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第4話:喰竜旅団、仮始動

──【起】資格の壁──


 焼けた竜の香ばしい残り香が、まだ鼻腔に残っている。


 ドラゴンを食って生き延びたという現実が、どこか夢のようでもあり、胃の奥でずっしり重くもあった。


「ふぅ……助かった……マジで……」


 地面に座り込んで、相馬 敬は背中で木に寄りかかった。呼吸を整えながら、目の前で後片付けをしているレイナをぼんやりと眺める。


 斧と鉈を器用に使い分け、ドラゴンの骨や皮を分別している。熟練の解体士──というより、まるで戦場の料理人だった。


「レイナ。マジで助かったよ。あれなかったら、今頃オレ……パキポキに崩れて死んでたわ」


「はいはい、そりゃどうも」


 レイナは鼻を鳴らすと、腰に手を当ててこっちを睨んだ。


「でさ。ついでに言っとくけど、今のままじゃアンタ、また死ぬよ」


「……は?」


「“資格”取らないと。解体士の」


 敬はその言葉に固まった。


「……資格?」


「そう。公認解体士資格。この国じゃ、竜種の解体と素材利用には厳しい管理制度があるの。知らなかったでしょ?」


「知らねぇよ、そんなの!」


「知らなかったら許されるって思った? 甘いね。竜は全部、保護・希少生物指定。許可なく解体したり、素材を持ち出したら――即・ブラックリスト。王都から指名手配もあるかもよ?」


「……」


 敬は頭を抱えた。


 せっかく生き延びたと思ったら、今度は法の壁だ。


「命かかってんのに、法の壁まであるのかよ……!」


「あるんだよ。それが現実。だから私がいたんだ。アンタが無資格で解体してたら、今頃この森ごと燃えてたかもね」


 畳みかけるような正論に、敬はぐぅの音も出ない。


「まあ、でも。登録する気があるなら……ギルドに行きな。見習いからなら、今のアンタでも申し込める」


「見習い……」


 敬は自分の手を見る。竜の血がまだ指先に染みている。


 生きるために、喰らった命。その代償が“ルール”なら、受け入れるしかない。


「わかったよ……ギルド行って、見習い登録する」


 立ち上がる敬の顔は、どこか引き締まっていた。


「食うためには、ちゃんと資格も取らなきゃな」


「そうそう。無法なバカはすぐ死ぬからね」


 レイナはフッと笑い、次の骨をナイフで削ぎ始めた。


──【承】試験と“つまずき”──


 王都近郊にある冒険者ギルドの分館。

 入り口をくぐった瞬間、敬は思わず息を呑んだ。


 天井が高く、掲示板には色とりどりの依頼書が貼られ、受付カウンターの奥では、制服姿のスタッフたちが手際よく処理をしている。

 その一角──「解体士課登録窓口」と書かれた看板の前に、彼は立った。


「……この流れで“解体士課”って、やっぱヤバくないか……?」


「次の方、どうぞ」


 声をかけてきたのは、タイトな制服をきっちり着こなした、メガネの女性受付官だった。

 髪は一糸乱れずまとめられ、眼鏡の奥の瞳はキリリと光る。いかにも“真面目”の化身。


「相馬 敬さんですね。解体士見習いの登録をご希望と……それでは筆記試験から受けていただきます」


「え、いきなり?」


「もちろんです。基礎理論と法令遵守は最低限の前提ですので」


 畳み掛けるように試験用紙が渡され、敬は小さな試験室へと案内された。


 ──そして、数分後。


「…………え?」


 敬の手が止まる。


 試験用紙の冒頭には、難解な専門用語がぎっしり並んでいた。


問1. 魔竜種における第二胃の役割と、腸液との化学反応による副次的魔素放出を説明しなさい。


問2. 解体時に用いる銀鋸と黒鉄鉈の使い分けを、衛生法第17条に則って記述せよ。


「“魔竜の腸液には爆発性があるので……”って、これ、理科の教科書かよッ!? いやこれむしろ理科×軍事学だろ!?」


 思わず声が漏れた。


 ページをめくるたびに頭を抱えたくなるような魔物生理学、魔素流動理論、解体衛生法規──さらに調理器具の使い方まで。


 敬の額には冷や汗が浮かぶ。


「オレ……ただ“喰いたい”だけだったんだが……なんで今、“腸の爆発反応”覚えてんだ……?」


 鉛筆を握る手が震える。


 ──だが。


 死にたくない。


 あの灼けた肉の味、生き返るような感覚。それを、もう一度味わうために。


「……っ、くそ。死ぬよりマシだろ……!」


 敬は震える指で、無理やり鉛筆を走らせた。


 試験が終わるころには、精神がごっそり削れた気がした。


 結果は──


「おめでとうございます。……見習いとして、合格です」


 メガネ受付嬢は、完璧な無表情で敬を見下ろす。


「ただし点数は……合格ラインギリギリの“38点”。あと一問落としていたら、不合格でした」


「おおぉ……セーフ、マジセーフ……!」


 敬はその場に崩れ落ちるように座り込んだ。


 ギルドの外で待っていたレイナが、結果を聞いて肩をすくめた。


「まあ、合格は合格だよ。ギリでも受かれば、道は開ける」


 そして、ニヤリと笑う。


「アンタみたいなバカ正直なやつが、ちゃんと手順覚えるってんなら──ちょっとは期待できるかもね」


「……これ、今ほめられてる?」


「さあ、どっちだろね?」


 レイナは笑った。

 敬も、その笑みに、思わず笑い返していた。


──【転】謎の男との遭遇──


 手続きと筆記試験を終えた翌朝。


 敬とレイナは、森を離れる前に──あの戦いの跡地を訪れていた。

 レッドドラゴンの焼け焦げた亡骸は、既に黒骨と化し、神殿跡の一角に散乱していた。


「……まだ骨の一部が残ってるな。焼いたはずなんだけど、竜の骨って丈夫すぎるんだよ」


 レイナが小声で呟く。


 敬は重々しい視線で、戦場だった場所を見つめた。


 自分が初めて“喰らって”生き延びた記憶。

 それは、同時に命を奪った記憶でもある。


「……ありがとな」


 彼は焼け跡に向かって、静かに頭を下げた。

 その瞬間だった。


 ──カラ……ン。


 風にそよぐ枝の音ではない。金属か骨が転がる、硬質な音。

 ふたりは同時に身構えた。


「誰かいるッ!」


 声に反応するように、崩れた神殿の柱の陰から──ひとりの男が現れた。


 漆黒のフードと外套。痩せた体格に仮面をつけており、素顔はわからない。

 ただ、その身のこなしと気配は、明らかに只者ではなかった。


 男は、地面に転がっていた赤黒い骨を手に取っていた。


「……死竜の骨を、ただ燃やして捨てるとは。なんと勿体ない」


「おい、そこのアンタ! 何してる!」


 レイナが鋭く叫ぶ。


 敬も構える。「お前、誰だよ……!」


 男はふとこちらに目を向け──それから、軽く肩をすくめたように見えた。


「……ただの研究者だよ。残された“価値”を拾いに来ただけさ」


「ふざけんな、密猟か! その骨は私たちが──!」


 レイナが前に出ようとした瞬間、男がスッと手を上げる。


 気配が変わった。


 たった一つの動作。それだけで、場の空気が一気に凍りついた。


「焦るな。戦うつもりはないさ。私はただ、この骨を利用するだけ……“正しく”な」


「正しく……だと?」


「“喰竜派”は、正しい。いずれ分かるさ。お前も、喰う者ならばな」


 仮面の奥から放たれるその声音は、静かでいて、どこか冷酷だった。


 敬が詰め寄ろうとしたその瞬間──


 男の姿が、煙のように掻き消えた。


 まるで最初からそこにはいなかったかのように、気配ごと消えた。


「……ちっ。やっぱり、“あいつら”か」


 静まり返った焼け跡で、レイナが吐き捨てるように呟く。


「“喰竜派”……あいつらは、竜を“資源”としか見ない密猟団体。合法も非合法も関係なく、喰えるものは喰う。解体して、売る。そんな連中さ」


 敬の胸に、冷たいものが走る。


「……俺と、似たようなことをしてるってことか」


「違う。アンタは、生きるために喰った。でもあいつらは──欲のために喰う。そこには天と地ほどの差がある」


 レイナの瞳が、どこか憎しみを宿していた。


「関わるな。あいつらは……人の形をした“飢え”だよ」


──【結】仮始動の旅立ち──


 朝露に濡れる草原の縁で、ふたりは黙々と旅の支度をしていた。


 レイナは背負い袋の留め具を点検しながら、ふと問いかける。


「……ほんとに行くんだね、氷河地帯。次の竜は寒冷地種かもしれないって噂だけで」


 敬は地図を広げたまま、小さく息を吐く。


「他に手がかりがないなら、行くしかない。喰わなきゃ死ぬんだ。だったら──動き続けるだけさ」


 その声に、以前のような焦りや混乱はなかった。

 むしろ、不思議なほど澄んでいた。


 レイナはちらりと彼を見やり、にやりと笑う。


「……ちょっとは板についてきたじゃない。喰竜の顔ってやつが」


「勝手に命名すんなよ」


「だってもう旅団でしょ? ふたりしかいないけどさ。“喰竜旅団”、仮だけどね」


 敬は苦笑しつつも、荷物を背負い直した。


 その手には、新しい旅路を示す地図──氷河地帯への道筋が赤く印されている。


「……喰うためだけに旅してたけどさ。昨日、あの村で思ったんだ」


「ん?」


「……喰うだけじゃなく、守らなきゃいけない命もあるのかもなって」


 レイナはしばし沈黙したのち、ふっと鼻で笑った。


「……ま、無理してカッコつけると、すぐ腹壊すよ?」


「うるせぇ。じゃあ晩飯はレイナの焼き竜で頼むな!」


「注文多いな! 次のドラゴンだってまだ見つかってないっつーの!」


 ふたりの笑い声が、深い森に小さく響いた。


 まだ見ぬ竜へ──

 まだ知らぬ味へ──


 そうして、ひとまずの“喰竜旅団”は、静かに歩き出す。


 それが、いずれ世界を巻き込む運命となるとは、まだ誰も知らない。

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