第六話「エッフェンベルク騎士団:後編」
統一暦一一九七年四月十五日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、エッフェンベルク伯爵邸。ラザファム・フォン・エッフェンベルク
マティアスと話をした後、今日は真っ直ぐ屋敷に帰る。
帰り道、話しかけてくるイリスを適当にあしらいながら、マティアスのことを考えていた。
初めて会ったのは入学式の時。その時思ったことは“こいつが満点を取った男か”ということだが、嫉妬とかの感情はなく、どうやったらあの難問を解けるのだろうかということだった。
そして、その日のうちに彼に声を掛けた。
特に理由はなく、何となく気が合いそうだと思った程度だが、その直感は大当たりだった。
放課後に一時間くらい話をするのだが、いろいろなことを知っているし、物事を深く考えている。
目的があるなら目標を立てて、その目標を達成するためにどんな手段が必要なのか、何が障害になっているのか、どうやったらその障害を取り除けるのか、なんてことを常に考えているのだ。
一度こんな話をしたことがある。
「君は伯爵家を継いで何をしたいんだい」
彼の問いに僕は何も考えずに思っていることを口にした。
「騎士団を率いて王国を守る、かな」
その答えに彼は更に問いかけてきた。
「それは王国騎士団を率いるということかな? それともエッフェンベルク騎士団かな?」
王国騎士団は正式名称をシュヴェーレンブルク騎士団というが、通常はグライフトゥルム王国軍全体のことを指す。国王陛下が大将軍として王国軍を率いていることは常識だ。当然、僕が念頭に置いているのはエッフェンベルク騎士団のことになる。
そのことを答えると彼は小さく首を振った。
「国王陛下が王国騎士団を率いて親征されたのは、四百年以上前のグランツフート共和国の独立戦争が最後だよ。王国軍のうち、近衛騎士団は王子殿下か公爵がなるから無理だけど、王国軍の主力であるシュヴェーレンブルク騎士団を率いることはできるはずだ。実際、去年のフェアラート会戦ではワイゲルト伯爵が率いているしね」
「確かにそうだけど……」
「君は武の名門、エッフェンベルク伯爵家を継ぐんだ。シュヴェーレンブルク騎士団を率いることは不可能なことじゃない。それに王国を守るという目的なら三千人のエッフェンベルク騎士団を率いるより、王国軍を率いた方がいいんじゃないか」
目から鱗が落ちる思いだ。
王国軍を率いるということに憧れはあったが、エッフェンベルク家から王国軍の総大将になった人はおらず、僕も実現できることとは考えていなかった。
しかし、ワイゲルト伯はうちと同じ伯爵家だし、武門の家ということであれば、うちの方が名は通っている。
それ以前にも伯爵が王国軍を率いていたことは何度もあったことを思い出した。
「だが、どうやったらいいんだろう? 簡単なことじゃないことだけは分かるが……」
「もちろん容易なことじゃないさ。まずは学院高等部の兵学部を優秀な成績で卒業しなくちゃいけない。首席かそれに近い成績ならシュヴェーレンベルク騎士団の部隊長くらいからスタートできるから出世は早いはずだ」
兵学部は王国中から優秀な人材が集まるところだ。初等部ですらマティアスに首席を譲っている僕には難しいだろう。それにシュヴェーレンベルク騎士団の部隊長なら二百名近い部下を持つことになる。部隊長となった自分が想像もできなかった。
「高等部の兵学部を首席……部隊長……」
そんなことを考えて絶句しているが、彼は話を続けていた。
「騎士団に入った後も大変だろうね。マルクトホーフェン侯爵派に文句を言わせないだけの実績が必要だし、それも一度じゃ駄目だ。少ない機会を生かして功績を積み上げていかないといけないから。それに軍の中に味方を増やさないといけない。今の王国軍は既得権益に群がる人ばかりだからね」
いつになく辛辣な言葉に驚いた。
そのことに気づいたのか、彼はニコリと微笑み、話を変えた。
「いずれにしても、自分の可能性を最初から狭める必要はないんじゃないかな。それに君ほどの才能なら、私は充分になれると思っているよ」
その言葉に僕は少し照れた。
それを隠すために質問をした。
「僕のことはいいとして、君は何をしたいんだ?」
マティアスは「考えていなかったな」と呟いた後、ゆっくりとした口調で話していく。
「私はいろいろな人に助けてもらったから、その人たちに恩返しをしたいかな」
さっきの仕返しでもないが、少し意地悪をして更に質問する。
「恩返し? 具体的には何をしたいんだ?」
「そうだね……」
そう言ってマティアスは考え込む。
そして、十秒ほど沈黙した後に口を開いた。
「あまり具体的に考えていなかったけど、私にできることは机上でのことだけだからね。情報の分析とか、事務関係の仕事を手伝うくらいかな」
情報の分析が何を意味するのかよく分からないが、僕は思ったことを口にした。
「君も軍に入れば出世すると思うな」
彼くらい頭がよければ、絶対に出世すると思ったのだ。
僕の言葉に、滅多に驚かないマティアスが目を見開く。
「私が軍に?……」
その後、軽く肩を竦める仕草をする。
「私の場合、戦場に行っても役に立たないよ。第一、柄じゃないし」
その話にイリスが割り込んできた。
「マティアスの言う通りね。剣も振れない、馬にも乗れないんじゃ、騎士団に入ることすら難しいんじゃないかしら」
イリスの言葉にマティアスは気を悪くすることなく頷く。
「私もその意見には全面的に同意するよ。笑いものになるだけのような気がするね」
妹の言う通り、マティアスが軍に入れる可能性は低いだろう。
それでも僕は彼に一緒に戦場を駆け巡りたいと思った。
理由は分からない。ただ、彼と一緒なら負ける気がしないと思ったのだ。
そんなことを思い出していると、イリスの声が耳に入った。
「兄様はどうするつもりなの。お父様に聞くとまた不機嫌になるかもしれないわよ」
昨夜、剣術の鍛錬の後、父に騎士団のことを聞いた。その際、不機嫌そうな顔をしたことを思い出す。
「それでも聞かなくてはいけない。僕が父上から聞き出して事実を知ることが大事だと、マティアスが考えている気がするから」
まだ三ヶ月くらいの付き合いしかないが、彼が無駄なことをしないことは充分に理解している。彼が直接説明せず、質問してきたということには何かわけがあるのだ。
屋敷に戻ると、剣術の鍛錬を行う。
指導してくれるのは我が家の護衛騎士であるヘラルド・クレーマンだ。
ヘラルドは東方系武術である四元流の使い手で、お爺様の目に留まり、平民から騎士になった強者だ。
素振りを三十分ほど行った後、打ち込み稽古を行う。
四元流には初伝、中伝、奥伝、皆伝、極伝という階級があるが、未だに初伝すら認められておらず、自分には才能がないのではないかと思い始めている。
一時間の鍛錬を終えた後、汗を流してから夕食を摂る。
エッフェンベルク家では家族全員で食事を摂ることになっており、両親と僕とイリス、弟のディートリヒが食卓に着く。
フィーア教の教えに従って四聖獣に祈りを捧げてから夕食が始まるが、そこで父にマティアスから聞かれたことを質問する。
「昨日、父上からエッフェンベルク騎士団の構成と特徴を教えてもらいましたが、なぜうちの騎士団の長弓兵は優秀なのでしょうか?」
父は食事が始まる前からあまり機嫌はよくなかったが、僕の問いで眉間に深いしわが寄る。
「なぜそのようなことを知りたいのだ?」
「エッフェンベルク騎士団は王国有数の騎士団ですが、どうしてそうなったのか知りたいと思ったんです」
僕の答えに父はフンと鼻から息を吐き出した。
「そのようなことは騎士団と行動を共にするようになれば分かることだ。それともどこかから聞いてきたのか? 我が騎士団が落ち目であるとでも」
その言葉に驚きを隠せなかった。
「騎士団が落ち目……そのような話は聞いたことがありません! 本当のことなんですか!」
「父上の頃より力を落としていると中傷する輩が多いのだ。それも我が家の家臣だった者たちがだ」
吐き捨てるようにそう言うと、ワインを一気に呷った。
「そんなことが……」
僕はそれ以上聞くことができなかった。
恐らくマティアスはこのことを知っていたんだろう。僕が騎士団を自慢したから真実を知れと考え、いろいろと質問してきたのだ。
翌日の放課後、僕はマティアスに父から聞いたことをすべて話した。
「……というわけで、うちの騎士団は落ち目らしい。でも、君はこのことを知っていたんだろ」
僕の問いにマティアスは「ええ」と言って小さく頷いた。
「三年前に先代の伯爵、エグモント卿がお亡くなりになった後、君の父上が無理な改革を強行して、古参の騎士や従士たちが暇乞いをしたことは知っていたよ」
「なら、君は僕よりうちの騎士団について詳しかったということだ。どうして詳しくないと言って僕に質問したんだ?」
「君に現状を知ってほしかったから」
端的な言葉に思わず反発する。
「君が教えてくれても現状を知ることができたはずだ。父上の機嫌を損ねるようなことをしなくて済んだんだぞ」
「私が教えたとして、君は素直に信じたかな? 反発しただけじゃないかな」
その言葉に僕は反論できなかった。
「確かにそうだな。この話の発端もうちの騎士団がいれば、フェアラート会戦で負けることはなかったと言ったことからだった。そんな僕が素直に君の言葉を信じたとは思えない」
僕の言葉にマティアスは小さく頷くが、僕が落ち込んだ顔をしているからか、すぐに話題を変えた。
「でも君が伯爵に直接聞くことは無駄じゃないんだ。嫡男である君が家のことに興味を持つことは重要なことだし、伯爵のお考えを直接知ることができるからね」
「だが、父上は僕のことを嫌っている。これ以上嫌われれば、家から追い出されるかもしれない……」
口に出したことは初めてだが、ここ数ヶ月、特に学院に次席で合格してから父上の僕を見る目が厳しくなった気がしていた。その一方で弟のディートリヒをかわいがっていることにも気づいている。
「そんなことは……」
妹も同じことを思ったのか、大きく目を見開いた後、違うと言いかけたが、言葉が続かない。
しかしマティアスはいつも通りのにこやかな表情を変えない。
「追い出されるか……そこまで危機感を持っているなら、余計に家の状況は知っておくべきだ。いや、それを改善することまで考えておいた方がいい。将来、君の役に立てるために」
そう言って僕の目を見る。その真っ直ぐな視線に僕はたじろいだ。
「改善……父上でもできないことが僕にできるはずがない」
「普通に考えればそうだね。でも、今回に限って言えば、策はあるんだ」
そう言うとマティアスは数枚の紙を取り出した。
「最初に言っておくけど、君の父上のやっていることは間違いじゃないんだ。今のままの王国軍では遠くない将来……そうだね、僕たちが大人になって、今の自分と同じくらいの歳の子供を持つ頃には帝国に飲み込まれてしまっているだろう。だから少しでも抵抗できるように軍の近代化は絶対に必要なんだ」
僕には想像もできなかった。
「僕たちの子供って……そんな先のことまで考えているのか……」
「二、三十年後のことだけど、今から始めても恐らくギリギリだと思う。古い考えを捨てるだけでも五年や十年は掛かるだろうからね。君の父上に反対している人たちのように今のやり方を変えたくないという人は多いだろうから……」
二十年後というと僕は三十二歳。今の父上とほぼ同じ歳になる。
「それに新しい考えを取り入れて、それがきちんとものになるまでには時間が掛かるものなんだ。まあ、短くするための方策は考えてあるけど、それでも十年は掛かるだろうね……」
僕とイリスは茫然と彼の話を聞いていることしかできなかった。初等部の学生が考えることじゃないからだ。
僕たちの表情に気づいたのか、マティアスは苦笑しながら話題を変えた。
「まあ、それはいいとして、まずはエッフェンベルク騎士団のことだね。ベテランの騎士や従士が引退したこと自体は悪くない。今言ったように古い考えに固執する者が結果的に排除できたんだからね」
「でも、兵士だけじゃ戦えないし、実戦経験の少ない隊長しか残っていないのは不味いんじゃないか」
「普通ならね。でも、帝国のような軍にするなら今までの経験は邪魔にしかならない。それに若い人の方が、頭が柔らかいから吸収も早いだろうし……それはいいとして、本題に入ろうか」
マティアスはそう言ってテーブルの上に置いた紙を手に取った。
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