棒にしても50冊程度しかさばけなかった。大型のチェーン店は雇われ店長なので相手にもしてくれない。
これなら、ブラックでも前の職場のほうがマシだったな、などと感じたが、愚痴ってる暇もない。
本の売れ行きとは別に、ネットでは作者についてのさまざまな憶測が飛び交っていた。
「ヤバイやつで表に出れないんじゃないか?」
とか、果てには
「あの内容からすると相当の年寄りだろう。もう、生きてないんじゃないか?」
などまで。ま、当たっているんだけど。
あれから祐二も司も打ち合わせに来ない。新学期が始まり、忙しいそうだ。が、借金から逃れたいだけなんじゃないかと、健次の耳元では悪魔が囁き続けた。