第十話「モーリスの相談:前編」
統一暦一二〇〇年十月一日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ネッツァー邸。ライナルト・モーリス
半年ぶりにグライフトゥルム王国の王都シュヴェーレンブルクにやってきた。
目的はマティアス様にある報告をするためだ。しかし、依頼されてから一年以上経つのにあまり成果が上がっておらず、気が重い。
マティアス様から依頼されたのは、叡智の守護者の情報分析室に協力してレヒト法国内で噂を流すこと、法国を支配するトゥテラリィ教団上層部に伝手を作ること、そして、法国内の獣人族を密かに王国に連れ出すことだ。
噂を流すことは以前からやっているから特に問題なく、教団内に不満が溜まりつつあると聞いている。
しかし、上層部への伝手に関してはほとんど進捗していない。
マティアス様からは金に汚い俗物だが外面のいい人物に接触、支援し、出世させることが求められている。これは法国の指導者を更に腐敗させ、政争を加速させるためだそうだ。
しかし、見つかるのは単なる俗物ばかりで、該当する人物になかなか当たらない。それどころか、どうやって見つけたらいいのか、糸口すら掴めていない状況だ。
それ以上に難航しているのは獣人族を密かに出国させることだ。
当初私は獣人族を出国させる理由を、彼らが法国内で迫害されているため、救済の意味で行われると思っていた。
しかし、マティアス様はそうではないと断言された。
マティアス様は法国の戦力と国力を低下させる策として考えているとおっしゃったのだ。
法国における獣人族の一般的な扱いだが、都市部では最底辺の戦闘奴隷として、辺境では魔獣の脅威から農村を守るための盾というものだ。そのために生存が認められていると言っても過言ではない。
戦闘奴隷は聖堂騎士団が所有し、城壁や敵陣への攻撃のための決死隊、すなわち捨て駒として使われている。騎士団の連中は卑劣なことに、奴隷の家族を人質に取って、無謀な攻撃を強要しているのだ。
奴隷たちも命は惜しいが、家族を守るためにはどれほど危険な命令であっても従うしかない。獣人たちの同族に対する愛情は普人族よりも強いと言われており、法国の連中はその同族愛を利用しているのだ。
グライフトゥルム王国とグランツフート共和国にとって、身体能力の高い獣人が命を顧みずに攻撃を加えてくることは大きな脅威だ。実際、王国軍も共和国軍も奴隷部隊の捨て身の攻撃により、毎回大きな損害を出していると聞いている。
そのため、獣人奴隷が減ることは、両国にとっては国防の観点で歓迎すべきことで、マティアス様のお考えは理解できる。
また、辺境の獣人族の集落がなくなれば、魔獣を狩る者がいなくなり、魔素溜まりから溢れ出た魔獣によって、氾濫が引き起こされる。
大都市ならそれほど脅威ではないが、農村において氾濫は生存に関わる大きな脅威であり、それを防ぐためには恒常的に騎士団を出動させるか、狩人を常駐させるしかない。
治安維持の任も担っている騎士団が魔獣に掛かり切りになれば、盗賊が蔓延るなど治安を悪化させることに繋がりかねない。また、狩人を常駐させるには多大なコストが掛かるため、獣人族を減らすことは、地味ではあるが、効果的な嫌がらせと言える策だ。
マティアス様はそれらを考慮して獣人族を集落ごと出国させて王国に引き込み、逆に戦力化できないかと考えているとおっしゃられた。
しかし、それは建前で獣人族の悲惨な状況を知り、手を差し伸べようとされているのだと私は考えている。
なぜなら、戦力化するだけなら法国内に残したまま獣人たちを支援し、農村や商人を襲わせればいいだけだからだ。
実際、マティアス様はリヒトロット皇国で帝国相手にそれに近い策を使っていると聞いている。その作戦の方が効率はいいはずなのにやらないということは、他の理由があるはず。それが獣人たちを救済することだと、私は考えている。
その獣人族を密かに出国させる件だが、未だに成功していない。
彼らが私たちモーリス商会を信用していないことと、土地への執着が強く、集落を放棄したがらないことが問題だった。
彼らは我々の説明にどれだけ理があっても、また何度悲惨な目にあっても、縄張りを守るという本能に逆らえず、理性ではそうすべきだと思っても、実際に故郷を捨てるとなると、決心がつかないらしい。
今日は学院が休日であるため、上級魔導師であるマルティン・ネッツァー氏に部屋を貸してもらい、マティアス様にご足労願った。
本来なら私の方からラウシェンバッハ子爵邸に赴かねばならないのだが、商人組合の商人が宰相府の官僚の屋敷を訪れると子爵に迷惑が掛かるため、止む無く来ていただいている。
私はレヒト法国で実際に活動しているロニー・トルンクという男を連れてきている。ロニーは私と同世代だが、十年以上の付き合いがあり、私の信頼する部下の一人だ。
人当たりがよく、更に大胆さがあり、レヒト法国では商人たちに噂をばらまく仕事を上手くこなしてくれていた。
今回の相談でもマティアス様から実情を聞かれる可能性があることと、実際に行動する彼がマティアス様のお考えを直接聞く方がいいと思って呼び出したのだ。
もちろん、叡智の守護者には事前に了解をもらっている。
マティアス様はいつも通りの優しい笑みを浮かべて部屋に入ってこられた。
「モーリスさんにはいつも面倒なお願いをして、申し訳ございません」
開口一番、マティアス様は真剣な表情に変えて頭を下げる。
その行動に私は慌てた。
「い、いえ。私の方こそ、いろいろとお知恵を借りることができて、助かっております! この程度のことでご恩を返しきれていないと心苦しく思っているのです」
これは本心だ。モーリス商会が大陸屈指の商会に成長できたのは、マティアス様のお陰だからだ。
「そう言っていただけると少し心が軽くなります」
マティアス様はそう言って再び微笑まれた。
「この男は私の部下のロニー・トルンクという者です。叡智の守護者の情報分析室の指示を受け、レヒト法国での情報収集や操作を行っております」
私が紹介すると、ロニーは緊張気味に頭を下げた。
「トルンクさんのことは情報分析室から聞いております。いつも迅速かつ正確な情報収集と的確な情報操作で大変助かっていると、室長のゾフィアさんがおっしゃっておられました」
「恐縮です……」
ロニーはいつもの快活さが影を潜めている。
彼を紹介した後、すぐに本題に入った。
「今日は法国での活動に関する相談と伺いましたが?」
マティアス様はそう言って私を促した。何となくだが、私が相談したいことが分かっておられるような気がする。
「はい。商人に噂を流すことは上手くいっているのですが、教団上層部に上手く食い込めないのです。それに獣人たちも全く説得できておりません。マティアス様のお知恵をお借りしたいと……」
依頼をした本人に知恵を借りるという事実に語尾が小さくなる。
「なるほど。では、どういった点が難しいか、具体的に説明いただけますか?」
私とロニーは思いつく限りの情報を伝えた。
「……というわけで、マティアス様のご期待に沿えずにいるのです」
十分ほどで説明を終える。
マティアス様は数秒考えた後、ゆっくりとした口調で話し始められた。
「私の指示が雑でした。申し訳ございません」
そう言って頭を下げられる。
「い、いえ、そのようなことは……」
私が慌てていると、マティアス様は小さく首を横に振る。
「いえ、私がもう少し具体的にお願いしておけば、モーリスさんとトルンクさんなら上手くやれたでしょう。情報が少ない時ならば仕方ないですが、最近では充分な情報が入ってきていますので、きちんとした策を考えてお願いすればよかったと反省しています」
そうおっしゃると数枚の紙をテーブルの上に置かれた。
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