第0話「おらたち、死んじまっただ」
夢の印税生活。物書きならだれでも一度はあこがれる甘美な言葉。しかしそれを生きているうちに味わえるものは、ほんの一握りの選ばれた人たち。年老いたこの4人もその言葉の魔力に魅せられた亡者であった。
一人は作家。まだ、一冊の本も書けてはいない。一人はイラストレータ。絵はそこそこうまいものの、フリーのイラストレータに仕事を回していくれる出版社などはない。次の一人はつぶれた印刷会社の社長。ネットで安い印刷業者が出てきて仕事が激減。借金こそはないものの手元に残ったのは引き取り手のない古い印刷機のみ。最後の一人は街の本屋の店主。やはりネット社会にとりの残されて閉店を余儀なくされた。
サラリーマンと違い、わずかな年金しかない上、身寄りもなく、あがる医療費に苦しい生活を続けていた。そんな四人が出会ったのが、とあるデイサービスのフロア。
「源さん、上手なイラストね。」
一人の介護師が、暇つぶしに広告の裏にイラストを書いていた老人に声をかけた。
「今時、手書きなんて。うちの孫なんぞ、アプリでチャチャッとサイトに投稿しとるぞ。」
インテリぶった婆さんが上から目線で口をはさむ。
「ヨネさんのお孫さんは、たしか有名な何とかチューバじゃったな。」
別の年寄りが、すかさず話しに割り込んでくる。
こうなると、もうイラストのことはそっちのけ。孫の自慢大会になる。
「団子、いや東北の饅頭がどうのとかよくいっとるわい。」
「ほう、見事なイラストですな。人物が生き生きしとる。」
書けない作家は源二に近寄ると横に座った。
「でしょ、今時の棒人間のようなイラストは嫌いじゃ。最近の出版社は、商品や建物がメインだから人は添え物でいいといいやがる。いつの世でも人こそが中心。いつか北斎を超えてみせる。」
源二は垂れ下がった瞼の奥にある小さな目を輝かせて語った。
「わしは、いつか本を書きたいと思ってる。そのときには、ぜひイラストをお願いしたいものだ。」
「あなたは?」
源二は瞼を指で押し上げ、作家志望の老人をいぶかしそうに覗き込んだ。
「これは失礼した。わしは、文次。いつか売れる作家になろうと思っておる。」
「私が知っている著書に何かありますかな。」
文次は顔の前でしわだらけの手を横に何度も振った。
「いやいや、お恥ずかしいかな、まだ一冊も書けていないのですよ。ですからいつかはとね。」
文次の言葉にしばらくしてから
「おや、そうでしたか。ではわたしのイラストが処女作を飾るわけですな。こりゃ、ありがたい。」
「その作品、ぜひ一番に読みたいですな。」
そういって割り込んできたのは白髪で茶色のカーディガンを着た紳士風の老人だった。
「あなたは?」
文次の問いに
「しがない元本屋、徳司です。まあ、読んだ本の数ではそこらの連中には負けませんぞ。」
と自慢気に答えた。
「これはありがたい。最近はちょっと似ているというだけで、すぐに盗作といわれてしまう。」
「そういうことなら、校閲をお願いするといい。」
色黒のちょっと機械油の臭いがする老人がさらに加わった。
「わしは克治、しがない元印刷屋。」
口元には金歯が数本光っていた。昔は儲かっていたようだ。
「改行位置やピッチの調整など、ちょっとしたことで読みやすさがかわりますからな。これは心強い。」
さすが、徳司。だてに本屋をやってはいない。
四人は週一回のデイサービスで集まっては、文次の原稿を元に議論しあった。
「文ちゃん、時代劇じゃないんだから受けるでござるはないだろう。」
「チョウ受けるじゃないかい?」
「源ちゃん、古いよ。今は劇ウケだね。」
「爆ウケだよ。」
「あそこの4人、楽しそうね。」
「手がかからないから、うちら助かるよ。」
介護師たちは四人には構わず、他の老人の世話を続けていた。
ある日、孫自慢のヨネ婆さんが寄ってきて、いきなり文次の原稿を一枚ひったくると、
「チーン!」
驚く一同に、
「なんじゃ、ティッシュじゃないのか。」
といって、鼻の頭を真っ黒にしたまま立ち去っていった。
四人はゲラゲラと笑いながら、
「これだよ、これ。」
といって執筆を続けるのだった。
かくして、その本は一年がかりで全四巻が完成した。克治の古い印刷機を使い、第一巻の1冊のみ限定の文次の処女作
『死なない老人と死にかけの若者』
が出来上がった。四人は、デイサービスの棚にそっと置いて様子を見ていた。
「誰も読まないね。」
徳司がぼそりと言った。
「年寄りは、目が悪いからね。」
文次は小声で返した。
「帰りのタクシー出ますよ。」
運転手の声に四人は急いで帰り支度をした。本を棚に残したまま。年寄りは物忘れが多いものだ。
次の週、四人が集まると介護師たちがパニックになっていた。たくさんの若者が受付にいるではないか。
隅のほうで聞き耳を立てていると、どうやら文次たちの本がネットで話題になっているらしい。彼らが帰った翌日、動画職人であるヨネ婆さんの孫が面会に来た際、棚に忘れられていた本を見つけた。そこには、デイサービスで繰り広げられる元気過ぎる老人たちと疲れきった介護師たちの日常が面白おかしく赤裸々《せきらら》に描かれているではないか。さっそく、東方キャラが饅頭姿でが活躍する彼の人気サイトで紹介したらしい。
世界に1冊だけの本。誰も知るわけがない。翌日から、デイサービスのフロアに実物の本を一目見ようと若者が押しかける事態となったのだ。
「お花見での、どたばたがいい。」
「暖かくなって元気になった老人たちと、花粉症で今にも倒れそうな介護師たちの対比がいいね。」
「老人のイラストが、むかつくぐらい表情があって面白い。」
「はやく夏バージョンでないかな。」
「それより、スマホ化してくれよ。」
SNSに日々《ひび》書き込まれる投稿に、大手の出版社も動き出そうとしていた。
「自費出版か、大手か、どちらがいいかね。」
満開の桜の下、四人の爺さんたちがカップ酒片手に話し込んでいた。
「やはり、大手で量販だろう。」
「ネットも捨てがたい。」
「これで俺たちも晴れて夢の印税生活・・・」
文次がそういいかけたとき、一台のワゴン車が彼らのほうに猛スピードで突っ込んできた。とっさのことに身動きできない四人。車は彼らをよけて横の朽ちた桜の木にぶつかった。
「いやあ、危ないとこでしたな。」
顔を見合わせる四人に、不幸が起こった。車を止めていた桜の木が折れて彼らの頭上から落ちてきたのだ。人間とは何の構えもない時ほど弱いもので、四人とも桜の下敷きになり息絶えてしまった。