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HUG - RTA 初日通常EDチャート

作者: 雪夜小路

0.カウントダウン


 VR RPG「HUG」


 世界で初めての没入型VRゲーム。

 HUG――名前どおり抱擁した相手の温もりさえ感じられるリアリティを売りにしたものだ。

 実際は英語の頭文字を3つ取って「HUG」のはずなのだが、この名前で呼ぶ者は少ない。


 ファンからの通称は“BUG”。


 世界初の没入型VRゲームには、当然のごとくバグも凄まじい数があった。

 さらに他ゲームへの派生目的のためか運営すらバグを許容し、様々なシステムをこのBUGに盛り込んでいった。


 そのため“HUGで手に汗握る冒険を”というキャッチコピーも、“BUGで手に汗握る実験を”と揶揄されているくらいである。

 しかも発売から五年近く経つが、いまだに新規アップデートがされる。バグの修正ではなく、新コンテンツの導入。もちろん他のゲームで実装するための試験として。


 昨日も半年ぶりに新たなシステムが導入された。


 今回の導入項目は、ずばりメインキャラとのおしゃべり。

 要するにメインキャラのトーク部分にAIが導入され、よりキャラを身近に感じられる会話が可能になるというものだ。

 「今さらAIとトーク?」という話だが、割と待ち望まれていた機能なので文句はない。

 キャラにHUGをしたときの機械的な反応に飽きを感じていたファンも多かった。


 俺も今まで覚えてきた無機物との台詞を更新すべく新世界に挑む。


 なお、普通に攻略しても面白くないので、初日での通常EDクリアを目指す。

 俗に言う“初日通常EDチャート”で攻略していく。



 俺はさっそくAIをギアを装着し、BUGにダイブしていく。


 主人公の選択画面から、名前の決定。

 ここはいつもの「 (スペース)」にする。


 次いで容姿をデフォルトで選択。声もそのまま。

 表情機能をカットしておくことも忘れない。


「さて、いくか。カウント開始」


 俺も昔はこのHUGのRTAをしていたこともあり、開始はカウントダウンをする癖ができてしまっている。


「3、2、1」


 起動。




1.召喚 ⇒ 姫の私室


「勇者よ。お目覚めください。勇者。――召喚にお招き応じていただきありがとうございます。さっそくですが貴方の名前をお教えください」


 純白の聖法衣に身を包んだ女性が光から現れた男に名前を問う。

 男は無表情のまま答えた。


「名前は です」

「 。勇者 ですね。…… ? すみません、勇者、もう一度名前をお願いできますか」

「 ですよ」

「……?  ?」


 姫が口を開いたままかたまる。

 発音ができないどころか発音すらない。

 一方で勇者は驚いた口調で返す。しかし表情はない。


「おお、すごい。本当に人格があるみたいな反応」

「人格? 勇者よ――」

「召喚に成功したか! ここは話すべき場にあらず、さあ、勇者よ。ついてまいれ!」


 精悍な男付きの男が勇者と姫を示す。王であった。


 王が部屋の扉を開けて外に出る。

 続けて、姫と周囲の兵士たちに促されて勇者も召喚の部屋の出口へむかう。



 勇者は兵士たちに囲まれて召喚の部屋を出た。

 兵士たちの隙間から勇者は囲いから出ようとするが、兵士が勇者に声をかける。


「勝手な真似をするな。我々に付いて――」

「ここでエモーションを開いて閉じる、と」


 勇者の頭上に“(*^o^*)”の顔文字が出てすぐに消える。

 先ほどまで勇者に声をかけていた兵士が何事もなかったかのように廊下を進んでいく。


 勇者は廊下に取り残された。


「え? どうしてですか?」


 姫も一緒に取り残された。


 姫は混乱している。

 勇者を謁見の間まで案内する流れのはずだ。

 兵士には勇者を案内する役目が与えられ、ここで勇者を取り残すことは許されない。


「さっそく移動っと」

「待って」


 姫が声をかけるが勇者は待たない。

 廊下を迷いなくどんどんと先に進んでいく。我が家のようである。


「待って。待ちなさい。勇者」


 勇者が立ち止まったのはある部屋の前。

 その部屋は事もあろうか姫の私室であった。

 扉の前には当然、守護兵が立ち、関係者以外の立入を禁じている。


「止まれ! ここは――」

“(*^o^*)”


 声をかけた兵士が、何事もなかったかのように元に戻る。

 勇者は姫の私室の扉に手をかけて開けた。


「あなたたち。何をしているのですか? なぜあの者を入れたのです?」


 兵士たちは姫に恭しく礼をする。

 礼をするだけであり、姫の求めた答えは得られない。


「勇者! 待ちなさい。勇者! ここは私の――」

「果物ナイフをゲットして、と」


 部屋付の侍女も姫に礼を示した。

 侍女は姫に礼を示すが、勝手に入り込んだ勇者(くせ者)には何の関心も示さない。

 姫も理解し始めた。勇者が兵や侍女たちに何らかの魔法をかけていると。


 勇者は果物ナイフをテーブルから取って、そのまま天蓋付きのベッド脇へ移動する。

 姫も勇者が何をしようとしているかわからないが、自らが止めるしかないと悟り勇者のそばへ近寄る。


「勇者! いい加減にしなさい! 自らが何をしているのかわかっているのですか!」

「姫を誘導して、メイドさんの視線が逸れた瞬間を狙って――」


 勇者の手に握られた果物ナイフが姫の手を切りつけた。

 あまりの蛮行に声も出ないまま、姫の意識が急速に遠のいていく。

 勇者は倒れようとした姫の体を掴んで、ベッドに押し倒した。襲われると姫は思いつつも思考が薄れていく。


 勇者はベッドに寝かした姫に布団をかける。

 同時に途切れかけた姫の意識が急速に戻りつつあった。


「おっし。成功! 久々だけどまだまだできるもんだな」

『もう許せません! 誰か! 誰か来なさい! この蛮族を捕らえるのです!』


 意識を取り戻した姫は体を起こし、全力で叫んだ。

 この勇者は駄目だ。猿は人にならないように、これを勇者にはできない。

 

『誰か!』


 勇者は無表情で姫を振り返ったが、興味をなくして侍女に話しかけた。


「姫様は疲れて寝ちゃった。死ぬほど疲れてるから起こさないで欲しいって。もう休んで良いと思うよ」

「かしこまりました」

『ジージョ! 何をしているのですか! その男を捕らえるのです! ええい! 早く! 近衛! 近衛は何をしているのです! 早く来なさい!』


 侍女が一礼して部屋の外に出る。

 姫は叫び散らすが、誰も彼女の声に応じない。


「すごいな。本当に生きてるみたいだ。めっちゃ叫んでる」


 勇者が姫を見つつ、テーブルの上に置かれたティーカップを手にする。

 姫は勇者をにらみつける。


「ちょっと静かにしてて。ここ集中ポイントだから」

『はい?』


 勇者はティーカップを姫に投げつけた。


『きゃ!』


 姫は投げられたティーカップに驚き声をあげる。

 しかし、衝撃は姫の体を襲うことはなかった。


「叫び声もめっちゃ可愛い。……うっし、称号ゲット! 後で重要になるからなぁ。良かった良かった」

『ぶ、無礼者! 私に当たっていたら、いったいどうするのです!』

「当たったよ」


 勇者が姫の後ろのベッドを指で示す。

 姫も振り向いてベッドを見た。姫がいた。姫自身がベッドの上で寝ている。


『……これは、えっ? え? なぜ私が寝て……え?』


 理解が及ばない。

 姫の意識は確かに起きている。

 しかし姫が見る姫はベッドですやすやと寝ている。

 目を閉じた自分の姿を姫は初めて見た。幻覚の魔法と考え、姫は気を強く持とうとする。


「綺麗だろ。死んでるんだぜ、それ」

『……はい? 死んでいる?』

「うん。半分死んで半分は寝てる。ほぼ死んでるね。自分の体を見てみなよ」


 姫は自分の体を見た。

 半分透けていて、しかも微かに浮いている。

 自らを触ろうとしても触れない。手が体を、頭をすり抜けていく。


「鏡にも映らない。俺以外に姫の声は聞こえないし、俺以外の誰も姫を観測できない。接触ならできる相手もいるけどね。って聞こえてないか」


 姫は姿見と相対している。

 小さな頃から彼女を映してきた姿見は今の姫を映さない。

 無表情の勇者だけがそこにいた。この事実が姫の心に深く刺さった。


『なんですかこれは? どういうことですか? 意味がわかりません。戻して。戻してください』

「仲間キャラが死ぬと体が消滅して霊体になるんだ。でも、今回の場合は死ぬと同時に布団をかけたことで、死亡状態を睡眠状態で上書きして死体をこの位置で保ってる。死体と霊体を同時に出現させるバグだね」


 勇者は流暢に語る。

 姫が聞きたかったのはそういうことではない。


『私が、死んだ? どうして? どうやって?』

「果物ナイフのクリティカルで一撃。まぁ、初期状態だからね」

『え、私、死んじゃったんです?』

「大丈夫。蘇るから」

『え? は?』

「無駄に時間を消費しちゃったから先に進むね」


 勇者はベッドの下に潜り込んだ。

 隠しスイッチを押して、隠された扉を起動する。

 ベッドから起き上がり、テーブルに置かれたリンゴを手に持つ。

 果物ナイフでリンゴの皮を上手に剥いていくが、姫としてはその行為よりも聞かなければならないことがあった。


『な、なぜ、この扉を知っているのです! この扉の存在は側近中の側近しか知らないはずです!』

「勇者も付け加えといて」


 開いたのは緊急時の隠し扉である。

 有事の際はここから脱出し、王族の血を残すべく行動するはずだった。

 幸い今まで使用する機会はない。これからもないはずであった。


『待ちなさい。詳しく説明を――』

「この後で落下の待機時間があるからそこで説明しますね」


 勇者は隠し扉へと進む。


 ――ナイフでリンゴの皮を剥きながら。




2.姫の私室 ⇒ 魔王城


 勇者は隠し扉の先にあった道を進んでいる。


 隠し通路故に暗く、追っ手を捲くため道は入り組んでいた。

 勇者は一切の迷いなく暗い道をステップで進む。


『この道はどこに続いているのです?』

「えっ、なんで姫が知らないの? 地下の武器保管庫。攻略に必須のアイテムを盗らないといけない」


 取得ではなく窃盗。

 勇者本人に窃盗の意識はあるが、罪の意識はない。


 姫は脱出経路を知っているが、それ以外のルートは詳しくない。

 教わったのは王城から出るための経路が二つと、王都へ出るものだけである。


『よもや勇者は王家と縁があるものですか?』

「縁……。まあ、何百回も通ってるから縁と言えば縁かもしれない」


 霊体の姫は勝手に動く。

 ある程度の自由はあるが、勇者が大きく動くと彼を追うように体が付いていく。



 まったく淀みなく、地下の武器保管庫にたどりついた。


 姫も入ったことはないが、地下武器庫の存在自体は知っている。

 戦争をするときに利用する伝説級のアイテムがここには保管されていると聞く。


 実際、姫は武器保管庫に入って驚いた。

 伝承でしか聞かされていない光輝く剣、幻の鍛冶職人が打ったという砕けることのない盾、突けばどんな魔獣の皮も貫くという槍……それらが並べられていた。


『王家の宝を盗むつもりですね。いったい何を盗むのですか。この盗人勇者』

「盗人勇者って……。これだね」

『……これ? これは何です?』


 勇者が手に取ったのは、超重量のハンマーの横に置かれた手袋である。

 それもボロボロであり、控えめに言っても周囲の伝説の武具とは比べるべくもない。

 姫は首を振った。ただのボロ手袋がこの武器保管庫にあるだろうか。恐ろしくも素晴らしい効果が込められているに違いない。


「“置き忘れられた作業用手袋”」

『すみません。これが、えっと?』

「“置き忘れられた作業用手袋”。汚れてます」

『……なるほど。その汚れた手袋を付けて他の武具を回収するのですね』

「いえ。これだけです。他は要りません。邪魔」

『邪魔! 王家の宝が邪魔と!』

「無駄に光るし、重量はバカみたいにあるし、その割に効果は微妙と使い物になりません。なんでこんなのを鍵まで掛けて大事にしまっているのか。王家の程度が知れますね」


 姫、絶句。


「序盤は果物ナイフがあれば十分です。何ならラスボスだって果物ナイフだけでいけます」

『ラスボ……、よくわかりませんが王家の至宝は、果物ナイフにも劣ると盗人勇者は宣うのですね?』

「はい。飾りも良いところですね」


 勇者は果物ナイフでリンゴを剥きつつ答えた。


『いいでしょう。それよりそのリンゴはいったいどうなっているのです? ずっと剥き続けていますが……』

「リンゴを最後まで剥き終わったところで収納キャンセルをすると、リンゴの皮が復活するんです。それを利用してリンゴを剥き続けることができるんです」

『あ、はい、わかりません』


 収納キャンセルが意味不明であるし、そもそも皮を剥き続ける意味すら姫にはわからない。

 宗教か何かなのだろうか。今も歩いて武具庫から出るがリンゴを剥き続けている。

 暗闇の中ですらリンゴを剥き続けており、名人芸にすら見えてきた。



 次の目的地に到着した。


『ここは、どこですか?』


 真っ暗で姫には何も見えない。

 どこかの部屋に入った訳ではなく、通路の途中で止まっただけだと彼女には感じた。


「ちょっと待ってくださいね……。あ、あったあった」


 「これです」と勇者は手で示すが暗くて何も見えない。

 姫には勇者の手すら見えてない。


『見えません』

「いや、目じゃなくて心の眼で見てください。ほら」

『ほら、じゃないです。見えないものは見えません。心の眼?』

「心眼です。姫様にも見えるはず。ほらここ、じっくりよく見て。空間の裂け目があるでしょう」

『だから見えませんって! ……空間の裂け目?』

「それでは次のエリアにむかいたいと思います。よっこいしょっと」

『えっ? きゃああああ!』


 突如、床が抜けた。

 浮いていたはずの姫も下向きの加速を感じる。ずばり落ちている。


「落ち着いてください。異空間を落ちているだけです」


 暗闇のはずなのに勇者がぼんやりと浮いた姿で姫には見えた。

 姫も自らの腕が見えた。


『異空間を、落ちている?』

「はい。さっきの地点は空間の裂け目があって、異空間に落ちることができるんです」

『……わかりません。ここはどこなんです?』

「だから異空間ですって」

『わかりません! けっきょく落ちていることに変わりはありません! 違いますか!』

「それはそう」


 あっさり認めた。姫は混乱している。

 意味がわからない。勇者を召喚して殺されて霊体にされて隠し通路から異空間に落ちている。

 姫の情緒はぐちゃぐちゃで、もう消え去りたいくらいだった。


「…………落ち着きましたか?」

『……はい』

「あと三十秒ほど落ちますよ。本題に戻りますが、姫様は勇者に何を求めていたのでしょうか?」


 異空間に落ちてようやく落ち着いて話ができた。

 話ができたところでどうしようもない。


『私たちはあなたに魔王の討伐をお願いするはずでした。それなのに……』


 どうしてこうなってしまったのかと涙が出てくる。

 涙は慣性に従い、空中で玉となって上へ消えていった。


「その願い“は”叶いますよ。もうじき逆さ城です。魔王に会えるんです! ドン!」

『……は?』

「三、二、一、ここ!」


 勇者の目が怪しく光る。

 同時に勇者の落下がピタリと止まった。

 付き従っていた姫も急停止の力を強く受ける。


「たぶんいける。よっと」


 勇者が武器庫で拾った手袋を下に投げた。

 手袋がぽすりとすぐ下の空中で止まってしまう。


「うわぁ、ぎりぎりだったな。喋りすぎた」


 勇者が見えない空中から飛び降りて、手袋に着地する。


「よし。ここをまっすぐ行って。このあたりに……」

『さっきからいったい何をしているのですか、それに魔王城とは?』


 勇者は見えない床を歩き、見えない壁を触るようにして空中をまさぐっていた。

 端から見ると気が触れた行為だが、姫も慣れつつあった。

 感覚が麻痺しつつあると言っても良い。


「異空間の落下速度をフォトモードで無理矢理止めるんです。慣性キャンセルってやつですね。止めている間に手袋を落として落下地点を定める。落下速度はフォトモードでゼロにできても、位置差ダメージがゼロにできないので、手袋を着地時のクッションにすることで無事にここへ到達できるんですよ。今は出入り口を探してます」


 「あ、見つけた」と何もない空間から勇者の姿が消える。

 空間の先には別の世界があった。薄暗闇に浮かぶ岩の固まり。

 岩の固まりは空中に逆さになって浮かび、その形は城のようにも見える。


『さ、逆さ城……。まさかここが』

「はい。魔王のいる城ですね。王城の異空間から約一分落下したところにあります。正確には1分と5秒半ですか」


 あっけらかんと勇者は言う。


『いえ。おかしいでしょう! どうして王城の地下に魔王城があるんですか!』

「はは、それは俺に言われても。同じ一章だから同じエリアに配置したかったんじゃないですかね? 他の章でも関連して出てきますし」

『意味がわかりません! 意味が!』

「意味は重要じゃないんです。大事なのはタイム。ほら、叫んでないで行きますよ。まずは逆さ城に入らないといけませんから」

『もう嫌です! もう嫌! あなただけで行ってください!』

「じゃあ遠慮なく」


 勇者は姫を置いて進んでいく。


 仕様に従い、姫(幽霊)は勇者の後を自動で追っていった。



 本人の意思とは無関係に……。




3.魔王城 ⇒ 裏ボス陣地


 勇者は魔王城へと続く大地を高速で移動している。


『……どうやってるんです、それ? というか、どうなってるんです?』


 わずかな元気を取り戻した姫が勇者に尋ねた。疑問と言うより怪訝に近い。

 勇者の顔と手は相変わらずだ。無表情でリンゴを剥き続けている。


 違っているのは足。

 足は歩いても走ってもいない。

 姫の目には高速で微小な地団駄を踏んでいるようにしか見えなかった。


「これは高速ステップですね。音ゲーの技術から輸入された技です。姫様の足は何本ですか?」

『……二本に決まっています。馬鹿なことを言わないでください』

「俺も大概の場合は二本ですが、今は四本です。つま先とかかとの体重移動を小刻みかつ高速でおこなうことにより四本足として認識させています。その結果として、フィールド限定でこの高速移動がおこなえます。初日通常EDを目指す場合は必須技能になります。まあ、最初の関門ですね」

『勇者は、変態しかいないんじゃないですか』


 勇者は頷く。

 否定するところがなかった。


「もっと変態になると手の二本と尻一つを入れて七本足、さらに頭までも使う八岐大蛇と呼ばれる超絶技巧な移動テクニックがあります。手を入れての六本までなら俺もなんとかできます。後で披露する機会もあります」

『……』

「今、ちょっと見たいかもと思いませんでした?」

『黙りなさい』


 勇者は黙るが、無音の間が得意げな気配を出している。

 顔があれば、ニタニタと笑っていそうだ。


『変態勇者。あなたはずっと表情が変わりませんね。やはりこの程度の冒険は驚きも何もないのでしょうか?』

「いや、驚いたり笑ったりしてますよ」

『しかし、あなたは今も表情がありません。無表情です』

「ああ、表情機能をカットしてるんです」

『……はい?』


 表情機能がオンになることで、当然リアルフェイスの表情が現れる。

 表情の変化を解析することにより、個人の特定が可能になり問題となったことがあった。

 そのため初期VRでマルチプレイをしていた人間は表情機能をオフにすることが多い。今は技術が発展してそうでもない。


 しかしながらBUG走者の理由は異なる。

 表情機能をオフにすることで明確なメリットがある。


「BUGでは表情機能をカットすると、オンの際に使えないエモーションが使えます」

“(*^o^*)”

「これです。見えますか?」

『見えています』


 姫の遠い記憶に残っている。

 まだ半日も経っていないのにあまりにも多くのことを体験しすぎて忘れかけていた。

 兵士や給仕の前でこれを使い、彼らの様子がおかしくなった。


「これで感情を表せるんです。暇な移動時間に姫と話せてとっても嬉しい」

“(*^o^*)”“(*^o^*)”

『目障りなので早く説明をしなさい』

「これを出すとNPCの強制イベントをキャンセルできます。兵士たちの停止行為やメイドさんの不審者発見からの絶叫を止める時にも使えます。なにより自由行動を早めることができるんです。最強の時魔法とも言われています」

『催眠魔法でしょう』

“( ´-ω-)σ”


 姫も「それな」と言われているのがわかった。

 わかったところでどうしようもない。

 姫はここで思い出した。


『勇者。あなた、私が蘇ると言いましたね』

「そんなことは後。今は逆さ城の攻略が先です」

『そ、そんなこと……』


 半ギレの姫とは逆に、勇者は宙に浮かぶ逆さ城を見つめていた。

 姫も不承不承としつつも逆さ城を見上げる。


 大きく、高く、空飛ぶ魔物も多い。

 どうやってたどりつけばいいのかすらわからない。

 城までたどりついたところで次は魔王のところまで行く必要がある。

 さらに魔王のところに行くだけでは意味がない。魔王を倒さなければならないのだ。


「ここ、本来なら翼獣プテラフォルネウスを倒して連れていってもらうんですが、初日だとプテラフォルネウスが出ないんですよね」


 勇者は体を横によじったり、向きを変えたりと挙動不審である。

 姫も勇者の動きが不気味に感じ、無自覚に距離を取った。

 勇者は今まで剥き続けたリンゴの皮を回収している。


「めっちゃ細かい調整と敵の移動のお祈りポイントなんですよね。一発でうまくいったら拍手をお願いします」

『何を言ってるんですか?』


 姫の疑問にも一切返答をしない。

 ひたすらにひたむきに空を見つめている。

 古代の修行僧が太陽を見続けたという試練のようであった。

 要するに頭がおかしいことに全力を尽くしている。


「――今」


 勇者は静かに、それでいてダイナミックに動いた。

 手に持っていたリンゴの皮――細く長い帯を空に投げたのだ。


 リンゴの皮が一体目の敵に絡まり、勇者が空を飛ぶ。

 飛んでいる間にも勇者はリンゴの皮を千切り、さらに細長い帯を別の魔物にかける。


『リンゴの皮で! 千切れますよ!』

「絶対に千切れません。斬撃以外は通さないので相手によっては拘束魔法よりも効果的です!」


 勇者は魔物から魔物へとリンゴの皮をかけていきターザンをしていく、上へさらに上へと昇っていった。

 そして、十五回のターザンをこなし、とうとう逆さ城にたどりつく。


「いけました。成功は久々だ! すごいんですよこれ、十五の試練とか言われてるくらいですから。動画撮っとけば良かった……」


 姫は開いた口が塞がらない。

 それでも彼女は何をすべきかわかった。

 勇者が見せた技は、彼女が今まで見たどのような芸よりもエキサイティングだった。

 霊体になって良かったと思えてしまうほどの芸当である。

 触ることもできないため拍手は鳴らない。

 それでも彼女は手を懸命に叩く。


「盛大な拍手、ありがとうございます」

『お見事でした。本当に』


 同時に姫も、勇者の今までの奇行に理解が及ぶ。


『このためにずっとリンゴの皮を剥いていたのですね』

「一割正解です。ここは成功すれば超ラッキーくらいのルートですから。別の安全安定ルートがあります。時間もそんなに大きくは変わりません。でも、面白かったでしょう?」

『ええ。とても。……待ちなさい。一割正解? 九割は違うとはどういうことですか?』

「すぐわかります。行きますよ。ハリーハリー!」


 逆さになった城を頂上からグランドフロアへと逆さまに進む。

 その進行は幽霊となった姫でも恐ろしいモノであった。


『勇者、バレますよ。バレますって!』

「ここの警備はザルなので突っ切ってもバレません」


 勇者は自分よりも数倍以上はある魔物の横を歩いて進んで行く。

 手を伸ばせば触れる位置から魔物の鼓動が伝わってくる。


「ほらね」

『ええ……? 今の絶対に私たちが見えてましたよね』

「いいえ。見えていません。見えてないからバレてないんです」


 姫は納得いかない様子である。

 さらに勇者は通路を進んでいく。


『ここは魔物の姿がないですね』

「います。影に魔物が潜んでいるので、踏まずに行きます。さらにその先は天井から落ちてくるので柱を伝って」

『はい? いますか?』

「近づいて床を見ればわかります」

『……本当にいますね』

「でしょ! ね! 言ったでしょ! いるでしょ! ほらぁ」

『なんでしょう。その言われ方は無性に癪にさわります。それより、あなた絶対に私の指摘を待ってますよね』

「何のことです?」


 勇者は柱に立っている。

 影を踏まず、柱を伝っていくとは聞いたが、柱の側面に立つとは聞いてない。

 まるで原木から生えたキノコのようであった。


『わかりました。聞いてあげますよ。どうして柱の側面を歩いているんですか?』

「影を踏まないようにです。柱は歩けますけど上には行けませんよ」

『上に行けるかどうか以前の話をしています。どうやって柱に立ってるんですか?』

「一部の柱は潜むコマンドをキャンセルすることで立つことができるんです。もちろんスニークモードなので相手からは見えません。ほら。天井のあいつ。こちらが見えてないでしょう」

『なんで見えてないんですかぁ……』


 勇者の快進撃は続く。

 姫はふと思った。


『あなた、戦闘を一度もしていませんよね。強いんですか? 実は戦えないということはないでしょうね』


 この勇者は戦わない。

 ひたすらどうにかして戦闘を避けている。

 地形の比類無き知識と卑怯で卓越した技術は姫も認めるが戦闘技術は疑わしい。

 実はまったく戦えないのではないか。


「姫様……。よもやあなた、誰に殺されたのかお忘れですか?」

『不敬! あなたですよ。あなたっ! あなたが万が一にも魔王を倒した時は』

「魔王を倒した時は?」

『いえ、余計なことでした』

「何者だ!」


 与太話をしていると野太い声が響いた。

 同時に床が大きく揺れる。


 両手に大斧を持った巨大な悪魔が現れた。

 角が生え、尻尾は二本、翼も惜しみなく四本ほど生えている。


『この容貌、まさか――』

「大魔イプシロンですね」

『なっ! かつて地上に現れた際は王国軍の大隊を破滅させたという』

「解説お疲れ様です」

『悠長な! どうするというのですか?』

「そちらが解説してくれたのでこちらも解説を。大魔シリーズの最終作、魔王城中ボスのイプシロン――すなわちギリシア文字ではε18番目を示すことになるのですが、実際は大魔シリーズは12までしかいないのでイプシロンではないんです。μ(ミュー)が正しい。響きがちょっと可愛くないですか?」

『どうでもいいです! それよりこの後はどうするんですか? 戦うんですか? 戦うんですね!』

「いいえ、こうします」

「死ねぃ。人間!」

“(´∀`*)ノシ”


 悪魔は武器を唐突に納めた。

 勇者のさよならを込めた手の振りに、彼もさよならーと両手で返してくれる。


「実はここ。強制イベントにあたるので、初日であればエモーションキャンセルができます。意外とノリが良い奴です。みゅー」


 勇者はすたすたと先に進む。

 姫は勇者の声など聞こえないかのように、ずっと大魔イプシロンの背を見つめていた。



 魔王城も中ボスを突破し、佳境に入った。


「この先はボス部屋ですが準備は良いですか?」

『もう、あなたの好きにしなさい』

「はい!」


 勇者はボス部屋の扉に立つ。

 扉だけでも巨大すぎる。扉自体がボスのようであった。

 そもそもどうやって開けるのだろうと姫は勇者の動きを見守る。

 勇者は扉の横に壁に肩から体当たりをしている。


「よっ、よっ、よよっと。もうちょっと左かな。よっ。いけたぁー」


 勇者が壁をすり抜けて消えた。

 姫は黙る。もう何かを言う気も失せてくるものだ。

 しかし勇者は沈黙を許さない。姫が壁を透過した後で黙って待っている。

 無表情で姫を見て、尋ねられるのを待っていた。なお勇者の後ろには魔王が椅子に座って、勇者を見つめている。


『あのぅ。後ろの……。いえ、もう良いです……。今のはどうやったんですか?』

「実はこの魔王部屋の扉は鍵がかかってて、仕掛けを外すことで開くんです。でも、仕掛けは戦闘が必須で初日では達成できません。そこで壁に穴がないかと探して見つかったのがこの穴なんです」

『……穴なんてありませんが?』


 姫が見た限りでは、魔王部屋の扉横の壁は壁である。

 立派な壁だ。分厚く、素材も硬そうで、穴どころか傷をつけることすら難しいように見える。


「大きくて見た目だけは立派ですが作り込みが甘いんですよ。この逆さ城、あちこちでけっこう穴だらけでしてね。魔王部屋の下から入るルートもあるくらいですし。2日目以降の中ボススキップもやっぱり壁抜け。出る時も穴から出ます。人間と食べ物の関係と同じですね。穴から入って穴から出て行く」

『下品』


 姫はもはや城の壁が穴だらけの欠陥住居という話には興味がない。

 今の興味は勇者の背後にいる存在だ。


『あれは魔王ですよ。きっと魔王ですよね? 本当に魔王? どうするんです?』

「どうするって、まだどうもしませんよ。え、何? 何か魔王に聞きたいこととかあります? 積もる話もあるでしょう」

『あるわけないでしょう! 魔王ですよ!』

「いや、魔王だからでしょう。どうして王国と敵対してるのかとか聞きたくないんですか? 戦ってる相手の思想を知ることは重要だと思いますけど。AIが付いてもそのへんの知能はないのですか?」

『急に真面目なことを言わないでください。私がおかしいのではないかと錯覚します』

「左様ですか」


 勇者はゆっくりと魔王へ歩き出す。

 座っている魔王の正面からやや逸れて、台座の横へと歩いて行く。

 魔王は勇者に気づいているはずだが、反応を見せないし、台座の横に行っても動かない。


 勇者に(仕様上)付き従っている姫も幽霊なのに、内心はビクビクしながら勇者についていっている。

 大魔イプシロンも大きかったが、魔王はさらに大きい。威圧感も巨大だ。


 勇者は台座の横を通り、魔王部屋の背後へ回り込む。

 そして、魔王部屋の背後にあった謎の扉を開いて進んだ。


『恐ろしかったですね、魔王』

「そうですか?」

『そうですよ。そうに決まってるでしょう。どうして魔王はあなたに反応を見せなかったんでしょうか』

「魔王が戦闘モードに入るのは魔王部屋に扉から入った時とこちらから戦闘を仕掛けた時だけです。姿を見せただけでは戦闘にはなりません。話だってできます。関西弁で喋りまっせ」

『それで「話を」と言われたのですね。……時に勇者、私たちはどこにむかっているのですか?』


 勇者は扉から進んだ先の螺旋階段を上り続けている。

 姫もおかしいと感じてきた。螺旋階段の高さが魔王城の高さよりもずっと高く思える。


「問題です。逆さ城って誰の城でしょうか?」

『先ほどの魔王でしょう。「魔王」城ですよ』

「ハイ、ドーン!」

『違うなら違うと言いなさい。殴りたいのに殴れないのは辛いのですよ』

「失礼しました。逆さ城は神魔大帝メリィハイドという裏ボスの城なんです。下にいたあの魔王は、神魔大帝メリィハイドから城をレンタルしてるだけのレンタル魔王なんです。レンタのまお様とか呼ばれるのはそれでです」

『レンタ様とか知りませんが、神魔大帝メリィハイドですか? 聞いたことがありません。あなたお得意の妄想ではないですか?』

「はは、もうじきですね。意識をしっかり保っていてくださいね。レンタのまお様で体を震わせるお姫たま」


 姫は勇者の言い方が気にくわなかった。

 不服の申し立てをおこなおうとするが、勇者はひたすら進む。

 螺旋階段を意味のわからない拘束ステップで駆け上がっていった。



 地平の先にソレはいた。

 剣を地面に杖のようについた小さく見えた魔物。

 最初は小さく見えていた。しかし、近づいても近づいても大きくならない。


「もうそろそろかな」


 ひたすら近づいた頃に動きが生じた。


『卑小なるもの。生の灯を儚く揺らすもの。此処は彼方との境界。汝、近づくこと能わず』

“三┏( ^o^)┛”


 これは強制イベントなので勇者はエモーションキャンセルを決める。


「こちらから攻撃を仕掛けたら戦闘開始です」

『え? ……ぁ』


 決めた後が問題だ。

 イベントがスキップされ、ソレが急激、ほぼ一瞬で近くまでやってくる。


「すごいでしょう」

『へ、あ、うぇ』


 姫はまともな言葉が出せない。うまく呂律が回らなかった。

 彼らの目の前にあるのはまさに像そのものである。


「俺達の世界にある一番大きな像をモチーフにしたボスでして。せっかくのVRなんだから実際のそれよりも大きい像をボスにしてみようって作られたんですよ。大迫力ですよね。この距離だとなおさら」


 モチーフはインドにある「統一の像」。

 その高さは台座込みで約240m。東京都庁とほぼほぼ同じ高さである。

 それよりも大きな図体で襲いかかってくる裏ボス。


「これが神魔大帝メリィハイド。真面目に戦うと神経がやられます。俺はソロで挑んで心因性視覚障害になりました。ちなみに、霊体でも攻撃対象になります。攻撃が当たるどころか触れたら、復活無しの永久死になるんで気をつけちゃってください」


 姫は神魔大帝メリィハイドを見上げる。

 どう見上げても胴体部分がようやく見えるかどうかだ。

 地面に刺された剣はもはや断崖絶壁。先ほどまでの魔王が子どものようである。

 もしも生身の体であったら立てていない。浮いた足が震えている。歯も実態であればカチカチとうるさいほどに鳴っていただろう。


『……あの? どうしてここに?』

「こいつを戦闘不能にしないといけません」

『バ、ババ、ババババカじゃないですか! あなたは気が狂っている! これ、もう倒すとかそういう次元の相手じゃないでしょう!』

「俺もこのバグが発見された時は驚きました。まあ、見といてください。初日だけならこういうことができます」


 勇者は果物ナイフを掲げてみせる。

 相手がリンゴなら優秀な武器だが、この巨像を相手に果物ナイフで何が為し得るのか。

 ナイフの刃をぶつけただけで欠けてしまいそうだ。


「果物ナイフは指がある相手には最優秀武器になります。どんな相手でも指に当てることができれクリティカル確定の防御無視。さらに戦闘時の攻撃力が、戦闘直前に剥いた果物の皮の長さに比例。相手の指の皮膚を剥いた場合は連続ダメージ。トドメは出血ダメージ付き。刮目せよ。これのためだけに磨いた絶技! 奥義――右足小指のささくれ返し!」


 勇者は深呼吸を一つした。

 神魔大帝メリィハイドの巨大すぎる足の小指の端で、果物ナイフをそっと構える。

 果物ナイフが小指に入った。入刀である。相手の足はそのままで勇者自ら動くことで神魔大帝メリィハイドの指を剥いていく。

 小指も半分に近づき、神魔大帝メリィハイドはHP減少から第二形態に移った。


『ひっ! 死ぬっ! 死んじゃう!』


 周囲に剣を浮かせ、剣を飛ばしてくる。

 全スキルを発動させたフル装備タンクで耐えられるかどうかの一撃が無数に飛んでくる。

 なお、この攻撃はボスの足の指のすぐ近くが安置となるので、今回の攻略には無意味な攻撃である。


「よし!」

『良くないです! まだ生きてます!』

「踏みつけ攻撃がきますね」

『踏みつけ……えっ? あ、あ、ああぁぁああああ!』


 先ほどまで皮を剥いていた足が宙に浮かんだ。

 シンプルだが非常に大きいので、おおよそ800tほどの一撃になる。無論当たれば即死だ。

 姫は迫る足を見て、気を失いかけた。もしも生身なら失禁していた。霊体だから出なかったのである。


「そろそろ。――良し」


 足が止まった。

 神魔大帝メリィハイドの動きが止まる。


「勝ちましたぁ。戦闘不能。出血ダメージでだいたいあのあたりで戦闘不能に持ち込めます」

『えっ、倒したんですか?』


 姫、涙目。

 勇者も姫の涙目が見ることができて嬉しい。


「神アプデだなぁ。えっとね。倒せません。初日チャートだと戦闘不能までしか無理です。HPが1で動けない状態ですね。敵判定も消えるし、戦利品も落とさない。明日になったらHP全快で復活します」

『は? はぁ? いい加減にしてください。倒せない? 明日になったら復活? いったい何のために戦ったんです?』

「タイムのために決まってるでしょう」

『タイムタイムって! もっと近いところですよ。これを倒すとどうなるんですかって聞いているのです!』


 姫、ぶち切れ。

 もしも勇者の表情がオンになっていたら、ニッコニコであった。


「二つあります。一つはルート確保。さっき神魔大帝メリィハイドが言ってたでしょう。此処は彼方との境界って、ここに来ることさえできればいろんな世界に飛べるんです。唯一、この時期だけが簡単に入れるから圧倒的時短になります。ぶっちゃけこれが見つかったから初日通常EDチャートができたくらいです」

『意味がわかりません。けっきょく時間でしょう!』

「そのとおりです。もう一つがもっと身近な話ですね。このHPが1状態の戦闘不能の神魔大帝メリィハイドはですね。なんと置物扱いなんですよ!」


 勇者は興奮しつつ説明する。

 けっきょく姫はまったく理解できない。

 置物だったらいったい何なのか。誰が得をするというのか。

 こんな物騒な置物は欲しくない。ついでに明日になったら動き出すと言うではないか。


「ちょっと待ってくださいね。初日の魔王城でHP1の置物があるのがここだけなので、ここで持っていかないと駄目なんですよぉ。よっ、よっ、よよいっ――できた。久々なんで鈍ったなぁ」


 勇者は果物ナイフを地面に置き、拾う。

 また地面に置き、拾う。三度目の地面に置いたところで拾……わなかった。

 地面にはまだ果物ナイフが落ちたままである。その一方で、勇者の手は何かを持っているような形だ。

 果物ナイフを落としたまま神魔大帝メリィハイドに背を向けてしまう。


『え、あの最強ナイフは拾わないのですか?』

「今は拾えません。また、後で来るからその時でいいんです」

『……はぁ。それでその手に何か持ったフリは何なんです? 手品ですか?』

「何を持ってるように見えます?」

『何を? 何も持っていないでしょう?』

「いいや、違います。俺は今――無を持っているんです」

『頭も無ですね、この空っぽ勇者は』


 勇者は手元同様に顔も無表情である。


 何かを言いたげだが、何も言わずに螺旋階段を高速で降っていく。




4.裏ボス ⇒ 王城復帰


 魔王部屋まで戻ってきた。


 勇者は魔王の台座まで近寄る。


『恐ろしくて仕方ない魔王だったはずなのですが、今はなんだか……』

「さっきのを見ちゃったら仕方ないですよ。あれは最強の一角ですし」

『一角? あんなのがまだいるんですか?』

「あと二体は確実にいます」


 姫は聞かなければ良かったなぁ、と後悔し始めた。

 好奇心は猫を殺す。姫自らも今日、死んだばかりだ。私はあと何度死んだ気持ちになるのだろうか、と。感傷に浸った。無意味な感傷である。


『それで魔王の台座まで戻ってきましたが、この後は?』

「掴んだ無を利用して、魔王を取得し、増殖バグで増やします」

『ちょっと何を言ってるのかわかりませんね』


 姫の心からの言葉だった。彼女の心理はこうである。

 掴んだ無……何もないモノを掴んでいる。すなわち掴んでない。

 魔王を取得……聞き間違い? 取得とは手に入れること。魔王を取得はない。ありえない。

 増殖バグで増やします……増殖バグがわからない。増やすはわかる。対象が魔王? あり得ない。


「よく見てください。ここに無があります。有りますね」

『無いですよ』

「無いってことは有るじゃないですか!」


 勇者が何かを掴んだ手を見せてくるが何もない。

 姫も自らがバカにされていると感じてきた。いっそこの茶番に従った方がいいのかと思い、空っぽ勇者の発現に乗って早く話を進ませる。


『本当ですね。勇者、これは随分とステキな無ですね』

「ステキな無って何ですか?」

『おぉい、勇者ァ。さっさとやりなさいよ。私は今が人生で一番頭にきています。何をするかわかりません』

「失礼しました。それでは手にした無からの魔王取得、かーらーの増殖をやっていきます。見逃さないでくださいね」


 勇者が片方の手を魔王の台座に付け、もう片方の無を握った手を道具袋に突っ込む。


「はい。魔王が増えました」


 さらに勇者が手を道具袋から出し、また道具袋に手を突っ込む。

 その瞬間にポンと小気味良い音がして、姫の背後に何かが現れた。


『……は? はぁぁぁ?』


 姫は背後に現れたソレを見て、気品を失わせた。

 台座に座った魔王が後ろに現れた。振り返ればもちろん最初からいた魔王もいる。

 魔王の前に魔王がいる。互いに「初めまして」と挨拶をしていた。まさしく地獄であった。


「どうです?」

『「どうです?」じゃないでしょう? 魔王が二体。どういうことです? 魔王を倒すために来てるんですよ。増やしてどうするんですか? ……あぁ、もう、わかった。わかりました。わかりましたから。聞いて欲しいんでしょう。どうして魔王が増えたんですか? ほら尋ねてあげましたよ。答えなさい』

「取得した無は置物かアイテムかを選択して交換できるんです。遠隔での取得も可能です。それで魔王に片手を置いて無と交換する瞬間に道具袋に手を突っ込むと、道具袋に取得したアイテムが増えるんです。今回の場合は魔王がアイテム扱いなので、魔王が増えます。ただし、置物は無理ですね。神魔大帝メリィハイドは増やせません。ハハハ」

『笑うところがありません』

「ただ無の取得はHP1の置物が近くにないとできないのでちょっと面倒くさいバグなんです」


 もちろん姫にはわからない。

 姫の心が無になりつつあった。


「ちょっと待ってくださいなっと。今回は最低四体は取得したいので」

『は? 待ちなさい』

「もうできました」


 魔王が姫の四方を囲むように現れた。

 四面楚歌。しかも全てが魔王。


 勇者が手をかざすと同時に四体とも消えた。

 姫は勇者が怖かったのだが、ここでいっそうの恐怖を感じた。


『早すぎます。……魔王ばかりをそんなに増やしてどうするんです?』

「後でわかります。せっかく貴重すぎるタイムを費やして魔王との会話タイムを設けようとしたのに、姫は会話を拒否なされた。それが答えです」


 姫はわからない。

 この勇者はいったい何だ?

 勇者の目的がさっぱりわからない。


 タイムが時間というのはわかる。

 早い時間で終わらせようとしている。いったい勇者は何を終わらせようとしている。


 私は、私たちは、召喚してはいけないものを呼び出してしまったのではないか……。


 姫の懸念は当たっていた。

 当たったところでどうすることもできないのではある。


「それでは魔王も消したので王城に帰ります」

『お待ちなさい。魔王を倒したわけではないでしょう』


 勇者は魔王を倒していない。

 倒すどころか増やした。最低でも四体はいる。


「魔王を倒していなくても、魔王部屋から魔王が消えていたら第一章の最終イベントは発生します。安心してください」

『今の発言から安心できるわけないでしょう。袋に入れた魔王をどうするつもりですか? 第一、どうして袋に魔王が入ってるんですか。四体も!』

「今の魔王はアイテムですから。後でちゃんと消費します。そちらで消費しますか? 一体だけならリカバリーできますので贈呈しますよ」


 表情無しで言うとなかなか迫力がある。

 魔王をアイテムと言い切り、消費すると断言する。

 しかも姫に魔王を一体くれるとまで言う。逆に姫が引いてしまった。


『いえ……、けっこう。王城に帰りましょう』

「はい!」


 返事は元気だ。

 この元気な声に今日だけで何度度肝を抜かれただろうか。

 度肝どころか魂まで抜かれてしまった。早く体に返りたいと姫は願った。


 勇者が魔王部屋に落ちている謎の破片を拾っている。


 ショックの吸収剤に使うようだ。




 帰還は行きよりもずっと早い。

 魔王城の勇者曰く穴だらけの壁をすり抜けて、外に飛び出たからである。


 落ちる瞬間にフォトモードと、瓦礫クッションでダメージを殺し地上に落ちてからは、四足歩行の変態ダッシュで移動していく。

 来た時は姫も周囲が怖くて仕方なかったのだが、帰りになると慣れてくる。


『寂しいところですね。周囲にはほとんど何もありません』

「そっすねー」

『時折、立っているこの小さな棒は何でしょうか。魔物たちの信仰する神に関連があるのでしょうか?』


 直線状の道に黄色い棒が定期的に立っている。

 道を示しているのか、魔物も棒に集っており何らかの儀式に見えなくもない。


「いえ、まったく関係ないです」


 勇者は断言する。

 まるでそれが何かを知っているような口ぶりだ。


『勇者はあの黄色い棒が何か知っているのですか?』

「ええ。メタな話で恐縮なのですが、あの黄色い棒はボラードです。俺達の世界で道路の脇に立っている車止めの棒です」

『ボラード? 車というと馬車のようなものでしょうか』

「だいたいあってます。道の脇に定期的に付けておき道の流れがわかりやすくなりますし、外れたときのストッパーになります」

『なるほど。そういったものでしたか……。なぜあなたの世界にあるモノがここにあるのですか?』


 勇者は一瞬だけ沈黙した。

 その後、語る。この世界の在り方を。


「このマップは俺達の世界の現実空間を取り込んだものです。本来、ボラードは取っておくのですが、面倒だったのでそのまま使ったのだと思われます。ちなみにこの黄色のボラードはアイスランドしか使われてないので、このマップはアイスランドのどこかでしょうね」

『興味深い話を聞けました』


 姫は確信する。この勇者はやはり魔王側の人間だ。それも世界を創った側の人間に近い位置にいる、と。

 メタな話をして時間が経ったところで、勇者も異空間の割れ目にたどりついた。

 勇者は空間に手を刺し込んで、異空間に入り込んだ。


『落ちるのはわかりますが、どうやって上がるんです?』


 落ちるのは簡単だ。

 異空間に入るのは難しいが、入りさえすれば落ちるだけだと姫もわかる。

 しかし、上ることが容易ではない。一分近く落ちてきた穴をどうやって上るというのか。

 そもそも床が見えなければ、壁も見えることのない謎空間である。


「もっともな疑問です。まず位置調整をします」


 勇者は上を見つつ、自らの立つ位置をちょっとずつ動いて調整する。

 姫から見れば、何を基準にどこに立とうとしているのかさっぱりわからない。

 上を見て調整した後は、横と前を見つつ体の角度を変えていった。こちらもやはり姫にはイミフだ。

 右も左も灰色に近い黒の空間である。


「たぶんここでいける、はず。ちょっとずれるかも。あぁ、ずれそうだなぁ」


 勇者にしては珍しく弱気だった。


「ここは苦手で。恥ずかしながら五回に一回くらいしか成功しないんですよ」

『まともな行動以外にも苦手なことがあったんですね』


 互いにふふふ、はははと笑いあう。


 勇者は後ろに下がった。

 見えない壁に背中をぶつけるとその場に座る。


「とくとみよ。これが六足歩行の全力疾走です」


 左右のつま先、かかと、右手、左手という不気味な六足歩行である。

 歩行と言っても小刻みに動くだけではあるのだが、端から見ていると頭のイカレた仕草くさくてきつい。


『速いですが壁にぶつか……え、止まって震えている?』


 勇者は背にした壁を蹴り、六足歩行で反対側の壁に走った。

 あっという間に反対側の壁へぶつかったのだが、勇者の位置が動かない。

 勇者は小刻みに動いているのだが、勇者の位置はそのままだ。


『何をしているんです?』

「あとで」


 勇者の息も辛そうであった。

 どうやら全力で小刻みに震えているようだ。

 生まれたての子鹿のような勇者が異空間の壁際で震えている。


「いっきまーす!」

『はぁ……、ふぁ! ふぁぁぁぁぁぁあああああ!』


 勇者の姿が消えた。

 同時に姫は上方向に引っ張られた。

 空を飛んでいる。飛ぶというか凄まじい速さで打ち上げられている。

 長い髪は完全に下へ引っ張られ、顔は無いはずの空気抵抗を受けて皮膚が伸びきっていた。


「あぁー、疲れたー」


 慣性も落ち着いてきた頃に勇者が漏らした。

 本当に疲れた声で呻いている。


『先ほどの気持ち悪い動きはいったい?』

「水平に走って助走を付けてから、壁に到着すると一瞬だけ反射計算で体が止まります。止まった時に壁に垂直な方向と地面方向に、ほぼ同量の力を加えておくとそのまま壁に止まれるんです。飛翔方向決定の保留と言います。単に保留ですね。保留状態のまま他の足で加速を付けると、速度がどこまでも加算されていきます。加算が終わったら、後は飛びたい方向を決めて足を離すだけです。言うのは簡単ですが地味に難しい。まず、二足歩行の人種には絶対できません。方向の保留を二本足でおこなった時点で加速する手段がスキルくらいしかありませんからね」

『四足歩行以上の変態技術ということは嫌なほどわかりました。少し休みなさい』

「お言葉に甘えて休ませてもらいます」


 数十秒の間、二人の間に沈黙が挟まった。

 珍しいことだと姫は感じる。気づけばここ数時間はずっと話すか驚かされていた。

 落ち着く時間のはずだが、静かな勇者は静かというだけで不気味だ。災害の前触れのようで気持ち悪い。


「姫」

『何ですか?』


 微妙な空気を察してか、勇者が声をかけた。


「二つほど。一つは姫が思ったよりも感情が豊かで俺は非常に驚きました。反応を見ているだけで楽しいです」

『本当ですよ。私自身が私の新たな感情を発見できました』

「俺に感謝してください」

『調子に乗らないでくださいね』

「……もう少し穏やかなチャートで走るべきだったと後悔しています。次は姫ルート目隠しRTAで行きましょう」

『どういうことです?』

「二つ目」

『ちょっと、待ちなさい。どういうことです? 姫エンド? 目隠し?』

「その話はもう終わり。二つ目ですよ。――気を強くおもちください」

『ちょっと勇者、ちょっと待ちなさいよ、勇者。あなた、何をする気ですか? 答えなさい』

「そろそろですね。見えてきました」

『何が? それより気を強くもてというのはどういう』


 姫は真面目に尋ねる。勇者は無言。

 勇者が見えてきたと言うが姫には何も見えない。

 勇者が先ほどから何を見ているのかさっぱりわからなかった。


 今は上よりも勇者の告げた言葉が気になって仕方ない。

 まるで今までよりひどい状況になることを予言しているかのような言葉だ。


『勇者よ……』


 姫は改めて問いかけようと勇者を見た。

 勇者は上下逆さまになっている。


『勇者? 何を?』

「衝撃に備えて」

『は?』


 勇者は異空間の割れ目で、瓦礫を利用し勢いを上手く殺して着地した。

 上下逆なのだが見事と言うほかない。


 一方で素人の姫は、そもそも勢いも殺せないため天井を突き抜けて、王城の厨房に頭だけ突っ込んだ。

 その後、反動で地下に戻された。上下に何度も振動し酔った。


『警告が、遅すぎる。うぅ、気持ち悪い』


 姫は気を強くもての意味を考えることも忘れてしまった。




5.王城復帰 ⇒ 勇者排除の儀


 勇者と姫は城に戻ってきた。


 地下用具入れの隠し通路から出て謁見の間へと勇者はむかう。

 城は大わらわである。魔王が倒されたことがなぜかすでに判明しており、兵士たちは勇者に最敬礼を示した。


「勇者よ! すでに聞き及んでいる! 素晴らしい成果だ! この速さで魔王を倒した勇者など過去にいない!」

『父上! 私です! お気づきください! 私はここにいます。貴方の娘がいるんですぅ! そこの蛮族は私を殺したのです! 私の部屋を確認してください! 父上! 聞いて! チチウエェ!』


 霊体の姫は王に勇者の罪を告発する。

 しかしながら、霊体の姫の声などもちろん聞こえない。


「遅いな……。おお、来たか。お主からも声をかけてやってくれ」


 謁見の間に新たな人影が入ってくる。

 白いドレスに身を包んだ姫である。こちらは生身だった。


『えっ……? 私? なぜ私が?』

「勇者 このたびの戦果、真に素晴らしいものと存じます」


 霊体の姫が、生身の姫を見て言葉を失わせていた。

 生身の姫は勇者の魔王討伐という戦果を麗しい言葉で褒め称えていく。


“(´・ω・`)”


 勇者がエモーションキャンセルで強制イベントのロックを外す。


「やはり霊体と生身で分裂しましたね」

『あなた、知っていたのですか』

「姫は有名ですから。“分裂姫”という名で」

『意味がわかりません! なんですこれ、どうして彼らは自然に会話を続けてるんですか?』

「このイベントは章を締め括る絶対強制イベントですからね、移動ロックは外せますけど、イベント自体のスキップができません。悪質な遅延行為です。しかしAI姫が分裂すると考えていましたが、生身の姫はAIではありませんね。ほら、俺が横に移動しても視点を変えずに喋り続けていますよ」

『いや、「ほら」じゃなくて「ホラー」でしょう。私が二人いるんですよ。あなた、言ったじゃないですか。私は蘇ると』

「蘇っていますよ。すごい肌がきめ細やかで真っ白、すごい綺麗」


 勇者は生身の姫を指さした。

 そこには端整な顔つきで美辞麗句を述べる姫がいる。


『あっちの綺麗な姫じゃなくて、こっちの綺麗な姫の話です!』


 姫はオーバーアクションで自らの不幸を示した。

 殺されて霊体になり、帰るべき体が生を持ち、勝手に動き出している。


「ふふ、自分で綺麗って言ってる。確かにこっちの姫も透き通った肌ですよね」

『喧嘩売ってるんですか? もう戦争しか残されてないですよ』

「……この後は一つに戻るはずですよ。ただ、どちらになるかはわかりません」

『どちらとは?』

「気になりませんか。一つになった際に、AI姫の自我が優先されるのか、今の生身の姫の自我が優先されるのか」

『生身の姫の自我が優先されたら私はどうなりますか?』

「そりゃ消えますよ。でも大丈夫。明日にでも現れる第二第三の姫が私と一緒に冒険をしてくれます。なんなら姫ルート目隠しでGO!でも良いですよ」

『私は未来の私の話をしてません! 今の私の話をしているんですぅ! 私が消えちゃうんです! 消えたくないですぅ!』

「罪悪感が湧いてきます。やはりAIに自我らしきものを持たせるべきではないですね。いや、でも好きな人は好きなんでしょうねぇ。俺も新しい嗜好に目覚めようとしています。やはりHUGは素晴らしい」


 イベントも勇者が脇に逸れて進んで行き、ついに転機が訪れた。

 すなわち勇者の排除場面だ。


「やぁっと排除イベにきましたね」

『知ってたんですか?』

「当然。勇者を呼んで魔王を倒したら後はポイ。勇者ガチャは王家の伝統芸でしょう」

「勇者よ。許せ。貴殿の力は強すぎる。世界の安寧を脅かすのだ。やれ」


 王が死刑を宣告するように周囲の魔法使いたちに執行を命じる。

 なお、本来のイベントでは中央に勇者がいて、魔法陣に囚われているのだが、今の勇者はロックを解除し脇に逸れているので魔法陣の上にすらいない。


「さてと、そろそろお別れにしましょう。二章になれば姫は分裂解除されるので、運が良ければまた三章で会いましょう」


 勇者は霊の姫に背を向けて魔法陣にむかう。

 姫もこの先がどうなるのかわかるので、自分の心配だけできなくなった。


『勇者。その魔法陣は――』

「知っています。冥界への転移と二つか三つのランダムな呪いを付与するものですよね。今回は三つでした。HP自動減少、スタミナ半減、移動スキル制限がかかります」

『勇者、あなたはそれを知ってなお、魔法陣に入るのですか。……三はなぜわかるんです? しかも呪いの種類まで正確に。発動者すらどの呪いが付与されるかわからないはずです』

「あの魔法陣に巻き込まれないと第一章が終わらず強制終了するので入るのは絶対です。ただ、対策はすでにしてあります。それと、呪いの数と種類を教えてくれたのは姫、あなた自身です。おっとそろそろですね。しばしの別れか、それとも――」


 勇者は道具袋に手を突っ込んだ。

 魔王を三体謁見の間に出していく。

 姫はドン引きだが、周囲は魔王に驚かない。


「さらばだ。勇者よ」

「さようなら。異界の勇者 」

『勇者 ……。けっきょく は何と読むんですか?』

「ああ、それは読めないで正解です。名前が長く叫ばれるイベントが短縮されるおまじないなので――」


 魔法陣が発動した。



 勇者は謁見の間から消え去った。


 同時に生身の姫と幽霊の姫は一つになった。




6.勇者の帰還


 姫はご機嫌である。

 鼻歌も出ていた。


「ふんふふーん」


 姫は生身の体に戻った。

 喜ばしいことに姫(霊体)の意識が生身の自我を奪った。

 生身にあった方の自我はどこへ行ったか不明だが、今は考えないことにしている。

 声で自身の体が震える。歩くたびに体に触感が得られる。壁を普通にさわることができる。歩くと歩ける。

 自身の体があるということがどれだけ素晴らしいことかを姫は実感していた。

 普段の何気ない動作が当然のものではないということも知った。

 生身で生きているということがどれだけ素晴らしいことか。

 世界が光り輝いている。


「ふっふーん」


 王と魔王討伐を祝して、昼食会をおこなった。

 明日には王都だけでなく、王国全域に魔王討伐の報が行き渡る。


 姫が見た冒険譚を王に伝えたいが信じてもらえそうにないので口を噤んだ。

 姫自身も勇者と見てきたことが夢のように思える。


 お腹もいっぱいになったところで眠気が訪れた。

 体は横になりっぱなしだが、精神は勇者のせいで疲労困憊だ。

 少し休むことにした。


「お、戻りましたね。俺も今、戻ったところです。スタミナを回復しているところだから5秒ほど待ってください」


 勇者がいた。姫の自室に。

 侍女から注がれたお茶を優雅に飲んでいる。

 姫は扉を閉じ、全力で王のところへ駆けていく。


「あり得ないあり得ない! 速すぎる! 早すぎる! 逸りが過ぎる! 信じられない! 父上! 父上ーーー!」


 勇者は転移された。

 冥府にだ。過去に冥府から戻ってきた勇者など一人もいない。

 殺して蘇る可能性よりも低いのが冥府送りの利点なのだ。なぜ帰れるのか。しかもまだ日が明けてもいないどころか軽めの昼食一回で冥府から還ってきている。

 五体無事で紅茶を楽しんでいた。


「おかしい! おかしい。……見間違いでは? 冥府からこんなに早く還れるわけがない!」

「いかにも。初日通常EDにおいて、冥府からの帰還が非常に時間がかかるポイントでした」


 姫が走った先には勇者がいた。

 王国の祖――ハイメッセル王の肖像画の前で姫を待ち構えている。


「第二章の冥府からの帰還ではまともに還るとどうやっても三章で2日目に入ってしまいます。そこで神魔大帝メリィハイドに繋がります」

「ど、どういうことですか?」

「言ったでしょう。アレを倒すことで世界を行き来できるようになるんです。最終章を待たずとも冥府から現世に還れます。第二章をほぼスキップできるんです。さらに優秀なことに第三章の開始地点にも近い」

「意味がわかりません。冥府から還れるわけがない」

「まあ、そうですね。さて――」


 勇者が姫に一歩踏み出す。

 姫は恐怖で動けない。声だけで抗う。


「私に復讐をしに戻ってきたのですか?」

「……復讐? ああ、そうかそうか。AIだとそうなるんですか。勇者が冥府に落とされた復讐をしに来た、と。それは第三章ですね。まだ第二章なのでフライングです。AI姫に質問ですが、生身で一緒に来ますか? 幽霊で一緒に来ますか? 五秒で選択をお願いします」


 勇者が問いを投げた。

 片手には果物ナイフを構えている。

 質問はいっさい受け付けないという気配を感じる。

 普段は早く質問してくれという気配を全力で醸しているのに。


「……え、は、えと、生身で」

「え? 生身のままで良いんですか? 生きてると辛いですよ」

「どうしろって言うんですかぁ。まだ生きていたいんですよぉ!」

「じゃあ生身のまま行きましょう」


 勇者は振り返り、片手でハイメッセル王の肖像画を外す。

 その背後に隠し通路が現れた。


「始祖ハイメッセル様。どうか私に、私たちにご加護を」

「ハイメッセル? ああ、この絵がそうでしたね。王国の生産者表示とか言われてますけど」


 勇者は笑う。

 姫の手を引いて隠し通路を駆けていく。

 幽霊の時と違い、姫も疲れが隠せない。足がもつれることもある。


 勇者は隠し通路を抜け、王城の頂上付近に出た。

 外からの風が強く、寒さを感じる。勇者は縁に立つ。踏み外せば地面に真っ逆さまだ。

 姫は勇者をここから突き落とすべきだと確信した。しかし、勇者が一歩早い。


「飛びます」

「はい? きゃああああああ!」


 姫が付き落とす前に勇者が縁から足を踏み外した。

 勇者が姫の腕を掴み、姫も一緒に落ちる。


 壁すれすれを地面に落ちていく途中で勇者の目が妖しく光り、落下が止まった。

 幽霊の状態では何度も見ていたが、生身の状態で感じると明らかにおかしい挙動である。


「ひ……、助かった?」

「位置を転換して、と」


 勇者がすぐ近くの壁に立つ。

 以前も見た。柱に立っていた技だ。


「ここで反転させてっと」


 勇者が壁で逆立ちを始める。地面ではなく壁でだ。


「行きますよー」

「え、え、なんですかこれ!」


 先ほどまでは地面にむかって落ちていた。

 今は違う。空を飛んでいる。しかし、飛んでいるというより地面と並行に落ちている感覚だ。


「今は落下ベクトルを弄ったことで横に落ちてます」

「横に落ちる」


 姫が聞いたことのない言葉だった。

 おそらくこの世界の大半が聞き覚えがないに違いない。


「潜むアクションができる壁や柱の近くで、かつフィールドなら利用できます。移動が便利ですけど戻すのがやや面倒なんですね。しばらく落下してるんで暇ですけど話したいこととかあります?」

「……貴方には呪いがかかっていたはずでしょう。三つの呪いが。どうやって解いたのですか」


 王国呪術師の粋を集めた呪いだ。

 やすやすと解呪できるものではない。さらに冥府に行っていた。


「俺は呪いにかかってませんよ」

「しかし、貴方は魔法陣に入っていたではないですか」

「転移だけは章の都合上受けますけど、呪いは魔王に転嫁しました」

「魔王に、転嫁? そんな馬鹿なあの呪いは――」

「はい。勇者にしかかかりませんね。気づきませんか? 魔王は過去に王家から捨てられた勇者なんですよ。あなたたちを憎んでいるのはそのためです。ついでに言うと王家の呪いはターゲットの古い順にかかるので、過去に呪いを掛けられた魔王からかかります。一体につき一つ。だから、最低でも三体は集める必要があったんです。四体手に入れたので一体はおまけですね。保険で使えるところがありまして」


 あっけらかんと勇者は答えた。

 姫も困惑する。魔王が過去に王家が捨てた勇者というのは初耳である。

 姫は魔王の過去など知ろうとすらしなかった。

 それはそれとして疑問は残る。


「呪いの数と種類は? あなたは言いましたね。今回の呪いの数は三だと。種類も言いました。しかもその数と種類を私が教えたと。私は教えていません。そもそも私は呪いを知り得ません」

「姫は知らないでしょう。姫、私が一番最初に召喚された際、何と声をかけたか覚えていますか?」


 話が思わぬ方向に飛んだ。

 前の話との関連性が姫には理解ができないものの答えはする。


「『――召喚にお招き応じていただきありがとうございます。さっそくですが貴方の名前をお教えください』でしたでしょうか?」

「正解ではあるのですが、その前です。声をかけたでしょう」

「……かけた気がしますが、『勇者よ』でしたか?」

「『勇者よ』『お目覚めください』『勇者』の三つです。このかけ声がそれぞれ『HP自動減少』、『スタミナ半減』、『移動スキル制限』の呪いを示します。わかりますか、俺が受ける呪いの数と種類は姫が最初にかける声で決まってるんですよ。『目を覚まして』ですと『HP半減』、『勇者様』なら『防御スキル制限』、『おはようございます』は『常時ねぼすけ状態』でしたかね」

「嘘。私、そんなこと知りません」


 姫は事実として知らない。

 もちろんシステムに埋め込まれたことなので姫に非はない。勇者もそれは理解している。


「後に姫様が修得する呪詛系統のスキルとも関係しますね」

「呪詛系統? 私の得意魔法は補助ですよ。呪詛なんて使えません」

「序盤はそうです。でも、片鱗はありますよね。補助は声でおこなうでしょう。呪詛も声です。姫は王家の呪詛をきちんと相続しているんです。誇ってください。あ、そろそろですね。止まります」


 勇者の目が妖しく光って宙で止まり、地面に瓦礫を落としてそこに落下する。

 片手に瓦礫を出して、一緒に落ちてきた姫も瓦礫越しに受け止めた。


「ほぼドンピシャ。あとはちょっと位置調整をして、と」


 勇者は城の方を向く。

 そして顔だけで姫の方を見た。


「姫、俺が何を持っているのかわかりますか?」


 勇者は彼の手を姫に見せる。

 手には何も握られていない。姫も慣れてきたので自然に返す。


「無でしょう」

「さすが姫。無を把握しましたか。ですがこの場合、無で何を掴んでいたのかが重要になります。この掴んでいた無を投げます――と、同時にイベントスタート」


 勇者が無を投げた。

 知らない人が見れば、投げたふりをしただけの変人である。


 地が揺れた。揺れが止まらない。

 後方から多くの騎馬隊が勇者の方へと駆けてくる。


“(゜Д゜)”


 勇者の頭からエモーションが出て、イベントロックを解除する。

 駆けてきた騎馬隊から避けるように位置を移動していく。

 姫も騎馬隊が怖かったので勇者に付いていく。


「さて、強制イベの無駄時間ですので意味フな展開で困っている姫に説明をしたいと思います。よろしいでしょうか?」

「よしなに」

「その回答は初めて聞きました。やりますねぇ」

「早く解説をしなさい」


 勇者はわざとらしく「ごほん」と咳をして説明を始めた。


「第一章“勇者召喚”の終わりで王や姫たちに嵌められて勇者は冥府に飛ばされます」

「知っています」

「第二章“冥府彷徨”は冥府スタートで過去の勇者の残骸を集めたり、自らにかけられた呪いを解きながら仲間を集めて現世へとむかいます。第二章の終わりが今ですね。とうとう勇者が地上に出て憎き王都を見つめるんです。これらは王都を攻めるべく集まった仲間達です。そして、第二章が終わり第三章“王都激戦”が始まります」

「待ちなさい。王都で戦闘を?」

「はい。最終的に王都は滅びます。滅びないエンドもありますが、少なくとも今回は壊滅です」


 姫は気が遠くなった。

 勇者たちの脇では騎馬部隊が王都に向かっている。

 そもそもこの騎馬部隊が誰なのかすら姫にはわからない状態だ。


「王都で戦闘。しかも壊滅……。止められないのですか」

「無理です。もう投げましたから」

「……投げた? 何を?」

「賽と呼ぶには物騒すぎるものですね。そろそろイベントも終わりです」


 立ちこめる砂煙を見つつ勇者は告げた。

 彼の視線の先には王都がある。


「置物を投げた時にイベントに突入すると、置物は落下せずに飛び続けるんです。イベント終了と同時に減速して落下を始めるのですが、この速度の調整が極めて難しいものになります」

「……はぁ?」


 姫は話の方向を見失った。

 何を投げたかの話だが、誰にもわからない勇者理論を話し始める。


「そこで最初に戻ります。姫、俺が姫を最初に殺した直後で紅茶の入ったティーカップを投げたのを覚えていますか?」

「はっきりと思い出しました。今から叩いても良いですか?」

「良いですが、後にしてください。あそこで眠っている姫の顔面にティーカップを当てると称号が手に入ります。この称号で投げるスピードがややアップするんです。そして、この称号をセットしてこの位置で投げるとちょうど王都に到達するんですよ。実際はややズレるんですが、誤差の範囲に収まります」

「はあ、それであなたは何を投げたんですか? 何を投げたところで王城は易々と……」


 勇者は投げたというが、物を投げたところでなんということはない。

 王城の壁が崩れるのが関の山と姫は考えたが、思考の結果、わずかな可能性に行き当たった。


「え……、まさか勇者あなた、でもそんな馬鹿なことが」

「気づきましたね。無を取得すると、置物を掴んだ状態のまま離れたところまで移動できるんです。さらに投げた際に重量が軽量固定になります。落ちた瞬間に現れますよ。この投擲をモノの名前にちなんでこう呼びます。はい、みんなご一緒に――」


 勇者が大きく息を吸った。


「神魔大帝! メリィ! ハイ、ドーン!」


 勇者の叫びとともに王城の真上に巨大な物体が現れた。

 凄まじい音と土煙を上げて、王城に神魔大帝メリィハイドが現れる。

 その姿は倒した際の片足を上げたままのやや間抜けな姿ではあるが、下にある王城からすれば神魔大帝メリィハイドの姿は重要ではない。

 その重量と硬さ、投げられた際の速度は王都一帯を消し飛ばすに充分なものであった。


 姫は足から力が抜けて尻餅をついた。

 言葉が出ない。生まれ育った故郷が一瞬で潰されてしまったのだ。

 潰されたどころか土煙に包まれて、もはや王都はまったく見えない。一縷の希望を抱くが、姫の感覚でも助からないとわかる。


「……な、なぜ、このような」


 かろうじて姫の口から言葉が出た。


「第三章の通常クリア条件は王城の壊滅と重要人物の死亡、姫の王都外への脱出の三つです。条件が揃っているため第三章は始まった瞬間に即クリアとなります。圧倒的なタイム短縮です」

「タイムのために、こんなことを?」

「はい! 必要なスキルも揃ってきているので、このあたりからゲームが完全に壊れてきますよ!」

「もう壊れています! もう嫌っ! この悪魔!」

「悪魔は第五章のボスです。天使も一緒です。それじゃあ四章に移りますね!」


 姫は泣き崩れたが、勇者は止まらない。


 仲間キャラへの強制従属仕様で、姫は泣き崩れた状態のまま勇者の後ろを引きずり回された。




7.世界の救済


 最終的に勇者と姫は、夜には最終章のラスボスにたどりついた。


 姫の呪詛を勇者にかけ、勇者が呪詛の力を反転させ爪楊枝にセットする呪いの爪楊枝で、月面にいるラスボス――創世のアダムは一撃で弾ける。

 姫はラスボスの最期の反撃で容赦なく盾として使われ、幽霊となってしまった。


 エモーションでスタッフロールとEDをスキップし、タイマーを止めた。

 勇者の視界には平和になった世界と“勇者 、平和をありがとう”という文字が浮かんでいる。

 文字の隣には笑顔の姫(生身)が立ち、その隣に感情を失った姫(幽霊)も浮かんでいた。


「終わったぁ~。やっぱBUGは名作だな」


 勇者は一日足らずで世界を救い、姫の心を完全に破壊したのである。




 後日、AIトーク機能をゲームから削除するパッチが配布された。

 理由は“非人道的”という極めて非科学的なものである。


 しかし、一部の勇者はこのパッチを回避してBUGを遊び続けるのである。


 キャラの愉快な反応を楽しむために――。


 ~ 完 ~



「RTA in Japan Summer 2023」に触発されて書きました。

もしもこちらの短編に興味をもたれた方は、

ぜひ上のイベントの動画をご覧になってください。

そしてどうか、走者、解説、運営の方々に惜しみない拍手を。

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― 新着の感想 ―
[一言] やはり、RTA走者は頭がおかしい(褒め言葉)
[一言] 無を取得 ド○キーですかね あの辺り界隈は学会員も多いので日々進歩していて驚異です
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