護衛の少女は舞踏会でも鎧を脱がない。
「舞踏会にですか?」
「あぁ。デュラン伯爵が是非にと」
侯爵家嫡男であるエルディアンが長らく護衛を勤めている少女ティアを誘ったのがほんの数日前のことだ。
「かしこまりました。エルディアン様はどなたと行かれるのですか?」
「君とだよ」
「私と?」
キョトンとするティアの顔。
思えばあの時にこの展開を考えておくべきだった……。
そう思いながらエルディアンは内心頭を抱えていたが、もう後の祭り。
「どうされました?」
「あぁ、いや……なんでもない」
普段通り鎧に身を包み、腰にはかつてエルディアンが授けた剣まで差している。
こんな格好では平和と華やかさの象徴である舞踏会に一歩だって踏み入れることは出来ない。
「ごめんね。エルディアン。私は何度もドレスを着るよう勧めたのだけど……」
ティアの後ろでは苦笑しつつも、どこか楽し気な様子で伯爵夫人のイザベルがため息をつく。
「この子ったら『エルディアン様に万が一のことが起きては誰も守れません』なんて言って聞かなかったの」
「いや、確かにそうだけども……」
そもそも『万が一の可能性』を口にするなど、主催である伯爵夫妻に失礼極まりないのだが幸いにもエルディアンとティアを幼い頃から知っているイザベルの表情は穏やかだ。
むしろこのような光景を見たかったというのも今回の招待理由の一つだったかもしれない。
エルディアンは伯爵夫妻を尊敬していたし、また家としても個人としても仲は良好だったがこのような野次馬丸出しのところだけはあまり好きではなかった。
「イザベル様。この格好では舞踏会には出られませんよね?」
「ええ。他の参加者も居るからね。ね? ティア。主君のためにもドレスに着替えて来ない?」
「お心遣い感謝いたします。ですが、私は元より護衛として参りました。他の方達と同じく廊下にて控えております」
皮肉も恥ずかしさも何もない。
ティアは心からそう思っているのだ。
事実、丁寧且つ完璧な一礼をしてそのまま踵を返して廊下へと歩いて行ってしまう。
エルディアンの落胆とイザベルのクスクス笑いを尻目に。
「相変わらずね。ティアは」
「そうですね。何も変わっておりません」
「あなた、この間の手紙では告白を受け入れてもらえたって大喜びで書かれていたけれど?」
イザベルの言葉にエルディアンは頭を振る。
「そのはずだったんですがね……」
「あの子。多分、告白をされたなんて思っていないんじゃないの?」
ティアにエルディアンが告白をしたのは二か月程前のことだ。
ほとんど生きた年数に等しい付き合いの彼女を異性として意識し、遂には思いの丈を伝えるという男子としては一世一代の告白に対してティアの返事は――。
『ありがとうございます。私もエルディアン様をお慕いしておりました』
彼女らしい丁寧な言葉だった。
「キスはしたのか?」
「なっ!?」
突然の言葉にエルディアンは飛び上がる。
そちらを見ると夫人と同じく野次馬根性を隠しもしないデュラン伯爵が居た。
まるで姉弟のように仲の良い夫妻は相方が来たことで止まらなくなる。
「そもそもだ。君達の関係は健全過ぎるんじゃないか?」
「私もそう思う。大体が貴族と護衛なのよ? あの子からしてもただでさえ恋愛感情というものを表現しづらいでしょうに」
「男である君から積極的にいかないとあの子も不安で仕方ないんじゃないか?」
鬱陶しいことこの上ない。
エルディアンは伯爵夫妻を睨んだが二人からすれば年齢的に子供より年下の相手だ。
かえって燃料を投下されたようにして話が続いてしまう。
「とにかくだ。もっと積極的にいきたまえ」
「そうそう。夫婦円満の秘訣は積極的なことよ」
「まだ結婚していません!」
「いずれはするんでしょう?」
うっ……と口ごもりエルディアンは踵を返し歩き出す。
子供っぽいと自分でも思うがそれでも少しでも苛立ちを感じてくれれば――。
「中庭に行ってごらん。我が愛しの妻が咲かせた花がある」
「本当は太陽の下が良いけれど、月明りの下でも十分に美しく見えると思うわ」
全てお見通しか。
エルディアンは首を振るばかりだった。
***
廊下に向かうとティアは他の護衛と軽い雑談をしているところだった。
「エルディアン様」
護衛の一人がエルディアンに気づき声を出す。
それに釣られてティアもまた振り返った。
「舞踏会はどうされたのですか?」
心底不思議そうな表情をするティアの隣で何人かの護衛が呆れた様子で肩を竦める。
彼らもまたティアが鎧を着ていることに混乱しつつも状況を察していたのだろう。
「少し中の熱に当てられてしまってね」
「まだ始まって間もないじゃないですか」
なんでこんなところだけ的確に反応してくるの?
そう言いたいのを我慢しながらエルディアンはティアに言う。
「いずれにせよ、少し離れたいんだ」
「何かあったのですか?」
どっちかって言うとお前が起こしてんだよ。
そう言いたいのを我慢しながらエルディアンはティアの手を取り歩き出す。
ここまですれば流石にこちらの意図は伝わるかと思いきや、ティアは相変わらずキョトンとしている。
「エルディアン様も前途多難だな……」
護衛の言葉が風に乗って耳に届き少しだけ腹が立ったが、中庭につく頃にはもうその苛立ちも消えてしまった。
月からそそぐ白い光に照らされた色取り取りの花々が美しく、それでいてどこか控えめに薄暗く静謐な世界に咲いてる。
「綺麗ですね」
ティアの声が響く。
今更になりエルディアンは彼女が自分の手をしっかり握っていることに気が付いた。
戯れに振りほどこうとするとティアが握る手に力を込めてくる。
「私と手を握るのはお嫌でしょうか?」
見返したティアの表情は意外なほどに温かな笑みが浮かんでいた。
その表情を夜が微かに覆う。
エルディアンは直前の悪戯心を後悔した。
自分と違い素っ頓狂にしか見えないティアの行動には悪意というものがない。
舞踏会に鎧で参加したことも、共に招待されたのに護衛として廊下で控えてしまうことも。
全て自分のことを考えるあまりのものなのだ。
「俺は君にドレスを着てもらいたかった」
「ですが、私はエルディアン様の恋人である前に護衛です」
ティアの手から力が抜ける。
しかし、今度はエルディアンが力を込めたので手が離れる心配はなかった。
「それに。護衛とは言え、あまり近くに女が控えていては後のためにも良くないでしょう?」
微かな衝撃が走る。
その一方、エルディアンは自らが『あまり驚いていない』ことに驚いていた。
それを知ってか知らずかティアの口は珍しく回っている。
「エルディアン様。あなたはいずれ正式な妻を娶る必要があります。私と違い剣など握ったことがないように貞淑な女性を――男であるエルディアン様にはご理解いただけないかもしれませんが、女性の心というものはデリケートなのですよ。傍に他の女性が居るだけで奥手になるくらいには……」
確認のためにもう一度手を放そうとするとやはりティアはこちらを強く握ってくる。
ちらっと窺ったティアの表情は先ほどよりも深く夜の闇を湛えていた。
「正式な妻か。いずれはそうなるのだろうか」
エルディアンの言葉を受けてティアの力が一瞬だが微かに弱まった。
「……ええ」
「では、君は正式ではない妻になるつもりはあるのか」
「そうですね。エルディアン様がよろしければそのつもりです」
ティアの歯切れが悪い。
まったくもって質の悪い。
つまり、ティアは自身がエルディアンに相応しい相手だとは思っていないが、それはそれとして先の告白を本気で受け取っている。
彼女にあるのは『二番手』として生きる諦めであり、そんな諦めが彼女のちぐはぐな行動に繋がっているのだろう。
『もし俺が君以外に妻を娶る気がないとしたら?』
そう聞きたかったが口に出来なかった。
何を言っても虚しいと思ったし、何よりも今のティアには響かないだろうと感じたから。
『大体が貴族と護衛なのよ? あの子からしてもただでさえ恋愛感情というものを表現しづらいでしょうに』
イザベル夫人の言葉が蘇る。
これ以上ないほどに的を得ている。
『男である君から積極的にいかないとあの子も不安で仕方ないんじゃないか?』
デュラン伯爵の言葉もまたそうだ。
ただの揶揄い言葉としか思えなかったが、この状況を鑑みれば本質を突いている。
ティアの想いはそうそう変わることはないだろうが、それでも変えていくにはしていかなければならないこともある。
――まぁ、多分。伯爵夫妻の言動には半分揶揄いも混じっていると思うが。
「ティア」
「どうされました?」
相変わらずキョトンとしている顔が引き寄せられて微かに変わる。
身体が僅かに強張っていた。
けれど、抵抗もない。
まるで示し合わせていたかのように口づけは滞りなく終わった。
離れた顔は夜が覆い隠せないほどに紅くなっていた。
もしかしたら無反応なのではないかと不安に思ったエルディアンの考えは杞憂だった。
「驚きました」
「愛されているのにか?」
「愛されているのにです」
エルディアンは鎧に触れた。
先ほどまで重なっていた肌に比べると氷のように冷たい。
体温も心の熱さも冷たい鉄を通しはしない。
エルディアンは硬い鎧の上から軽くティアに抱擁して問う。
「なぁ。どうすれば君は鎧を脱いでくれる? どうすればドレスを着てくれるんだ?」
「私はエルディアン様の護衛です」
「護衛だが恋人でもある。それに直に妻にもなるだろう?」
ティアは少し息を飲んだがそれ以上の反応は見せなかった。
今の二人の距離では。
「エルディアン様。例えばこの場で私達が襲われたとします。私には鎧があるので盾になることは出来るでしょう。剣を持っているので相手に抵抗をすることが出来るでしょう。しかし、もし私がドレスを着ていたならそれは叶いません。二人共無抵抗に殺されるだけです」
「暴漢がデュラン伯爵の警護を掻い潜れると?」
「可能性は低いです。けれど0ではありません」
「言い出したらきりがないな」
「はい。ですが……もし二人共武器も鎧もなければ私はきっと一生後悔をします」
これが貴族として生きている自分と護衛として生きているティアの認識の差なのだろう。
だが、かと言ってこの認識のままでいられるのは非常に困る。
そう考えていたエルディアンの頭に一つだけ妙案が浮かんだ。
「ティア。要するに二人共が無事ならば良いのだろう?」
「はい。だから私はこうして鎧を脱ぐことも、剣を差すのをやめることも――」
「それは君でなくてもいい」
「はい?」
ティアのキョトンとした顔にエルディアンは微笑むばかりだった。
***
あの日から一ヵ月が経ち、デュラン伯爵が再び舞踏会の招待を出してきた。
おそらくは『答え合わせ』を見せろという意味だろう。
今や、その下にある中年特有のお節介さは隠れてもいない。
――だが、もうそれも構わない。
「エルディアン、なんて格好をしてるのだ」
「あなた達はどうやっても普通に参加するつもりはないのね」
伯爵夫妻の言葉は咎める口調でこそあったものの穏やか且つ笑いを含んだものだ。
あまりにも和やかな雰囲気の中でドレスを纏ったティアは顔を赤くして俯いている。
「こうでもしなければ最愛の人を守れないので」
エルディアンの言葉を受けてティアは目を固く閉じたが口元には隠しきれない喜びが浮かんでいた。
堂々たるエルディアンの言葉にデュラン伯爵は拍手を送る。
「見事だ。やはり男子と生まれたからには最愛の女性を守ってこそだな。その剣と鎧で」
「ええ。素敵。まるで物語に出てくる騎士様のようじゃない。あなたもそう思わない? ティア」
「……はい。私もそう思います」
ティアはようやく目を開けて自分の隣に居るエルディアン……鎧を着こみ、剣を差した主の方を向いた。
今日、ドレスを着こんだティアは暴漢が現れたならおそらくまともに戦えない。
しかし、代わりにエルディアンが戦うことだろう。
自分と最愛の人を守るために。
「だけどね、エルディアン、ティア」
イザベル夫人がニヤリと笑いながら言った。
「以前も言ったけれど、鎧を着て舞踏会に参加するなんてマナーとしてありえないわ」
「その通りだ。残念だが二人共舞踏会に入れることは出来ない」
「デュラン伯爵。私はともかくティアは入れるでしょう?」
「勿論だ。しかし、ティアは望むかな?」
「望みません!」
デュラン伯爵の言葉が終わるか終わらないかの内にティアが叫ばんばかりの勢いで言った。
言葉の勢いにティア自身がハッとなった所でエルディアンはティアの手を握って言う。
「では伯爵。申し訳ありませんが、この間のようにお庭にお邪魔しても?」
「構わない。我が最愛の妻がまた花を育てたのだ。ぜひ見てきてほしい」
「二人きりでね」
エルディアンは頷きティアの手を引いて歩き出す。
その手を強く繋ぎ返しながらティアが小声で言った。
「まさかこのような方法は予想外でした。そもそもこれでは本末転倒です」
「いや、そうでもない。俺は君にドレスを着せたかったから」
「ははは……」
呆れ笑い。
けれど、心地良い。
「嫌だったか?」
「分かりません。困惑はしています。だけど――」
「だけど?」
立ち止まり見返すとティアは幼い子供のような笑みで言った。
「お姫様扱いのようで嬉しいです」
胸の内に込み上げてきた気持ちを上手く言葉に出来ない。
今はまだ。
「行こう。花が綺麗らしい」
「はい。エルディアン様」
早口となった二人の言葉に先ほどよりも早くなった足音が続く。
色取り取りの中庭まではあと十数歩の距離だ。




