第1話:転生したけど使い道がない
――【起】過労死 → 異世界転生
──ピピピピピ。
モニターのブルーライトが、目の奥にじわりと焼きつく。
午前3時27分。
東京・新宿、某IT企業。
騒音のない密室で、俺はキーボードを打ち続けていた。
「……はは、あとエクセル八枚……余裕だな」
笑ったつもりだったが、口元は動かなかった。
胃が焼け、頭は痺れ、指先は感覚がなかった。
これで何日目だ? まともに寝ていない気がする。
上司は言った。「終電逃すのは努力不足」って。
じゃあ、俺は──
そこで、心臓が一発、強く脈打った。
まるで中から握り潰されるような痛み。
息が詰まり、視界がぐらつき、世界が斜めに傾く。
──あ、やば。
それが最後の思考だった。
◆
次に目を覚ましたとき、そこは……「空」だった。
真っ白な空間。上下も距離もない不思議な場所。
そして、目の前には人影──ではなく、どこか精霊的な存在が浮かんでいた。
人とも神ともつかない、光の塊が、ふわふわと浮いている。
「……お疲れさまでした」
「……え?」
「あなたの魂、限界超えてました。ブラック耐性S。ある意味で英雄級」
声は優しく、どこか事務的だった。
神なのか? 天使なのか? その正体は不明だが──
「異世界転生、適合条件クリアです。
あなたには特別に、“神霊核”を付与しましょう」
「し、神霊核……?」
「そう。思念操作、現実改変、自己再構築、空間生成……。
なんでもできます。“万能”です」
……まるで、ゲームのチートコードみたいだ。
でもそれを聞いても、俺は思わず苦笑した。
「死んでから、人生ガチャの当たりが来るとか……皮肉すぎだろ……」
「おめでとうございます。
なお、転生先は“ゆるふわ観光王国・ルカノア”。
魔王も戦争もない、超平和国家です」
「は? チート能力いらなくね?」
俺のツッコミを無視して、光の精霊はニッコリと(気配で)笑った。
「それでは──異世界ライフ、どうぞごゆっくり」
そして次の瞬間、光が爆ぜ、俺の意識は宙に溶けていった。
◆
──転生先、ルカノア王国。
のどかな田園、ぬるい気候、人懐っこい笑顔。
驚くほど優しい世界に、俺は着地した。
だが──そこには、重大な問題があった。
「この世界、マジで使い道がねぇ……!」
超万能の“神霊核”を手にした俺。
でも、この世界には争いがない。
ギルドの仕事も、温泉ガイドやパンフレット配りばかり。
かくして、俺の“チート能力”は、何の役にも立たないまま眠ることになるのだった──。
――【承】平和すぎる世界
異世界に転生した俺は、すぐに「歓迎式」なる儀式を受けた。
……といっても、王国の偉い人が「ようこそ観光立国ルカノアへ!」とやたら明るく挨拶してくれるだけだったけど。
この国、ルカノア王国は“世界一平和な国家”らしい。
戦争? ない。
魔王? 歴史上存在せず。
盗賊? 基本いない。現れてもすぐ捕まる。
人々は、朝はパンケーキを焼き、昼は観光客をガイドし、夜は星空を眺めて寝る。
そんな“絵本の中”みたいな毎日が、この国の標準だった。
◆
で、俺はというと──
「いらっしゃいませー。ルカノア温泉郷、こちらでーす!」
冒険者ギルド所属、“観光サポート部門”勤務。
やってることは、ほぼ旅館の呼び込み。
他にも、
【仕事内容】:パンフレット配布
【クエスト名】:猫探し(※実績あり)
【特別任務】:地図のルート修正
……いや、まあ。
世界が平和なのは素晴らしいんだ。命の危険もないし。
けどなぁ……。
「俺の力、猫の名前を検索するくらいしか使ってない……」
“神霊核”って、万能チート能力だぞ?
任意の物体を構築し、元素を再編成し、精神波すら操れると説明された。
なのに、今の俺の用途は──
猫の名前を思い出すための記憶再現
温泉の成分を勝手に分析して、お客さんに説明
パンフレットが足りない時に、即座にコピー生成(※怒られた)
「なにしてんだ、俺……」
転生初日こそ「チート能力キター!」とテンション上がっていた。
けど、蓋を開けてみればこのざまだ。
神霊核が完全に「便利グッズ」扱いされている。
おまけに、観光客のじいちゃんに「魔法少年くん」とか呼ばれてるし。
◆
そんなある日。
俺はふと、体に“違和感”を覚えた。
指先がピリつく。喉が乾く。胸の奥がザラつくような感覚。
「……なんか、変だな」
頭がボーッとして、思考がまとまらない。
それでも無理やりギルド仕事をこなしていたが、夜になって──
──ドクン。
突然、胸の奥で何かが“脈打つ”ように響いた。
……心臓、じゃない。
それはもっと深いところ。魂の核に触れるような──
《神霊核:警告──魔素維持燃料、残量わずか》
「……は?」
空間に文字が浮かぶ。俺の脳内に直接、声が響いた。
「使用者へ告知。
神霊核の維持には、“魔素”の定期補給が必要です。
現在、残量4.8%。速やかな補給を推奨します」
魔素? 補給? なんだそれ?
今まで何の問題もなく使えてたじゃないか。
だが次の瞬間──俺の体がぐらついた。
視界が歪み、膝が崩れる。
呼吸が浅くなり、全身から冷や汗が吹き出す。
「おい……なんだよこれ……!」
必死に立ち上がろうとするも、体が言うことをきかない。
そして再び、あの声が淡々と告げた。
「維持魔素、緊急補充が必要です。
対象候補:高濃度魔素種──ドラゴン」
その言葉が、俺の“平和ボケ転生ライフ”を真っ二つに割った。
――【転】突然の異変
その異変は、ある日の昼下がりだった。
観光案内板を修復していた俺は、急に足元がグラリと揺れたような錯覚に襲われた。
「……ん? なんか変な感じが……」
目の奥がチカチカする。
喉が渇いて息苦しい。熱がこもるような不快感が全身を包む。
何より、胸の奥が“ギリギリと軋むように”痛んだ。
まるで心臓とは別の臓器が、ゆっくりと死にかけているような感覚。
──そして、脳裏に声が響いた。
《神霊核:魔素維持燃料の枯渇》
《機能低下中。緊急補充を推奨》
「……っ、なんだ……これ……!」
システムメッセージのような文字列が、視界にじわじわと浮かび上がる。
息ができない。体温がどんどん上がる。
景色が、ぐにゃりと歪んでいく。
そして再び、あの“転生時に出会った精霊の声”が聞こえてきた。
「使用者・相馬 敬。
あなたに付与された“神霊核”は、高出力型チートシステムです。
維持には、特級魔素の定期摂取が必須です」
「特級……魔素……?」
床に膝をつき、俺は必死に呼吸を整えながら問い返した。
精霊の声は変わらず、静かに、冷静に続ける。
「この世界において、特級魔素の最適供給源は――
《ドラゴン種》です」
「……は、あ?」
冗談じゃない。
ドラゴンって、あの伝説の生き物だろ?
ギルドの掲示板でも“絶滅危惧”って書かれてたぞ?
けど、その疑問を押し流すように、激痛が走った。
「がッ……あ……ぁあああああっっ!!」
全身が焼けるように熱い。
骨の奥がギシギシと軋み、皮膚がヒリついて崩れていく。
俺の体は、チートの代償を“現実の痛み”として突きつけてきた。
「繰り返します。
神霊核の維持には、“ドラゴンの魔素”を摂取してください。
さもなくば、あなたは崩壊します」
「ふざけんな……そんな話、聞いてねぇよ……!」
体を引きずりながら、地面を殴る。
だが、どうあがいても“燃料切れ”は止まらない。
“神”からもらったチートは、まさかの高燃費・ハイリスク型だった。
力を得た代償は、「ドラゴンを喰らい続けること」。
「チートって、そういう……もんだったのかよ……!」
だが、悔やんでも仕方ない。
生きたいなら、探すしかない。
倒して、喰らって、生き延びるしか――ない。
――【結】ドラゴンを探す決意
意識が戻ったのは、ギルドの医務室だった。
ギルド職員のミナが青い顔で看病してくれていたらしい。
「……ひとまず回復はしてるけど、しばらくは安静に……」
そう言われたが、俺の頭の中はそれどころじゃなかった。
“神霊核の維持には、ドラゴンの魔素が必要”
──つまり、「食わなきゃ死ぬ」。
これがチートの代償? 笑えねぇ。
俺、別に世界を救う英雄じゃないぞ? 観光案内係だぞ?
でも、現実は変わらない。
このままでは、崩壊するだけの余命ゼロ生活。
◆
回復直後、俺はギルドの依頼掲示板に駆け込んだ。
ドラゴンに関する依頼。討伐でも調査でも何でもいい。
だが──
「……掲載停止中? は?」
そこに貼られていた紙には、こう書かれていた。
【王国法令 第204条】
“ドラゴン種は自然保護対象の絶滅危惧種につき、
あらゆる接触・狩猟・干渉を禁止します。”
「……おいおい、マジかよ……」
守られてんのかよ、ドラゴン。
観光保護の対象って、そういう意味かよ……!
俺が求めてるのは観光じゃねぇ、生存なんだ!
◆
でも、誰に何を訴えても無駄だった。
王国は平和で、法律は徹底して守られる。
誰も“ドラゴンを狩ろう”なんて思わない。必要がないからだ。
じゃあ俺は?
この世界に必要とされない異物は、静かに死ねってか?
──ちくしょう。
涙が出そうになった。
でも、代わりにこみ上げたのは、熱だった。
死にたくない。ただ、それだけだ。
家族に会えないまま死んだ俺が、ようやく与えられた新しい人生だ。
ここで終わってたまるか。
「見つけて……倒して……喰うしか、ない……!」
生き延びるために。
世界の理不尽を、力でこじ開けるために。
俺は決意した。
ドラゴンを探し、狩り、喰らい、生き延びる旅を始める。