Ⅱ・星 - ペンタグラム 1997/2013
-1997年 とある柔らかな日差しが心地よい春の日-
「キーちゃん、アタシ早く大人になってこの何もない町から出ていきたいな」
「カリンちゃん……」
「ねー東京ってどんなところ? テレビで見るような芸能人いっぱいいるの?」
「んー、よくわかんない。学校のチャリティーイベントなんかではたまに来てたけど……」
「えー、いーないーな。キーちゃん、大人になったら私が知らない場所いっぱい案内してね」
「うん。私だってお姉さんなんだから、案内くらい任せて」
こっちへ引っ越してから大分経って、キーちゃんは日に日に元気になっていった。
今日も海辺で潮風に当たりながら2人でおしゃべりをしている。
アタシはしっかりと彼女の手を握り締め歩き出す。車椅子も杖も必要ない、アタシがキーちゃんの目であり足である。
「うんうん。そしてカッコいい俳優さんなんかと素敵な恋愛して……素敵なお嫁さんになるんだ」
「え……」
「子供は3人くらい欲しいかなぁ、アタシ一人っ子だから兄弟って憧れるんだよねー」
「だ、だめーーー!」
「ど……どーしたの一体?」
「カリンちゃんは私とずっと一緒にいてくれるんでしょ? だめだよ、結婚なんてダメ!」
「ぁはは、もーキーちゃんってば、ずっと将来の話だよ。それにキーちゃんのほーがアタシなんかよりもずっと綺麗なんだから、絶対先に結婚してるってば」
「……結婚なんかしないもん、カリンちゃんだけいてくれればいいもん」
「もー、お姉さんの癖に甘えん坊だなキーちゃんはー」
お人形さんみたいな容姿で嬉しいことを言ってくる親友をぎゅっと抱き寄せる。
「わ、わわわ……」
気が付くと茹でダコみたいにほっぺを真っ赤にしながら、キーちゃんはじたばたと暴れまわっていた。
「あ、ごっ、ごめん。熱出ちゃった?」
「違うの、ちょっと恥ずかしかっただけ」
申し訳なさそうに俯きながら、掠れそうな小声で無事を知らせてくれる。
でも、ちょっとはしゃぎすぎたかもしれない。
アタシはこの小さな田舎町しか知らない。この狭い世界がアタシの全てだった。
いつかはキーちゃんと一緒に大きな都市に行きたい。
アタシが手を握り、無邪気にあれは何とこれは何と尋ねる。
キーちゃんが物凄い量の点字本で培った豊富な知識でアタシに教えてくれる。
2人でいれば何があっても怖くない。
この左手から伝わるほんのりとした暖かさが、アタシにたくさんの勇気をくれている。
絶対離すもんか、幼い心の内にそう強く誓っていた。
◇◆◆◆◆◆
-2013年 とある強烈な日差しが眩しい春の日-
――おかしい。なにがいったいどうなっている。
石川県珠洲市。
人口2万人にも満たない小さな町には都会では感じられないほどの自然が広がっている。
アタシはそんな地元に帰ってきたはずだった。
「久保田ー、しっかりしろー」
「だ、だいじょーぶですっ、ボス!」
ボス……こと、私の新上司・高井浩一郎54歳。この新社屋の主に対し慌てて返事をする。
ついさっきまで、この支社のメンバー全員で初顔合わせ……といっても、全員本社勤務が長いので顔見知りではあるが、初ミーティングを行っている途中で強い揺れを感じた。
「……それにしても妙だ。強く揺れを感じたが、全くその痕跡がない」
ネクラ先輩……こと、購買担当の山寺信利28歳。
彼の言うとおり、地震後特有の震動の形跡――物のズレ、紐や液体の揺れが全く感じない。
「なんだコレは……ステータス画面?」
「どーしました? しろぶ……じゃなくて白井先輩?」
白豚先輩……こと、総務担当の白井隆33歳。
「いやいやいや、久保田君っ、『しろ』と『しら』で間違えるの無理あるから」
「で、どーしたんですか白豚先輩?」
「いやー、あまりの清々しさにもうそれでいいと思ってしまうけど、一応『シラ』井だからね?」
「分かりました、シラブタ先輩」
「…………」
「知ってますか、能登豚ってローズ芯が太くてもちもちしてるんですよ?」
「……もういいです、うう」
ボス、ネクラ先輩、白豚先輩、そして経理担当のアタシ、久保田花凜23歳。
この4人がこの北陸支社のオープニングスタッフとなる。
営業については来月に本社から助っ人が来てくれるらしい。
「さて、白井。ホントにどうしたんだー」
あ、ボスが食いついた。なんかヤバそうな発言してたから流そうと思ったのに。
「支社長……。はい、実はさっきの地震の直後から皆の姿に重なるようにステータス画面が見えだしまして」
「ほほー、ステータスっていうとキミがよくやるゲームみたいなものかね?」
「ええ、それに近い……というかほぼそのものですね」
白豚先輩の電波話は要約するとこうだ。
さっきから幻視が見える。
白豚先輩自身は『鑑定』、ボスは『統治』、ネクラ先輩は『獣使い』、アタシは『錬金』……さっきからウチの事務所に勝手に入ってきて、お茶飲みながらくつろいでいる外国人のおにーさんは『慧眼』らしい。ってか、豚の吐く妄言聞くよりも先に誰かあのおにーさんに何かツッコめよ!
「なるほど、慧眼か。言い得て妙だね」
おにーさんが立ち上がって、ニヤリとした笑みを浮かべこっちを向いた。
ぅええ、キーちゃん~気持ち悪いよー、助けてよー。
「あの、失礼ですがどちらさまですか?」
お、ボス、いったー!
「初めまして、異界の客人方。私の名はカロッゾ・ユーキエ。この王国の中でも屈指の伝統と栄華を誇る名家を率いている者だ」
は? 王国? 名家? ……アタシの地元にそんな怪しげな一族いましたっけ?
確かに最初はびっくりした。
何しろ急に「ここは異世界だ」である、この代わり映えしない田舎町に対して、つまらないオヤジギャグとばすんじゃねー、とも思った。
だけど、支社から見える外の町並みはアタシの生まれ育った町ではなかった。
へんてこな服装をしている外国人のおにーさんの説明を聞き、外の風景を眺め……納得はいかないけど、何故か心が震えた。
「なるほど、確かにここは私たちの知る世界ではないようだ。ふむ、カロッゾさん、私たちがこの国で商売をするためにはどうすればいいのかな?」
「そうだな。通常であればギルドに加入するのが手っ取り早いのだが……話を聞く限り、組織の枠組みもあり方もこれまで聞いたこともないものだ。数日ほど待って欲しい、当家の庇護の下これまで通りの商いが出来るよう王家から認可を取り付けよう」
「ならば、こちらの有力組織云々に挨拶も必要ですな。カロッゾさん、そちらの予定も取り次いでもらいたい」
「わかった。同時に進めておこう」
ボスとおにーさんが小難しい話を続けている。
うわー、なんか知らないけど、しみったれた田舎町への異動が見知らぬ異世界での大冒険へと変わったようだ。
わくわくしてると喉が渇いてきた。よし、散歩がてらジュースでも買ってこようっと。
「ボス、アタシ飲み物買ってきますねー」
「おお、そうかー。私の分も頼むよ」
「では、私も頼もう。そこの角のシェスタ―さんのお店がおススメだよ」
「はーい、わかりましたー。ありがとうございますー」
ボスに許可を取ると、おにーさんがおススメを教えてくれた。見知らぬ土地だ、情報提供はありがたい。
支社から出ると、見知らぬ街の喧騒が直に身体を包み込んだ。
白豚先輩が入口の扉から、養豚上の柵から顔だけ這い出した仔豚の様にこっちに向いて、お金お金と騒いでいる。失礼な、財布はきっちり持っている。
さて、先ずATMを探そう。えーと、こっちかな。
ふと、人目に見えない曲がり角の死角が気にかかり早足で近づいてみる。
おお、良く見慣れた北陸銀行のATMだ。なんか野ざらしで置いてあるのに違和感を感じるがまぁいいや。
早速、千円札を5枚程引き出すと、財布にしまいこむ。
次は……あれだ。シェスタ―商店――ライゼック村という農村直送の高級果汁ジュースが並んでいた。
「すいません~、この林檎ジュース6人分ください」
「はいよ、おやおや可愛い御嬢さんだね。どこのコだい?」
「えっと……この角に引っ越してきました。このお店は……カロッゾさん、という方から教えてもらいました」
「なんと、ユーキエの旦那からかい。これはこれは、今後ともご贔屓に」
「は、はい。こちらこそ。お幾らですか?」
「そうだね、おまけして半銀貨というところか」
え……何その単位? どうしようと困りながら財布を開く。その瞬間、手の中の紙幣が二枚、銀色の塊りに変化した。何これ?
「あの……これで良いですか?」
「おう、丁度だ。まいどあり!」
よく分からないが、無事買い物できたようだ。
紙質も悪く、全て手書きというなんとも珍しい領収書だったが、きちんと受け取る。経理の人間がこれを怠っていては示しがつかないだろう。
通りがかりの商店の人も皆気さくに声をかけてくれる。
うん。なんかすごく活気があって良い雰囲気だ。田舎なんかとは全然違う。
愛想よく元気に挨拶を交わし、事務所へと駆け足で戻っていった。
「ただいま戻りましたー」
「おお、おかえりー」
「久保田君……一体どうやって買ったんだ……」
白豚先輩が何やら目を丸くしている。
「ところで、ボス」
「なんだね」
「この『半銀貨』っていう領収書……どう処理しましょう?」
「ええっ?!」
誰が見ても非常識な質問をボスの目の前に叩き込む。内角ど真ん中にぶつけたその直球ボールに対し、ボスからの返事はしばらくなかった。
補足)
花凜の白井への対応の悪さは、ぽっちゃりへの差別という訳ではなく、
以前騙されて借りたPCソフトがエロゲだったというトラウマから来るものです。
当然、その時に社長経由によりみっちり減俸という名の報復がされています。
悪気はないだけに本作でも残念な立ち位置の白井さん。