第八話「軍改革:中編」
統一暦一一九七年四月十七日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ネッツァー邸。マルティン・ネッツァー
午後三時頃、珍しい人物、マティアス・フォン・ラウシェンバッハが私の家を訪れた。
彼のことは大賢者マグダ様から常に気に掛けておくようにと命じられているから、時々会いにいっていたが、彼は王都に戻った時に挨拶に来たくらいで、私の家に来たことはほとんどなかった。
「お忙しいところ急に訪れてしまい、申し訳ありません」
開口一番、彼は謝罪した。
「今日は大した予定がなかったから問題はないよ。そろそろ君の顔を見に行こうと思っていたくらいだから、私にとっても都合がよかったよ」
それから体調や学院生活などの話を軽くした後、本題に入った。
「今日は見ていただきたいものがあるんです」
そう言って彼は鞄の中から数十枚にも及ぶ分厚い紙の束を取り出した。
「これは王国軍改革の計画書です。内容をご確認いただき、問題がなければ、グレーフェンベルク子爵閣下にお渡しいただきたいのです」
「グレーフェンベルク子爵? シュヴェーレンベルク騎士団のクリストフ・フォン・グレーフェンベルク子爵のことかね?」
「はい。間違いありません」
マティアス君は私の問いに大きく頷いた。
クリストフ・フォン・グレーフェンベルク子爵は三十歳を少し過ぎたくらいの比較的若い軍人だ。レヒト法国との戦いで何度も武功を上げている優秀な人物で、マグダ様も注目されている。
昨年のフェアラート会戦には参加していなかったが、大敗北という事実に、王国軍の抜本的な改革が必要だと訴えていた。
それを聞きつけて改革案を作ってきたのだろう。
「君が作ったものなら問題はないんだろうが、念のため説明してくれるかな」
私の言葉にマティアス君は頷き、分厚い束から三枚の紙を取り分けた。
「さすがにこれだけの計画書をすべて説明するのは時間的に厳しいので、概要版を作成してきました」
そう言うと、“計画案骨子”と書かれた紙を私に見えるように置く。
「まず基本的なところから説明します。この計画書はゾルダート帝国軍とグランツフート共和国軍を参考にして、王国軍を改革するために作成しました。具体的には“組織”、“指揮”、“情報”、“戦術”、“兵站”、“人事”、“教育”の七つの観点でまとめています……」
彼は紙を指さしながら流れるように説明していく。
「組織については、王国軍の編成を帝国軍や共和国軍に近い階層的な組織に変えることがポイントに見えますが、本質は違います。王国軍を貴族の軍隊から国民軍に変えることが目的なのです」
「国民軍? 民が主体の軍にするということなのかな? 今でも兵士は平民だから、民の軍隊と言ってもいい気がするが」
マティアス君は私の問いに首を横に振る。
「確かに兵士は平民ですが、貴族が召集し、無理やり戦わせているに過ぎません。私の考える国民軍は民衆自らが国のために戦いに赴く軍なのです」
「民衆自らが戦いに赴くか……なかなか危険な思想のような気がするが……」
「言葉だけなら危険に感じるかもしれませんが、実際には愛国心を育て、更に軍の運営に携わるようにすることです。具体的には領主が召集するのではなく、国王陛下が直接徴兵を行い、貴族も平民も平等に扱う組織を作ります……」
彼の説明では現状の貴族領ごとに集められる軍隊ではなく、国王陛下の軍隊として民衆が直接国王陛下の指揮下に入り、王国を守るというものだった。
彼の説明は更に続いた。
指揮については、領主軍のように騎士団とは独立した組織ではなく、指揮命令系統を明確にするというものだった。
「……現在の領主軍には最初に決められた任務と異なる場合、その軍の総司令官に対して不服を申し立てることが可能です。その場合、司令官の説明に納得できなければ軍を離脱することもできるのです」
領主たちは王国の要請によって軍を派遣する。当然、任務の内容や報酬が提示され、不服であれば断ることが可能だ。
しかし、正当な理由があったとしても無下に断れば、敵と通じていたと疑われたり、臆病者のレッテルを貼られたりして、貴族や騎士としては死に等しい状態に陥る。そのため、ほとんど使われない権利だと認識していた。
「そんな話はあったね。でも、実際に軍を離脱した領主軍がいたことはないんじゃないかな」
私の反論にマティアス君は小さく首を横に振った。
「実際にあるのです。至近の例でいえば、昨年のフェアラート会戦ではマルクトホーフェン侯爵家に属するトゥムラー男爵が総司令官であるワイゲルト伯の命令に背き、持ち場を死守することなく撤退していました。まあ、彼の場合は不服を申し立てることなく離脱したのですが」
フェアラート会戦については、結果は聞いていたが、そのようなことがあったとは知らなかった。恐らくマルクトホーフェン侯爵がもみ消したのだろう。
「そんなことが……だが、それは敵前逃亡ではないのかな?」
「厳密にいえば敵前逃亡ですが、トゥムラー男爵は帰還後、約定では本隊に配置され、単独で大軍と戦うとはなっておらず、男爵家当主として正当な権利を行使しただけと主張し、それが通っています。まあ、これはマルクトホーフェン侯爵がゴリ押ししたからなんですが、命令違反を反故にできる制度があることが問題なんです」
「確かに問題だろうが、少数で大軍に挑むような無謀な戦いを強要するのなら、騎士たちは誰も王国に忠誠を誓わなくなるのではないかね」
これに対し、マティアス君は強い口調で反論してきた。
「それでは駄目なのです。軍人は命令を受けたのであれば、それがどれほど理不尽であっても従わなくてはならないのです。もちろん、法や軍規に抵触するようなものや戦略目的に合致していないものは無効ですが、死ねという命令がそれらに反していないなら黙って従い、死ぬべきなのです」
普段の優しげな笑みからは想像できないような厳しい言葉に、私はたじろいだ。
「しかし……」
遮ろうとしたが、彼はそのまま話を続けていく。
「戦争では効率的に目的を達成することが重要なのです。味方が一万人戦死する作戦でしか戦略目的を達成できないなら、その作戦は実行されるべきなのです」
「それでは兵士たちが浮かばれないのではないか」
気圧されながらも反論してみた。しかし、マティアス君は表情を変えることなく、私の反論に答える。
「味方の損害が大きすぎるから戦略目的を放棄するというのも一つの考え方です。ですが、戦略目的、すなわち勝利を放棄するということは国が亡びるということなのです。そうなれば、民衆により大きな不幸が舞い込むことになります」
そう言った後、いつもの笑みを浮かべて言葉を付け加える。
「滅びた方が多くの民衆が幸せになることもありますから、その場合は戦わないという選択肢もあります。例えば無能な王の統治下にある国家であれば……」
優しい笑みから辛辣な言葉が出てくることに違和感があったが、彼の言わんとすることは理解できた。
「……ですが、それは軍の指揮官が考えることではありません。軍人の仕事は国民に支持された正統な政府から与えられた戦略目的を、愚直に達成することです。そこに感情を差し挟めば、個々人の考えに右往左往し、軍としては機能しなくなるからです」
「言わんとすることは理解できたよ」
合理的かつ冷徹な考えに身震いが抑えられず、それだけしか言えなかった。
マティアス君は表情を変えることなく、説明を再開した。
情報の重要性は彼が作った“情報分析室”の有用さから理解はできたし、補給の重要さや人事の話も素直に首肯できるものだった。
「……教育についてはこの中でも重要度が高い項目だと考えています。帝国と同じように士官学校を設立するだけでなく、下士官や兵站に関わる人材の育成も重要だと思っています。もちろん、すぐにできるものでもないということは認識しています」
「確かにそうだね。教える人材を確保するだけでも大変だし、教本もないんだ。まあ、教本は君が作ってくれればいいとは思うけど」
先ほどまでの重い雰囲気を紛らわすため、冗談のつもりでそう言ったが、マティアス君は当たり前のように頷いた。
「教える人材はある程度考えています。教本も指揮官用のものならある程度は作っています。もっとも下士官や補給部隊のものとなると実務を知らない私には難しいですが」
「指揮官用のものを既に作っているのかい! これが一番難しいと思ったんだが……」
「戦場での戦闘指揮などの実務に関する部分は難しいですが、リーダーとしての心構え的なものならそれほど難しくないです。昔の文献から拾ってくればいいだけですから」
マティアス君はさも簡単なことだというように説明した。
「いやいや、それはないよ……」
相変わらず私の想像を超えてくる子だと驚くより呆れる。
「もちろん実務に関する部分も考えています。帝国が作った教本を密かに入手する予定ですので、それが届き次第、下士官用も含めて作成する予定です」
「帝国から……」
手際の良さに苦笑しか浮かばない。
マティアス君からの説明を聞き終え、彼が帰った後、私は叡智の守護者の本部に報告を行うとともに、偶然王都におられた大賢者マグダ様に面会を申し込んだ。
マティアス君絡みということでマグダ様はすぐに会ってくださった。
「坊がまた何かやったのかの」
その言葉に思わず苦笑が漏れる。
「ええ。先ほど彼からこんなものを渡され、説明を受けました……」
そう言って彼が持ってきた計画書をマグダ様に手渡す。
そして、マティアス君から聞いた話をできるだけ再現するように心がけて説明した。
説明を終えたが、マグダ様は紙の束に視線を落としたまま、何も言わない。
しばらくして顔を上げると疲れたような表情で笑われた。
「まさかこれほどのものを作ってくるとはの……相変わらず情報の使い方が上手いものじゃ。情報分析室からの情報は儂も受け取っておるが、これほど人材を掌握しておるとは思わなんだの」
「私も同じことを思いましたよ。ノルトハウゼン伯爵なら分からないでもないですが、若手であるグレーフェンベルク子爵、それにヴェヒターミュンデ伯爵とその子息のことまでしっかりと計画に盛り込んでいます。いえ、それどころか他国である共和国の人材まで使うつもりとは思いませんでした」
彼の計画書にはグランツフート共和国軍の将軍、ゲルハルト・ケンプフェルト氏を教官として招聘してはどうかと提案されていたのだ。
「ケンプフェルト将軍は優秀な指導者であり、この計画書を見れば自国に導入することを考えて受けてくれると、マティアス君は確信していました。それに敗戦の責任を取って謹慎していますから、共和国政府も早期に復帰させることは国民感情を考えて難しいと判断しているはずで、ほとぼりが冷めるまでの期間であれば賛同してくれる可能性は高いと考えていましたね」
「なるほどの。確かにあの者ならば、結果を出すことは間違いない。さすがは坊じゃな。人を見る目は確かじゃの」
マグダ様の言葉に私は大きく頷いた。
「私もそう思います」
「では明日にでもグレーフェンベルクにこの計画書を渡すのじゃ」
「承りました。ですが、発案者としてマグダ様のお名前をお借りします。私では不自然ですから」
私は魔導師や治癒師としては、そこそこ名は売れているが、軍事に詳しいと思われていない。
「そうよの……いや、後々のことを考えれば、坊の功績にしておいた方がよかろう」
マグダ様のお考えは理解するが、素直に頷けなかった。
「確かにマティアス君の将来を考えれば、この功績を我々が奪うのはもったいない気がします。ですが、彼の名を出すわけにはいきませんよ。あの年齢の少年が作ったというのではあまりに不自然過ぎますから」
「ならば、塔の情報分析室で検討したことにしておくのじゃ。坊が作った物なら、情報分析室の物と言えぬことはないからの」
「なるほど」
確かにその通りだと納得する。
「明日、坊に会うてくる。坊がどの程度危機感を持っておるか確認しておいた方がよいからの」
こうしてマティアス君の王国軍改革計画は始動した。
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