番外編第二話「護衛カルラ・シュヴァイツァー」
統一暦一二一三年三月三日。
グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、叡智の守護者の塔内。カルラ・シュヴァイツァー
マティアス様とイリス様が仲良く中庭で話をされている。お子様方も楽しく駆け回っており、ここだけ見れば幸せそうなご家族にしか見えない。
しかし、マティアス様のお身体はご自身が思っておられる以上に酷い状況になっている。
その事実に二十年以上、護衛を務めている私は、常に冷静であるべき影の組頭であるにもかかわらず、怒りの感情を抑えることができなかった。
怒りを抑えるため、マティアス様と出会った時のことを思い出していた。
私がマティアス様の護衛となったのは二十一年前の統一暦一一九二年五月。
大賢者マグダ様から直々にお話があった。
「カルラに頼みがある。一の組の者たちで、坊を守ってほしいのじゃ。その指揮をそなたに頼みたい」
闇の監視者には“一の組”から“十の組”までの十の組がある。そのうち、一の組はその名から分かる通り筆頭であり、最も技量の高い者で構成されている。
その護衛対象はマグダ様やシドニウス様ら、叡智の守護者にとって重要な方々で、グライフトゥルム王国の国王ですら我が組から護衛を出すことは滅多にない。
それが天才とは言え、ただの普人族の子供一人に“一の組”が護衛をし、更に組頭である私にその指揮を執るようにと言われたことに、マグダ様のお言葉とはいえ、素直に頷けなかった。
「坊は神を復活させるカギとなると思うておる。不満があるかもしれぬが、頼まれてくれぬか」
マグダ様にそこまで言わせてしまったことに気づき、私は慌てて「承ります」と答えた。
そして、大きく頭を下げた。
「不満を感じたことを謝罪いたします。この罰はいかようにお受けいたします」
我ら影は助言者であるマグダ様の命令に無条件に従わなければならない。それがどれほど理不尽なものであっても。
そのことを一瞬でも忘れた自分が許せなかった。
「よいよい。儂の言い方が悪かったのじゃ。気にしておらぬ」
マグダ様は私にとって無条件に従うべき絶対者であるが、師であり母でもあった。
孤児であった私に魔導と武術の手解きをしてくださり、更に愛情を注いでくださった。マグダ様も私のことは特別と考えているところがあり、そのことにどうしても甘えが出てしまうのだ。
「坊が何をするのか、儂に代わってよく見てほしいのじゃ。そのようなことはそなたにしか頼めぬからの」
そのお言葉を受け、私はマティアス様のお世話をするメイドに扮して護衛をすることにした。貴族の子息であり、メイドが近くにいるのはおかしな話ではないので適任だと思ったのだ。
マティアス様のされることを間近で見ていると、マグダ様があれほど高く評価されていた理由が分かってきた。マティアス様は幼いながらも情報を扱う達人であり、これまであやふやであった世界の情勢がはっきりと見えてきたのだ。
情報分析室の直属となった“八の組”の組頭、エルゼ・クロイツァーと話をしたことがある。
「どうやって情報を集めているのかしら?」
「いろいろね。内務府の出先機関の事務員に成りすましたり、居酒屋の給仕に化けたりしているわ。ほとんどがマティアス様のご指示だけど面白いわよ」
エルゼとは七百年近い付き合いがあるが、これほど楽しげに話している姿を見たのは思い出せないほど昔のことだ。元々我々影は感情を見せない間者であり、暗殺者だ。それがあからさまに楽しげに見えたということに驚いた記憶がある。
「面白い? 仕事を楽しむなど、駒に過ぎない影にあるまじきことだと思うが」
「マティアス様は私たちを駒とは見ておられないわ。あなたもそのことは感じているのでしょ?」
その言葉に反論できない。
マティアス様は護衛に過ぎない私や部下の影に対し、必ず名に“さん”と付ける。護衛であり、メイドに扮している私には不相応だと呼び捨てにしてほしいと何度もお願いしたのだが、聞き入れてもらえなかった。
「私はカルラさんたちの雇い主ではありませんし、仮に雇い主であっても世界の趨勢を担う大賢者様をお助けする尊敬すべき方たちですから、私のような何もできない子供が呼び捨てにしていいとは思っていません。もちろん、仕事に支障が出ないように人がいるところでは呼び捨てにしますが、周りに人がいない状況では敬意をもって接しさせていただきます」
我々影は人の秘密を探る間者であり、無慈悲に人を殺す暗殺者であるため、普通の人々は毛嫌いする。貴族の中には我々の有用性を理解している者もいるが、それでも尊敬という言葉が出てくることは絶対になかった。
「しかし、私たちの働きを見たことがないのではありませんか? 尊敬される理由が分かりません」
私は思い切って聞いてみた。
するとマティアス様はいつもの微笑みを浮かべて答えてくださった。
「エルゼさんたちの働きを見れば、私が想像もできないほどの努力をされて技量を身に着けたことは分かります。それにマグダ様や叡智の守護者の目的も知っていますから、その最前線で働いているカルラさんたちがどれほど大変な仕事をされているか、想像は付きますよ」
そのお言葉にエルゼが言っていた意味が分かったが、それからしばらくして更に深い理由があったことが判明した。
それはマティアス様がマグダ様やシドニウス様に報告する際、影の働きを細かく説明し、彼らの働きでここまで分析できたのだと主張しておられたのだ。
そして、マグダ様が驚くほどの天才であるマティアス様が影に敬意をもって接してくださるため、若い魔導師たちも態度を改めるようになってきた。
それまでは闇の監視者は叡智の守護者の下部組織ということもあり、若い魔導師は我らの方が魔導の腕を含めて能力が高いにもかかわらず、自分たちの方が上だと思っているところがあった。
マグダ様やシドニウス様が我々に親しげに声を掛けてくださるので、そのことが気に入らなかったようだが、その蟠りをマティアス様は少しずつ払拭してくださったのだ。
更にマティアス様は八の組の影たちの安全に最も気を遣われている。エルゼや情報分析室の室長ゾフィア・ゲール導師がもう少し踏み込んで情報を集めることができると提案しても、頑としてお認めにならなかったのだ。
「影の皆さんは叡智の守護者の宝なんですよ。情報収集や情報操作程度で危険に晒していい方たちではありません。たとえ帝国の戦略を確実に潰せる策であったとしても、影の皆さんを危険に晒すのであれば、私は絶対に認めません」
いつもは微笑みを絶やさないマティアス様が真剣な表情で断言した。
この話を聞き、八の組だけでなく、我ら一の組の影もやる気になった。
そのことを告げると、マティアス様は寂しそうな表情を浮かべられた。
「私程度の評価でやる気が上がるというのは問題ですね。大賢者様と大導師様にもう少し影の方々を評価していただくよう進言しておきます」
それから劇的に我々に対する評価が変わった。
その頃からマティアス様に心からお仕えするようになった。
マティアス様は前線に出ることはないが、戦えないのに意外と大胆に戦場に近いところに行かれる。
ヴェストエッケの戦いでは敵の矢が届く物見台から指示を出していたし、シュヴァーン河流域作戦ではガレー船の上から指揮を執っておられた。
私とユーダ・カーンからもう少し後方にいてほしいとお願いしたが、勝率を上げ、味方の損害を少しでも抑えるためには、ご自身の危険は顧みられない。
そのため、いつもハラハラしていたが、戦場ではない騎士団本部で暗殺者の魔の手に掛かってしまった。
それもマティアス様からヒントをいただかなければ、手口すら掴めなかったほどの失態で、私は自害して詫びようと考えたほどだ。
マティアス様にそのことをお伝えしても止められるだけだ。そのため、私以上にお怒りのイリス様にそのことを告げた。
イリス様は私に対して怒りをぶつけることなく、優しい笑みで話された。
「彼を守れなかったのは私も同じよ。それにあなたが死んでも彼が健康になるわけじゃないわ。私もマティもあなたに責任を取ってもらおうとは思っていない。ただ私に言えることは、そこまで思い詰めているなら死ぬ気になって彼を守りなさいということ。私はその覚悟を持って生きているから」
予想していた言葉とは違ったが、私の今後を決めた。
私は二度と暗殺者をあの方に近づけさせない。そう誓った。
影なのに影が薄い存在であった護衛のカルラの話でした。
初期から出ているのにセリフが少なく、叡智の守護者の中での立ち位置も分かりづらかったので、今回はちょうどよい機会と思い、書いてみました。
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