『幼馴染を優先して何が悪い』と婚約者が言うので、私も幼馴染を優先することにしました。――私の幼馴染、隣国の皇帝なんですけど
『幼馴染を優先して何が悪い』と婚約者が言うので、私も幼馴染を優先することにしました。――私の幼馴染、隣国の皇帝なんですけど
【連載版、はじめました】
この短編の続き、舞踏会の翌朝からのお話を連載しています。
ページ上のシリーズ名から、連載版へ進めます。
【連載スタートしました!こちらの話の続きからです。1.2.3話あります!本日4話更新です!】
「幼馴染を優先して、何が悪い」
ジュリアン様は、本当に分からないという顔でそうおっしゃった。
昨日は、私の十九歳の誕生日だった。王都でいちばん評判の料理屋に二人分の席をとって、私は二時間待った。前菜が冷め、スープが冷め、給仕が三度、気の毒そうに水を注ぎ足しに来た。ジュリアン様は来なかった。今朝になって届いた走り書きには、「リリアーヌが熱を出したので」と一行だけあった。
そして今、辺境伯家の別邸の応接間で、ジュリアン様は紅茶を飲みながら言うのだ。
「リリアーヌは体が弱いんだ。昔からそうだ。幼馴染を放っておけるわけがないだろう。君は辺境育ちで丈夫なんだから、一晩くらい一人で平気じゃないか」
(ええ。平気でしたわ。二時間、料理が冷めていくのを見ていただけですもの)
私は、にこりと笑った。
「何も悪くありませんわ」
ジュリアン様が、拍子抜けしたように目を瞬いた。
「では、私もそういたします」
「……何をだ」
「幼馴染を優先いたします。私にも、幼馴染がおりますので」
ジュリアン様は鼻で笑った。どうせ砦の兵士の子か何かだろう、という顔だった。
「念のため、確かめさせてくださいませ。私が幼馴染を優先しても、ジュリアン様は文句をおっしゃいませんね」
「言うわけがない。好きにすればいい」
二度目だった。
ジュリアン様が帰ったあと、私は窓辺に座って、昨日届いた手紙をもう一度開いた。
私はシャルロット・フォンテーヌ。北の国境を守る辺境伯の娘だ。砦で育ったので、馬と薬草と地図には強い。王都では、それを隠して大人しい令嬢のふりをしている。
三年前、国王陛下のお声がかりで、マルセル侯爵家のジュリアン様と婚約した。それからの三年、誕生日も、夜会のエスコートも、ジュリアン様は一度も守らなかった。去年の秋の舞踏会では、私と踊っている途中で、リリアーヌ様が「目まいがする」と言っただけで、私の手を離して駆けていった。広間の真ん中に一人残された私を、令嬢たちが扇の陰で笑っていた。
理由は、いつも同じだった。幼馴染のリリアーヌ様が、熱を出したから。怖がるから。寂しがるから。
机の上の手紙は、毎年、誕生日に一通だけ届く。十年間、一度も遅れたことがない。
『シャル。誕生日おめでとう。元気か。――アレク』
そして私は毎年、一行だけ返してきた。
『元気です。――シャル』
アレクは、十年前に別れた幼馴染だ。
私が六歳の春、父が砦に、ひとりの少年を連れて帰ってきた。私より四つ年上で、痩せていて、目つきが鋭くて、左手に深い切り傷があった。父は「遠い親戚の子だ」と言った。
その夜、私は薬草をすりつぶして、少年の傷に塗った。
「痛い?」
「……痛くない」
「うそ。泣きそうな顔してるわ」
「してない」
少年は痛いとも言わずに、私の顔をじっと見ていた。あとで聞いたら、誰かに手当てをしてもらったのは、母親が亡くなってから初めてだったのだという。
それから三年、私たちは砦の裏山を一緒に駆けた。木登りだけは、年下の私のほうが上手かった。アレクはそれが悔しくて、毎日私に挑んできては、毎日負けた。裏山の大きな樫の木に、二人で背比べの傷を刻んだ。
九歳の秋、アレクは迎えの騎士たちと一緒に、国境の向こうへ帰っていった。別れぎわ、彼は言った。
「大人になったら、迎えに行く。待っていろ、シャル」
あとで父から聞いた。アレクの本当の名はアレクセイ。隣のヴァルグラード帝国の皇子で、内乱のさなかに命を狙われ、父が身分を隠してかくまっていたのだと。残党から守るため、このことは家の外の誰にも、国王陛下にさえ話してはならない、と。
二年後、アレクは内乱に勝って、皇帝になった。
皇帝が、辺境の娘を迎えに来るはずがない。子どもの約束は、子どもの約束だ。そう思って、私は十六の年に、国王陛下の決めた婚約を受けた。
それでも、手紙は毎年届いた。だから毎年、私は「元気です」と書いた。それ以上のことを書いたら、きっと何かが壊れてしまう気がしたから。
その夜、私は初めて、一行では終わらない返事を書いた。
『アレクへ。
元気です、と毎年書いてきましたが、本当は、そうでもありませんでした。
婚約者が、幼馴染を優先して何が悪い、と言うので、私も幼馴染を優先することにしました。
今年は、あなたに会いたい。
――シャル』
封をして、辺境伯家の使いに預けた。王都から国境の砦まで早馬で二日、砦から帝都まで三日。届くのは五日後だ。
返事が来るのは、早くても十日後だろう。そう思っていた。
◇
五日後の朝。ヴァルグラード帝国、帝都の玉座の間。
居並ぶ大臣たちの前で、氷の皇帝と呼ばれる男が、一通の手紙を読んでいた。
皇帝アレクセイは、即位してから八年、一度も玉座の上で表情を変えたことがない。反乱を起こした公爵を裁いた日も、隣国の使者に剣を向けられた日も、眉ひとつ動かさなかった。大臣たちはそれを恐れていた。
その皇帝が、手紙の三行目で、立ち上がった。
「馬を引け」
「は?」
「一番速い馬だ。私が行く」
宰相ヴォイチェフが、玉座の前の扉に飛びついて、両手を広げた。
「お待ちください陛下! 皇帝が一人で他国へ駆けこんだら、戦になります!」
「戦にはせん。迎えに行くだけだ」
「それを向こうは戦と呼ぶのです!」
皇帝は、手紙を胸に押し当てたまま、しばらく宰相をにらんでいた。大臣たちは、皇帝の顔に表情というものがあったことに、まず驚いていた。
それから、皇帝は玉座に座り直した。
「……分かった。正しい形で行く。秋に、向こうの王宮で舞踏会があるな」
「は、はい。毎年この季節に。三週間ほど先かと」
「使節団を出せ。舞踏会に、私が出る。招待状を取ってこい。それから、宝物庫の奥の、十の箱を出しておけ」
「十の箱……あの、陛下が毎年ひとつずつ、こっそり増やしておられた……」
「黙れ。それと、早馬だ」
「一頭でよろしいですか」
「三頭だ」
「なぜ三頭も」
「一頭目が落馬したら困る。二頭目が道に迷ったら困る」
宰相は、その日、胃の薬を倍に増やした。
◇
十日後の昼、辺境伯家の別邸の前に、帝国の早馬が着いた。
一頭目が手紙を置いて去り、門番が首をかしげているうちに、二頭目が着いた。二頭目が去る前に、三頭目が着いた。
一通目には、一行だけあった。
『本当か』
二通目にも、一行だけ。
『本当なんだな』
三通目は、少しだけ長かった。
『必ず行く。正しい形で。秋の舞踏会の夜に、王宮で会おう。十年待たせた分、もう待たせない。――アレク』
私は手紙を三通並べて、しばらく眺めていた。
それから、こらえきれずに笑ってしまった。
(三頭も走らせるなんて。相変わらず、せっかちな人)
久しぶりに、胸の奥が温かかった。
三日後、ジュリアン様から、また約束の取り消しが届いた。私の家の茶会に来るはずだった日に、リリアーヌ様のお茶会を優先するという。
その日の昼、別邸の前の通りが、ちょっとした騒ぎになった。
帝国の紋章をつけた馬車が、十台、連なって入ってきたのだ。
一台目には、小さな木彫りの馬が一つだけ積まれていた。不器用な彫り跡の残る、子どもの手のような馬だった。添えられた札には、『十歳のシャルへ』とあった。
二台目には、薬草の図鑑。『十一歳のシャルへ』。
三台目には、乗馬用の手袋。『十二歳のシャルへ』。
四台目は、帝国の北で採れる薬草の種。五台目は、国境の地図を彫りこんだ銀の羅針盤。六台目は、木登り用の丈夫な長靴。一年ずつ、私の歳に合わせて、少しずつ大人びていく贈り物だった。
十台目には、鍵のかかった大きな箱がひとつと、銀の小さな鍵と、手紙が一通。
『十年分だ。毎年、誕生日に買っていた。送れば、お前の婚約の邪魔になると思って、送れなかった。今年の分だけは、間に合わせた。舞踏会の夜に着てほしい。――アレク』
私は木彫りの馬を両手で包んだまま、玄関先にしゃがみこんでしまった。
侍女のアンヌが、慌てて私の肩を抱いた。
「お嬢様、どなたからです、こんな……」
「幼馴染よ」
声が震えて、それしか言えなかった。
帝国の馬車十台の話は、その日のうちに王都じゅうに広まった。辺境伯家の令嬢に、帝国の誰かが求愛しているらしい、と。
ジュリアン様は、それを聞いても笑っていたそうだ。
「どうせ帝国の田舎貴族だろう。辺境同士、お似合いじゃないか」
◇
誕生日からひと月後に、王宮の秋の舞踏会がある。この国でいちばん大きな夜会だ。
その十日前、ジュリアン様が別邸に来た。リリアーヌ様も一緒だった。
リリアーヌ様は、応接間の飾り棚に置いた木彫りの馬を見つけて、指先でつまみ上げた。
「これが、帝国からの贈り物? 子どもの玩具じゃない。帝国の田舎貴族って、ずいぶん貧乏なのね」
くすりと笑って、リリアーヌ様は馬を放った。床に落ちる前に、私はそれを両手で受けとめた。
「大事なものですので」
「まあ、怖い顔」
リリアーヌ様が肩をすくめたとき、袖口から、かすかに青くさい匂いがした。どこかで嗅いだことのある匂いだった。けれどそのときは、どこで嗅いだのか思い出せなかった。
ジュリアン様は、それを見ても何も言わなかった。代わりに、こう言った。
「舞踏会のエスコートだが、リリアーヌと行くことにした。あいつは人の多いところが怖いんだ。幼馴染を一人で行かせるわけにいかないだろう」
「ええ。何も悪くありませんわ」
私はにっこり笑った。
「では、私は幼馴染にエスコートしてもらいます」
「は。その帝国の田舎貴族か? 舞踏会は王家の招待状がなければ入れないぞ」
「存じておりますわ」
ジュリアン様は、肩をすくめて帰っていった。
◇
同じ日の午後。エルシア王国の王宮。
国王陛下は、執務室で一枚の書状を握りしめて、青くなっていた。
届いたばかりの、ヴァルグラード帝国からの正式な使節団の申し入れだった。
『十日後の王宮舞踏会に、皇帝陛下が臨席を望んでおられる。招待状を賜りたい』
「なぜだ。なぜ今になって皇帝が来る。我が国は、何か帝国の機嫌を損ねたのか」
「わ、分かりません、陛下」
「調べろ! 舞踏会の料理を倍にしろ! 楽団を三つ呼べ! 近衛を全員磨け! 王宮の壁を塗り直せ!」
「十日では、壁は乾きません」
「では乾かせ!」
その日から、王宮じゅうがひっくり返った。皇帝がなぜ来るのか、誰にも分からなかった。外務大臣は寝ずに帝国との書簡をひっくり返し、侍従たちは皇帝の好物を探して走り回った。
「皇帝陛下は、何がお好きなのだ」
「帝国の使節に聞いたら、『辺境の、薬草のお茶』だそうで」
「辺境? なぜ辺境なのだ」
帝国の使節団を率いてきた宰相ヴォイチェフだけが、王宮の客間で胃を押さえながら、遠い目をしていた。
「……言えるわけがない。陛下が、幼馴染に会いに来るだけだなどと」
◇
舞踏会の夜、私は一人で王宮の大広間に入った。
ドレスは、十台目の馬車の箱に入っていたものだ。夜明け前の空のような、淡い青。私の目の色に合わせたのだと、すぐに分かった。胸元に、小さな銀の樫の葉の飾りがついていた。砦の裏山の、背比べの木の葉だった。
大広間は、いつもよりずっと華やかだった。楽団が三つ、料理は倍。壁は、少しだけ塗料の匂いがした。誰もが帝国の皇帝の到着を待って、そわそわしていた。
「おや、一人で来たのか。かわいそうに」
ジュリアン様が、リリアーヌ様の腕を取って近づいてきた。
「帝国の田舎貴族とやらは、やっぱり来なかったんだな」
リリアーヌ様が、ジュリアン様の腕にしなだれかかった。
「幼馴染に優先されない人って、みじめね。私、そんなふうにはなりたくないわ」
周りの令嬢たちが、扇の陰でくすくす笑った。
(あら。その台詞、あとで後悔なさらないといいのですけれど)
私は、何も言わずに微笑んだ。本当は、胸の中で心臓がうるさかった。十年ぶりに会う人が、どんな顔をしているのか、私はまだ知らなかった。
そのとき、大広間の扉の前で、近衛が声を張りあげた。
「ヴァルグラード帝国皇帝、アレクセイ陛下、ご到着!」
広間じゅうが、いっせいに膝を折った。
扉の向こうから、黒い軍装の男が入ってきた。背が高く、銀の髪をうしろに流し、灰色の目は氷のように冷たかった。すれちがう者が、思わず息をとめるほどの威圧だった。
国王陛下が、玉座から転がるように下りてきた。
「こ、皇帝陛下、ようこそ我が国へ――」
皇帝は、国王陛下に軽く頭を下げた。
そして、そのまま国王陛下の横を通りすぎた。
広間の真ん中を、まっすぐに歩いてくる。ジュリアン様とリリアーヌ様が、慌てて道を開けた。
皇帝は、私の前で止まった。
そして、片膝をついた。
大広間が、凍りついた。
「遅くなった、シャル」
低い声だった。氷のように冷たかった目が、私を見上げたとたんに、溶けていた。砦の裏山で、木登りに負けて悔しがっていた少年と、同じ目だった。
「……遅すぎますわ、アレク」
「分かっている。十年分、謝る。一生かけて謝る」
皇帝は私の右手を取って、その甲に額を押し当てた。彼の左手の甲に、古い切り傷の痕があった。あの春、私が薬草を塗った傷だった。
「ドレス、似合っている。想像していた百倍だ。いや、千倍だ」
「アレク、皆さまが見ています」
「見せておけばいい。十年、我慢した」
うしろで、宰相ヴォイチェフが額を押さえて天井を仰いだ。
「陛下……ここは外国です……」
視界の端で、ジュリアン様が口を半分開けたまま固まっていた。
帝国の田舎貴族。辺境同士、お似合い。さんざん笑ってきた相手が誰だったのか、ようやく分かったのだ。その顔から、表情というものが、きれいに消えていた。
「こ、皇帝陛下」
国王陛下が、震える声で尋ねた。
「その、フォンテーヌ辺境伯の娘とは、いったい……」
「幼馴染だ」
皇帝は立ち上がり、私の手を取ったまま、広間を見渡した。
「十年あまり前、我が国の内乱のさなか、私は命を狙われていた。それをかくまってくれたのが、フォンテーヌ辺境伯だ。私は三年、国境の砦で、この人と一緒に育った」
広間が、どよめいた。
「残党の目から私を守るため、辺境伯は国王陛下にも黙っていてくれた。帝国は、この恩を一日も忘れたことはない」
国王陛下の顔から、すうっと血の気が引いた。帝国の皇帝の命の恩人の家の娘を、自分の国の侯爵家の嫡男が、三年も放っておいたのだ。
そのとき、リリアーヌ様が、甲高い声を上げた。
「で、でも、その女は、ジュリアン様の婚約者で――」
皇帝が、ゆっくりとリリアーヌ様を見た。
ただ、見ただけだった。それだけで、リリアーヌ様の声がのどの奥で止まった。広間の空気が、真冬の砦のように冷えた。
「その女、と言ったか」
「陛下!」
宰相が、悲鳴のような声で割って入った。
「ここは外国です! 外国でございます!」
皇帝は、ほんの少しだけ目を細めて、それから私のほうを見た。私が小さく首を横に振ると、皇帝は、それ以上何も言わなかった。
代わりに、国王陛下が前に出た。
「ジュリアン・マルセル」
国王陛下の声は、まだ少し震えていた。それでも、王の声だった。
「先ほど、一人で来たフォンテーヌ嬢を、かわいそうにと笑ったな。皆、聞いていたか」
周りの貴族たちが、口々に答えた。聞いた、と。それだけではなかった。
「侯爵家の御子息は、この三年、婚約者のエスコートを一度もなさっておりません」
「去年の舞踏会では、踊っている途中でフォンテーヌ嬢を置き去りに」
「誕生日にも、毎年、男爵令嬢のもとへ」
さっきまで扇の陰で笑っていた令嬢たちまでが、次々に証言した。皇帝の前で、誰も嘘はつけなかった。
国王陛下の目が、その男爵令嬢に向いた。
そのとたん、リリアーヌ様が、ふらりとよろめいた。
「あ……目まいが……」
白い額に、うっすらと汗がにじんでいた。頬は、熱でもあるように赤い。近くの若い貴族が、慌てて手を伸ばしかけた。去年の舞踏会で、ジュリアン様が私の手を離して駆けていったときと、同じ目まいだった。
その瞬間、袖口から、あの青くさい匂いが立った。
思い出した。砦の見張り台の下で、何度も嗅いだ匂いだ。
「お待ちくださいませ」
私は、一歩前に出た。
「リリアーヌ様。その袖の中の匂い袋を、見せていただけますか」
リリアーヌ様の顔から、赤みがすっと引いた。
「な、何のことかしら」
「赤熱草ですわね。葉を噛むと、頬が火照って、額に汗がにじんで、本当に熱があるように見える草です。辺境の砦では、見張りの番を休みたい兵士が、よく使いますの」
私は、にっこり笑った。
「もっとも、父はいつも、一目で見抜きますけれど」
近くにいた騎士が、国王陛下の目くばせを受けて、リリアーヌ様の袖口から小さな布袋を抜きとった。袋の口から、細い緑の葉が何枚もこぼれ落ちた。
リリアーヌ様の唇の端が、かすかに緑に染まっていた。
広間が、しんとなった。
ジュリアン様が、のろのろと顔を上げた。
「……熱を出した、というのは」
「ち、違うの、ジュリアン様、これは――」
「去年の舞踏会も。シャルロットの誕生日も。三年、全部、か」
リリアーヌ様は、答えなかった。答えられなかった。
人ごみをかき分けて、マルセル侯爵が飛び出してきた。白髪まじりの侯爵は、息子を一度も見ずに、皇帝と国王の前に膝をついた。
「愚息の不実、マルセル家の恥でございます。本日をもって、ジュリアンを廃嫡いたします。フォンテーヌ嬢との婚約は、当家の非として、解かせていただきたく」
「父上!」
「黙れ。お前は三年、何を優先してきた。仮病の娘か」
ジュリアン様は、膝から崩れ落ちた。
「ベルモン男爵令嬢、リリアーヌ」
国王陛下が、続けた。
「仮病で侯爵家の嫡男を三年にわたって欺き、皇帝陛下が臨席なさる場で、陛下の客人を二度にわたって侮辱した。ベルモン男爵家の爵位を取り上げる」
リリアーヌ様が、悲鳴を上げてジュリアン様にすがりついた。ジュリアン様は、それを振りほどく力も残っていないようだった。
「ジュ、ジュリアン様、どうにかして。私の幼馴染でしょう?」
「……お前は、本当に熱を出したことが、一度でもあったのか」
かつて誰よりも優先しあった二人は、広間の真ん中で、互いの顔を見ることもできなかった。
私は、そっと二人の前に立った。
「ジュリアン様」
「……シャルロット」
「幼馴染を優先して、何が悪いのでしょう。……私も、そういたしましたわ」
ジュリアン様は、何も言い返せなかった。
国王陛下が、私の前で深く頭を下げた。
「フォンテーヌ嬢。この婚約を決めたのは、私だ。三年、そなたに辛い思いをさせた。辺境伯にも、改めて詫びる」
「陛下。父は、詫びより薬草のお茶を喜びますわ。今度、砦にいらしてくださいませ」
国王陛下は、目を丸くして、それから小さく笑った。
広間の空気が、ようやく、ゆるんだ。
楽団が、ためらいがちに次の曲を奏ではじめた。
アレクが、私の前に手を差し出した。
「踊ってくれるか、シャル」
去年の秋、この広間の真ん中で、私は一人で取り残された。踊りの途中で離された手の冷たさを、私はまだ覚えていた。
私は、アレクの手を取った。
大きな手だった。最後の音が鳴りやむまで、その手は一度も、私を離さなかった。
「アレク、踊りがお上手になりましたのね。砦の収穫祭では、私の足ばかり踏んでいたのに」
「お前と踊る日のために、八年、練習した」
「皇帝陛下が、ですか」
「宰相に笑われながらな」
広間の端で、宰相ヴォイチェフが、そっと目頭を押さえていた。
◇
舞踏会が終わったあと、王宮の露台に出ると、夜風が冷たかった。
アレクが、自分の外套を私の肩にかけた。
「寒くないか。風邪をひかないか。何か温かいものを持ってこさせようか。それとも――」
「アレク。落ち着いてください」
「無理だ。十年ぶりなんだ」
皇帝陛下は、真顔でそう言った。広間で見せた氷のような顔は、どこにもなかった。
しばらく黙って、二人で王都の灯りを眺めた。
「背比べの木は、まだあるか」
「ありますわ。毎年、父が手紙で知らせてくれます。私の傷のほうが、ずっと低いまま」
「当たり前だ。お前は小さかった」
「今だって、木登りなら負けませんわよ」
「知っている」
アレクは、胸元の樫の葉の飾りに、そっと指先で触れた。
「シャル」
「はい」
「十年、優先されないことには、慣れていた」
アレクは、私のほうを見ずに言った。
「お前が婚約したと聞いたとき、お前が選んだ道なら邪魔はしないと決めた。元気です、と毎年書いてくるから、それを信じていた。……信じようとしていた」
大きな手が、手すりの上で、ほんの少し震えていた。
「もう、優先してもいいか。お前のことを、何よりも」
胸が、いっぱいになった。
十年分の「元気です」が、全部ほどけていく気がした。
「その前に、ひとつだけ」
私は、アレクを見上げた。
「あなたの国を、自分の目で見てから決めます。皇帝陛下に迎えに来ていただいたから、ではなく。私が、自分で選びたいの」
アレクは、目を丸くした。
それから、十年前と同じ顔で、笑った。
「お前は、昔からそうだ。木登りも、薬草探しも、自分で決めて、自分で勝つ」
「ええ。今回も、負けませんわ」
「何年でも待つ。十年待った。あと何年でも」
露台の扉の陰で、宰相ヴォイチェフが小さく咳ばらいをした。
「陛下……政務が……帝都の政務が、山のように……」
「待たせておけ」
「陛下ぁ……」
私は、声をあげて吹き出してしまった。
「帰りに、砦に寄ってくださいませ。背比べの木に、新しい傷を刻みましょう」
アレクは、今度は顔じゅうで笑った。氷の皇帝が、こんなふうに笑うことを、この国の誰も知らない。
私だけが、知っていればいい。
翌朝、別邸の前に、帝国の早馬が一頭着いた。
アレクは、王宮の迎賓館に泊まっていたはずだった。歩いて来られる距離だ。それでも、早馬だった。
手紙には、一行だけ書いてあった。
『おはよう、シャル。元気か』
私は、少し考えてから、返事を書いた。
『元気です。今年は、本当に。――シャル』
幼馴染を優先して、何が悪いの?
――ええ。何も、悪くありませんでしたわ。
連載はじめました!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
毎年一行だけの「元気です」。
本当のことを書けなかった十年と、送れなかった十年分の贈り物。
不器用な幼馴染ふたりのお話でした。
そして――たくさんの応援をいただいたので、連載版をはじめました!
舞踏会の翌朝、「迎賓館に泊まっていたはず」の皇帝が、どこにいたのか。
毎朝「まだか」と聞く皇帝と、「まだです」と答えるシャルロット。
帝都では、皇帝の「まことの幼馴染」を名乗る公爵令嬢が待っています。
ページ上のシリーズ名から、連載版へどうぞ。
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