↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

『幼馴染を優先して何が悪い』と婚約者が言うので、私も幼馴染を優先することにしました。――私の幼馴染、隣国の皇帝なんですけど

『幼馴染を優先して何が悪い』と婚約者が言うので、私も幼馴染を優先することにしました。――私の幼馴染、隣国の皇帝なんですけど

掲載日:2026/10/11

【連載版、はじめました】

この短編の続き、舞踏会の翌朝からのお話を連載しています。

ページ上のシリーズ名から、連載版へ進めます。

【連載スタートしました!こちらの話の続きからです。1.2.3話あります!本日4話更新です!】


「幼馴染を優先して、何が悪い」


 ジュリアン様は、本当に分からないという顔でそうおっしゃった。

 昨日は、私の十九歳の誕生日だった。王都でいちばん評判の料理屋に二人分の席をとって、私は二時間待った。前菜が冷め、スープが冷め、給仕が三度、気の毒そうに水を注ぎ足しに来た。ジュリアン様は来なかった。今朝になって届いた走り書きには、「リリアーヌが熱を出したので」と一行だけあった。

 そして今、辺境伯家の別邸の応接間で、ジュリアン様は紅茶を飲みながら言うのだ。

「リリアーヌは体が弱いんだ。昔からそうだ。幼馴染を放っておけるわけがないだろう。君は辺境育ちで丈夫なんだから、一晩くらい一人で平気じゃないか」

(ええ。平気でしたわ。二時間、料理が冷めていくのを見ていただけですもの)

 私は、にこりと笑った。

「何も悪くありませんわ」

 ジュリアン様が、拍子抜けしたように目を瞬いた。

「では、私もそういたします」

「……何をだ」

「幼馴染を優先いたします。私にも、幼馴染がおりますので」

 ジュリアン様は鼻で笑った。どうせ砦の兵士の子か何かだろう、という顔だった。

「念のため、確かめさせてくださいませ。私が幼馴染を優先しても、ジュリアン様は文句をおっしゃいませんね」

「言うわけがない。好きにすればいい」

 二度目だった。

 ジュリアン様が帰ったあと、私は窓辺に座って、昨日届いた手紙をもう一度開いた。


 私はシャルロット・フォンテーヌ。北の国境を守る辺境伯の娘だ。砦で育ったので、馬と薬草と地図には強い。王都では、それを隠して大人しい令嬢のふりをしている。

 三年前、国王陛下のお声がかりで、マルセル侯爵家のジュリアン様と婚約した。それからの三年、誕生日も、夜会のエスコートも、ジュリアン様は一度も守らなかった。去年の秋の舞踏会では、私と踊っている途中で、リリアーヌ様が「目まいがする」と言っただけで、私の手を離して駆けていった。広間の真ん中に一人残された私を、令嬢たちが扇の陰で笑っていた。

 理由は、いつも同じだった。幼馴染のリリアーヌ様が、熱を出したから。怖がるから。寂しがるから。

 机の上の手紙は、毎年、誕生日に一通だけ届く。十年間、一度も遅れたことがない。

『シャル。誕生日おめでとう。元気か。――アレク』

 そして私は毎年、一行だけ返してきた。

『元気です。――シャル』


 アレクは、十年前に別れた幼馴染だ。

 私が六歳の春、父が砦に、ひとりの少年を連れて帰ってきた。私より四つ年上で、痩せていて、目つきが鋭くて、左手に深い切り傷があった。父は「遠い親戚の子だ」と言った。

 その夜、私は薬草をすりつぶして、少年の傷に塗った。

「痛い?」

「……痛くない」

「うそ。泣きそうな顔してるわ」

「してない」

 少年は痛いとも言わずに、私の顔をじっと見ていた。あとで聞いたら、誰かに手当てをしてもらったのは、母親が亡くなってから初めてだったのだという。

 それから三年、私たちは砦の裏山を一緒に駆けた。木登りだけは、年下の私のほうが上手かった。アレクはそれが悔しくて、毎日私に挑んできては、毎日負けた。裏山の大きな樫の木に、二人で背比べの傷を刻んだ。

 九歳の秋、アレクは迎えの騎士たちと一緒に、国境の向こうへ帰っていった。別れぎわ、彼は言った。

「大人になったら、迎えに行く。待っていろ、シャル」

 あとで父から聞いた。アレクの本当の名はアレクセイ。隣のヴァルグラード帝国の皇子で、内乱のさなかに命を狙われ、父が身分を隠してかくまっていたのだと。残党から守るため、このことは家の外の誰にも、国王陛下にさえ話してはならない、と。

 二年後、アレクは内乱に勝って、皇帝になった。

 皇帝が、辺境の娘を迎えに来るはずがない。子どもの約束は、子どもの約束だ。そう思って、私は十六の年に、国王陛下の決めた婚約を受けた。

 それでも、手紙は毎年届いた。だから毎年、私は「元気です」と書いた。それ以上のことを書いたら、きっと何かが壊れてしまう気がしたから。


 その夜、私は初めて、一行では終わらない返事を書いた。

『アレクへ。

 元気です、と毎年書いてきましたが、本当は、そうでもありませんでした。

 婚約者が、幼馴染を優先して何が悪い、と言うので、私も幼馴染を優先することにしました。

 今年は、あなたに会いたい。

 ――シャル』

 封をして、辺境伯家の使いに預けた。王都から国境の砦まで早馬で二日、砦から帝都まで三日。届くのは五日後だ。

 返事が来るのは、早くても十日後だろう。そう思っていた。


   ◇


 五日後の朝。ヴァルグラード帝国、帝都の玉座の間。

 居並ぶ大臣たちの前で、氷の皇帝と呼ばれる男が、一通の手紙を読んでいた。

 皇帝アレクセイは、即位してから八年、一度も玉座の上で表情を変えたことがない。反乱を起こした公爵を裁いた日も、隣国の使者に剣を向けられた日も、眉ひとつ動かさなかった。大臣たちはそれを恐れていた。

 その皇帝が、手紙の三行目で、立ち上がった。

「馬を引け」

「は?」

「一番速い馬だ。私が行く」

 宰相ヴォイチェフが、玉座の前の扉に飛びついて、両手を広げた。

「お待ちください陛下! 皇帝が一人で他国へ駆けこんだら、戦になります!」

「戦にはせん。迎えに行くだけだ」

「それを向こうは戦と呼ぶのです!」

 皇帝は、手紙を胸に押し当てたまま、しばらく宰相をにらんでいた。大臣たちは、皇帝の顔に表情というものがあったことに、まず驚いていた。

 それから、皇帝は玉座に座り直した。

「……分かった。正しい形で行く。秋に、向こうの王宮で舞踏会があるな」

「は、はい。毎年この季節に。三週間ほど先かと」

「使節団を出せ。舞踏会に、私が出る。招待状を取ってこい。それから、宝物庫の奥の、十の箱を出しておけ」

「十の箱……あの、陛下が毎年ひとつずつ、こっそり増やしておられた……」

「黙れ。それと、早馬だ」

「一頭でよろしいですか」

「三頭だ」

「なぜ三頭も」

「一頭目が落馬したら困る。二頭目が道に迷ったら困る」

 宰相は、その日、胃の薬を倍に増やした。


   ◇


 十日後の昼、辺境伯家の別邸の前に、帝国の早馬が着いた。

 一頭目が手紙を置いて去り、門番が首をかしげているうちに、二頭目が着いた。二頭目が去る前に、三頭目が着いた。

 一通目には、一行だけあった。

『本当か』

 二通目にも、一行だけ。

『本当なんだな』

 三通目は、少しだけ長かった。

『必ず行く。正しい形で。秋の舞踏会の夜に、王宮で会おう。十年待たせた分、もう待たせない。――アレク』

 私は手紙を三通並べて、しばらく眺めていた。

 それから、こらえきれずに笑ってしまった。

(三頭も走らせるなんて。相変わらず、せっかちな人)

 久しぶりに、胸の奥が温かかった。


 三日後、ジュリアン様から、また約束の取り消しが届いた。私の家の茶会に来るはずだった日に、リリアーヌ様のお茶会を優先するという。

 その日の昼、別邸の前の通りが、ちょっとした騒ぎになった。

 帝国の紋章をつけた馬車が、十台、連なって入ってきたのだ。

 一台目には、小さな木彫りの馬が一つだけ積まれていた。不器用な彫り跡の残る、子どもの手のような馬だった。添えられた札には、『十歳のシャルへ』とあった。

 二台目には、薬草の図鑑。『十一歳のシャルへ』。

 三台目には、乗馬用の手袋。『十二歳のシャルへ』。

 四台目は、帝国の北で採れる薬草の種。五台目は、国境の地図を彫りこんだ銀の羅針盤。六台目は、木登り用の丈夫な長靴。一年ずつ、私の歳に合わせて、少しずつ大人びていく贈り物だった。

 十台目には、鍵のかかった大きな箱がひとつと、銀の小さな鍵と、手紙が一通。

『十年分だ。毎年、誕生日に買っていた。送れば、お前の婚約の邪魔になると思って、送れなかった。今年の分だけは、間に合わせた。舞踏会の夜に着てほしい。――アレク』

 私は木彫りの馬を両手で包んだまま、玄関先にしゃがみこんでしまった。

 侍女のアンヌが、慌てて私の肩を抱いた。

「お嬢様、どなたからです、こんな……」

「幼馴染よ」

 声が震えて、それしか言えなかった。


 帝国の馬車十台の話は、その日のうちに王都じゅうに広まった。辺境伯家の令嬢に、帝国の誰かが求愛しているらしい、と。

 ジュリアン様は、それを聞いても笑っていたそうだ。

「どうせ帝国の田舎貴族だろう。辺境同士、お似合いじゃないか」


   ◇


 誕生日からひと月後に、王宮の秋の舞踏会がある。この国でいちばん大きな夜会だ。

 その十日前、ジュリアン様が別邸に来た。リリアーヌ様も一緒だった。

 リリアーヌ様は、応接間の飾り棚に置いた木彫りの馬を見つけて、指先でつまみ上げた。

「これが、帝国からの贈り物? 子どもの玩具じゃない。帝国の田舎貴族って、ずいぶん貧乏なのね」

 くすりと笑って、リリアーヌ様は馬を放った。床に落ちる前に、私はそれを両手で受けとめた。

「大事なものですので」

「まあ、怖い顔」

 リリアーヌ様が肩をすくめたとき、袖口から、かすかに青くさい匂いがした。どこかで嗅いだことのある匂いだった。けれどそのときは、どこで嗅いだのか思い出せなかった。

 ジュリアン様は、それを見ても何も言わなかった。代わりに、こう言った。

「舞踏会のエスコートだが、リリアーヌと行くことにした。あいつは人の多いところが怖いんだ。幼馴染を一人で行かせるわけにいかないだろう」

「ええ。何も悪くありませんわ」

 私はにっこり笑った。

「では、私は幼馴染にエスコートしてもらいます」

「は。その帝国の田舎貴族か? 舞踏会は王家の招待状がなければ入れないぞ」

「存じておりますわ」

 ジュリアン様は、肩をすくめて帰っていった。


   ◇


 同じ日の午後。エルシア王国の王宮。

 国王陛下は、執務室で一枚の書状を握りしめて、青くなっていた。

 届いたばかりの、ヴァルグラード帝国からの正式な使節団の申し入れだった。

『十日後の王宮舞踏会に、皇帝陛下が臨席を望んでおられる。招待状を賜りたい』

「なぜだ。なぜ今になって皇帝が来る。我が国は、何か帝国の機嫌を損ねたのか」

「わ、分かりません、陛下」

「調べろ! 舞踏会の料理を倍にしろ! 楽団を三つ呼べ! 近衛を全員磨け! 王宮の壁を塗り直せ!」

「十日では、壁は乾きません」

「では乾かせ!」

 その日から、王宮じゅうがひっくり返った。皇帝がなぜ来るのか、誰にも分からなかった。外務大臣は寝ずに帝国との書簡をひっくり返し、侍従たちは皇帝の好物を探して走り回った。

「皇帝陛下は、何がお好きなのだ」

「帝国の使節に聞いたら、『辺境の、薬草のお茶』だそうで」

「辺境? なぜ辺境なのだ」

 帝国の使節団を率いてきた宰相ヴォイチェフだけが、王宮の客間で胃を押さえながら、遠い目をしていた。

「……言えるわけがない。陛下が、幼馴染に会いに来るだけだなどと」


   ◇


 舞踏会の夜、私は一人で王宮の大広間に入った。

 ドレスは、十台目の馬車の箱に入っていたものだ。夜明け前の空のような、淡い青。私の目の色に合わせたのだと、すぐに分かった。胸元に、小さな銀の樫の葉の飾りがついていた。砦の裏山の、背比べの木の葉だった。

 大広間は、いつもよりずっと華やかだった。楽団が三つ、料理は倍。壁は、少しだけ塗料の匂いがした。誰もが帝国の皇帝の到着を待って、そわそわしていた。

「おや、一人で来たのか。かわいそうに」

 ジュリアン様が、リリアーヌ様の腕を取って近づいてきた。

「帝国の田舎貴族とやらは、やっぱり来なかったんだな」

 リリアーヌ様が、ジュリアン様の腕にしなだれかかった。

「幼馴染に優先されない人って、みじめね。私、そんなふうにはなりたくないわ」

 周りの令嬢たちが、扇の陰でくすくす笑った。

(あら。その台詞、あとで後悔なさらないといいのですけれど)

 私は、何も言わずに微笑んだ。本当は、胸の中で心臓がうるさかった。十年ぶりに会う人が、どんな顔をしているのか、私はまだ知らなかった。


 そのとき、大広間の扉の前で、近衛が声を張りあげた。

「ヴァルグラード帝国皇帝、アレクセイ陛下、ご到着!」

 広間じゅうが、いっせいに膝を折った。

 扉の向こうから、黒い軍装の男が入ってきた。背が高く、銀の髪をうしろに流し、灰色の目は氷のように冷たかった。すれちがう者が、思わず息をとめるほどの威圧だった。

 国王陛下が、玉座から転がるように下りてきた。

「こ、皇帝陛下、ようこそ我が国へ――」

 皇帝は、国王陛下に軽く頭を下げた。

 そして、そのまま国王陛下の横を通りすぎた。

 広間の真ん中を、まっすぐに歩いてくる。ジュリアン様とリリアーヌ様が、慌てて道を開けた。

 皇帝は、私の前で止まった。

 そして、片膝をついた。

 大広間が、凍りついた。

「遅くなった、シャル」

 低い声だった。氷のように冷たかった目が、私を見上げたとたんに、溶けていた。砦の裏山で、木登りに負けて悔しがっていた少年と、同じ目だった。

「……遅すぎますわ、アレク」

「分かっている。十年分、謝る。一生かけて謝る」

 皇帝は私の右手を取って、その甲に額を押し当てた。彼の左手の甲に、古い切り傷の痕があった。あの春、私が薬草を塗った傷だった。

「ドレス、似合っている。想像していた百倍だ。いや、千倍だ」

「アレク、皆さまが見ています」

「見せておけばいい。十年、我慢した」

 うしろで、宰相ヴォイチェフが額を押さえて天井を仰いだ。

「陛下……ここは外国です……」

 視界の端で、ジュリアン様が口を半分開けたまま固まっていた。

 帝国の田舎貴族。辺境同士、お似合い。さんざん笑ってきた相手が誰だったのか、ようやく分かったのだ。その顔から、表情というものが、きれいに消えていた。


「こ、皇帝陛下」

 国王陛下が、震える声で尋ねた。

「その、フォンテーヌ辺境伯の娘とは、いったい……」

「幼馴染だ」

 皇帝は立ち上がり、私の手を取ったまま、広間を見渡した。

「十年あまり前、我が国の内乱のさなか、私は命を狙われていた。それをかくまってくれたのが、フォンテーヌ辺境伯だ。私は三年、国境の砦で、この人と一緒に育った」

 広間が、どよめいた。

「残党の目から私を守るため、辺境伯は国王陛下にも黙っていてくれた。帝国は、この恩を一日も忘れたことはない」

 国王陛下の顔から、すうっと血の気が引いた。帝国の皇帝の命の恩人の家の娘を、自分の国の侯爵家の嫡男が、三年も放っておいたのだ。


 そのとき、リリアーヌ様が、甲高い声を上げた。

「で、でも、その女は、ジュリアン様の婚約者で――」

 皇帝が、ゆっくりとリリアーヌ様を見た。

 ただ、見ただけだった。それだけで、リリアーヌ様の声がのどの奥で止まった。広間の空気が、真冬の砦のように冷えた。

「その女、と言ったか」

「陛下!」

 宰相が、悲鳴のような声で割って入った。

「ここは外国です! 外国でございます!」

 皇帝は、ほんの少しだけ目を細めて、それから私のほうを見た。私が小さく首を横に振ると、皇帝は、それ以上何も言わなかった。

 代わりに、国王陛下が前に出た。


「ジュリアン・マルセル」

 国王陛下の声は、まだ少し震えていた。それでも、王の声だった。

「先ほど、一人で来たフォンテーヌ嬢を、かわいそうにと笑ったな。皆、聞いていたか」

 周りの貴族たちが、口々に答えた。聞いた、と。それだけではなかった。

「侯爵家の御子息は、この三年、婚約者のエスコートを一度もなさっておりません」

「去年の舞踏会では、踊っている途中でフォンテーヌ嬢を置き去りに」

「誕生日にも、毎年、男爵令嬢のもとへ」

 さっきまで扇の陰で笑っていた令嬢たちまでが、次々に証言した。皇帝の前で、誰も嘘はつけなかった。

 国王陛下の目が、その男爵令嬢に向いた。

 そのとたん、リリアーヌ様が、ふらりとよろめいた。

「あ……目まいが……」

 白い額に、うっすらと汗がにじんでいた。頬は、熱でもあるように赤い。近くの若い貴族が、慌てて手を伸ばしかけた。去年の舞踏会で、ジュリアン様が私の手を離して駆けていったときと、同じ目まいだった。

 その瞬間、袖口から、あの青くさい匂いが立った。

 思い出した。砦の見張り台の下で、何度も嗅いだ匂いだ。

「お待ちくださいませ」

 私は、一歩前に出た。

「リリアーヌ様。その袖の中の匂い袋を、見せていただけますか」

 リリアーヌ様の顔から、赤みがすっと引いた。

「な、何のことかしら」

「赤熱草ですわね。葉を噛むと、頬が火照って、額に汗がにじんで、本当に熱があるように見える草です。辺境の砦では、見張りの番を休みたい兵士が、よく使いますの」

 私は、にっこり笑った。

「もっとも、父はいつも、一目で見抜きますけれど」

 近くにいた騎士が、国王陛下の目くばせを受けて、リリアーヌ様の袖口から小さな布袋を抜きとった。袋の口から、細い緑の葉が何枚もこぼれ落ちた。

 リリアーヌ様の唇の端が、かすかに緑に染まっていた。

 広間が、しんとなった。

 ジュリアン様が、のろのろと顔を上げた。

「……熱を出した、というのは」

「ち、違うの、ジュリアン様、これは――」

「去年の舞踏会も。シャルロットの誕生日も。三年、全部、か」

 リリアーヌ様は、答えなかった。答えられなかった。


 人ごみをかき分けて、マルセル侯爵が飛び出してきた。白髪まじりの侯爵は、息子を一度も見ずに、皇帝と国王の前に膝をついた。

「愚息の不実、マルセル家の恥でございます。本日をもって、ジュリアンを廃嫡いたします。フォンテーヌ嬢との婚約は、当家の非として、解かせていただきたく」

「父上!」

「黙れ。お前は三年、何を優先してきた。仮病の娘か」

 ジュリアン様は、膝から崩れ落ちた。


「ベルモン男爵令嬢、リリアーヌ」

 国王陛下が、続けた。

「仮病で侯爵家の嫡男を三年にわたって欺き、皇帝陛下が臨席なさる場で、陛下の客人を二度にわたって侮辱した。ベルモン男爵家の爵位を取り上げる」

 リリアーヌ様が、悲鳴を上げてジュリアン様にすがりついた。ジュリアン様は、それを振りほどく力も残っていないようだった。

「ジュ、ジュリアン様、どうにかして。私の幼馴染でしょう?」

「……お前は、本当に熱を出したことが、一度でもあったのか」

 かつて誰よりも優先しあった二人は、広間の真ん中で、互いの顔を見ることもできなかった。

 私は、そっと二人の前に立った。

「ジュリアン様」

「……シャルロット」

「幼馴染を優先して、何が悪いのでしょう。……私も、そういたしましたわ」

 ジュリアン様は、何も言い返せなかった。


 国王陛下が、私の前で深く頭を下げた。

「フォンテーヌ嬢。この婚約を決めたのは、私だ。三年、そなたに辛い思いをさせた。辺境伯にも、改めて詫びる」

「陛下。父は、詫びより薬草のお茶を喜びますわ。今度、砦にいらしてくださいませ」

 国王陛下は、目を丸くして、それから小さく笑った。

 広間の空気が、ようやく、ゆるんだ。


 楽団が、ためらいがちに次の曲を奏ではじめた。

 アレクが、私の前に手を差し出した。

「踊ってくれるか、シャル」

 去年の秋、この広間の真ん中で、私は一人で取り残された。踊りの途中で離された手の冷たさを、私はまだ覚えていた。

 私は、アレクの手を取った。

 大きな手だった。最後の音が鳴りやむまで、その手は一度も、私を離さなかった。

「アレク、踊りがお上手になりましたのね。砦の収穫祭では、私の足ばかり踏んでいたのに」

「お前と踊る日のために、八年、練習した」

「皇帝陛下が、ですか」

「宰相に笑われながらな」

 広間の端で、宰相ヴォイチェフが、そっと目頭を押さえていた。


   ◇


 舞踏会が終わったあと、王宮の露台に出ると、夜風が冷たかった。

 アレクが、自分の外套を私の肩にかけた。

「寒くないか。風邪をひかないか。何か温かいものを持ってこさせようか。それとも――」

「アレク。落ち着いてください」

「無理だ。十年ぶりなんだ」

 皇帝陛下は、真顔でそう言った。広間で見せた氷のような顔は、どこにもなかった。

 しばらく黙って、二人で王都の灯りを眺めた。

「背比べの木は、まだあるか」

「ありますわ。毎年、父が手紙で知らせてくれます。私の傷のほうが、ずっと低いまま」

「当たり前だ。お前は小さかった」

「今だって、木登りなら負けませんわよ」

「知っている」

 アレクは、胸元の樫の葉の飾りに、そっと指先で触れた。

「シャル」

「はい」

「十年、優先されないことには、慣れていた」

 アレクは、私のほうを見ずに言った。

「お前が婚約したと聞いたとき、お前が選んだ道なら邪魔はしないと決めた。元気です、と毎年書いてくるから、それを信じていた。……信じようとしていた」

 大きな手が、手すりの上で、ほんの少し震えていた。

「もう、優先してもいいか。お前のことを、何よりも」

 胸が、いっぱいになった。

 十年分の「元気です」が、全部ほどけていく気がした。

「その前に、ひとつだけ」

 私は、アレクを見上げた。

「あなたの国を、自分の目で見てから決めます。皇帝陛下に迎えに来ていただいたから、ではなく。私が、自分で選びたいの」

 アレクは、目を丸くした。

 それから、十年前と同じ顔で、笑った。

「お前は、昔からそうだ。木登りも、薬草探しも、自分で決めて、自分で勝つ」

「ええ。今回も、負けませんわ」

「何年でも待つ。十年待った。あと何年でも」

 露台の扉の陰で、宰相ヴォイチェフが小さく咳ばらいをした。

「陛下……政務が……帝都の政務が、山のように……」

「待たせておけ」

「陛下ぁ……」

 私は、声をあげて吹き出してしまった。

「帰りに、砦に寄ってくださいませ。背比べの木に、新しい傷を刻みましょう」

 アレクは、今度は顔じゅうで笑った。氷の皇帝が、こんなふうに笑うことを、この国の誰も知らない。

 私だけが、知っていればいい。


 翌朝、別邸の前に、帝国の早馬が一頭着いた。

 アレクは、王宮の迎賓館に泊まっていたはずだった。歩いて来られる距離だ。それでも、早馬だった。

 手紙には、一行だけ書いてあった。

『おはよう、シャル。元気か』

 私は、少し考えてから、返事を書いた。

『元気です。今年は、本当に。――シャル』


 幼馴染を優先して、何が悪いの?

 ――ええ。何も、悪くありませんでしたわ。


連載はじめました!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


毎年一行だけの「元気です」。

本当のことを書けなかった十年と、送れなかった十年分の贈り物。

不器用な幼馴染ふたりのお話でした。


そして――たくさんの応援をいただいたので、連載版をはじめました!


舞踏会の翌朝、「迎賓館に泊まっていたはず」の皇帝が、どこにいたのか。

毎朝「まだか」と聞く皇帝と、「まだです」と答えるシャルロット。

帝都では、皇帝の「まことの幼馴染」を名乗る公爵令嬢が待っています。


ページ上のシリーズ名から、連載版へどうぞ。

https://ncode.syosetu.com/n5327mw/


少しでも「キュンとした」「スカッとした」と思っていただけたら、ブックマークや下の☆☆☆☆☆で応援してもらえると、とても嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
この病弱幼馴染カテゴリー、進化し続けていますわねえ。 定番も捻りが効いたものも全て作者様の色が出ていて毎回読み手として堪能しております。 ともあれ陛下、最愛の動向は隠密にでも探らせるべきでしたわね。 …
男爵の爵位を剥奪する話。 親の男爵を呼びつけて、娘の話の弁解をさせるべきだと思った。 「このような常識のない娘を放置した責任、どう申し開くのか」 「ははっ、娘には言いつけてはいたのですが」 「それでも…
おもしろかったです! 夜会の一幕で全てスッキリ解決。明快で良い。 皇帝の誕生日ブレゼント、いいなあ。手彫りの馬にはグッとくるなあ。まだ国に帰ったばかりの頃だと思うと余計。周りは大人の事情で騒がしかった…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。