第二十三話「健康問題:後編」
統一暦一二〇六年十一月六日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、マルティン・ネッツァー邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
王国騎士団長クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵の健康問題に対処するため、魔導師の塔“叡智の守護者”を通じて、助言者である大賢者マグダに連絡を取った。
そして、本日約一年振りに大賢者と顔を合わせている。
大賢者は神が生まれる可能性が高いリヒトロット皇国の皇室関係者を亡命させるべく、この一年ほどはその活動に専念していたらしい。
「そなたの方が分かっておると思うが、皇国が亡ぶのはもはや時間の問題じゃ。今は皇室の者を密かに逃がそうと画策しておるが、皇王がなかなか首を縦に振らぬ。ようやく姫を一人、辺境に逃がすことを認めさせたところじゃ」
「ジークフリート殿下は候補として見込みが薄いということでしょうか?」
グライフトゥルム王家の第三王子ジークフリートは、強い魔導の素質を持ち、神となりうる可能性が高いとマグダ本人が言っている。
「そうではない……何と言ってよいのかの……ジークフリートは儂に対して敵意というか、隔意のようなものを持っておるのじゃ。そのせいでなかなか指導が進まぬ。今は心を開かせることから地道にやっておるところじゃが、このままではあの者が“神”となることを拒むのではないかと危惧しておるのじゃ」
最大の候補者とコミュニケーションが上手く取れず、せっかくの素質を生かしきれないことを危惧しているらしい。そのため、ジークフリート王子が拒んだ場合に備え、リヒトロット皇家の姫を逃がそうとしているそうだ。
「それはよいとして、グレーフェンベルク伯の体調が優れぬとマルティンより聞いたが、儂が見ねばならぬほど危機的な状況なのかの?」
「その点は私からは何とも言えません。ただ、伯爵本人は余命を考えて生き急いでいます。何事もなければよいのですが、伯爵の焦りがマルクトホーフェン侯爵に利する可能性が出てきました。このままでは王国自体が悪い方向に進み兼ねません」
「なるほどの。そういうことであれば、儂が診ることにしよう」
こうして、グレーフェンベルク伯爵の診察が行われることになった。
王国騎士団長の健康問題はトップクラスの機微情報であり、夜になってからネッツァー氏との会食という理由を付けている。
「大賢者様に私如きを診ていただくのは大変心苦しいのですが」
基本的に大賢者は治癒魔導を使わないと言われている。
これは大賢者ほどの大魔導師なら不治の病でも治してくれると考え、依頼が殺到するためだ。
実際には私も治療してもらっているし、神を生み出すと言われている、グライフトゥルム王家やリヒトロット皇家の治療は密かに行われている。しかし、伯爵には知る由もなく、神に近い力と知識を持つ大賢者に治療してもらうことに気後れしているのだ。
「マティアスの頼みでもあるし、儂が診ても治るとは限らぬ。それよりも年寄りはせっかちなのじゃ。すぐにでも始めるぞ」
大賢者は普段通りの老婆姿であり、“叡智の守護者”の関係者だけに見せる妙齢の美女姿ではない。
伯爵はその場で服を脱ぎ、寝台に横になった。
「マルティンよ、儂と共に診察を行え。そなたの意見も聞きたいからの。マティアスは一度下がっておるのじゃ」
親族でもないのに診察の場に立ち会うのも変な話であり、素直に部屋から出る。
三十分ほど待っていると、伯爵が出てきた。
その顔には納得とも達観とも取れる晴れやかな表情が見えた。
「どうでしたか?」
「どうやらあまり時間は残されておらんようだ。まともに動けるのは三ヶ月ほど。余命は一年もないらしい」
私は言葉を失った。
死の宣告を受けたにしては晴れやかで、本当のことなのかと疑ってしまうほどだが、伯爵としては明確になったことですっきりしたようだ。
見た目は文官のような線の細い人物だが、剛毅さは始めて会った時から変わっていない。
私の表情を見て、笑い出す。
「ハハハ! 君の方が余命の宣告を受けたようじゃないか! ハハハ!」
「笑い事ではありませんよ……」
そこで伯爵は笑いを止める。
「君には私の命を存分に使う策を練ってもらわねばならん。それにこのことは誰にも話すな。もちろんイリスにもだ」
「おっしゃることは分かりますが、妻には話させていただきたいです。今後の策を練るにしても、彼女の意見は必要ですから」
「そうかもしれんが、それでも駄目だ」
妻のイリスは私の最大の理解者であり、助言者でもある。そのことは伯爵も理解しているはずだが、拒否されたことに驚いた。
「なぜでしょうか?」
「彼女のことは幼い頃から知っているが、心根の優しい女性だ。私が余命幾ばくもないと知れば、必ず悲しむ。そして、それを隠すことができるほど演技が上手いとは思わん。彼女が悲しむ素振りを見せれば、マルクトホーフェンたちに知られる恐れがある」
言わんとすることは理解できた。
イリスは女騎士として剣を振るう女傑だし、私と一緒に冷徹な策を考えられるほどの知性を有している。
しかし、根本的には優しい女性であり、“クリストフおじ様”と呼び、親族に近い伯爵が死病に冒されていると知れば、悲しむことは間違いなく、それを隠し通すことも不可能だろう。
「分かりました。閣下が黄泉に旅立つまで、私の胸にしまっておきます」
妻に隠し事をするのは心苦しいが、死を覚悟した本人のたっての希望とあれば叶えるしかない。
「では、大賢者様の話を聞こうか。君にも一緒に聞いてもらいたいと思って、話の途中で出てきてしまったからな」
そう言って元の部屋に戻っていく。
大賢者とネッツァー氏は深刻そうな顔で待っていた。
「マティアスも来たか……では、伯爵。先ほどの話の続きじゃ。原因は魔導器の異常じゃ。それによって血液が魔素に変質され、疲労に似た症状が出ておる」
「治療の手段はないのでしょうか?」
大賢者は悲しげな表情で首を横に振る。
「魔導器をいじれば、魔人化する恐れがある。この病は儂でもある程度進行せねば見つけられぬ厄介なものじゃ。そして、進行し始めればすぐに手の打ちようがなくなる不治の病でもある。普段から魔導器を使う魔導師であれば、魔導器の異常に自ら気づいたかもしれんのじゃが……」
魔導器は魔象界から魔素と呼ばれるエネルギーを取り出すこの世界独特の器官だ。
そして、魔素は世界の理を変えるほどの力を持ち、肉体も影響を受ける。
魔導師や東方系武術の使い手であれば、意識的に魔導器を使うため、異常に気づくらしいが、一般人である伯爵は初期段階で気づくことができなかった。
「とりあえず、魔導器の機能を強制的に止めておるから、急激な進行はないが、変質した血を元に戻す方法がない。儂の経験から言えることは、ここまで進行しておると、三ヶ月程度で動くことが難しくなり、一年以内に呼吸すらできぬまで衰弱するはずじゃ」
「血液の浄化はできないでしょうか?」
「無理じゃ。血を浄化すれば必要な成分まで消してしまう。初期であれば、正常な血が作られるように魔導器を強制的に止め、その間に少しずつ血を抜いて、正常な血に入れ替えるという方法が取れぬこともないが、ここまで進行していてはその方法も使えぬ」
そこでネッツァー氏が説明を加える。
「そもそも治癒魔導は、人の身体が正常な状態に戻ろうとするのを手助けしているに過ぎないんだ。今の状態が正常だと身体が思ってしまえば、治癒魔導は全く効かない。だから、治癒魔導は病気より怪我の方が得意なんだよ」
ネッツァー氏の言う通り、治癒魔導は怪我や急性的な病気には絶大な力を発揮するが、慢性病にはあまり効果がない。
「まともに動けるのは年明けまで。その後は隠すこともできないということですね」
伯爵の問いに大賢者が頷く。
「その通りじゃ」
「ならば、それまでの時間を有効に使う方がよい。マルクトホーフェンを潰すことは無理でも、王国軍改革の道筋くらいは付けられる。あとは残された者に託すしかないな」
伯爵は達観しているのか、自らのことなのに冷静なままだ。
「ホイジンガー伯爵に後を託すとして、マティアス君が補佐する体制にしなくてはならないですね。本当は君がトップに立てば一番いいと思っているのだが」
伯爵はそう言って笑うが、私はそれに頷けない。
「私には無理ですよ。トップ向きの性格でもないですし、第一家督を継いだとしても子爵では閣僚級である王国騎士団長にはなれません」
伯爵以上の上級貴族と子爵以下の下級貴族には大きな壁がある。
実戦部隊の長である騎士団長なら騎士爵でもなれる。しかし、国王に対して発言ができるのは基本的に上級貴族だけで、特例はあるものの下級貴族は問われた際にしか答えることできない。
「その点は理解しているよ。ラザファムに期待してもいいが、彼でもあと五年は必要だろう。全く間に合わんな」
ラザファムがエッフェンベルク伯爵になれば、爵位的にも能力的にもグレーフェンベルク伯爵の代わりになり得る。しかし、二十二歳と若く、今は大隊長に過ぎないため、王国騎士団長になることは不可能だ。
今後について話し合ったが、結局ホイジンガー伯爵に頑張ってもらうしかないという結論しか出なかった。
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