呪われ勇者を救ったのは王女様でした
この世界は魔物が溢れている。
人類はその魔物たちから襲われないよう群れで生活し、そうして人里を作り上げひっそりと暮らしていたものの、それでも魔物はやってくる。
あまり魔物がいない土地へ流れそこでどうにか安住の地を、と思ったかつての者たちの願い虚しく平和なのは一時だけ。
結局人類の歴史は魔物との戦いであった。
同じ大陸、近しい場所の集落などであれば協力しようもあるのだが、遠い場所との連携は難しい。
結局各地で各々が魔物を対処しなければならず、世界は常に荒れていた。
魔物が脅威である事に変わりはないが、それでも全てが手の打ちようもない強さを持つわけでもない。
一人でもどうにか倒せる魔物から、集団で挑んでも敵わない、なんてものまで。
故に人類は己が所属する町や村の守りを固める事を優先し、次に周辺の魔物の掃討、そこから更にそれら魔物を率いる群れのリーダーのようなものの捜索、とできる事からやっていくしかなかったのである。
単独でやってきても厄介な魔物というのはいるけれど、もっと厄介なのは群れを率いて襲ってくるような魔物だ。更に厄介なのは、その群れをこちらにわかりやすい形で指揮せず襲ってくるタイプの魔物である。
群れのリーダーを倒せばその隙を突く事も可能なのは、人間側も同様なのだけれど。
狡猾な魔物は自らが長である、と知らせるようなわかりやすい真似はせず、ひっそりと隠れ遠くから指示を出している事もあるようなのだ。
その場合、襲ってくる配下の魔物を倒したところで事態はあまり解決したともいえず、次の魔物がやってくるので人類側からすれば疲弊し続けるだけで最悪滅亡の危機にも陥る。
故にリーダーは早急に見つけ出し仕留めなければならなかった。
とある王国でそんな魔物の長が発見されたのは、三年程前の話だ。
集団で襲ってくる魔物が現れたなら、その背後には必ず長の存在があるといってもいい。
大抵はこちらにその存在を気取られぬよう隠れている場合が多いのだが、この時は違った。
まるで自らの存在を誇示するかのようにそいつは姿を現したのだ。
故に、そいつを倒せば今回の魔物の襲撃は終わると思うのは当然の話で。
王国では討伐隊を組む流れになったのだが、しかし王都やその周辺の町や村といった場所の守りも固めなければならない。しかしそうなると、討伐隊として充分な人数を用意する事が難しくなる。
先に討伐隊を組み、魔物の長を倒す事を優先するにしても、その間他の被害が果たしてどれ程までになるのか、皆目見当もつかなかった。
最悪討伐隊が魔物の長を倒すまでの間に、他の魔物たちが各地の町や村を滅ぼすだけではなく、王都にまでその魔の手が及ぶ可能性は充分すぎる程にあった。
そうなってしまえば本末転倒である。
故に王は苦渋の決断として、少数精鋭でのチームを作り、彼らに魔物の長の討伐を託したのである。
――と、まぁ、それが三年程前の話。
彼らは見事やってのけたのである。
魔物の長が倒された事で、魔物たちの統制も崩れ各地で防衛していた者たちもどうにか生き延びることができた。
ある程度の魔物を倒しても、防衛していた者たちでも手に負えない魔物だって中には紛れていたのだ。
それらが長が倒された、となったであろう途端劣勢を悟り撤退してくれたからこそ、人類側もそれ以上大きな犠牲を出す事なく助かったのであった。
魔物たちの構造がどうなっているかはわからないが、遠く離れた場所からでも長からの指示を受け取っているらしいので、長となる個体は確実に特殊な能力を備えている。
と言っても、それらを全て解き明かすのはまだ随分と遠い先の話だろう。
魔物の長を倒し、無事に凱旋を果たした者たちを王は城で労っていた。
特に長を討伐する時に一際活躍したとされている若者――アレンには褒章として王が溺愛している姫を妻にするという栄誉を与えるとまで。
元々魔物の長を退治する前、アレンたちに討伐を命じた際、もし倒すことができたなら姫と結婚する栄誉を与えよう、と軽くではあるが仄めかしてはいたのだ。
そして実際、見事アレンは長を討伐し王国に平和をもたらした。
であるならば、英雄と称しても問題のない彼には最大限の栄誉を与えるべき――というのは王にとって建前である。
実際の本音としては無事に帰ってきたのであれば、まだ彼は使える戦力である。
故郷の村に帰すより、手元に置いていざという時また使える状態にしておいた方が余程有益なのだ。
彼が何事もなく村に帰った後で、また魔物が……なんてことになった場合、改めて討伐部隊を組むだとか、そういった事をしなければならなくなる。
しかし彼を姫の夫とする事で――正直平民の血など我が一族に入れたくはないが――王族の一員という枠組みに収めてしまえば。
次にまた魔物が群れで襲ってきた時、民を守るという名目と王家の者として、という義務感をもってしてアレンを働かせる事ができる。しかも次は褒章など考える必要もない。
何故なら民を守るのは王族としての義務で当たり前の事になるからだ。
それでもあえていうのであれば。
王が溺愛していると言ってもいい姫との結婚を許した、その事実は未来永劫恩に着る程の褒章と言ってもいい。
もし次に魔物が現れて、アレンが討伐に向かったとして。
そこで倒すことができるのなら王家の威信にも影響するし、仮に命を落としても元は平民の男だ。惜しいとも思わない。
それどころか一時とはいえ王家に名を連ねる事ができたのだから、大変栄誉な事だろう。
王がアレンに対して思う感情は、そういったどこまでも相手を利用しようというものでしかなかった。
魔物の長を討伐する、と命じた際、姫がアレンに対して好意的な眼差しを向けていたからこそ結婚を許しもするが、もしそうでなければ別の褒章を与え上手く利用する方法を考えただろう。
アレンの外見は、さながら童話に出てくるような王子をもう少し鍛えたようなものだったからか、どこか夢見がちな姫の心に深く突き刺さったのだと思われる。
見た目が劣っていたのであれば、きっと姫はアレンの存在などただ魔物退治に行く人、くらいの認識できっと名前も憶えなかったに違いないのだ。
姫は王が溺愛した結果、本来ならば将来女王として国を導かねばならないはずがしかしそれだけの才はなかった。ただただ与えられる事が当然だと思い込み、自分の思い通りにならない事は少なくともこの城の中では存在しないのだと信じて疑うことすらなかった。
王がしっかりと姫に将来女王となるべく厳しく教育をしていたのであれば、こんな事にはならなかった。
しかし姫――ハルヴィシアがこうなってしまった原因は、彼女の生い立ちにもあったのだ。
若かりし頃の王は、本来婚約していた令嬢ではない他の娘と恋に落ちた。お忍びで市井に出向いた際に出会った娘。彼女は男爵家の娘であった。男爵家といえども豊かな暮らしを送っているわけでもなかった娘は、お針子のような仕事をするために度々市井のとある店を訪れていたのだ。そこを若かりし頃の王が見初めてしまったというわけである。
何が何でも彼女と結ばれたかった王は、ありとあらゆる手を尽くした。
当時の父王を説得しきれず、それでも諦められず彼は強引とも思える手すら使った。
そうして結果、婚約者であった令嬢との婚約は破棄され、彼の望みの通り男爵令嬢と結ばれる事はできた。
だが――
やはり、正攻法でない手段や方法を使った結果、それらは後になってじわじわと王の治世に翳りを見せるようになった。
父王が決めた、自分の意思の絡まない政略結婚だったからとはいえ、あれは一種の契約であった。それを一方的にぶちこわした彼に、周囲が果たして信頼を寄せるか、となるとまぁ無理だろう。
いつ彼の気まぐれで既に決められていたものを強制的に変更させられるか……
周囲がそう考えるのも無理はない。
単純に庭の花の配置を少し変えたい、とかそういったものであればまだいい。
しかしその時の王の気分でどこかの家を優遇するだとか、挙句その直後にまた手のひらを返したりだとかされては堪ったものではない。ずっと優遇され続ける事ができるようであれば、その家にとってはいいかもしれないが、しかしそのためにどこかの家が割を食う事になればその家がいい感情を持つはずもなく。
気まぐれに振り回され続ければ、いずれ不満は爆発し反乱がおきたっておかしくはない。
その時、反乱を起こす側の周囲に味方が多ければいいが、万一そこまで味方を得られないまま反乱を起こし、結果負けて処刑、なんて事になっても馬鹿馬鹿しい。
だが我慢し続けていつまでも割を食う側にいるのも御免被る。
その気まぐれで法律も気軽に変更されて国の中をしっちゃかめっちゃかにされるような事になるかもしれない……と考えれば、当時の貴族たちが王に信頼を寄せる事などあり得なかったのである。
先王時代から仕えてくれている者たちがいる。そしてそんな者たちの後継者となる者たちも。
そういった者たちがどうにか王が余計な事をしないように時に諫め時にやんわりと別の道を誘導してはいるけれど、彼らがいなければ国はとっくに滅茶苦茶になっていたに違いないのだ。
実際、王はそこまで何もかもその時の気分で決めているわけではないのだが、既に最初の結婚という大きな契約を無理矢理破棄した相手だ。その時の気分で法律も毎日変わったっておかしくはない、くらいに思われるほどまで信頼がなくなっていたのだ。
男爵令嬢であった娘は王妃という立場に戸惑っていた。
好きになって恋をした相手がまさか次期国王である王子だとは思いもよらなかったらしいが、それでもどこか夢見る乙女であった彼女はそんな相手に見初められ自分がお妃様になる、という、それこそ物語のような展開に夢を見てしまったのだろう。
その後訪れる面倒かつ厳しい現実なんて見えてはいなかった。
城での生活はきっと彼女の思い描いていたものとは大きく異なっただろうけれど、礼儀も何もできていない娘を外に出して王家が恥をかくわけにもいかない。
結局、彼女はほぼ幽閉されるような形で押し込められて、必要な時だけ表舞台に引っ張り出されるようなものであった。
そんな彼女が子を孕み、産んで――それがハルヴィシアだ――その直後に儚くなってしまった事で。
王の愛娘への溺愛は、いっそこうなるのが端から目に見えていたとも言える。
そうしてすくすく育ったハルヴィシアは、王が愛した女と似た外見の、王が溺愛した結果夢見がちかつ我儘な娘へと成長した。
率先して周囲を困らせるような真似はしなかったが、しかしそれでも自分の思い通りになって当然、という姫の思考に周囲は常に頭を悩ませていたし、そもそも母親が男爵家の出だ。
仮に彼女が将来女王となるにしても、では王配になるべき相手がものすごく限られてくる。
ハルヴィシアの母の実家など後ろ盾にもならないし、どころかハルヴィシアが産まれる少し前に没落している。そして母も亡くなったとなれば、ハルヴィシアの後ろ盾など無いにも等しい。王家を出たら彼女を守るものなど何もないのだ。王が亡くなればそれこそ本当に何も。
王が愛した女性は確かに美しかった。
どちらかといえば愛らしい、という方が大きかったが、それでも愛らしさの中に美しさもあって、何とも言えない魅力があった。
令嬢が仕事をして生活をしていた、という点でほとんど平民に近しいものではあったけれど、それもあってか頭もそこまで悪いわけではなかったのだ。ただ、本当に物語のような状況に自分が陥った事で夢を見ていたのは否定しないが。
王妃として人前に立つために、と努力もしてはいた。
身につくまでが相当かかると言われていたし、それもあって人前に出るのは最小限だったが。
そうして教育途中で、孕んだため教育は中断され、そうして出産後、体調が思わしくない日々が続き――最終的には儚くなってしまった。
という事もあったので、王は本当にハルヴィシアを溺愛していた。
ちょっとでも彼女が辛い、嫌だ、と思った事はしなくていいと言って、教育もそこそこにしかしていない。
なので女王になって国を導くなどとてもじゃないが無謀すぎるわけで。
将来彼女の伴侶となる者こそが、実質次の王と言ってもいい。女王と言われても完全にお飾りなのは確定である。
だがしかし、見た目もそれなりに良いとはいえ、頭の中身がスッカスカな女王を支える王配など、正直そこまでの魅力はない。
何せ舅に先王がいるとなれば、面倒な事になるのは言うまでもないわけで。
とっとと表舞台から引っ込んでもらおうにも、王にそこまでの瑕疵はない。
強いて言うなら婚約者を捨て男爵令嬢を選んだ事が瑕疵と言えなくもないが、それを今更裁くのは無理がある。
愛娘の幸せを願って自分はどこぞの田舎に引っ込んで……なんて事もせず、王の座を退いたとしてもハルヴィシアの近くに居座り続けるだろう事は多くの貴族家には容易に想像できる事だった。
王配に全てを任せるにしても、そうなれば最悪ハルヴィシアを邪魔者として排除し、労せず新王朝を……なんて事にだってなりかねない。王はその可能性も捨てきれないからこそ、様々な口実を作って城に居続けるだろう。
そんな面倒極まりない女を妻にして王配になったとして、政治に妻の父親がうるさく口出ししてくるだろう事は火を見るよりも明らかだ。そうなれば夫婦そろって前王の傀儡。王配になる旨味など何一つとして存在してはいなかった。
だからこそ王女ハルヴィシアの婚約は今の今まで調う事がなかった。
見た目は愛らしい。けれど王族のくせに教育は最低限、しかも口煩い父親がついてくるとなれば。
愛らしい見た目の妻が欲しければ、他にいくらでもいる。ハルヴィシアでなければならない理由はどこにもない。むしろハルヴィシア以外の令嬢と婚約した方が結婚後、余程マシな――この場合は主に精神面で――生活ができるとわかっているのだ。
婚約を打診されそうだな、と薄々感じ取っていた貴族の家では水面下で急ぎ他の婚約を決めたりして、いざ婚約の打診がされてもその時には「恐れながら既に婚約が決まってしまって……」と逃げ、婚約が決まらなかった場合は健康面で問題があってこれから療養に入る事になりまして、とお断りしていたのである。
なおその健康面に問題が、というのは勿論嘘である。
が、お抱えの医師に診断書を書かせ、実際に数か月療養させ、その間に急ぎ婚約者を見つけ、とやって無事婚約が決まった後は奇跡的な早さで治ったとしてしれっと社交界に戻ってきた。
そんな令息たちが多数発生していたが、しかし王はそれについて何も言えない。
何せ一度、仮病だろうと思って無理に城へ招致した令息が実際に倒れたからだ。こちらは正真正銘療養が必要な相手で、なのに仮病だろうと王が聞く耳持たず城に無理矢理、となった事で正直王家の威信はそこで軽く揺らいだのである。何せその令息は宰相の息子だったので。
王妃を早々に亡くし王一人、というのを支えてきた腹心の部下同然であった宰相の息子相手にそんな事をしたせいで、宰相も危うく王を見限るところであったのだ。
この一件で、いくら仮病に見えようとも他の令息たちにまで同じような事をさせてもしまた同じ事になったなら、と宰相にガッツリ雷を落とされた王は、その実権のいくつかを宰相に抑えられたと言ってもいい。
宰相に見限られてしまえば、王どころかハルヴィシアまでもが危うい立場になる事を王は理解している。だからこそ、これ以上愚かな真似をしないよう一応注意はしているのだ。
せめてハルヴィシアに夫ができれば、まだ多少はマシになるはずだと王は思っている。
欲を言うのならハルヴィシアを愛し、ハルヴィシアのためであればどんな事でも成し遂げられるような、有能な相手が良いのだが、目ぼしい令息たちは既に婚約を決めたどころかとっくに結婚済みである。
将来有望そうな令息を見繕って……とも考えたが、同年代の令息を見繕おうとしていた頃にはほとんどの貴族家が警戒態勢に入っていたので、年下の令息たちもまた早々に婚約者を決めてしまっている。
家によってはハルヴィシアが結婚さえしてしまえば、穏便に婚約を解消しようと取り決めているところも多数存在している。
ハルヴィシア本人が悪いわけではないのだが、生まれ育ちと親が厄ネタのような存在すぎてどうしようもない。
王もそれ故に薄々感じ取ってはいたのだ。
このままでは最愛の娘は結婚できないかもしれない……と。
そこに、身分は平民ではあるが見た目はハルヴィシアにとって好ましく、また強力な魔物を倒すだけの実力を持った青年が現れたのだ。
元が平民であるならば政治の事などわかるまい。
であれば、当面は自分が補佐に回るとか言ってしまえばいい。ハルヴィシアの幸せを身近で見守る事が現状王にとっての幸福なので、引退して田舎に引っ込んで第二の人生を……などという考えはそもそもなかったのだ。
政治の事など何もわからないだろうアレンはハルヴィシアによく仕えるようにとすればいい。
女王も王配もお飾りとか普通に考えたら大問題でしかないが、しかし治世に関しては王と宰相がいれば大抵は事足りる。お飾りの女王を支え国の運営を行う者たちの教育をするくらいの余裕はあるのだ。
面倒な事など何もせず、ただ不自由のない暮らしを行えるように。
政略で愛のない結婚をするよりも、ハルヴィシアが好ましいと思った相手を伴侶にして。
そうして安寧とした生活ができれば、それが最上なのだろうと。
王のその望みを叶えるためには、相当な犠牲が必要になるし、正直未来も薄氷の上を歩くような不確かなものすぎるけれど、しかしそれでも王はどうにかなると信じていた。
魔物退治を命じた際、アレンは褒章としてハルヴィシアとの結婚を……との言葉に最初はあまり乗り気ではなさそうだった。いや、ただ単に恐れ多いと思っていただけだろう。
そう思い込んだ王は、この後起きる悲劇などこれっぽっちも想像していなかったのだ。
――王都から離れた小さな村。
正直これといって目ぼしいものがあるでもない。
日々の糧に困る事はないが、豊かな暮らしができているか、と言われればまぁ微妙。
そんな村の自警団の一人であったアレンには、将来を約束した女性がいた。
同じ村で育った幼馴染であり、恋人になった女性。
そしてもうじき妻になる――はずだった。
結婚式が延期されたのは、国王に呼び出されたからだ。
こんなド田舎で暮らす平民に一体何の用だと思っていたが、呼び出された原因は一年程前に王都で行われた剣術大会に参加した事らしい。
賞金目当てに参加したアレンは、大会でそこそこいい成績を出したのだ。
そのせいで王に目をつけられてしまった。
本来ならば王の目に留まった、というのは栄誉な事なのかもしれないがそれも時と場合による。
何故なら結婚式のための準備をしているところだったのだ。
そんな中、何の用かは知らないが王都への呼び出し。
こちらは平民、あちらは国王。逆らうのは明らかに大問題。
仕方なしに向かえば、なんと最近そこらで猛威を振るい始めた魔物の長の討伐を命じられてしまったではないか。
冗談ではなかった。
いや、魔物に関しては倒す事に文句はない。放置していてもいい事なんて何もないからだ。
今はまだしも、放置した結果そのうち自分の故郷まで危険になったら流石に困る。
他にも大会で好成績を出した相手はいるだろうに、しかしそれらの相手はこの国の騎士が大半で。
彼らは国や重要な場所を守るため長の討伐は難しいと言われ、アレンは特大の貧乏くじを押し付けられてしまった。もし長を倒したならばその暁には我が姫を妻にする栄誉を与えよう、なんて言われて。
うわ、いらね。
危うくアレンの口から特大の不敬が飛び出るところであったわけだ。
だってこちらはもうじき結婚するのだ。
こちらの事情を無視してお姫様を押し付けられたって、アレンからすればぶっちゃけいらない。
大体お姫様を嫁にしてどうしろと。
自分が国王になれるなんて思っていない。
では、姫が自分の住む村にやってくるとでもいうのか。
……いや、マトモな生活できないだろ。
アレンはハルヴィシアと出発前に一言二言程度しか言葉を交わしていなかったが、正直村で暮らすならこいつお荷物にしかなんねぇな、とその少ないやりとりで判断できてしまった。
姫との結婚よりも、大量の食料とか金で褒章支払ってくれた方がとても嬉しい。
とはいえまだその時点で長を倒してはいなかったので、もし倒したならその時に交渉しようと思っていた。倒す前にあれこれ注文をつけてもあちらさんだって話は長を倒してからだ、の一点張りになりそうだし、倒した後なら結果を出した以上こちらの言い分をバッサリ切り捨てるような真似はしないだろう。
とりあえずいくら魔物の長を倒してこいと言われたところでアレン一人で行くのは流石に無謀が過ぎる。
だからこそアレンはまず同じ村で共に暮らしていた幼馴染兼悪友のキールと、キールの恋人であるスザンヌを誘う事にした。
アレンの妻になる予定のノーラは荒事には向いていないので村で大人しく待っていてほしいと伝えて。
国王も流石に一人で行けなんて言わなかったし、こちらからも頼りになる相手を遣わそう、なんて言われてテッドが同伴する事になった。
正直テッドが役に立つとは最初とても思えなかったが、しかし彼は確かに有能だった。
後方支援というか、戦闘以外での支援。宿の手配だとか、道具の買い足しだとか。そういった部分を一手に引き受けてくれたのである。
情報収集などもほぼ有用な情報はテッドが持ってきてくれた。
正直テッドがいなければ魔物の長を倒すまでにはもう少し時間がかかったかもしれない。
長がずっと一か所に陣取って動かない、とかであればいざ知らず、向こうだってそれなりに移動したりしているはずなのだ。それにアレンはまだ長がどんな姿をしているかもわかっていなかった。
長かもしれない、と思った魔物を何度か倒しはしたけれど、そいつらはいずれも長ではなかったのだ。
キールは治癒術師として村でそれなりに重宝されていた。
アレンと一緒になって村の外に狩りに行く時もあったから、弓の扱いにも長けている。
スザンヌは魔術師だ。魔物が数で押し寄せてきたとき、彼女がいるのといないのとでは生き残れるかどうかも大きく変わってくる。
もしかしたら、もっと有能な人材はいたのかもしれない。
けれどもアレンにとってキールとスザンヌはよく共に行動していたからこそ。
最高の仲間であったのだ。
実力がいくら凄くてもアレンたちと上手く連携できない相手なら、いても真価を発揮できない可能性すら有り得る。上手く連携できたとしても、それでもいざという時お互いの命を預け合うのであれば。
アレンが一緒に行動するのはキールとスザンヌ以外考えられなかった。
テッドは戦闘面ではあまり活躍する事がなかったが、アレンたちが戦闘で疲れ果てた後、事後処理やら何やらをする気力も何もない、という時が彼の仕事だったので。
急遽一人増えたといっても、そこまで困る事はなかったしむしろ三人はテッドに色々と助けられてきた。
テッドも勿論アレンが結婚間近だった事を知っていた。
もし長を倒したとして、褒章が姫との結婚と言われていたのも知っていた。
長を倒した後で、褒章を別のものにできないか交渉するつもりだ、とアレンが言っていたのも聞いた。
その上で、多分無理だと思う、とあっさり王家の恥とも言える話をぶっちゃけた。
何故ってテッドは今の王に対して尊敬も何もしていないからだ。
なんだったらかつてハルヴィシアを押し付けられそうになった一人である。
もっというなら、今は治ったけれど当時ちょっとした病気に罹ってふらふらだったところを仮病扱いされて登城しろと言われたので。
どうにか出向いたけれど結局城でバタンと倒れて、あの時は軽く死ぬかと思ったのだ。
確かにあの頃、目ぼしい令息たちは無能王女を宛がわれないためにと急いで婚約しまくっていたし、それができなかった相手は仮病使いまくって逃げたけど。
仮病でもなく実際に健康面で問題があったテッドの事を仮病だと決めつけていたあの節穴EYEを何度えぐり取ってやろうと思った事か。あの時点で父もあのバカ……じゃなかった、国王を見限ってしまえばよかったものを。
かつて、父がまだ若かった頃に王に助けられた事があったとかどうとか言っていたが、結果として自分の息子が死にかけたので、多分ある程度恩は果たしたと思ってはいそうだった。
すぐさま見限るまではいかないあたり、わが父ながらお人好しがすぎると思うけれど。
ともあれ、王家の不良債権王女は王が溺愛している以上他国に嫁に出すとかまずしない。無理。そこまでの教育もされていない。しかも王女は城に来ていたアレンを見て、瞳をキラキラさせていた。ついでに顔もほんのり赤らめていた。間違いなく王女の好みのタイプで、しかも魔物の長を倒せばアレンは英雄みたいな立場である。国を救ってくれた英雄が、自分の夫となるだなんてまるで物語のようね、なんてあの夢見がち王女は思っているに違いない。
王女のいい点はツラの良さだけで、それ以外は特にないどころかマイナス面が多すぎるとテッドはそれ国王が聞いたら一発不敬で即処刑になりそうなくらいダメ出しをしまくった。
なんだったら見た目の良い人形でも作って飾っておいた方がまだマシとまで。
王女は生きてるから余計な事しかしないけど、人形は飾っておいても余計な事はしないのでストレスもないのだと。
テッドの話を聞いていたスザンヌは「そこまで……?」と顔を引きつらせていた。
キールは同情的な目をアレンに向けていた。
魔物の長を倒した後、間違いなく一波乱来そうだと悟ったからだ。
魔物の長がそもそもどこにいるかを探しつつ、居場所を突き止めて倒さなければならないのでそう簡単に終わらないとは思っているが、しかしあまり長引かせるつもりもアレンにはない。
とっとと終わらせて故郷に帰って結婚するためだ。
だが、その為には王女との婚姻を回避する必要がある。
貴族たちは既に婚約が、とか療養していたらどうにも想いを寄せてくれていた令嬢から献身的な看病をされたりした結果回復したので、だとかの理由を作ってしれっと逃れていたがアレンは貴族ではなく平民なので、結婚する予定の女性がいます、なんて言っても王女と結婚する以上の栄誉があるか? だとか、まぁ権力的な意味での圧をかけられるのは言うまでもない。
貴族ならそういった圧をかけたとしても、最悪派閥が一気に王家の敵に回ったりしかねないのであまり無茶はできないが、平民であるなら王の命に従わない方が問題であるだとか言われて謀反を企てているとか無茶な言い分でもって罪人にされる可能性すら有り得る。
そうして論点をすり替えて、あれよあれよと王女との結婚をさせられる可能性もあるぞ、とテッドに言われてアレンはとても悩んだのだ。
王女と結婚した後で自分が故郷に戻ってノーラと結婚しなおす、などできるはずもない。
それ以前に結婚というのはそう何度も気軽にできるものではないので。
魔物の長を探し出して倒すだけのはずが、別の問題も浮上した事でアレンたちは悪あがきというか時間稼ぎをしつつどうするべきか、方法を模索しようとしていたのだ。
結局マトモな答えは出なかったし、そうこうしているうちに魔物の長を見つけてしまったので倒すしかなかったのだけれど。
魔物の長は必ずしも種族が決まっているわけではない。
時としてでっかいスライムだったこともあるし、オークやオーガといった魔物が長だった時もある。
ところがアレンたちが戦った長は、よりにもよってドラゴンだった。
大抵の魔物は人語を解さないが、ドラゴンは別格だった。
流暢に、とは言い難いがそれでも人の言葉を話していた。
知能が高い魔物はただただ厄介で、故にアレンたちは最悪負けて死ぬかもしれないとすら思っていた。
そうでなくともドラゴンなんて、滅多にお目にかかれるものでもない。
歴代の中で最も厄介な魔物の長かもしれない相手との激闘を繰り広げ、それでもどうにか勝利したのは偏にアレンの執念に他ならない。
故郷で待ってるノーラのために、という想いの力だ。これが王女様のために、であったなら多分負けてた。
人語を解する厄介なドラゴンは、死の間際一つの呪いを残した。
一生に一度。
誓った相手。
死。
死ぬ間際だったので余計に片言になっていたが、それでも。
アレンには大変な呪いがかけられてしまったのだ。
「え、つまり今の呪いって……このままアレンが村に帰ってノーラと結婚したら彼女が死ぬって事……!?」
スザンヌの言葉を、誰も否定できなかった。
なーんちゃってー、とスザンヌもまた茶化すほどの余裕はなかった。
割と死闘だったので、正直五体満足でいられるだけでも奇跡だったから。
アレンたちから距離をとって安全な場所にいたテッドはドラゴンの死の間際の言葉を聞いていなかったが、しかしキールから改めて説明されて、しばし考え込んだ。
「どうにか呪いを解く方法はないだろうか」
「呪った相手が生きてたら解呪のしようもあるでしょう。ですが既に死んでいるんですよね……?」
「そんな……それじゃあどうしたら」
「あ、大丈夫です。多分その呪い一回発動したらそこで終わるはずなのでそこまで心配するもんじゃない」
苦悩するアレンに、しかしテッドは最初こそ神妙に話していたが、すぐさま普段の口調に戻る。
まさか此度の魔物の長がドラゴンであるとは思いもしていなかったテッドだが、呪いの内容は大体把握した。次期宰相として、療養が終わった後は父の仕事を手伝う、というかもうぶっちゃけると王の尻拭いみたいな事をしていた有能なテッドは、あっさりと解決策をたたき出した。
それはある意味悪魔の囁きと言えたかもしれない。
テッドの口から解決策を聞いたアレンたちは思わず顔を見合わせて。
「それ本当にいいのか?」
「つーか可哀そうじゃないか、それは」
「え、本気で……?」
大層困惑したのである。
「事情説明の手紙は自分が。ノーラさんに誠心誠意説明しておきます」
そんな三人に対してテッドはそう言って。
その言葉にテッドの先程の案は冗談でも何でもなく本気なのだと三人は悟ったのだ。
さてそうして魔物の長を討伐し凱旋したアレンには、言葉通り王女との結婚が褒美として与えられた。
普通に考えたら罰ゲームだ。アレンには心に決めた人がいるのだから。
けれども、その彼女と結ばれるためには仕方がない。そう、割り切ったのだ。
一応、念のため、褒章の件でアレンはそのような恐れ多いものではなく、もっと細やかなものでいい、とやんわりと。本当にやんわりと別の物を希望したのだ。具体的には物資とか。
村で生活していくにしても、いくつかの生活に使われる道具は古くなってきているし、しかし新しくしようにも……といった物がいくつかあったので。贅沢は言わんが農具とか、村で皆で使うようなものとかちょっといいやつくれないかな、みたいに。
だがしかしテッドの言った通り、王は王女との結婚を撤回させるような事は言わなかった。
ハルヴィシアもまた見事英雄となって凱旋したアレンに熱い視線を送り、彼が自分の夫となる事を信じて疑う事もなく。
それどころか、故郷に恋人が……なんて言えばただの村娘と王女である自分、比べる必要もないでしょう、などと。更にはまだ結婚もしておらず、挙句三年も経ったならもう他の人とくっついているのではなくて? なんて。
待たせる結果を作った元凶がしれっと言ってのけたので、アレンの心は決まったのである。
端的に申し上げるのであれば。
王も王女もくそだな、と。
周囲では家臣たちが満足そうに頷いていた。
過ぎた褒美だろう光栄に思え、とばかりに。
事故物件押し付けといて何をお前ら……とアレンが内心で毒づいていても知ったこっちゃないとばかりに。
ついでに宰相も同じように頷いていたが、しかし彼だけは既にテッドから概要を聞かされている。
宰相の頷きは、仕方ないからやっちまいなー、のGOサインであった。
まさかここで王も宰相が自分たちに見切りをつけたとは思っていなかったのか、皆が祝福しているとばかりに満足そうに愛娘と微笑み合ったのである。
「――と、まぁ、こうしてかつての王国は滅んで、新しい国ができたのよ」
「えっ、どういう事おかあさん、どうしてそれで国が滅んじゃうの?」
「王様はね、その後自分が大切にしていた王女が死んで発狂したの。その後はもう国を導くなんてできそうになかったから。それに、元々決められていたはずの婚約を台無しにして後ろ盾もロクにない女性と結婚して、その妻がすぐに亡くなったからって残された娘を大事にするのはわかる。でも、甘やかすだけ甘やかしてきちんとした教育をしなかったから。
そのせいで余計に家臣たちの王家への忠誠心は下がっていく一方だったの。
それに、いくら防衛のためとはいえ、魔物の長に挑ませるくらいできたはずなのよ。騎士団だって。けれども彼らは王家や民を守るため防衛に回る、なんて言って誰も行こうとしなかった。
だから、かつて剣術大会でそこそこの成績をおさめた平民に目を付けたの。
もしそれで負けたとしても、彼らに直接的な打撃はない。失ってもいい人材。
そうして時間を少しでも稼いで、戦力を整えようって考えていたにしても。
その平民が結果を出してしまった事で、騎士団の面目も潰されたようなもの。
そういった色んな事があって、かつての王国の中でも比較的マトモな貴族は実はとっくに見限っていたのよ」
「それで、新しい国ができちゃうの?」
「できちゃったのよ。かつての王家の血筋に国を任せられない。王様の親戚、臣籍降下した人たちとかもね、後釜になってもでもあの国王の血筋か、みたいに見られるとなればとてもじゃないけどやってられない。
何をするにも以前の駄目な王様と比べられて、成功しているうちはいいけどちょっとでも失敗したらやっぱりな、みたいに思われるもの。
そういうのもあって、宰相閣下が選んだ新たなお相手が今の国の王様になったの」
「ふぅん?」
「ミリウ、他人事みたいにしてるけど、元はと言えば貴方が言い出したのよ?
もっとお姫様みたいに扱ってほしいって」
「だぁってぇ」
「私もお父さんも貴方の事は大切に思っているし、だからこそ厳しくすることもある。それに対して不満を持つのも仕方がないけれど、貴方の言うお姫様みたいに、ってさっきの国王の愛娘に対するような扱いだったら、今言ったみたいに最期はろくでもない事になるのよ?」
「それはヤだなぁ」
「王女様だって、もっとちゃんと教育を受けていたらいくら英雄になったとはいえ平民との結婚をしても自分に未来はないって気づけたはずなの。だって自分が女王になっても夫が頼りにならないなら、どうやって国を導いていくというの? 周囲が何でもしてくれる、って思いこんでいたから、自分の足元がすっかり崩れていても気付けなかったのよ」
「うーん、そう考えると王女様だからっていいものでもないんだね」
「そうね。周囲が傅いて何でもしてくれるのはあくまでも王女という身分だから相応の扱いになってるだけで、心からあの人のためにお仕えしよう、っていう人はいなかった。悲しい事にね。
甘やかすだけで必要な教育を与えなかった父親だけが、王女様の味方だったかもしれないけれど、でもいつか、父親は先に死ぬ。たった一人になってしまった後で頼りになる味方がいないという事に王女様は気付かなかった。自分の夫になる人は自分の事を愛していると信じて疑っていなかった。愛してもらえる程お互い理解し合えるような何かがあったわけでもないのに」
「お姫様なのに、お父さん以外誰も?」
「お姫様なのに王族として必要な教育もされていない我儘な人だったから。お友達だっていなかったのよ」
「そっかあ」
「ミリウ、いくらお父さんやお母さんが貴方の事を大切にしていて愛してる、貴方は私たちのお姫様よ、って言ったからって、貴方の思うお姫様扱いはだからこそできないわ。
私たちは貴方の事をハルヴィシア王女みたいにしたくないもの」
「……うん、わかった」
「そう。それじゃ、出された課題はちゃんとやるのよ?」
「はぁい」
あまりやる気のない声で、しかしそれでも返事をするとミリウはくるりと背を向けて部屋に戻って行った。それを見送ったノーラは、ふぅ、と小さく息を吐いて肩をすくめる。
ノーラの元に手紙が届いたあの日の事は、今でも忘れられない。
魔物の長を討伐するためにと王から命じられたかつての恋人にして現夫であるアレンは、三年程魔物退治に勤しんで、そうしてどうにか長を倒した。
正直そこら辺は全然心配していなかった。幼馴染のキールとスザンヌも一緒だったから。
あの三人が揃っていて負けるようなら、じゃあきっと誰が挑んでも結果は同じだ。ノーラはそう信じていた。
きっと、王家に仕えている騎士団の方がアレンたちより強いとしても。
それでも、最後に生きている方が勝ち、という勝負であれば勝つのはアレンたちだとノーラは信じていたから。
実際アレンたちは見事勝利した。
結果、余計な褒章がついてくる事になった、らしい。
手紙には、三年も待たせてしまってすまないという謝罪もあったが、そもそもその手紙を書いた人物はアレンではなく彼らに同行したテッドという青年だった。
丁寧な文字で事情が綴られた手紙には、アレンは一度結婚式を行う事と、けれどその結婚はすぐになかった事になるというノーラにしてみれば意味がわからないもの。
その後すぐに国の名前が変わって、国王も変わるというそれ今ここで私が知って大丈夫な情報……!? と困惑するしかない内容が記されていた。
わけがわからなすぎて村長さんに相談しようかと思ったくらいだけれど、内容が内容だけに下手に周囲に漏れたら大変な事になるんじゃないかと思って、ノーラはただその手紙の内容を自分の中だけに留めておいた。
噂で魔物の長を倒した英雄と王女様が結婚した、というものが聞こえた時には不安で仕方がなかったけれど、それでも手紙に嘘がないのであれば。
きっともうすぐアレンが帰ってくるはずだから。
そうしてしばらくして、アレンは無事に帰ってきた。ともに旅立ったキールとスザンヌも一緒に。
手紙には必要最低限の情報しかなかったから、改めて三名の口から真相を聞いたのだ。
魔物の長がドラゴンであった事も。
そのドラゴンが死の間際アレンに呪いをかけた事も。
その呪いは伴侶を死に至らしめるものだという事も。
ハルヴィシア王女とアレンとの結婚式は盛大に行われた。
贅を尽くしたと言っても過言ではない程盛大な式は、アレンからすればもう一度やろうと思ったってできないだろう。まさに一生に一度のもので。
そこで、アレンはハルヴィシア王女と誓いのキスをした。といっても、アレン曰く唇の端ギリギリをかすめる程度のものだとの事だが。
慌てふためいて弁明するアレンに、思うところがないわけではなかったがそれでもノーラはじっと話に耳を傾けた。
そうして式を終えて、初夜に――至る前に、ハルヴィシアは呪いによって命を落とした。
それは丁度ハルヴィシアの父でもある国王と二人、親子として語らっている真っ最中におきた出来事で、目の前で突然命を落とした愛娘に何もできなかった王は現実をうまく認識できず発狂したらしい。
その後は事前にテッドが根回ししておいたので宰相やその仲間たちが速やかに行動に移り――かくして、一つの王朝は終わりを迎えた。
アレンと二人きりの時にハルヴィシアが命を落としていたのなら、アレンが何もしていないと言ったところで彼が殺したとされただろう。けれどもハルヴィシアが命を落とした時一緒にいたのは国王で、またハルヴィシアに毒が盛られた形跡も勿論ない。誰かに言いがかりをつけて怒りの矛先を作り出す事もできず、現実を上手く消化できないまま新たに国を興すと宣言した宰相たちによって、王は城に存在する心を病んだ王族たちを閉じ込めるための塔へと押し込められたのである。
その後、まぁいくつかの事後処理を手伝ってからこうしてアレンたちは故郷へ帰ってきた、という話だった。
なおその途中、テッドが療養していた時に知り合った老婆が王都に訪れていて、その老婆が高名な魔女であるという事で確認してもらったところ。
アレンにかけられた呪いは既に消えていたとの事。
魔女曰く、ドラゴンというのは番を作れば一生その番と寄り添って生きるのだという。
番が死んだ後、新たな番を作るという事もなく。
人語を解するとはいえ、恐らくそこまで人間の事に詳しいわけではなかったドラゴンは故に自分を打ち倒したアレンもまた番は生涯に一人だけだと思い込んだ可能性が高い。
実際ハルヴィシアが割り込まなければ確かにアレンにとってのただ一人はノーラなので、間違ってはいないのだが……
ともあれ、既に伴侶となった相手が死んだ事で、呪いは解けた、と魔女は太鼓判を押したのだ。
憂いは断たれたとの事。
それを聞かされたノーラとしては釈然としない部分だって勿論ある。
どうしてアレンと結婚したのが自分じゃなくて王女なのか、とか。
いやわかっている。わかっているが、それでも心の中で最初の相手が自分じゃない、というそこだけがノーラには引っかかってしまったのである。
唇の端とはいえ誓いのキスをした、というのも気に入らない。
だがそれを言えば、ノーラと最初に結婚したら死ぬのはノーラだし、そんなのはアレンにとって耐えられないし、唇の端ギリギリのキスなんてキスしたうちに入らないよそれ言ったら村の皆で面倒見てる犬のポチとの方がもっと熱烈なキスしちゃってるだろ、あいつは顔面全体舐めてくるからキスともまた違うけど! と力説された。
それを聞いたノーラはすっかり毒気を抜かれてしまって、嫉妬しかけてた心もすっかりと落ち着いてしまった。
だってどう見ても聞いてもアレンの中ではポチよりも王女様の方が扱いが下すぎたので。
いやまぁ、いくら豪華な品でも本人がいらなきゃそれってただの豪華なゴミだからな、っていうキールの補足にスザンヌが軽く肘を入れて突っ込んでいたけれど。
それに、ノーラだって王女様っていうからそれなりの扱いをしなければならない、と建前で思ってはいるけれど、本音を述べるのであれば。
勝手に人の恋人を奪おうとした泥棒猫である。それも権力を用いて。
そこに、平民は一方的に毟り取られていろ、という思惑のようなものをどうしても感じてしまって、ふざけんじゃねぇぞ無能な権力者め、と殺意すら芽生える始末。
一応相手が権力者だからそれなりの建前で接しておこうとか、そういった扱いをしようと思ってはいるけれど、しかし内心は尊敬も何もできないし、ノーラから大切な人を奪おうとしている時点で煌びやかな強盗みたいなものだ。
キールの豪華なゴミ、という言い分をまったく否定できなかった。
きっとそれはスザンヌも一緒で。
だから、彼女の肘での突っ込みはいつもと比べて全然鋭さの欠片もなかった。
そうだ。
大体マトモな王女様なら、いい年なんだし婚約者だってとっくにいてもおかしくなかった。
マトモな教育を受けさせてもらえなかった、という部分はもしかしたら同情すべき点かもしれない。馬鹿だと搾取される一方なんていうのは平民だってよくある話だ。文字が読めないと、商売の時どんな不利な条件を契約書に盛り込まれるかわかったものではないし、計算だってある程度できなかったら物を買う時にぼったくられてもわからない。
ノーラだって正直勉強とか面倒だししたくない気持ちはあるけれど、しかし勉強しておかないと後で困るのは自分だ。知らぬ間に他人に自分の人生を食い荒らされるかもしれないとなれば、最低限の知識はどうしたって必要になる。
なら、尚更王族であるのなら。
いくら面倒でつまらないお勉強であっても、王女様はやり遂げるべきだったはずだ。
王女として堂々と外に出しても恥ずかしくないレディだと思われていたならば、令息たちだって一斉に求婚してたかもしれないし、国内以外の素敵な王族との結婚だってあったかもしれないのだ。
本来王女様というくらいなのだから、きっとノーラ達以上に選択肢は多数あったはずなのに。
けれども親の甘やかしと自らの怠慢によって、選択肢をたくさん潰してきたからこそ。
最期はこうなってしまった。
無能な権力者なんて、利用できる場面がなければ本当にただのお荷物でしかない。
アレンとの結婚を無理に望まなければ呪いを解くための犠牲になんてならなかった。
そもそも魔物の長の討伐にアレンを任命しなければ。
もし普通に騎士団の中の誰かを選んでいたのなら。
負けていた可能性も確かに存在する。けれど、もし勝ったとして、呪われたとしても。
実力のある騎士の年齢は大抵王女の年を上回っているから王女との結婚を、なんて褒章にもならず、もし結婚していたならその騎士の妻が死んでいたかもしれないが、それでも王女は被害に遭う事はなかった。
討伐を命じたアレンの年齢が王女とほぼ変わらぬ若い男であったこと、そしてアレンの外見が王女の好みであった事。それがきっと王女にとっての幸運で最大の不幸だった。
アレンの見た目が王女の好みでなければ、もしかしたら他の褒章で済まされた可能性は確かにあるので。
とはいえ、テッド曰く適当に爵位与えられて使い潰される可能性は完全には消えなかったそうだけど。
王女様がもっと賢く現実を見据えてくれていたのなら、別の未来があったはずだ。
「こどもが産まれたら、教育はきちんとしないとね……」
だからこそ、ノーラはそう決意した。
そうしてキールとスザンヌが結婚する時に一緒に村で合同結婚式を挙げてその後生まれた娘には、手を抜くことなく勉強をさせていたのである。
ノーラにとってハルヴィシア王女の事は、アレンを奪おうとした女、という認識でしかないけれど。
けれどそれでも、ドラゴンにかけられた呪いの犠牲になってくれた……まぁ、とても良く言えば恩人でもある。もし王女がアレンとの結婚を望んだりしていなければ、故郷に帰ってきたアレンとノーラはすぐに結婚するわけにもいかず、呪いを解く方法を探していた事だろう。
どうにか呪いの抜け穴がないかと藻掻いたに違いない。
もし呪いがそのままであったなら、アレンとの結婚をアレンの方が諦めていたはずだ。ノーラは呪いで死んでも構わないくらいにアレンが好きだけど、だが結婚したらノーラが死ぬとなればアレンが傷つく。
死ぬとわかって結婚なんてできるか、と言うのが目に見えていた。
それもあったからこそ、知らなかったとはいえ犠牲になってくれた顔も見たことのない王女の事が、とっても嫌いだけれども。
でも、それでも。
命日であろう日にだけは、とりあえず花を捧げて冥福を祈るくらいはしてもいいかな、と思っているのである。王女様の個人的な情報なんてほとんど知らないので、彼女が好きな花なんて知らない。
でもまぁ、お墓なんてないけど、まぁ気持ち的にお供えするなら白いユリでいいでしょ、と大層雑な感想でもって。
アレンとノーラ、それから娘のミリウが暮らす家の庭の一画で白いユリが育てられているのであった。
次回短編予告
廃嫡された王子の何の捻りもない話。
文字数は今回よりちょっと少なめ。