第五話「後方撹乱作戦:その一」
統一暦一二〇三年七月十九日。
グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城内。ハルトムート・イスターツ
ヴェストエッケに到着した翌朝、俺は団長であるグレーフェンベルク子爵に呼び出された。
遠征軍用の宿舎を出て、足早に守備兵団本部へ向かう。
「ハルトも団長に呼ばれたのか?」
後ろからラザファムが声を掛けてきた。彼も俺と同じ方向に歩いていることから目的地が同じだと思ったようだ。
「そうなんだが、何の話か聞いているか?」
俺の問いにラザファムは肩を竦めることで、知らないことを伝えてきた。
守備兵団本部に入ると、すぐに司令官室の横にある会議室に案内される。
「第二騎士団第一連隊第三大隊第一中隊長、ラザファム・フォン・エッフェンベルクです!」
「同じく第二大隊第二中隊長、ハルトムート・イスターツ!」
扉の前で声を張る。
すぐに扉が開き、団長の副官が中に招き入れる。
中に入ると、グレーフェンベルク団長の他にシャイデマン参謀長とマティアス、イリス、そして影のユーダ・カーン殿が会議机を囲んで座っていた。
団長の前でラザファムと共に敬礼する。
「ご苦労。まずはそこに座ってくれたまえ」
俺たちが空いている席に座ると、参謀長が説明を始めた。
「ラウシェンバッハ参謀長代理の発案で敵の後方を混乱させる。実行部隊には君たちの中隊だ。ラウシェンバッハ殿、説明を」
マティアスは参謀長に頷くと、イリスに目で合図を送る。彼女はすぐに数枚の書類を全員の前に配っていく。
配り終わったところで、マティアスが説明を始めた。
「敵についての情報は聞いているね」
俺たちに確認してきたので、二人で同時に頷いた。
「前にも話した通り、鳳凰騎士団がどのような策を使ってくるか分かっていない。だから、先手を打って敵を混乱させる策を考えていた。この地図を見てほしい……」
そう言ってヴェストエッケ周辺の地図を指差す。
「クロイツホーフ城の南側は緩やかな丘陵地で森や林が多くある。城に繋がる街道は丘を迂回するように通っているから、その分死角が多い。それを利用して敵の後方を撹乱する……」
マティアスはいつも通り、図を使って分かりやすく説明していく。
地図には縦横に線が引かれ、横軸には1から13、縦軸にはAからJの十三×十のマス目になっていた。
「マス目一つはおよそ一キロメートル四方。クロイツホーフ城は3Aにあり、街道はこのルートで通っている……闇の監視者の協力で11Cと13Gに補給物資を運び込んである。ここを拠点に敵の輜重隊を攻撃する……」
俺たちは真剣な表情でマティアスの説明を聞いている。
「……出撃は黒狼騎士団が夜襲を仕掛けてきた後。彼らが引き上げるタイミングで出発し、法国軍のように見せかけながら途中で別れて川を渡る。暗闇の中での移動だが、影の案内人が渡河ポイントを教えてくれるから問題はない……」
カムラウ河はシュヴァーン河のような大河ではない。そして、この時期は水量が少ないため、場所さえ選べば船を使わなくても徒歩で渡れるらしい。相変わらず、マティアスの情報収集は完璧だと感心して聞いていた。
「……エッフェンベルク隊は敵の輜重隊に奇襲を掛け、敵の物資を焼き払うことと輜重隊の御者や馬を倒してもらう。この場所5Eが狙い目だ。敵がエッフェンベルク隊に討伐隊を出したら、イスターツ隊は森の中で伏兵となり、エッフェンベルク隊を追いかけてきた敵を倒す。と言っても、敵を倒すことが目的じゃない」
そこでマティアスは俺に視線を向ける。
「分かっている。敵を苛立たせるのだろう? 苛立った敵を森の中に引き込んで分断し、各個撃破していく。そういうことじゃないのか?」
マティアスは満足げな笑みを浮かべて大きく頷く。
「その通り。鳳凰騎士団が到着していないから、当然対応してくるのは黒狼騎士団になる。敵将のリートミュラー団長は単純な性格だ。最初は部下を送り込むだろうが、何度も敗北すれば、自ら陣頭に立つ可能性が高い。そこでリートミュラー団長を襲い、可能なら討ち取る」
敵将の一人を僅か二個中隊で討ち取るつもりだと知り、その大胆な策に驚きを隠せない。
「二個中隊で一個騎士団五千を率いる将を討ち取れというのか」
同じように驚いているラザファムが口を開く。
「君たちなら充分に可能だと考えているよ。いや、君たちにしかできないと思っている」
その信頼に胸が熱くなるが、部下の生死に関わるため、聞いておかなければならない。
「信頼してくれるのは嬉しいが、そもそも俺たちを選んだ理由を教えてくれ。第二騎士団には俺たちより優秀な中隊長はいくらでもいる。言っては悪いが、俺たちは騎士団に入ってまだ半年で、魔獣としか戦っていない。この任務を受けることはやぶさかではないが、友人だからという理由で選んだのであれば、もう一度考え直すべきだ」
俺の問いにマティアスに代わって団長が答える。
「その点は私も確認した。だが、マティアス君は君たちが最適だと断言した。その理由も聞いているし、私も彼の説明に納得している……」
団長が教えてくれた理由は以下のようなものだ。
一番の理由は、俺たち二人だけがマティアスの指示を確実に理解できる者だということだ。
今回の作戦では、通信の魔導具でヴェストエッケからマティアスが直接指示を出す。そのため、彼の指示を理解し、実行できる者が選ばれたというのだ。
これには俺もラザファムも納得できた。
俺とラザファムの連携のよさも選ばれた理由らしい。
ラザファムは騎兵中隊を指揮し、俺は歩兵中隊を指揮する。同じ大隊であれば、ある程度連携は取れるが、今回はマティアスの指示を聞きながら、見通しが利かない森の中で連携を取らなければならず、いつもと状況が異なる。
俺とラザファムは学生時代から何度も演習を行っており、互いの癖はよく分かっている。突発的な事態が発生してもラザファムがどう考えるかを想像することは、それほど難しくない。
俺とラザファムがマティアスから教えを受けており、目的のために何をすればよいか理解していることも評価された。
仮に通信が途切れた場合でも、戦略目的のために撤退が必要なら、どれほど戦果が得られそうでも確実に撤退すると、マティアスが確信していると教えてくれた。
「先ほども言ったけど、君たち以外にこの任務に就ける者はいないと確信している。というより、この作戦は君たちを前提に考えたものだ」
マティアスの言葉に俺たちは同時に頷いた。
彼は俺たちが納得したことに満足し、更に説明を続ける。
「さっきはリートミュラー団長を可能なら討ち取ると言ったけど、討ち取ることが目的じゃない。リートミュラー団長が君たちの撹乱作戦に対応できず、鳳凰騎士団の将たちが黒狼騎士団を侮ってくれることが重要だから」
「なるほど。二百の兵で五千の敵を無力化することが目的ということだな」
ラザファムの言葉に俺も頷く。
「実質百の騎兵で敵の輜重隊を完全に潰すことはできない。敵も馬鹿じゃないから、二度三度とやられれば必ず護衛を増やす。それだけの数の予備兵力があるのだからな。だから、敵将を苛立たせて過剰に反応させるんだな」
五千の黒狼騎士団のうち、輜重隊の護衛に千も回されれば、ラザファムの騎兵中隊だけでは輜重隊に致命的なダメージを与えることはできない。
「さすがは“世紀末組”の首席と第三席だな。これだけの説明でマティアス君の考えを完全に理解するとは」
“世紀末組”とは一二〇〇年に高等部の兵学部に入学した俺たちの同期を指す。それまでより優秀な者が多いという噂が流れ、世紀末組という名が知らない間に付いていた。
団長は俺たちが理解していると言って驚いているが、完全に理解できているわけじゃない。それにマティアスのことだから、この後に更に詳しく説明してくれると思っている。
「作戦を理解したところで、具体的な打ち合わせに移りたい。これから闇の監視者の方たちと一緒に情報のすり合わせを行うが、大丈夫か?」
予想通りの言葉に俺たちは同時に頷いた。
「危険な任務だが、君たちならやり遂げてくれると確信している」
団長はそれだけ言うと、参謀長と副官を引き連れ、会議室から出ていった。
残ったのはいつもの四人と影のユーダ・カーン殿だけになる。
「まず、君たちにはこれを完璧に覚えてもらう」
マティアスはそう言うと、ユーダ殿が足元にあった木箱を机の上に載せる。箱は真っ黒な三十センチほどの立方体で、側面の一ヶ所に直径五センチほどの穴が開いていた。
マティアスがイリスに小さく頷くと、灯りの魔道具を消す。
窓がないため、真っ暗になるが、すぐに箱の穴から光が出て部屋はぼんやりと明るくなる。
「これは映写の魔導具というものだ。対になる撮影の魔導具を使って目で見えたままの風景を写し取り、この魔導具で映し出すことができる……」
マティアスから聞いたことがあったが、実物を見たのは初めてだ。
「今から見てもらうのは、さっきの地図の各地点から見える風景になる。ユーダさん、お願いします」
ユーダ殿は恭しく頷くと、魔導具を操作する。
次の瞬間、会議室の壁に森と丘、遠くにあるクロイツホーフ城が映し出された。色は薄茶色だが、手で書かれたものとは違う精密な絵に驚く。
「これは地図の5E地点のほぼ中心から北北西の風景となります。ちょうど街道上に当たり、このように街道は緩やかに蛇行しながら城に向かっております……」
その後、百以上の映像が映し出された。
「出撃は早ければ今夜、遅くとも明日の夜になる。あとで小隊長たちにもこの映像を見せて、地形を覚えさせてほしい。それから通信の魔導具についてもテストをしたい……」
それから午前中いっぱいは地形の把握に努めた。何度も繰り返し見ることで、地図の番号と風景が一致するまで続けられたのだ。
通信の魔導具のテストはすぐに終わった。
操作自体は影がやってくれるので覚えることはないが、離れた場所の者と明瞭に話ができることに驚きを隠せない。ただ、同時に話ができないので、話し終わったことを知らせる合図が必要ということだけが面倒だが。
「これが戦場で普通に使われれば、戦術が変わるな」
俺の感想にラザファムが頷く。
「確かにな。これがあれば兵を自由に動かせるから遊兵を作らなくて済む。しかし、こんな便利なものがあるなら、正式に採用してくれてもよさそうなものだが?」
ラザファムの疑問にマティアスが苦笑交じりで答える。
「数が少ないし、ものすごく貴重なんだ。これのために天災級の魔獣の魔石が必要だから。叡智の守護者で簡易版が作れないか研究してもらっているんだけど、今回借りられたのは十台しかないんだよ」
天災級の魔獣の魔石は五千万マルク(日本円で約五十億円)以上するらしい。確かに戦場で使うには高級品過ぎる。
「分かっていると思うけど、これは戦術を劇的に変える物だ。レヒト法国に奪われても理解はできないだろうが、真理の探究者に奪われると厄介だから、通信を担当する影は独自の判断で撤退を許可している」
東の魔導師の塔である“真理の探究者は、魔導具の研究に力を入れていると聞いている。
叡智の守護者の物に比べると、性能的には大したことはないらしいが、金さえ出せば誰にでも売るため、警戒が必要だということだ。
今回、叡智の守護者が協力してくれているのは、魔導具の効果的な使用法を研究するという目的からだそうだ。
これまで十台もの通信の魔導具を同時に使ったことがなく、また、移動しながら使うことも少なかったため、どの程度の影響が出るのか確認するためらしい。
その後、早めに夕食を摂り、夜襲に備えたが、何事もなく朝を迎えた。
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