第11話「教室の遺能事故」
高校へ入学してから、遺能のある生徒と同じ教室で過ごすことにはすぐ慣れた。
この世界では、遺能者そのものが珍しい存在ではない。
もちろん誰もが強い力を持っているわけではなく、日常生活ではほとんど役に立たない程度のものも多い。爪の先ほどの火を出せる人。触れた紙を少しだけ硬くできる人。自分の周囲だけ気温を一、二度変えられる人。
学校側も、生徒の遺能の有無や力位を把握している。
校則には無断使用の禁止が明記されているし、事故が起きたときの避難手順も入学直後に説明された。
それでも、普段は意識することがない。
同じ制服を着て、同じ授業を受けている。
誰が遺能者で、誰がそうではないのかなんて、本人が話さなければわからないことも多かった。
わたしは、今のところ後者だった。
少なくとも、そういうことになっている。
「水守さんって、ほんとに何もないの?」
昼休み。
隣の席の子にそう聞かれ、わたしは弁当から顔を上げた。
「何もないって?」
「遺能」
「ああ」
箸を置く。
「ないみたいです」
「みたい?」
「検査では何も出てないので」
「水守なのに?」
「水守だから出るものでもないでしょう」
「それはそうだけど」
彼女は紙パックの飲み物へストローを刺しながら、少し不思議そうにしている。
「なんか、すごい家って強い人ばっかりのイメージある」
「偏見ですね」
「ごめん」
「別に怒ってません」
実際、水守家にも遺能者はいる。
晶守さまほど「強い力を持つこと」そのものが中心になっているわけではないけれど、血筋の中に遺能者は少なくない。
元の水守なぎも、幼い頃から定期的に検査を受けていた。
何か発現する可能性を考えられていたからだ。
結果は、何もなし。
少なくとも15歳になるまで、一度も明確な遺能反応は確認されていない。
それについて、元のなぎは少し申し訳なく思っていた。
家の役に立てるものを持っていない。
そう考えた記憶が残っている。
今のわたしは、そこまで気にしていない。
「でもいいなあ」
隣の子が言う。
「何がですか」
「遺能ないの。事故とか気にしなくていいじゃん」
「ある人は大変なんですか」
「毎年検査あるし。ちょっと体調悪いだけでも出力変わる人いるし」
彼女自身は遺能を持っていない。
そう聞いている。
「同じクラスの子にもいるでしょ。ほら、窓側の」
視線の先を見る。
数人の女子が机を囲んで話している。
そのうちの一人には見覚えがあった。
もちろん同じクラスなのだから顔は知っている。
入学時に配られた簡単な情報の中で、遺能使用に関する配慮事項がある生徒として担任から説明も受けていた。
「『膜』の人?」
「そうそう」
登録上はEランク。
空気中に薄い半透明の膜を作る遺能だという。
大きなものは作れない。
強度もそれほど高くない。
本人が集中しているあいだだけ、手のひらほどの膜を維持できる。
雨を少し避けたり、飛んできた小さなものを防いだりする程度。
本人も以前、
「傘の代わりにもならないよ」
と笑っていた。
「便利そうですけど」
「使ったら先生に怒られるよ」
「学校ではそうでしょうね」
「水守さん、遺能あったら使ってみたい?」
少し考える。
「内容によります」
「空飛べるとかだったら?」
「便利そうです」
「強くなれるやつは?」
「戦う予定がないので」
「夢ないなあ」
「必要ですか、夢」
笑われた。
わたしも少しだけ笑って、昼食へ戻った。
そのときは、本当にそれだけの話だった。
午後の五時間目。
教室は少し暑かった。
春とはいえ、日当たりのいい校舎の上階は昼を過ぎると温度が上がる。
窓が何枚か開いている。
国語の教師が黒板へ文章を書いているあいだ、わたしは教科書の端へ頬杖をつきそうになって、途中で姿勢を戻した。
眠い。
九十九なら、このまま寝るのだろうか。
そんなことを考える。
数日前、同じ部屋で本を読んでいる途中に、そのまま眠った九十九を思い出す。
学校で寝たら普通に注意される。
今度その話をしたら、何と言うのだろう。
「では、この部分を――」
教師が振り返った。
その瞬間だった。
ぱん、と。
何かが弾けるような音がした。
大きくはない。
風船が割れた程度。
けれど、教室の空気が一瞬で変わった。
「……え?」
誰かが声を上げる。
窓側の席。
昼休みに話題にしていた女子が、机に両手をついていた。
顔色が悪い。
「先生」
声が震えている。
「なんか、変」
彼女の右手の周囲に、薄いものが見えた。
光の反射かと思うほど透明な膜。
本来なら、手のひらほどで止まるはずのもの。
それが。
膨らんだ。
「全員、机から離れて!」
教師の声が飛ぶ。
次の瞬間、膜が一気に教室へ広がった。
空気が押し出される。
机が床を擦った。
悲鳴。
わたしも反射的に椅子から立った。
「廊下側へ! 走らないで!」
教師が壁の非常ボタンへ手を伸ばす。
赤いランプが点灯した。
遺能事故警報。
校内で一度も聞いたことのなかった警告音が鳴り始める。
半透明の膜は球体に近い形で膨らんでいた。
中心にいる女子を包み込み、そのまま周囲の机や椅子を押していく。
「止まらない……っ」
本人が泣きそうな声を上げる。
「力抜いて! 維持しようとしなくていい!」
「してない!」
教師が指示を出す。
「勝手に、出てる……!」
また膜が広がる。
教室の後方にいた生徒たちは、すでに廊下へ逃げ始めていた。
わたしもそちらへ向かう。
けれど。
「痛っ」
すぐ後ろで声がした。
振り返る。
隣の席の子が転んでいた。
押された机に足を引っかけたらしい。
「大丈夫ですか」
「足、ちょっと」
戻る。
腕を取る。
「立てます?」
「うん、たぶん」
身体を支えて起こしたところで、教師の声が飛んだ。
「水守さん、早く!」
「はい」
出口までは数メートル。
行ける。
そう思った。
また、空気が震えた。
今度は音がしなかった。
透明な膜の縁だけが、一瞬大きく歪む。
「伏せて!」
教師が叫ぶ。
とっさに隣の子の頭を押さえ、一緒に身体を低くした。
机が一つ飛んだ。
横倒しになり、床を滑って壁へぶつかる。
破裂するような音。
膜そのものが攻撃しているわけではない。
ただ、膨張する力に押されている。
それだけなのに十分危険だった。
「出口、塞がってる!」
誰かが叫んだ。
見る。
膜の一部が教室の扉まで到達し、透明な壁のように廊下との間を塞いでいた。
教師が手を当てる。
「触らないでください!」
中心の女子が叫ぶ。
「先生、それ、今すごく硬い……!」
教師がすぐ手を離した。
非常警報は鳴り続けている。
校内放送が入り、近隣教室の避難指示が流れる。
外から教員らしい声も聞こえる。
でも、こちら側へは入ってこられない。
「水守さん」
隣の子の呼吸が速い。
足を痛めたせいだけではない。
「大丈夫です」
何の根拠もないことを言う。
「そのまま壁際に」
二人で少しずつ後退する。
教室の中心から離れる。
膜はところどころ机や椅子に引っかかり、不規則な形になっていた。
見えにくい。
どこまで来ているのかもわかりづらい。
「触らないように!」
教師が言う。
その直後。
わたしの左腕に何かが当たった。
「……っ」
硬い。
透明だから気づかなかった。
すでに膜がそこまで来ていた。
逃げようとしても、後ろは壁だった。
押される。
肩が壁へ当たる。
「水守さん!」
「大丈夫」
大丈夫ではない。
膜はゆっくり膨らみ続けている。
このままなら、壁との間に挟まれる。
隣の子を反対側へ押す。
「向こうへ」
「でも」
「早く」
少しだけ空いている場所へ彼女を逃がす。
わたしも移動しようとした。
でも、間に合わなかった。
左手が膜へ触れた。
冷たくはない。
熱くもない。
ガラスに似ているようで、違う。
押せばわずかに沈む。
その奥から力が返ってくる。
何かがおかしかった。
怖い。
それより先に。
変な感覚がした。
「……なに、これ」
指先。
手のひら。
腕。
そこから身体の内側へ。
細かな震えが伝わってくる。
膜が震えている。
目ではほとんどわからない。
でも、触れている手にはわかる。
一定ではない。
細かく。
速く。
ばらばらに。
震えている。
音ではない。
なのに、なぜか。
聞こえるような気がした。
違う。
ここ。
ここだけずれている。
何が。
どうしてそう思ったのかわからない。
ただ、目の前の膜には何かの流れがある。
触れた瞬間から、それが手のひらの下で暴れている。
強いところ。
弱いところ。
細かく跳ねているところ。
重なっているところ。
まるで、いくつもの音が合わないまま鳴っているみたいだった。
「水守さん、離れて!」
教師の声が遠い。
離れたい。
でも壁とのあいだに隙間がない。
膜がさらに押してくる。
痛い。
肩に力が入る。
「……やめて」
誰に言ったのかわからない。
膜に言ったのか。
自分に言ったのか。
中心で泣いている女子へ言ったわけではない。
その瞬間。
手のひらの下で。
何かが合った。
ほんの一瞬。
ばらばらだった震えのうち、一つへ自分の身体が重なったような。
そんな感覚だった。
ぞわ、と腕が痺れる。
「っ……」
膜が大きく揺れた。
今度は目でもわかった。
水面へ石を落としたように。
透明な壁へ円形の波が広がる。
「え?」
教師の声。
中心にいる女子も顔を上げた。
「なに……?」
波紋はわたしの手を中心に広がった。
一度。
二度。
三度。
膜全体へ伝わっていく。
それまで外へ外へと押し広がっていた力が、急に乱れた。
「待って」
女子が自分の手を見る。
「弱く、なってる」
わたしにもわかった。
手のひらを押し返していた力が弱い。
「今です! 全員、出口側へ!」
教師がすぐに叫ぶ。
扉を塞いでいた膜が薄くなっている。
外側にいた教員が何かを使った。
鈍い音がして、扉付近の膜が破れた。
「出て!」
隣の子の腕を取る。
「歩けます?」
「うん」
二人で出口へ向かう。
今度は届いた。
廊下へ出る。
待機していた教師たちが生徒を誘導する。
「階段側へ! 教室から離れて!」
走らないようにと言われても、全員の足が速い。
わたしも流れに従った。
途中で振り返る。
教室の中。
中心の女子はまだ残っている。
先生がそばにいる。
透明な膜は、さっきまでの大きさを保てなくなっていた。
ぶるぶると不規則に揺れながら、少しずつ縮んでいく。
やがて見えなくなった。
事故が収束したのは、それから数分後だった。
わたしたちは体育館へ移動させられた。
保健室だけでは収容できないので、怪我の有無を教師たちが一人ずつ確認している。
わたしは左肩を軽く打っていた。
腕にも赤い跡がある。
でも、それだけだった。
「水守さん、本当に大丈夫?」
隣の子が横に座っている。
彼女は足首を軽く捻ったらしく、冷却材を巻いていた。
「大丈夫です」
「さっき助けてもらった」
「一緒に逃げただけです」
「でも戻ってきたじゃん」
「近かったので」
「そういう問題?」
「そういう問題です」
彼女は少し笑った。
顔色も戻ってきている。
わたしは自分の左手を見る。
何もない。
痺れももうほとんど消えている。
でも、感覚だけは残っていた。
膜に触れたとき。
あれは何だったのだろう。
震えていた。
それだけならわかる。
暴走した遺能なのだから、現象が不安定だったとしてもおかしくない。
でも。
なぜ、その震え方がわかったのか。
なぜ「ここがずれている」と思ったのか。
そして。
なぜ、わたしが触れた直後に弱くなったのか。
偶然。
そう考えるのが一番簡単だった。
「水守さん」
教師に呼ばれる。
顔を上げる。
「少しいい?」
「はい」
体育館の端へ移動する。
そこには担任だけでなく、見慣れない大人が二人いた。
一人は学校の遺能安全管理担当だと名乗った。
もう一人は養護教諭。
「怪我については?」
「肩を少し打ちました」
「痛みが強くなったらすぐ言ってね」
「はい」
安全管理担当の男性が端末を見る。
「確認したいことがあります」
「何ですか」
「水守さんは現在、遺能の登録なしで間違いありませんか」
一瞬、言葉が止まった。
「……はい」
「過去に発現歴は?」
「ありません」
「ご家族からも、そのように届け出があります」
男性は端末を操作する。
「念のためですが、今日、事故中に何か意図的なことをしましたか」
「意図的?」
「遺能現象へ干渉するような行動です」
「してません」
すぐ答える。
嘘ではない。
何をしたのか、自分でもわからない。
「膜には触りました」
「そのとき、何か感じました?」
少し迷う。
「……震えてました」
男性の指が止まった。
「震えていた?」
「はい」
「目視で?」
「手で」
「具体的には」
どう説明すればいいのだろう。
「細かく震えていて」
自分の手のひらを見る。
「場所によって違う感じがしました」
「違う?」
「強いところと、弱いところがあって。……ずれてるところがあるような」
自分で言いながら、変な説明だと思う。
男性は笑わなかった。
「そのあと?」
「わかりません」
「何かしようとしましたか」
「してないです」
少し考えてから訂正する。
「……やめて、とは思いました」
「膜に?」
「たぶん」
「その直後、事故現象の出力が落ちています」
胸の奥が少しざわついた。
「それは」
「今の時点で、水守さんが原因だとは言えません」
男性が先に言う。
「暴走していた本人の出力が偶然低下した可能性もあります。ただ、学校の観測装置に少し気になる記録がありました」
「記録?」
端末をこちらへ見せられる。
数字と線が並んでいる。
見てもわからない。
「遺能事故が発生すると、教室内の簡易センサーが出力変化を記録します。今回、『膜』の波形に大きな乱れが起きたのがこの時点です」
一本の線を指す。
「ちょうど水守さんが接触した直後です」
「……偶然では」
「その可能性も十分あります」
否定はされなかった。
「ただし、未登録の遺能が成長期に遅れて顕在化する例も、非常に多いわけではありませんが存在します」
「15歳でも?」
「あります」
元のなぎは、何度も検査を受けていた。
何もなかった。
だからもう、遺能はないものだと思っていた。
「明日、もう一度検査を受けてもらいたいんです」
「学校で?」
「簡易検査はこちらでもできますが、今回のような例なら力環の設備を使ったほうがいいでしょう。保護者の方にも学校から説明します」
「力環」
「日本支部の検査部門です。怖いことをするわけではありません」
「別に怖くはないです」
ただ。
面倒そうだと思った。
今までなかったものが、急に出てくる。
もし本当に遺能なら。
それが何なのかわからない。
「今日のところは帰宅して構いません。ただ、念のため今夜は遺能を意識的に使おうとしないでください」
「使い方もわかりません」
「それで結構です」
少しだけ苦笑された。
話が終わる。
帰宅の準備をする頃には、水守家にも連絡が行っていた。
いつもの車が校門前に来ている。
外へ出ると、運転手だけではなく、母まで乗っていた。
「なぎ」
扉が開くなり呼ばれる。
「大丈夫?」
「大丈夫です」
「肩を打ったって」
「少しです」
車へ乗る。
母がすぐ腕を見る。
「赤くなってるじゃない」
「これくらいなら」
「病院には?」
「学校で見てもらいました」
「帰ったらもう一度診てもらいましょう」
「そこまでしなくても」
「します」
これは断れそうにない。
車が動き始める。
しばらくして、母が少し声を落とした。
「それと」
「はい」
「学校から、遺能についても聞いたわ」
「そうですか」
「何があったの?」
「わたしにもわかりません」
窓の外を見る。
「触ったら、揺れて」
「揺れた?」
「膜が」
「それで?」
「そのあと弱くなりました」
母が黙る。
「なぎが何かしたの?」
「わかりません」
本当にそれしか言えない。
「検査、明日なんでしょう?」
「そうみたいです」
「わたしも行くわ」
「学校は?」
「休めるでしょう?」
「わたしの学校じゃなくて、お母さんの予定です」
「娘の遺能が発現したかもしれないのに、予定のほうを優先する親はいません」
「……そうですか」
「そうです」
強かった。
それ以上は何も言わなかった。
家へ戻り、肩を診てもらう。
ただの軽い打撲だった。
夕食を食べ。
風呂へ入り。
自室へ戻る。
いつも通りの一日なら、明日の授業の準備をして寝るだけだった。
でも今日は、机へ向かっても昼の感覚が離れない。
左手を開く。
閉じる。
何も起きない。
試しに机へ触れる。
木の感触。
当然、それだけ。
壁。
教科書。
スマートフォン。
何を触っても普通だった。
「……遺能」
小さく呟く。
自分にあるとは思っていなかった。
欲しいとも思っていなかった。
もし本当にあるなら。
元の水守なぎにもあったのだろうか。
発現していなかっただけで、身体の中にはずっと。
そう考えると、少し妙な感じがした。
この身体にも、まだ知らないものがある。
15年分の記憶があっても。
全部知っているわけではない。
スマートフォンが震えた。
画面を見る。
夜也。
『事故あったって聞いた』
早い。
『大丈夫?』
続けて。
『怪我した?』
さらに。
『今家?』
少し迷ってから返す。
『家です。軽い打撲だけです』
即座に既読。
『ほんとに?』
『ほんとです』
『何があったの』
『クラスメイトの遺能が暴走しました』
『なぎ巻き込まれた?』
『少し』
『少しって便利な言葉だよね』
面倒なところを突かれた。
『壁と遺能の膜に挟まれそうになりました』
今度は返信が少し遅れた。
『それ少しじゃないじゃん』
『無事なので』
『今から行こうか?』
『来なくていいです』
『即答』
『夜なので』
『昼ならいい?』
『そういう意味ではないです』
数秒。
『明日検査なんだって?』
どうしてそこまで知っているのだろう。
『そうです』
『力環?』
『たぶん』
『ぼくも行こうかな』
『何でですか』
今度は返事がすぐには来なかった。
少しして。
『気になるから』
それだけ。
またかと思う。
夜也は気になるものに近づく。
わたしの変化にも。
今回の事故にも。
『仕事してください』
『してるよ』
『なら来なくて大丈夫です』
『冷たいなあ』
いつもの調子だった。
少しだけ安心する。
スマートフォンを置く。
もう一度左手を見る。
あのとき。
透明な膜へ触れた瞬間。
確かにわかった。
ただ震えていたのではない。
何かの流れがあった。
それが乱れていた。
そして一瞬だけ。
わたしのほうも、同じように揺れた。
思い出すと、指先が少し痺れるような気がする。
錯覚かもしれない。
明日の検査で、何も出ない可能性だってある。
事故の混乱の中で、そう感じただけかもしれない。
でも。
膜が波打った光景だけは、錯覚ではなかった。
教室にいた人たちも見ている。
わたしが触れた場所から。
波が広がった。
その事実だけが、妙に頭に残っていた。
鏡を見る。
いつもの水守なぎ。
この顔にも少し慣れた。
この名前にも。
この家にも。
最近ようやく、自分で選んだものをその中へ増やし始めたところだった。
なのに。
今度は身体のほうから、知らないものが出てきたのかもしれない。
「……また増えた」
何が、とは自分でもうまく言えなかった。
知らないものが。
考えなければならないものが。
自分の中に、また一つ。
左手を握る。
今度は何も揺れなかった。




