第五話「エッフェンベルク騎士団:前編」
統一暦一一九七年四月十五日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王立学院。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
シュヴェーレンブルク王立学院初等部に入学して三ヶ月ほどが経ち、春の陽気が感じられる季節となった。
学院生活だが、最初の頃は少しぎこちなかったものの、授業が本格的に始まると、少しずつクラスにも馴染めている。
授業は日本の学校と同じような感じで、体育や美術、音楽などもある。また、上流階級との付き合いを考慮してか、ダンスや礼儀作法といった授業もあった。もっとも体育は日本のような球技や体操などではなく、武術や馬術といった戦いに関するものが多い。
礼儀作法や音楽などはともかく、身体を使うことは苦手であり、武術やダンスではいつも恥を掻いている。それが謎の優等生という近寄りがたい印象を薄め、クラスに馴染むきっかけにもなっていた。
ラザファムとイリスのエッフェンベルク兄妹とは放課後に一緒にいることが多い。ラウシェンバッハ家とエッフェンベルク家の屋敷は歩いて数分と近く、二人は頻繁にうちに来て勉強をしているためだ。
ラザファムとは馬が合うのか、数日で敬語を使うこともなく、普通に話せているが、イリスとは未だに打ち解けた感じではなく、壁のようなものを感じている。
ちなみにエッフェンベルク家ではなく、うちでやっているのはこちらの方が学院に近いということもあるが、何となく向こうの敷居が高く感じられるからだ。
エッフェンベルク家は伯爵家であり、ラウシェンバッハ家は子爵家だ。爵位的には一つしか違わないが、上級貴族である伯爵と下級貴族に過ぎない子爵では待遇に大きな差がある。
また、うちは文官の家系だが、エッフェンベルク家は武の名門だ。そんなところに碌に運動もできない私が行けば、何となく気まずくなるのではないかと思っているのだ。
それに私には闇の監視者の陰供が常に付いている。メイドであるカルラだけでなく、他に三人の陰供がおり、学院の中でも密かに護衛をしているらしい。
当然エッフェンベルク家でも同じように護衛することになるが、それを懸念している。
エッフェンベルク家には魔導器を使用する東方系武術の達人も多く、凄腕の陰供であっても存在を見抜かれる可能性は否定できない。それもあって、うちに来てもらっている。
これについては、私が体調を崩した時にすぐに対応できるようにするためとだけ言ってある。
勉強をしていると言ったが、二人とも非常に優秀で予習復習程度ならやる必要がない。そのため、気の向くままにいろいろなことを話している。
といっても、二人とも帰宅後に武術の訓練があるため、一時間ほど話をするだけだ。
話題で特に多いのは騎士団関係の話だ。
これはラザファムが興味を持っているためだが、イリスも武術や騎士団に関心があり、自然とそう言った話になる。
先日も昨年九月に起きたフェアラート会戦の話になった。
その際、ラザファムは普段は見せない少年らしい熱さで戦いを語っていた。
「帝国の倍も兵がいたのに情けないものだな。我が家の騎士団が出陣していれば、こんなことにはならなかったはずだ」
「そうね。私もそう思うわ」
イリスも大きく頷いている。
「そうかもしれないね。でも、エッフェンベルク騎士団が出陣していたら勝てたという根拠は何なのかな」
私はラザファムの才能を伸ばしたいと思っていた。
彼は頭の回転が速く、理解力も高い水準にある。その上、努力家であり、傲慢さも持っていない。家庭環境が影響したのだろうが、これほどの逸材の才能を伸ばさないという選択肢はなかった。
「我が家の騎士団は王国でも有数の実力を持っている。実際、お爺様の時代にはレヒト法国相手に連戦連勝だったのだから」
自分の家ということもあり、普段冷静な彼にしては珍しく誇らしげ表情を隠そうともしない。
「なるほど……でも、エッフェンベルク騎士団の兵力は三千人くらいだったはずだよ。今回の戦力で言えば王国軍の一割、連合軍全体なら五パーセントくらいだ。それに総司令官のワイゲルト伯爵もレヒト法国との戦いで多くの武勲を挙げた名将だという話だった。根拠としては弱いんじゃないかな」
エッフェンベルク騎士団は常設の貴族領軍としてはマルクトホーフェン騎士団の五千人に次ぐ規模で、ノルトハウゼン騎士団やグリュンタール騎士団と並び、精鋭と言われていた。
通常の貴族領軍は侯爵家クラスでも常備兵が三百人ほどしかいないところもある。もちろん、戦時には領民を徴集して十倍ほどに増員にしてから出征するが、農民兵の実力は低く、数合わせにすぎない。
自慢の騎士団に対して否定的な指摘をする私に、ラザファムは珍しく強い視線を向けてきた。
「うちの騎士団がいても結果は変わらなかったと言いたいのか?」
「そうじゃないさ……なら質問を変えるよ。エッフェンベルク騎士団の強みは何なのかな? その強みがあるから僅か三千の兵力でも勝利に持っていけたと言えるんじゃないか」
私の問いにラザファムが珍しく狼狽えるが、すぐにいつもの表情になって説明を始めた。
「うちの騎士団の強みは兵士の強さだ。お爺様のお話だと他の騎士団の兵士より倍は強いという話だった。それなら三千じゃなくて六千人になるんだから、勝利に貢献できたと言ってもおかしくないと思う」
彼の祖父、先代のエッフェンベルク伯爵であるエグモントは名将として有名だった。三年ほど前に他界しているため、現状の評価とは掛け離れているが、そのことはあえて指摘しなかった。
「なるほど。確かに倍も強ければ戦局に影響を与えた可能性は高いね。ところで君はエッフェンベルク騎士団の編成を知っているかい?」
「編成? どういう意味だ?」
「例えば、騎兵が何人、歩兵が何人、歩兵のうち、剣を使う兵が何人で、槍兵や弓兵がどのくらいいるとか……そんな感じでどんな編成か知っていたら教えてほしいんだ」
「……」
私の問いにラザファムは答えられず、無言のまま困惑の表情を浮かべている。
「私も知らないわ……」
イリスも答えられない。
「一度調べてみたらいいと思うよ。君たちになら伯爵も教えてくれるだろうから」
彼らに現状を知ってもらうため、宿題を出した。
その翌日の放課後、教室を出る前にラザファムとイリスは調べた結果を教えてくれた。
「うちの騎士団は騎士が主体の騎兵が三百。歩兵は槍兵が千二百と長弓兵が千、残りの五百は輜重隊と雑用を行う非戦闘員だそうだ」
「長弓兵は特に優秀だと父上が教えてくれたわ」
少し自慢げに話しているが、きちんと聞き出したことに感心する。しかし、それでもまだ足りない。
「長弓兵が優秀なのはなぜか知っているかい? 槍兵の特徴は?」
私の追加の質問に二人は困惑する。
「一つ聞きたいんだが、なぜそんなことまで知っていないといけないんだ?」
ラザファムが苛立ったのか、少し強い口調で疑問を口にした。
それにイリスが同調する。
「そうよ。マティアスは質問ばかりしているけど、うちの騎士団のことを知っているのかしら?」
「正直なところ詳細までは知らないよ。ただ、エッフェンベルク伯爵領の特徴を知っているから想像は付くけど」
これは嘘だ。実際には国内の騎士団の実力は闇の監視者の調査によって把握しており、当然エッフェンベルク騎士団の強みと弱みも押さえている。
「分かった……父上に聞いてみる」
それだけ言うと、ラザファムはうちに寄らずに真っ直ぐ帰っていった。
「何が目的なの? お父様にこの話を聞くのは結構大変だったのよ」
珍しく残っていたイリスが苦情を言ってきた。
「ラザファムは将来エッフェンベルク騎士団を指揮することになるんだ。だから少しでも騎士団のことを知っておくことは無駄なことじゃない」
「確かにそうだけど……」
私が言った言葉に嘘はないが、彼女に伝えていないことがある。
それはエッフェンベルク騎士団が危機に瀕していることを知ってほしかったのだ。
危機というのは、現在エッフェンベルク騎士団では急進的な改革が進められており、それに反発した優秀なベテランたちが次々と引退していることだ。
これには二人の父親、現当主のカルステン・フォン・エッフェンベルクが関与している。
カルステンは三男として生まれ、将来伯爵家と袂を分かつつもりで、文官としての道を歩んでいた。それが八年ほど前に長男と次男が相次いで亡くなり、急遽伯爵家を相続することになった。
彼の父エグモントも、そして彼自身も伯爵家に残る可能性は極めて低いと考えていたため、武人としての教育をほとんど受けていなかった。しかし、伯爵家を継ぐことが決まると、カルステンは自分の手で成果を上げたいと思い始める。
そして、昔からのやり方に拘るエッフェンベルク騎士団を、連戦連勝を続けるゾルダート帝国を手本にして近代的な軍組織に変えようと考えた。
改革自体は決して悪いことではない。
実際、数年前から王国の主力であるシュヴェーレンブルク騎士団でも同じような話があった。私が集めた情報をきっかけに大賢者が動いているためだが、昨年のフェアラートでの敗北により本格的な議論が始まっている。
しかし、カルステンのやり方は稚拙すぎた。
彼は宰相府の文官としての経験から上意下達で組織が動くと考えていた。その一方で彼自身は軍事に関する知識・経験とも不足していることから、ベテランの騎士たちに対して劣等感を抱いていた。
辞を低くして教えを請えば、家臣たちとの関係を改善できたかもしれないが、次期当主としてのプライドが邪魔をし、コミュニケーションを図ることができなかった。
先代の伯爵が存命の間は急進的な改革を認めなかったため、問題は顕在化しなかったが、三年前に先代が亡くなると、軛から解き放たれたカルステンは自分の思い通りに改革を始めた。
彼の強引な行動に反発した有力な騎士や従士たちは、先代に殉じると言って次々と引退を表明してしまう。その結果、エッフェンベルク騎士団は多くの優秀な中級指揮官を失った。
この事実は瞬く間に広まり、カルステンは無能だという噂が立つようになる。
更に悪いことにカルステンは自らを省みず、改革の失敗は家臣たちの不服従にあると思い込んでいるらしい。そのため、エッフェンベルク家の武門としての名声は地に落ちたままで、回復の兆しすら見えない状況だ。
カルステンと家臣たちの確執はラザファムにも悪影響を与えていた。
幼くして武術の才能を示した優秀な彼に対し、家臣たちの多くが期待を寄せ始めている。ラザファムが家督を継ぐまで我慢すればいいと公言する者までいるらしい。
その結果、父であるカルステンとの関係も悪化しているらしく、彼を廃嫡し、弟であるディートリヒを後継者に指名するのではないかという情報すらあった。
ラザファム自身もそのことに薄々気づいているようだが、まだ十三歳にもなっていない少年であり危機感までは持っていない。
今回の話は彼と父親との関係を改善するためのコミュニケーションの場を提供するという意味もあった。
イリスの話では何となく上手くいっているようだが、今回の宿題でどうなるか気になっている。
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