Ⅰ・銀 - アルギュロス 1996/2013
-1996年 とある年明けの凍える冬の日-
「カリンちゃん~、どこにいるの?」
「キーちゃん。大丈夫っ、アタシはここにいるよ」
「ごめんなさい……。本当に怖いの。このままカリンちゃんの声が聞こえなくなったら私、私……」
盲目に生まれ、日に日に難聴になっていくキーちゃん。
今日も弱々しい声でアタシを呼び寄せ、ぎゅっと肩にしがみ付いてくる。
人形のように真っ白な肌と、腰まで届くさらさらなストレートヘアーがとても綺麗で羨ましい。
ほんとはアタシよりも2歳上のお姉さん。
光もない、音も薄れていくこの世界に絶望し、強い恐れを抱いている。
二ヶ月前、キーちゃんは東京で通っていた盲学校や病院へ通う毎日から逃げ出した。
見るに見かねた彼女のご両親が、ここ珠洲市にあるお爺ちゃんの家で静養させる為単身越してきたらしいが、まだ小さかったアタシにはそんな細かい理由なんてよく理解できていなかった。
このコはアタシの隣の家の小さな住人。そしてアタシの大事な親友だ。
「大丈夫だよ、キーちゃん。アタシはどんなことがあっても絶対にキーちゃんの傍にいるよ」
「うん……カリンちゃん、ありがとう。ずっと……いつまでも傍にいてね」
「あったりまえだよ! これからもキーちゃんの傍にいて、ずっと守ってあげるからね。約束するよ!」
「ん……約束。……絶対」
まだ小さかった頃の思い出。
今でも記憶に色濃く残る冬の日の記憶。
この人形よりも精巧な顔立ちが美しい少女のはにかむような笑顔はずっと心から離れなかった。
この冬、キーちゃんと出会ってから、アタシは片時も彼女から離れることなく、何をするにしても何処に行くにしてもずっと一緒だった。
大切なたった一人の親友。
彼女に訪れる悲劇が2人を裂くまで3年間、アタシ達はお互いの幸せを分け合いながら慎ましやかにこの何もない田舎町で静かな日々を過ごしていった。
◇◆◆◆◆◆
-2013年 とある肌寒さが僅かに残る早春の日-
「社長、納得がいきません!」
「……分かってくれ久保田。これはお前にしか任せられん仕事なのだ」
「確かに、来月立ち上げされる北陸支社が建つ珠洲はアタシの地元だし、地の利はあります」
「ああ、そうだ」
「だけど、だけど、アタシは経理部の人間です。営業ならともかく、経理の仕事なんて誰がやってもおんなじじゃないですか!」
「そうは言うがな、ウチみたいな中小企業でそんな適材適所に人材回せるほど余力はないのはお前にも分かるだろう?」
社長の言い分も分かる。
昨年大学を卒業し、新卒として入社したこの㈱相羽総合サービスは設立してまだ10年の若いベンチャー企業だ。一年間真っ当に業務をこなしていれば、ウチにそんな余力がないのは嫌でも分かった。
だけど、アタシは――
「キーちゃん! ヤダヤダヤタ、折角東京に出てきたばっかであんな田舎に戻りたくないよーー」
「こらカリン! ココでは社長と呼べっていつも言っているだろう!」
「なんだよー。ずっといつも傍にいるって約束したじゃんかぁ!」
「……バッ、一体何年前の話を持ち出すんだ」
5年前、上京して入学した大学でアタシとキーちゃんは再会した。
嬉しいことにどういうわけか、目も耳も全て完治していた。おまけに凄腕学生女社長なんかやっていたけど、アタシには一目でキーちゃんだと分かった。どんなに人前では堂々としてても、声が、仕種が、表情が昔のままだった。そして昔の話を持ち出すとすぐ顔を真っ赤にするところが今でもたまらなく可愛かったりする。
「久保田さん。ここは学校じゃないんですよ、場を弁えなさい。アナタがプライベートで社長の友人だろうと、いつまでも学生気分のままの態度では困りますね」
「げ……三柴室長。はは、いらっしゃったんですか、こんにちはー」
三柴佳織33歳。副社長兼社長室室長。キーちゃんの右腕として、10年前の会社立ち上げ時から当時まだ少女であった彼女を支え、ここまで会社を引っ張ってきた立役者の一人だ。
凛と立った背筋からこぼれんばかりの胸元のラインは、ぺったんなアタシへこれでもかと敵愾心をあらわに示している。
「まったく、アナタときたらいつもいつも。本当に今どきの若い子は。『コンパ』やら『デート』やら『恋人とバイト』やらに浸かった貞操観念の欠片もないお子様は困りますね。社長が悪影響受けたらどうするんですか」
「あのー、アタシ、コンパなんて一回も行ったことないですよ……誘われるたびいっつも、キーちゃ……社長が代わりに行っちゃってたし」
「え?」
当時アタシの先輩だったキーちゃんは何故かそういう話になると何処からともなく現れて、代わりに行くからと有無を言わさずアタシへの誘いを潰していった。本当に幼い頃の清楚なイメージが崩れ去るくらいの合コン好きだったなぁ。
「それに社長……バイトも、女の子だけしかいない職場だけ徹底してアタシに紹介してきましたし」
割のいいバイトとか友達から紹介されても、それよりも条件が良いバイトを無理やり押し付けていったし。特に男のコからの誘いとかあった時は講義中だろうと構わず割り込んできたなぁ。
「デートなんか……キーちゃんとクリスマスも誕生日もずっと……一緒でしたし。……強引に」
「そうだ、カリンは処女だ! 私が保証しよう!」
「……キーちゃん、なんでそんな鼻息荒いのさ?!」
貞操観念なんて意識しなくても縁が無いのがアタシだ。一人暮らし6年目にして男っ気が全くないのはこのつるぺたな胸が原因だろうが、キーちゃんがいつも構ってくれたから別に寂しくはなかった。
「そ、そんな……社長がまさかそんな……私の目が届かない場所で合コンなど……」
「あー、佳織さん、ちょっとそれには深いワケが――」
「言い訳は結構です。説教は後程ですが、今は久保田さんへの辞令が先でしょう」
「説教されるのか……やれやれ。まぁ、そんなワケだ、カリン」
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社長室発第0000312号
平成二十五年二月十四日
久保田花凜 殿
株式会社相羽総合サービス
代表取締役社長 相羽由紀枝
辞 令
平成二十五年三月十一日付をもって北陸支社への異動を命じる。
異動にあたり、平成二十五年三月四日から平成二十五年三月八日まで、
五日間の休暇を与えます。 新任地での活躍を期待します。
以上
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「キーちゃん~~ぅぅぅぅ」
「しょげるな、カリン。私もひんぱ――「……コホン」――たまには顔出すから」
「だってーだってー」
諦めきれずにしょげた顔を尚もキーちゃんへ向けるアタシ。
「カリン、そんな顔するな。ほら土産だ、受け取れ」
キーちゃんが綺麗にラッピングされたピンク色の包み紙をアタシに手渡してきた。
「なにコレ?」
「チョコレートだよ。昔からお前甘いモノ好きだったからな。ハッピーバレンタイン……だ」
凄い、例年以上に手の込んだ手作りチョコレートだ。
くぅ、ちくしょー。今回はこれで買収されてやるか。
「むー。アリガト」
一つ一つ綺麗な銀紙で彩られたチョコレートの中から一個だけ取り出し、口に咥えながら社長室を後にした。
締めたドアから、三柴室長のお説教がこだまする。
アタシは住み慣れた故郷の港町を思い浮かべる。本当に何もない憂鬱な新天地、実家の両親は喜ぶだろうがそれくらいだ。
舌の上を転がる甘さが、鬱然とした気持ちの数々を1mol程まで抑えてくれることだけが救いだった。
補足)
2007年の学校教育法改正により、現在「盲学校」は「特別支援学校」となっております。
1mol=6×10^23 個 …… 頭の中は殺伐しすぎの様子です。