第5話:氷の地で、青き竜に挑む
【起】極寒地帯と魔素障壁の異常
白の世界が、どこまでも続いていた。
雪。霜。氷柱。吹きすさぶ風さえ、刺すような冷たさで肌を割こうとする。
「ノルグラ雪原……来たはいいが、想像以上だな……」
敬は毛皮のフードを深くかぶりながら、吐く息で白く曇る視界を睨んだ。
神霊核が胸でかすかに軋む。魔素反応が不安定だった。
いや、正確には薄い。周囲の魔素密度が常識外に低いせいで、神霊核がうまく吸収できないのだ。
《魔素吸収率:低下中。外部補給による安定化困難》
表示される警告に、思わず舌打ちが漏れる。
「このままだと、残量50%から回復しないままか……クソ、冷凍庫かよこの大地……」
レイナは氷結した獣の足跡を辿りながら、冷静に呟いた。
「空気中の魔素が希薄なんだ。熱を生む存在自体が少ない。自然界も、ここじゃ生きるのがやっとってとこ」
敬は頷き、ふと足元の氷の中に何かが光るのを見つけた。
膝をつき、手袋越しに氷面を削る。出てきたのは――巨大なウロコ片。青白く、硬質な輝き。
「これ……!」
すぐ隣、レイナが小さく目を見開く。
「竜種が棲んでた痕跡だね……これは“氷竜の名残”だよ」
続けて爪、歯の破片、凍土に刻まれた螺旋状の抉れ――すべてが、かつてここにドラゴンが生きていたことを物語っていた。
敬はウロコを強く握りしめた。
「いたんだな……間違いなく、この地に……!」
目の奥が、灼けるように熱を帯びる。
この白の世界のどこかに、“喰える命”が眠っている――
そして、それを見つけ出さなければ本当に、終わる。
冷たい風が、まるで試すように頬を切った。
それでも敬は、足を止めなかった。
【承】村の危機と、狩人ヴァル
吹雪の中を進むうち、敬の足元が沈んだ。
「――うわッ!?」
ズボリと雪に埋まり、次の瞬間、縄の感触とともに体が宙に浮いた。
「わ、わわっ!? ちょ、これ狩猟罠だろ!? なんで俺が吊るされてんだよ!」
体が逆さまになり、景色がぐるぐる回る。そこへ、背後の森から現れた一人の少年が歩み寄ってきた。
「……バカか。こんなとこで引っかかるなんて」
少年は片手でロープを切り、敬は雪の中に尻から落下した。
「いてて……お、お前、助けてくれたのか?」
少年は無言で頷く。年の頃は十四、銀灰の髪に、鋭くも冷静な双眸。腰には小ぶりの弓を下げていた。
「……ヴァル。狩人だ」
「俺は敬。で、こっちはレイナ。旅の途中なんだが、ちょっと事情があってな」
事情――そう、“ドラゴンを食べないと死ぬ”などと、到底まともに説明できるわけもない。
ヴァルに案内されて、三人は山の斜面に点在する小さな集落「クラム村」へたどり着いた。
そこには十数棟の木造家屋。だが、家の窓には板が打ちつけられ、人々は顔をこわばらせていた。
「この村……何かあったのか?」
敬の問いに、村の長老らしき男が渋く口を開いた。
「……数日前、村を守っていた結界石が砕けてな。夜ごと、魔物が這い寄ってくるようになったのじゃ」
「魔物の種類は?」
「大牙鼠や氷鱗獣、時折、上位の氷牙鬼も混じる」
敬は内心舌を巻いた。どれも手強いが、神霊核の出力を上げれば一掃できる相手だ――だが。
(ここで全力出したら……魔素が切れて、本格的に死ぬ)
使えないチートなんて、ただの地雷だ。敬は奥歯を噛みしめた。
「……レイナ。魔素を温存しつつ、戦う方法あるか?」
「あるさ。アンタが囮になって、私が仕掛けを決める。罠狩り戦術ってやつだ」
その夜、敬とレイナは村の周囲に即席のトラップを展開。木の枝で作った落とし穴、氷を滑らせる坂道、魔素誘導の匂い袋。
魔物たちが現れたとき、彼らは既に“狩られる側”だった。
「今だ、レイナッ!」
「了解!」
レイナの投げた爆裂仕掛けが、氷鱗獣の足元で炸裂。雪煙が舞い、咆哮が響いた。
敬も最小限の魔素で神霊核を起動し、転倒した魔物の脳天を正確に踏み砕いた。
わずか十五分後、雪原には魔物の死骸と、息をのむ村人たちの姿だけが残った。
「やった、やったぞ!」
「結界もないのに……退けた!」
村人たちは歓声を上げ、敬たちに食料や毛皮を持ち寄って感謝の意を示した。
その夜、村の焚き火を囲みながら、ヴァルがふと聞いた。
「なあ……“喰うために竜を探してる”って、ほんとかよ?」
敬は無言で頷く。その瞳には嘘も誇張もなかった。
「マジだ。食わなきゃ……死ぬんだ」
静寂の中で、ヴァルは何かを悟ったようにうなずいた。
【転】ブルードラゴンとの遭遇
夜が明けると同時に、ヴァルはひとつの“場所”へと案内を申し出た。
「昔から言い伝えられてるんだ。村の外れ、裂け谷の先……“氷の主”が眠ってるって」
敬とレイナは顔を見合わせた。“氷の主”という言葉の裏に、ただならぬ気配を感じ取る。
「……行ってみる価値はあるな」
雪をかき分け、吹雪の山を登ること二時間。眼前に巨大な氷の裂け目が口を開けていた。底は見えず、雪すら降り積もらない、異様な静けさが支配していた。
「ここが……?」
ヴァルが頷くと、敬は躊躇なく飛び降りた。続いてレイナとヴァルも滑るようにロープを使って降下していく。
谷の底。そこには、完全に凍りついた巨大な影があった。
「これ……竜だ」
青白い鱗、凍てついた翼、結晶のように煌めく角。
全身が厚い氷に包まれたその巨影は、まさしく伝承に語られる存在――ブルードラゴンだった。
「信じられない……本当にいたんだ、氷竜が」
だがその刹那、異変が起きた。
凍った竜の瞼が――ピクリと動いた。
「ッ……来るぞ!!」
敬の叫びと同時に、凍結が粉々に砕ける轟音が谷に響き渡る。
解き放たれたブルードラゴンが翼を広げ、凄まじい咆哮とともに宙へと舞い上がった。
直後、目にも止まらぬ速度で放たれた氷のブレスが谷底を薙ぎ払う。
「敬、伏せろッ!」
「な――ッ!?」
反応が一瞬遅れた敬を、ヴァルが飛び込んで突き飛ばした。ブレスは岩肌を砕き、吹雪とともに空間を凍らせる。
二人は地に転がりながら辛うじて命を繋いだ。
「やべぇ……この氷、ただの冷気じゃねぇ……!」
「魔素が込められてる、凍結呪――完全な殺意だよ、こいつ」
敬は神霊核に呼びかける。
《システム:環境魔素濃度、極低。外部補給不可。》
「魔素……吸えない!? クソ、最悪のタイミングでッ!」
この雪原――いや、この谷そのものが、魔素を吸い尽くす“死の領域”だったのだ。
「なら、やるしかねぇな……魔素抜きで、真っ向から!」
敬は地を蹴り、レイナが即席のフレア玉で竜の視界を撹乱。ヴァルが矢を撃ち、注意を逸らす。
三人の動きが、極限の連携となって竜の巨体に食らいつく。
「レイナ! 左翼の根元に傷を!」
「わかってる!」
「ヴァル! 氷鱗の隙間を狙え!」
「そこしか狙えねぇっての!」
魔素を使えない、神霊核を活かせない。けれどこの瞬間、彼らは“生きて”いた。
ただ死を避けるためではなく――
食らい、生き抜くために。
【結】省魔素・即興戦闘での初勝利
咆哮とともに、ブルードラゴンが再びブレスを構える。
空間がきしみ、冷気が歪む。
「もう一発来るぞッ! 散開!」
敬の叫びに応じて、レイナが飛び出す。腰のポーチから取り出したのは、金属製の杭――だが、ただの解体器具ではなかった。
「こんなこともあろうかと、“狩猟用”に改造しといて正解だったよ」
レイナは足元の氷壁に杭を叩き込む。そしてすぐさま導線を繋ぎ、遠隔起爆の魔導スイッチを設置。
「よし……吹き飛べ、氷鱗!」
――ズドン!!
杭が爆ぜ、ドラゴンの左脚を包む氷鎧を砕く。爆風に怯んだ隙を狙って、ヴァルが矢を番える。
「この距離なら、当たる……!」
ぎりぎりと弓を引き、瞳に焦点を合わせる。
ヴァルの矢が放たれ、見事にブルードラゴンの右目を撃ち抜いた。
巨竜が咆哮し、雪煙が舞い上がる。
「今だ、敬!」
「──行くぞッ!!」
敬は魔素残量3%という警告とともに、神霊核を展開。
右腕が発光し、構造が変異する。
骨組みが露出し、魔紋が浮かぶ。反動で皮膚が裂け、血が飛ぶ。
《システム:臨界出力、限定解放──》
「一点突破!!」
敬の拳が、ブルードラゴンの胸部――わずかに露出した心臓核の位置に、寸分の狂いもなく突き刺さった。
閃光とともに、青白い血が吹き出す。
巨体が震え、咆哮を残して崩れ落ちる。
――氷の王、ブルードラゴン。ついに、撃破。
倒れたまま、敬は荒く息をつく。全身が痺れ、神霊核が警告を鳴らす。
《魔素残量:0%。システム維持、限界値に到達》
「くそ……これじゃ、また崩れる……」
敬はドラゴンの死骸に手を当て、吸収を試みる。
だが――神霊核は反応しなかった。
「なんで……? 吸えねぇ……!?」
解析ウィンドウが開く。
《対象個体:ブルードラゴン(氷竜種)》
《魔素構造:心臓核に偏在。一般吸収不能》
魔素が、“一点”にのみ集中している。
ドラゴンの心臓部――そこにしか、“命のエネルギー”はない。
「……まだ終わってないってことか」
敬は膝をつきながら、倒れた竜の胸部を見上げた。
その中にある“核”を喰らわなければ、自分の命も尽きる。
だが、それはまた別の戦いになる──。