僕と影の奇妙な関係
かつて、自身の影が意思を持って言葉を発したり、自由気ままに動くことがあっただろうか。まず無いだろう。否、有り得ない現象であるし、不可解な現象だ。
「彼方、お願いしますから日陰を選んで歩くのは遠慮してください……」
ならば問おう。これは何だ?
「前にも言いましたが、私は日陰に入ると存在まで溶けてしまいます。聞いていますか、彼方?」
「いっそのこと消えてくれた方が助かるんだけど」
一ヶ月も前から動き出した僕の影。
理屈は分からないが、弱点は同じ影という奇妙な影だ。
形は僕のとはまったく違う。
背は高いし、声はおじさんみたいに深みのある低音だ。あと、影だから良く分からないが、大きな帽子を被っているようだ。シルクハットのような、そんな帽子。
「大体、喋る影なんてご近所さんに見られたらなんて説明すればいいんだよ?」
ふむ、と考えるような声が聞こえて、日向に出たところで確認の為に振りかえると青白い表情をした男が立っていた。
――マズイ!
しかしその男は僕を見てニコリと笑う。
男が夏だというのに黒いマントを羽織り、大きな黒のシルクハットを被っていた。英国紳士か?
「これで、大丈夫ですか?」
嬉しそうに微笑む男。足元を見ると、なんと僕の影と繋がっていた。
「……いいわけ、ねぇだろっ!」
慌てて日陰に身を潜めると、実体化した僕の影は日陰に吸い込まれるように消えた。
自分の影だというのに、まったくの別人の姿をした影。血色の悪い青白い顔が恐ろしく見えて、日向に出ることを躊躇ってしまう。
一ヶ月も一緒にいるのに、実体化したのはこれが初めてだった。
「彼方、謝りますからどうか、どうか日向を歩いていただけませんか?」
僕の鼓動が伝わっているのか、影は小声で話す。恐怖心だということは伝わらないらしい。……それを幸いと呼べるとどうかは怪しいけども。
深呼吸をして、日向に出た。あくまでも普通を意識して歩く。人通りの少ない道を選んで歩いてはいるが、何が来るか分かったものではない。
「彼方、一体どこに向かっているのでしょうか?」
時折頭だけを地面から生やして辺りを警戒している風の影は、少しだけ楽しそうに話す。
「図書館だよ」
「お勉強ですか?彼方は勤勉なのですね」
見た目年齢中年の男に言われても嬉しくない。
「そんな人間に見えるなら、お前は僕の影失格だな」
手ぶらで図書館に勉強しに行く奴なんかいるのかよ。図書館に向かっている理由はだた一つ。
この存在そのものが謎の、自我を持った影のことを調べる為だ。それだけの為に近所になる小さい図書館ではなくて大きな総合図書館に向かっているのだ。
やっとの思いで図書館に着いて、中に入る。クーラーが効いていて気持ちが良い。
蛍光灯の光は太陽よりも淡く、足元の影も薄くなるからか、僕の影は大人しく影らしくしていた。
僕が呪術系の本が集まるコーナーで、上の段から順番にそれっぽい本を探す。手に取ってはパラパラと捲り、戻して次の本へ。
「一つ、聞いてもいいですか?」
控えめな声が聞こえ、目だけを動かして声の主を探す。それは、手元の本のわずかに出来ている影に潜んでいた。
「……なんだ?」
「どうして先ほどから、呪術系の本ばかりを読んでいるのですか……?」
そんな趣味がおありで?と聞く影に「違うよ」と流し読みしていた手元の本を閉じた。
「お前なんか、僕に取り憑いた何かとしか考えられないね」
どこに移動したのか分からない喋る影に吐き捨てるように言ってやった。
影は何も言ってこない。
傷付けてしまったのだろうか。
影とは言え、自我を持つ存在なのだから当然なのかもしれないけれど。
だけど僕は普通に戻りたいんだ。一ヶ月前までの僕に戻りたくて、僕なりに必死なんだ。
この一ヶ月、どんな理屈も科学的証明も出来ないコイツと一緒にいるんだ。他の人の影を見ても、当たり前だけど独りでに動く様子も、喋り出す気配も感じない。
世界から隔離されたような、見離されたような、切り離されたような、孤独を感じる。
正直、自分の影が動く度に鳥肌にはなるし、吐き気も起こる。心の病気かとさえ思ったし、それが現実的だと今でも思う。疲れが溜まっているから、幻覚を見ているんだと思いたかった。
だけど、現実はとても冷たかった。
「お前って一体何者なんだよ……」
「彼方の影以外の何者でもありませんよ」
呟いただけの、ただの独り言に返答があった。それは、僕の欲している答えではない。
深く溜息を吐き出して、図書館を出る。収穫は無かった。
外はまだ太陽が力強く仕事している。足元の影は存在を強くし、勝手に暴れやしないかと冷や冷やする。
「彼方、何か分かったのですか?」
「全然」
人通りが増えてきて、影もタイミングを見て話し掛けるようになった。出来るだけ人気の少ない道となると、川沿いになる。自然と僕は足をそちらに向けていた。
一ヶ月とは、慣れるまでに十分な期間だったらしい。
「彼方、すみません。私は私のことが分からない。彼方の力になれそうにない……」
「……気付いてたよ。だから図書館で何か分からないか調べてたんじゃないか」
「彼方……」
話せてうれしそうな表情をするのは、独立した自我を持つ一つの存在だから。本当なら、実体化して僕の隣を歩きたいのだろう。だけど、影と言う事実はどうにも解決出来ない。
「せめて名前があればいいんだけどな」
「名前ならありますよ」
普通に会話をしてしまっているのに、僕はそれが当たり前かのようにそのまま続ける。
「あんのかよ。それこと早く言えっての」
傍から見れば、ただの独り言だ。イヤホンマイクでも付ければ電話しながら歩いているだけに見えるだろう。
「さっき考えました。グリム、と呼んでください」
なんだ。結構普通じゃないか。
「おい、自分のことをメルヘンな存在だとでも思ってんのか?」
「いけませんか?妖精に近しい存在。素敵じゃありませんか」
「童話にでもなってろ」
物事とは、自分の都合の良いように解釈が出来る。もしかしたら、他の人だって隠れて自分の影と話しているかもしれない。影自身が影らしく演じているだけで、本当は機会を窺っているのかもしれないじゃないか。
おかしいと言われるかもしれない。
それでも僕は、実際に自分の影と、グリムと会話が成立している。
世の中ってのは案外、当たり前という思想の塊で、本当の真実というやつを知っているのはごく僅かなのかもしれない。
終。
あとがき?というか、こちらでは初めての投稿となります。別のところでは主に恋愛小説ばっかり書いていて、本来書きたいのはこんな感じの物語です。バトルとか本当は書きたいんです。推理物も書きたい。
そんな願望よりも、読んでくださってありがとうございました。原稿用紙10枚以内という縛りで書いていたものをアップしただけですが、いかがでしたでしょうか。短い為に詳しい説明をほとんど切ってしまっていますが……。感想やご指摘などありましたらよろしくお願いします。
それでは、この度はありがとうございました。また次回。