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0.ある魔法使いの独白

 少女という生き物がどれほどに無邪気で、愛らしく、そして残酷であるか。

 今から私はそんな話をしようと思う。

 聞き手はひとり――いや、一匹と云ったほうがいいだろう。今も私のすぐそばに丸まって、不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいる彼だ。

 彼は既に私の話など聞き飽きているし、そもそも聞いているのか理解しているのかさえわからないけれど。

 だからこれは半分以上が独り言であり、妄言でもあり、ひょっとしたら彼以外に聞き耳をたてているかもしれない誰かに対する物語でもあるのだが――結局は私の自己満足に過ぎない言葉の羅列に当たるだろう。


 さて。

 『不思議の国のアリス』という本を君は知っていただろうか?

 アリス・リデルという絶対的にして永遠の少女にねだられて、ルイス・キャロルと名乗った男が作り上げた不可思議で不条理な物語。

 その空想に満ちたストーリーを愛し、逃避するかのように読みふける少女がいたとする。彼女はある日、美しい装丁が施された『アリス』の物語を大好きな人から贈られて、それはそれは喜んでページをめくる。ところがしばらくすると窓の外に黄昏が迫っていることに気づき、途端に不機嫌になってしまう。

「ねえ」

 少女はいつものように、無邪気な声でお願いごとを口にする。

「空を糖蜜色にしてちょうだい」

 かわいらしくねだられて、その人物は面白い冗談を聞いたような顔で笑い出す。少女としては本気で、本心から願ったことだったので相手のそんな態度が気に入らない。笑い声も煩わしいとふてくされて、拗ねた態度で「無理ならいいわ。もう知らない」と突っぱねる。

 少女の言葉が少なくとも冗談ではなかったと理解したその人物は、笑うのをやめて、少し思案するように黙りこむ。

 彼女のためにアンティークショップをいくつも巡り高額をはたいてまで美しい物語の本を手に入れてくるほどだ。少女の願いを叶えてあげたいと思う気持ちに偽りはないだろう。実に美しい親愛の情だと思わずにはいられない。

 だがそれはあまりにも愚かしい行為だということに、彼らはお互い気づいてはいないのだ。

 ――わかった、約束するよ。

 ゆっくりと紡がれた相手の口癖に、少女は顔を綻ばせる。初めから他の答えなど用意されていないと知っているから、どこまでも我儘に振る舞える。少女という生き物はなんと残酷にできているのだろう! その願いを叶えるために相手がどれほどまでに労力を尽くすのか、まったく考えもつかないで。

 ちょっとばかり悩むポーズを取ってみせるくせに、頼られることを、我儘を云われることを喜んでしまう相手も勿論悪い。幼くて弱くて自分がいないと生きていけない可哀想な妹が大好きで、その姿を崩さないように振る舞ってくれている少女の態度にもまるで気づかないのだから。

「本当に? 本当に叶えてくれる?」

 上目遣いに問いかけられれば、愛おしげに目を細めて頷く。やさしい手つきで髪を梳いて、指先が頬をくすぐる。少女は目を細めて思うのだ。

 あぁ、わたしは今日も愛されている。変わらずにこの人の愛を受けている。とてもとても幸せなのに。それなのに。

 ――いつか、いつかね。叶えてあげる。だから待ってて。

 ――君の好きな色で、空一面を、世界だって塗り替えてあげるから。

 ささやかれた言葉に笑い返す少女の表情がくもったことに、相手は気づかない。


 『空の色を塗り替えて』


 少女の願いがそんな単純な空想でも妄想でもなくて、だけれどもっとシンプルなものでしかないことに何故気づかないのだろう。

 少女は思う。

 わたしは、愛されているはずなのに。

 その間にも窓の外は黄昏れてゆく。既に陽は落ちてしまって、外の景色も曖昧になってきた。四角く切り取られた風景の向こうに消えていくその人物を見送りながら、少女は涙を流さなかった。

 部屋の中にぽつねんと佇んで、大きく響く時計の音に耳を塞ぐように頭から毛布をかぶってしまう。

 やがて長い夜が来ることに、少女はひどく怯えている。朝日がのぼり、明日がやってきたところで、自分がそこにいられるかがわからない。だから彼女は夜が嫌いだ。それでも、時が進むことを願ってやまない。


 ひとりはいやだ。ひとりはさびしい。置いてかないで。傍にいて。

 だって、もしもひとりになってしまったら。


 ――どうやって願いを叶えればいいのか、わからない。






 ………………ほら、とっても、残酷だろう?

 だからこそ、少女という生き物は何処までも愛らしく美しい。己の愚かしさに気づけぬほどに幼いから赦される。それすらも理解していないのだから。

 おや、どうにも彼はこの理屈がお気に召さないようだね。私の腕に爪を立てるのはやめてくれないか。ほら、本が落ちてしまうよ。君だって、この物語は好きだろう?

 ……あぁ、そうだね。君が好きなのは物語ではなくて、『彼女』そのものなんだっけ。わかったよ。よくわかった。

 では、話を進めよう。

 願いのために、何処までも残酷になりうる少女の話を、はじめよう。

 きっと君は、それすらも気に喰わないのだろうけれどね。

 だが君、知っていたかい?

 糖蜜色っていうのはね、煮詰めすぎたカラメルみたいに真っ茶色で、いっそドス黒くって、字面の甘ったるさからは想像もできないほどに重苦しい色をしているんだよ。だから、そうだな。私なら、少女に似合う空の色を選ぶなら、もっと可愛い色にするだろう。

 たとえば、少女の愛らしい唇に触れるにふさわしいような、愛らしい、ももいろの――。

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