第8話「喰うことの罪」と旅団の絆
【起】喰竜派の爪痕と、ヴァルの傷の重み
吹雪は夜のうちにやみ、朝の空にわずかな陽光が差し込んでいた。
静寂を取り戻したクラム村には、かすかに安堵の空気が流れていた。
だが、それは何もかもが終わった証ではなかった。
「……大丈夫、だよ。ほら、動くには動くし……」
ヴァルは、ぎこちなく笑いながら右腕を持ち上げて見せた。
布で巻かれた腕から、血がにじんでいた。
裂かれた筋は深く、もう弓を満足に引ける日は来ないかもしれない。
敬はその姿をただ見つめるしかなかった。
(俺が……“喰う”ことで得た魔素。それで誰かを守ったつもりだったのに――)
自分の中で、何かが静かに軋んでいた。
手に入れた魔素は確かに力になった。だが、それが本当に“正しい”形で使えたのか、今の彼には分からなかった。
脳裏に浮かぶのは、焔角の声。
「共に世界を食らうぞ、“継ぎ喰う者”――」
まるで、自分の存在が“喰われる者”として定義されたかのような錯覚。
あのとき交わした拒絶の言葉は、果たして本当に届いていたのだろうか。
村人たちは口々に感謝を述べていた。
氷竜を倒したこと、密猟団を追い払ったこと、ヴァルの母を救ったこと。
それでも敬には、その言葉がどこか遠い世界のもののように聞こえていた。
(俺は、命を喰って生きてる。じゃあ、俺が生き延びたことで……誰かの命が失われてたら?)
そう思った瞬間、体の芯が冷たくなった。
生きることが、時に他者の命を奪うことと同義になるなら。
自分の力が“喰らうこと”に由来するなら。
(俺は……ただ、生きてるだけで……罪なんじゃないのか?)
言い切れなかった。
「それでも、生きる意味がある」と、自分で思いたいのに。
まだ――その勇気が出なかった。
敬は、握りしめた手のひらに沈黙を落とした。
その手には、氷竜の魔素の残り香が、まだわずかに残っていた。
【承】レイナの過去。「喰う側」だった妹の悲劇
夜の帳が静かに降りる頃、山間に設けられた仮の野営地には、かすかな焚き火の灯りが揺れていた。
木々のざわめきと、遠くで鳴く獣の声。
その静寂の中、敬とレイナ、そして負傷したヴァルが囲む火の前に、淡く赤い光が瞬いていた。
ふと、レイナがぽつりと呟いた。
「……あたしには、妹がいたんだ」
敬は顔を上げた。
レイナの声はどこか遠くを見ているように、かすかに震えていた。
「優しくてさ。料理が得意で、バカみたいにまっすぐで……」
焚き火に照らされる横顔に、強がりではない陰りが落ちていた。
彼女の普段の飄々とした態度とはまるで違う。
そこには、何かを背負いすぎた人間の、静かな苦悩があった。
「妹は、喰竜派に“救われた”って思ってた。ドラゴンを狩ることで、飢えずに済むって。食料供給任務ってやつに参加して……誇りにしてたよ、自分の力が誰かの命を支えてるって」
だが、レイナの声が次第に濁る。
「――でも、全部、嘘だった。あの連中は、妹の優しさもまっすぐさも、“都合のいい駒”として利用してたんだ。で、使えなくなったら……“戦力外”って、魔素実験の素材にされた」
敬は言葉を失った。
火の爆ぜる音がやけに耳に残る。
「助けに行こうとした。でも、あたしが着いたときにはもう……“跡形もなかった”。ただ、妹が大事にしてた髪留めだけが、汚れた実験室に転がってたんだよ」
沈黙が落ちた。
火の粉が舞い上がり、夜空に消えていく。
レイナは目を伏せたまま、吐き出すように言った。
「喰うってことは、時に“殺す”ってことなんだよ。あんたが手に入れてる力、それは他人の命の“重さ”だ。覚悟がなきゃ、いつか誰かを背負うことになる。……あたしみたいにね」
敬の胸の奥に、何かが重く沈んだ。
「……」
何も言えなかった。
生きるために喰う。それが間違っているとは言えない。
だが、それが誰かを踏みにじる行為に変わっていたら。
それでも“正しい”と言えるのか――。
火の揺らぎが、どこまでも痛々しく映った。
【転】敬、自分の生存が“奪う行為”に繋がっていると自覚
朝。
雪原にはまだ夜の名残が漂っていた。風は冷たく、吐息は白く空へと溶けてゆく。
敬は一人、ドラゴンの亡骸が眠る丘に立っていた。
その手には、わずかに魔素を帯びた《神霊核》が握られている。
(これが……俺の命を繋いできたモノか)
微かに脈動するそれを見下ろしながら、敬は唇を噛んだ。
「俺は、喰って生きてきた」
誰にも届かぬ呟き。
自分にだけ向けられた問いだった。
「それで、誰かが救われた……かもしれない。だけど――」
視界に浮かぶのは、命を落とした者たち。自分が奪った魔素の残響。
そして焔角の言葉。
“共に世界を食らうぞ”
まるでその響きが、自分の存在そのものを肯定しているようで、怖かった。
「……俺のせいで、命を失った奴もいる」
風が頬をなでる。
静かで、ただ静かな、責めるような朝だった。
「選ばれたわけじゃない。ただ、偶然“適合”しただけだ。俺なんかが、生きてていいのか――」
そのときだった。
「なぁに、難しい顔してんだよ」
ふいに、背後から聞こえた声。
振り返れば、ヴァルがふらりと立っていた。右腕にはまだ包帯が巻かれ、肩で息をしているのに、その顔にはいつもの笑みが浮かんでいた。
「ヴァル……」
「アンタ、今“俺なんか”って思ってたろ? 顔に書いてある」
敬は返せなかった。
だが、ヴァルは雪の上を踏みしめながら、彼の隣に並んだ。
「じゃあ、訊くけどさ。生きてなきゃよかったのか?」
「……それは――」
「違うよ」
まっすぐな目だった。
あの時、弓を捨ててでも仲間を守ろうとした少年の、迷いのない瞳。
「アンタが生きてたから、母さんも、村も救われたんだ。俺も……こうして立ってられる」
敬は目を見開いた。
「誰かを喰ったかもしれない。命を奪ったかもしれない。だけどな、そうやってアンタが生きてくれたことで、救われた命だってあるんだよ」
ヴァルは少し照れくさそうに笑った。
「俺はさ、“ありがとう”って言いたい。生きててくれて、ありがとうってさ」
その言葉は、真っすぐに、敬の胸に届いた。
誰かを傷つけるかもしれない。
誰かに許されないかもしれない。
でも、それでも――
静かに、神霊核が脈動した。
冷たいはずの魔素が、少しだけ温かく感じられた気がした。
敬は、雪を踏みしめて一歩前へ出た。
胸の奥で、何かが確かに動いていた。
【結】「俺たちは喰う。でも、守るために喰う」──喰竜旅団、本格始動!
夜。
村の外れ、静かな焚き火の前。
ヴァルの傷も落ち着き、レイナが慎重に解体道具の手入れをしているその傍らで、敬は立ち上がった。
焔角との戦い、喰うことの罪、そして――生きていたことの意味。
その全てを抱え、彼は仲間たちに向き直る。
「……俺は、喰う」
静かな声だった。
けれど、確かに力が宿っていた。
「生きるために。守るために。……罪は、背負っていく」
言葉の重みを受け止めるように、レイナがそっと笑った。
「ようやく“食う者の顔”になったじゃん。あんた」
敬は少しだけ眉を上げて、照れたように目を逸らす。
「お世辞になってないぞ、それ」
「本気だけど?」
ヴァルが笑い声を上げた。
「だったら、旅団名でも決めないとな」
敬とレイナが同時にヴァルを見る。
「“旅団”って……」
「もう俺たち、ただの旅人じゃないだろ。ドラゴンを喰って、罪も背負って、それでも前に進む」
焔角はまだ生きている。
喰竜派は再び来るだろう。
だが、それでも進まなきゃいけない。――この力を、ただ“喰う”だけで終わらせないために。
敬は、一度目を閉じ、言葉を選ぶように口を開いた。
「“喰竜旅団”……どうだ」
その名に、誰も異を唱えなかった。
レイナは工具を片づけ、ヴァルは包帯を巻き直しながらうなずく。
「いいね。それ、背負えるよ」
「……じゃあ決まりだな」
夜が明けていく。
吹雪の止んだ雪原に、朝日が差し込む。
三人の影が、静かに雪を踏みしめる。
一歩、一歩、その足取りは確かに“喰って、生きて、守る”者たちのものだった。
その背には、名前があった。
罪を背負いながらも進む者たちの、旗印としての名が――
喰竜旅団
物語は、ここからさらに深くなる。
次に“喰う”のは、誰か。
そして、“喰われる”のは――何か。