第八話「演習:後編」
統一暦一二〇〇年五月七日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、騎士団本部。クリストフ・フォン・グレーフェンベルク
日が大きく傾き、空が茜色に染まった午後六時頃、騎士団本部で書類仕事を終え、そろそろ帰宅しようとした時、大隊長のケヴィン・ボッシュが私の部屋を訪れた。
「このような時間に申し訳ございません」
そう言って謝る彼の顔には疲労の色が見えた。しかし、その原因は分かっている。
「マティアス君のことかな?」
「はい。どのように評価していいのか迷っておりまして……」
一昨日の夜、マティアス君は命令書に反して夜襲を行い、勝利を収めた。
そのため、翌日以降のスケジュールが無茶苦茶になったことから、学院側の指導教官が私のところに来て、その話をしている。だから、だいたいの事情は知っていた。
翌日以降のスケジュールの変更は行ったが、詳細は聞いておらず、ケヴィンから直接話を聞きたいと思っていたところだ。
「なかなか大変だったようだが、具体的には何があったのだ?」
私が水を向けると、ケヴィンは持ってきた書類を見せながら話を始める。
説明を終えるところで気にしている点を言ってきた。
「……非常に優秀な人材というのは理解したのですが、命令に違反したことと、厳格すぎる規律重視の姿勢が気になっているのです。お館様に相談することではないかもしれませんが、私ではどう扱っていいか分からないのです」
心底困った顔をしているが、そのことに思わず笑みが漏れてしまう。
「その気持ちはよく分かるぞ。私も彼のことをどう扱ったらいいのか、未だに分かっていないのだからな」
私の言葉と表情にケヴィンは怪訝な表情を一瞬だけ浮かべた。私がからかっていると思ったようだ。
これでは不味いと思い、表情を引き締める。
「まず命令違反というが、彼がハルトムート・イスターツや他の同級生に説明したように、命令には違反していない」
「ですが、命令書では明確に初日の夜襲は禁じています」
「前提についてお前と話をしたのだろう。連隊長が答えられることであれば答えてもよいと」
「はい。命令書だけではなく、確認は可能と答え、実際に多くのことを確認してきました」
「つまりだ。命令書はあくまで事前の想定に従って文書化したものだということだ」
命令書には大まかに分けて二種類ある。
一つは上位者が口頭ないし伝令で詳細な命令を伝えられないことを想定し、厳格に守ることを前提とした命令書だ。これに反する行為は命令違反となる。
もう一つは口頭で命令したことを文書化し、証拠として残しておくものだ。命令が正しく理解されなかったことを想定し、上官と部下の間で共通認識として要点だけを記した文書を作っておく。
この場合、口頭での命令が重視される。命令書作成時点から状況が変わっている可能性があり、命令自体が変更になることがあるためだ。
よって、命令書が作成された後に新たな命令が出たような場合であれば、上官が間違っていないと言えば、その命令書に書かれている内容と異なった行動を採っても問題にはならない。
今回のケースはこれに当たる。
「何となく分かりますが……」
ケヴィンはまだ納得していない。
「マティアス君は連隊長代理であるお前が答えたことの方が、命令としては有効だと考えた。当然だろう。同じ連隊長が出した命令だが、命令書の後に同等の権限を持つ代理が上書きしたのだから」
「私が連隊長代理ですか? 確かにそうも取れますね……」
ケヴィンは一瞬驚くが、すぐに私の言いたいことを理解する。
「その中で作戦の目的を明確にしている。そして、マティアス君が大隊の指揮を引き継いだ後、連隊長の指揮下から離れた。つまり、彼が現場の最高責任者ということだ。目的に沿う限り、現場の判断が優先されることは間違いどころから推奨されるべきことだ。そうじゃないか?」
「おっしゃる通りです。命令にガチガチに縛られていたので、目的を達成できませんでしたという言い訳はできませんから」
「ならば何も問題ないではないか」
一点目についてはケヴィンも納得した。
「軍規の話はどうでしょうか? 学生の実技演習で死罪になるなどあり得ないと思うのですが」
「それも違うぞ。第一マティアス君は最初に確認したのだろう? 演習中も実戦と同様に軍規に従うべきかと。それに対して第二騎士団の大隊長がその通りだと明言したのだ。それに従うことがおかしいということは、騎士団の指揮命令系統を否定していることになる」
「建前ではそうですが、あの時、彼は本気でトムゼンを殺すつもりでした。これは本人から直接聞いた話ですから間違いありません」
「彼ならやっただろうな。軍規を守ることは軍自体の存続に直結すると考えているからな」
ケヴィンもマティアス君の書いた教本を読んでいるはずだが、根本を理解していなかったらしい。
「おっしゃることは分かりますが、指揮官が上官の許可もなくその場で処刑しようとしたのです。これは許されないことではないのでしょうか」
「作戦中の独立部隊で反乱が起きたら、指揮官が処刑するのは当然のことだろう。報告を聞く限り、トムゼンは公然と上官を侮辱し反抗したのだ。私がマティアス君の立場でも同じことをしただろう」
「そうなのですが、首を刎ねようとした時のあの笑顔がどうしても忘れられないのです」
どうやらトラウマになっているらしい。
「ちなみにその後はどうなったのだ? 先ほどの報告にはなかったが、トムゼンもお前と同じように恐怖を感じたままなのか?」
「それは違うようです。マティアス様は夜襲が成功した後、トムゼンを労ったそうです。トムゼンはここで失敗したら確実に殺されると思って本当に死ぬ気になって防御柵を飛び越え、一番に敵陣地に侵入したそうです。それを知っていたマティアス様は全員の前で彼のことを勇敢な兵士だと称えていました。そのことにトムゼンは感動し、その後は反抗的な態度を取ることはなくなっております」
「ならば何が問題なのだ? 一罰百戒で規律を引き締め、隊全体の士気を高めた上、禍根も残していない。私でもこんな芸当はできんぞ」
正直な感想だ。軍規を守らせるために、見せしめ的に厳しく罰することはよくある。
その場合、見せしめにされた者は不満を残すことが多く、軍を辞めることすらあるのだ。
「言われてみればお館様のおっしゃる通りです。どうもあの姿と行動のギャップが大きすぎて、私自身混乱していたようです」
「それならばよかった。ちなみに対戦相手側は何か言っていなかったのか? ルール違反だとか、ズルをしたとか」
「直接は聞いておりませんが、ラザファム様とイリス様は納得されていたとのことで、不満を持つ他の学生を宥めていたそうです。それに二人は夜襲があることを想定していたそうで、単純な襲撃なら防いだだろうというのが、第二大隊長の見立てでした」
凄いものだなと思ったが、マティアス君とラザファム、イリスの三人はエッフェンベルク騎士団の訓練を見ているからできてもおかしくないと思い直す。
この際なのでケヴィンにもマティアス君のことを伝えておこうと思った。
「これは機密事項なのだが、王国軍の改革案の素案はマティアス君が作ったものなのだ」
「ま、まさか……いえ、お館様のお言葉を疑ったわけではなく……」
ケヴィンは驚きのあまり、否定の言葉を口にした後、慌てて訂正する。
「構わんよ。実際、あの改革案が作られたのは三年前、マティアス君が初等部の一年の時なのだ。僅か十三歳の少年にあれほどのものが作れると思う方がおかしいからな」
「では本当にマティアス様が? 叡智の守護者の魔導師が作ったと聞いておりましたが……」
「マティアス君は叡智の守護者の情報分析室にも籍を置いているそうだ。だから叡智の守護者が作ったというのは間違いじゃない。それにお前も読んでいる指揮官用の教本、あれも彼が作ったものなのだぞ」
「……」
驚きのあまり言葉が出ないようだ。
「私が幕僚に迎えたいと言った本当の意味が分かっただろう。今回のことでその想いは更に強くなったが」
「理解しました。確かに今すぐにでも騎士団に入っていただきたいと思います。まあ、実戦に出るにはもう少し体力をつけていただかなくてはいけませんが」
報告では夜襲を行ったものの、マティアス君は丘の上に駆け上がることができず、すべてが終わった後に息を切らせて登り切ったらしい。
「彼に陣頭指揮など期待しておらんから問題はなかろう。彼には参謀、いや、私の軍師として傍にいてほしいだけだからな」
私の言葉を聞き、ケヴィンも大きく頷いている。
「お館様のお言葉に全く同感です。あの方が作戦を立ててくださるなら、安心して戦えると確信しています。これは我が大隊の全員が感じていることです」
「その言い方では私では不安だという風に聞こえるぞ。もっとも気持ちはよく分かるがな」
「そ、そんなことは……」
「ハハハハハ! 気にするな、冗談だからな」
慌てたケヴィンの顔を見ながら、マティアス君を引き込むためにどうしたらいいのかと考え始めていた。
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