1 迷宮館の住人
創造的な力は最高の人間の力である。それは決して基礎づけられたり、習得されたりしないが、私はどんな人間もそれを身につけており、神との真の類似性―あるいは神との同一性でさえ―がその中に含まれていると確信している。 ーミヒャエル=エンデ
「やれやれ、とうとうこの俺もここまでか・・・。」
男は銃を片手に敵の方をグッと睨みながら持ったままゆっくりと両手を上げる。
「銃を捨てろ!」
いかにも悪そうな顔の敵が部下を引き連れて迫る。
男の傷ついた額に一筋の汗・・・。
後ろには壁・・・。
まさに絶体絶命!
・・・男がとった行動は本当に瞬間的なものであった。素早く銃を構えたかと思うと目にも止まらぬ速さで敵の側近の額を打ち抜き敵たちが銃を構える瞬間に後退りをしたかと思うと後ろの壁をグッと押した。すると、壁に小さい空間がぽっかりと開いて、男はその一刹那の間にそこに身を身を滑り込ませた! 隠し戸になっていたのである・・・。敵のボスは「奴を逃すな!」と狼狽気味に言い放ったが、もう遅い・・・。
男の捨て台詞が残る
「残念だったな。俺が死ぬのはここじゃない。」
to be continued
キラキラと目を輝かせてテレビ画面を食い入るように見つめていた筏行雄は「え〜、ここで終わるぅ〜?」と残念そうに項垂れた。
彼が見ていたのはガンアクションが派手な「irrational signal」という見たこともない海外俳優が演っているドラマらしきものの日本語版だった。深夜帯にテレビに放送されているドラマ?で人気なのか、そうでないのかもわからない感じでとりあえず同級生の中でこのドラマ?を知っているのは行雄だけらしかった。ただ、行雄はその荒の目立つようなストーリーも妙にリアルな演技も気に入っていた。他のどの映画よりもスリル満点だった。次の放送日は一週間後。彼の家は新聞をとっているわけではなかったので、なんとなく見ているうちに毎水曜日の2時に放送していることを把握した。「来週までこの寂しさと空虚感をどうしたらいいんだ」、と嘆きながら行雄は何気に時計を見た。
3時。もちろん、朝の、である。外はまだまだ暗い。白色の薄いレースカーテンを開けて外の様子を見たい気もするが、何やら最近、物騒な事件が近隣で起こったというので実行するのはなんだか気が引けた。それにこの間、近所で水曜日の3時過ぎに行雄の窓から見える街灯が規則的についたり消えたりしているというちょっとした都市伝説が近所のおばさん由来で行雄の耳にも届いていた。やはり早朝独特の澄んだ空気が密かに立ち込めている外の様子を見てみたい好奇心はあるものの、少し怖い。行雄は窓まで近づいていったがすぐに引き返し、リビングのこたつの中に戻った。
「ここまで来れば、」とこたつの毛布に埋もれながら行雄は考えた。「20日間分溜め込んでいる宿題をやればちょうど朝食の時間になるのでは・・・? 」
不登校がちな中学2年生である彼の時間はほぼ際限なき存在といえた。そのような時間の感覚で捉えると彼のこの時間に宿題をやるという選択は意外にも効率的な選択と言えるかもしれなかった。
朝の6時半。家族が起き出した。行雄は宿題を相棒のchat gptくんに手伝ってもらい、文章をツギハギしてすでに完了させていた。
「おはよう〜。ってあんたこんな朝に宿題してんの?!早起きなんて珍しいわね〜、母さん感心〜!」
母親の筏圭が寝ぼけた半目状態でボサボサの頭のまま行雄のいるリビングに姿を現す。奔放な性格の持ち主である彼の母親は行雄の不登校グセを若干気にかけているものの、説教はあまりしなかった。 やばい、夜更かしが過ぎて今に至っていることが知れたら流石に何か言われるに決まってる!そう思った行雄は若干うわずった声で、そ、そうだろ〜今日は学校に行くからね・・・ははは、、、と言った。
・・・しまった!と思ったがもう遅い。母親たるもの、いくら寝ぼけているとはいえこの言葉は聞き逃さず、目を輝かせて「まあ、いい子ね!早速お弁当の準備をしなくっちゃ!」と満面の笑みである。しばらくして父親である筏文夫、妹である筏流美が起きてきた。父は行雄の登校にあまり無関心で無反応であったが、妹には兄の登校というのは衝撃ニュースらしく、大袈裟に身振り手振りをつけて 「ま、じ、で!あのにいちゃんが学校に!」と驚いてみせた。兄である行雄は、「うんうんそんなこと言わなきゃよかった」と深く後悔した。
・・・かくして、30日間に及ぶ行雄の長期現実逃避はここに一旦の終焉を迎えたのであった。
朝の7時。行雄は家を久しぶりに出た。2月初めで日の出は遅いものの、流石にもう明るかった。さあ、行くか、と行雄は深呼吸する。まだそれほど車の排気ガスに汚されていない空気がひんやりと肺に心地よく入ってくる。前に進み出してはいるがその足取りはけして軽くない。中学2年の二月はもう高校受験の年である。そろそろ勇気を出さなければならないことも行雄は十分に理解していた。ぐずぐず引き下がっても、時間は経過する。そしていやでも前に進まなければなるまい。そう、際限なき存在などでは決してないのだ。
少し歩いて振り返ると行雄たちの住む外見上随分古びてはいるものの、内部は新品のように綺麗な、そして部屋がとりあえず多過ぎる迷宮のような巨大な木造の家がある。随分昔に行雄の大工で変わり者の祖父が1人で20年以上の歳月をかけて密かに建てたらしく、少々不可解な間取りもある家だった。それを見て行雄はため息をついた。父や母には言わないが密かにこの家を憎んでいるのだ。というのも、ここには半ば無理矢理に2年前に引っ越さなければならなくなったからである。なんでも、祖父がなくなったその時にはこの家に家族で引っ越してくること、と前々から祖父より直に母が言われていたらしい。しかし、祖父が亡くなったのはあまりにも急であったため、行雄と流美にとっては甚だ迷惑な話であった。
いざ引っ越しとなる時小学校の時までの友人とは別の学区になってしまうので多分ぼっちになってしまうだろうことは予想できていたが、実際入学してみると想定以上に悲しみの感情や寂寥の感情が行雄を襲うことになったのであった。そのため、学校に行くことを半ば放棄し、「自分のやりたいこと」を見つけることから始めることにしたのであった。そうしてその「やりたいこと」のために学校に行く必要性が感じられたのならば、目的のためにぼっちを我慢して努力することもできるだろうと考えていた。しかし、結果的にはただ半分不登校になり気味になっている一生徒という存在にしかなり得ずにいる。そのことに行雄自身も、はや気づきかけてはいるが、なかなかその状況を脱出できずにいるのだ。目下、そうした状態にいるから行雄は、自分と同じように見知らぬ人ばかりの中、楽しそうに学校に通う2つ下の妹を尊敬していた。そして、来年同じ中学校に来るのを待望していた。
話を「行雄の家について」に戻そう。とりあえず、行雄たち4人家族にとっては大きすぎるし、また果てしなく部屋がある複雑な構造のある家だった。母によると祖父が生前、地下室がどうのこうのという話をしているのを聞いたことがあるらしかったので多分見つけられてはいないものの地下室はあるらしかった。また、不可解な部屋がいくつか存在している。この家、全ての部屋に鍵がついているのだがいくつかの部屋だけその鍵がないのだ。そのため、入ろうにも入れずにいる。現在行雄たち一家は三階+地下?という構造のこの家のうち一階と二階のキッチン部屋、お風呂部屋、トイレ部屋を含めた10部屋のみを使用している。確認出来ている部屋だけでも20はあるから実にその半数以下の部屋しか使っていないことになる。最も部屋によって大小はあるから、空間としては半分以上実際に住んでいる身としてはその間取りの全貌が気になるのだが、祖父が建てたのちに見取り図を完全に焼却したらしく、迷宮館は依然迷宮館の体裁を保っている。まあ、そのような館なのだ。行雄の祖父は亡くなる少し前まで、この家の内部を作り直しをするなどしながら住んでいたらしいが、一体どこに住んでいたのだろうか?と問いたくなるほど内部は綺麗であった。
行雄がいくらゆっくりと足を進めたと言っても学校には始業前につくはずであった。というのも行雄の家から中学校までの距離は徒歩にして約15分と言った距離にあった。徒歩にしては意外に距離があるようではあるが、せいぜい1キロくらいなものだろう。学校までの行く道には取り立てて挙げるような建物やスポットはない。キリスト教会と日本式の神社と古めかしいが大きな寺院があるくらいなものだった。それ以外は地元にある薄汚れたサインポールを軒先に掲げた個人経営の美容院、今もやっているのかわからないフィルム現像受付看板のあるこれもまた個人経営の写真屋店、一見普通の一軒家のような居酒屋・・・といった具合の寂れた建物たちである。そして道は狭い。電線に反射したまだオレンジ色の朝日が街並みの様子から逆に夕陽を連想させる。そして行雄もすでに家に帰りたい気分であった。「ちっ、なんであんなこと言ったかなぁ。昨日は寝てないから、これから寝るとこだったのにな〜」つくづく後悔している様子である。行雄は今時の子供にとっては絶滅危惧種に当たるスマホを持たない主義の人間であった。しかし、パソコンは持っている。そのため現在同世代になにが流行っているのかくらいは把握していた。「もしも友達と呼べる存在ができるとしたら・・・」、そのための話題も十分に持っていた。「そんなの、できるわけないか」行雄は学校に行かなかった代わりに、十分に諦念観を成長させていた。
こうして、ネガティブな気持ちでゆっくりと歩きそこを曲がってしまえば学校まであと半分という曲がり角を曲がった時だった。眼前にありえない光景が広がっていたのだった。
赤。血。危険。そんな情報が行雄の頭の回路をショートさせた。行雄のうんざりしたような半目は大きく見開かれた。・・・驚愕と恐怖。いや、中学生の持ち得る語彙では到底表せまい。
傾いた朝日の斜陽に照らされて、ぬらぬらと愚鈍な光を発しているのは血だまりであった。それに反射している歪んだ太陽・・・。無残にも大きく抉られている、かつて同じ制服を着、学校に通っていた生徒であったモノの残骸。そして、その傍に血を滴らせた錆だらけの大斧を持つ巨大な体躯の男の、返り血がべっとりとついたままでニタニタ笑っている横顔を筏行雄、ただ1人が目撃したのだった。
男が狂人めいた独特の光を宿した目をゆっくりとこちらにむける。いよいよ眩しさを増してきた太陽の反対側で男の表情が闇に飲まれる。長すぎる、そして大きすぎるゆらめく影がじりじりとこちらに侵食を重ねる。何もかにもが麻痺してしまった行雄は固まったまま動けない。
と、男が足早になる。行雄はバランスを崩したマネキンのように自我を忘却している。男が斧を振りかざし行雄の足元を掠らせアスファルトを抉る! ・・・行雄はやっと自我を取り戻した。
逃げなければ!生きなければ!
太い声がぐわんぐわんと頭でこだまする。行雄は溺れているかのような動きで無我夢中に後ろに逃げる。しかし、男の動きも早い。段々と差を詰められる。何かに躓き、こけた。膝が熱くなる。足が痛む。「もうムリだっ!オレの人生は結局逃げ続けた人生だったんだ、、、」
ふりかえるとギラギラと目を光らせた男が好物の獲物を見つけたかのようにニタニタを笑いながらヨダレを垂らしている。
まさに絶体絶命!
「やれやれ、とうとうこの俺もここまでか・・・。」
こんな時だというのに、思い浮かんだのは先刻のドラマである。
隠し戸!
行雄は地面に這いつくばりながら藁にも縋る思いで目の前のマンホールをめいいっぱい叩いた。
「筏行雄トニンシキ。シンパクスウ、コキュウリョウカラ緊急信号ヲ察知、緊急ゲートヲヒラキマス」
どこからともなく、声が聞こえたその瞬間、行雄のいる部分の地面がぽっかりと穴が開き、行雄はその中に落ちていった。そして「緊急ゲート」はまた元の地面のように戻った。
男は目の前で起こったことが理解できずにいたが、まんまと獲物に逃げられたことだけはわかったらしい。怒りで肩を振るわせながら、ゔぉおぉぉぉと叫び声をあげた。
行雄はそれを地下の暗がりの中で聞く。かなり落ちたようだが不思議と痛みはなかった。
「残念だったな。俺が死ぬのはここじゃない。」
ドラマの言葉をつぶやいた。不撓不屈の主人公のように…
行雄は真っ暗闇の中を手探りで確認する。パチっ。電灯がつく。照らし出されたのは気も遠くなるような長さで低い傾斜の階段であった。それを登れば真に助かる、行雄はその直感に従って登っていった。
どれくらい登っただろうか?ついに最後まで登り切った。ゴールはなんだか見覚えのある戸である。ガチャ。
開けた先は…自宅の中だった。 (続く)