フランスパンに明日はない
フランスパンが好きだ。
どうしようもなく好きだ。
◇
午前11時。
近所の小さなパン屋で、1日1回フランスパンが焼き上がる。そのタイミングを見計らって、焼きたてのバゲットを買いに行く。
小さな店なので、一度に5人しか入れない。なので店の前には行列が出来る。寒い日は並びたくないが仕方ない。列の後ろに並ぶ。
やがて順番が来る。
トレーとトングを取って、店の中をぐるりと回る。バゲットが入った籠はレジの近くだ。途中に小さなフィセルもあるけどパスする。大きさ以外に違いはない筈だけど、火の通り方の違いなのか、味と食感は断然バゲットの方がいい。
バゲットを一つ買う。
◇
その足で、近くの酒屋に行く。
お気に入りの、安くてうまい銘柄の赤ワインを買う。買ったら、バゲットが冷めないうちに家に帰る。
冷蔵庫にはウインナが一袋あったはず。
取り出して、茹でる。
ようやく準備完了。
◇
モニターの前に座る。
今日は何、見ようか。
そうだ、「ライフ オブ パイ」にしよう。綺麗な画面と不思議な物語が見たい。
ディスクを入れて、再生ボタンを押す。
映画が始まる。
◇
本当は、フランスパンは、映画鑑賞に向いてない。
頭の中に、固い皮のところを齧る咀嚼音が響くからだ。でも、そんな事は気にしない。
映画が始まる。
パリパリの皮が割れると、しっとりした中身が舌に触れる。この皮と中身のコントラストがいい。この幸せは、焼きたてのやつでないと味わえない。
そして、ワインを一口、飲む。
口の中に残ったバゲットが、ワインで喉に流し込まれる。それからウインナ。
これの繰り返し。
幸せである。
画面では、パイの乗った船が沈む場面が映る。
恐ろしくも幻想的な夜のシーン。
そして、虎との漂流が始まる。
パイよ、私だけ幸せでごめん。
◇
残念なのは、バゲットは映画の途中で食べ終わってしまう事。ウインナは、その前に無くなる。
仕方がない。
あとはワインを飲みながら、続きを観る。
それでも、幸せである。
◇
映画が終わる。
面白かった。
良い映画は、何度観ても良い。
なんだか眠くなって来た。
◇
起きたら、夕方だった。
バゲットは、もちろん残っていない。
買う時、必ず保存用の袋を付けてくれるのだが、私はこれを使った事がない。
一晩置いたら、焼き立てのあの幸せは蒸発して何処かに消えてしまうからだ。
◇
フランスパンに、明日はないのである。




