第十七話「フェアラート会戦:その五」
統一暦一一九六年九月十七日。
リヒトロット皇国西部フェアラート西。カスパル・フォン・ノルトハウゼン伯爵
敵帝国軍第三軍団本隊に加え、城内から現れた敵兵にも包囲され、私が指揮していた一万の兵は大きく数を減らしていた。
グランツフート共和国軍のゲルハルト・ケンプフェルト将軍が強引に合流してくれたため、ゾルダート帝国軍も無理をせずに引いているが、それがなければ全滅の危険すらあった。
とりあえず全滅は免れたものの、危機が去ったわけではない。
敵は乱れた陣形を整え次第、追撃戦に移るはずだ。そのため、少しでも敵と距離を取る必要がある。
しかし、兵士たちは昨日から続く戦闘による疲弊と負傷のため、足が思うように前に出ない。
私も既に馬を捨てており、剣を引きずるようにして歩いている。
「前に進め! ヴィークの渡しまで行けば友軍が待っている! そこまでは死ぬ気になって進むのだ!」
連合軍全体でどれほどの兵士が倒れたのかは分からない。しかし、ヴィークの渡しと呼ばれている渡河地点は共和国軍五千が守っているから、辿り着けさえすれば、すぐに河を渡れなくとも休むことはできるはずだ。
私は前を進む共和国軍に追い付き、ケンプフェルト将軍と合流する。
将軍は全身血塗れだが、疲れを感じさせぬ強い足取りで歩いていた。
「先ほどは助かりましたよ、ゲルハルト殿」
「無事で何より。こちらも酷いことになっているが、カスパル殿と合流できたことは心強い」
「我が軍はなんとか戦える者が六千といったところです。貴軍も同じくらいに見えますが?」
我が軍も負傷者が多くて酷い状況だが、共和国軍もボロボロの兵士が多かった。
「我が方もそのくらいだな。しかし、さすがはマウラー元帥だ。逃げ出すのがやっとだった。いや、まだヴィークの渡しまで距離がある。ここからが本番といったところか」
渡河地点までは四キロメートルほどあり、このペースでは一時間近く掛かる。既に後方から帝国軍が追撃を始めたという報告があり、あと十分もしないうちに接敵すると予想していた。
「我が軍が盾になります。貴軍はその間に撤退を」
今回の失敗は総司令官であるワイゲルト伯が原因だ。同盟国にこれ以上迷惑をかけることはできない。
「その必要はないですな。そろそろヴィークを守っていた部隊が合流するはず。王国軍が撤退してきたら、前進するように命じておるので」
その大胆な命令に驚きを隠せない。
「それでは浮橋が奪われてしまうのでは?」
「カスパル殿が用意したヴェヒターミュンデ騎士団に期待している。撤退した王国軍に一千名の弩弓兵が防御に加われば、そう簡単に奪われぬでしょう」
私は大賢者マグダ様から授けられた策として、ヴェヒターミュンデ城にいるヴェヒターミュンデ騎士団一千を動かしていた。更に大賢者の策に従い、商都ヴィントムントで多数の弩を入手し、ヴェヒターミュンデ城に送り込んでいる。
ヴェヒターミュンデ騎士団はシュヴァーン河を防衛線として国境を守る騎士団であり、弓や弩の扱いには慣れている。但し、ヴェヒターミュンデ伯爵家だけでは高価な弩を多数用意できないため、二百程度しかなかったが、十倍ほどの二千基にまで増強している。
その弩を敗走した王国軍の兵士に渡せば、二千基がまるまる使える。シュヴァーン河があるから後方に回られる心配がなく、一千程度の槍兵がいれば、短時間なら渡河地点を確保できるだろう。
今回、弓ではなく弩を用意したのは、小型船から支援させるためだ。不安定な船の上では長弓より弩の方が扱いやすいためだ。これも大賢者の考えだった。
「敵が攻撃してきました!」
後方から報告が上がってくる。
「私が後方の指揮を執りましょう。カスパル殿は全体の指揮をお願いしたい」
本来であれば、私が後方に行くべきだが、ケンプフェルト将軍が指揮を執った方が生存率は上がると考え、承諾するしかなかった。
「よろしく頼みます」
口惜しさと情けなさが心の中に渦巻くが、それを押し殺して命令を出す。
「騎兵を陣形の中に入れさせるな! 側面を守る者は騎兵が突撃してきたら槍衾で応戦するのだ! 負傷者に肩を貸してやれ! 後方のケンプフェルト将軍たちが引くタイミングに合わせて矢を放つのだ!……」
後方で戦闘が始まり、敵味方の双方から悲鳴と怒号が上がる。
どのような戦いになっているかは分からないが、帝国軍の動きが止まった。
■■■
統一暦一一九六年九月十七日。
リヒトロット皇国西部フェアラート西。ゲルハルト・ケンプフェルト将軍
グランツフート共和国とグライフトゥルム王国の連合軍は危機的状況に陥っている。
俺は殿の指揮を執りつつ、ゾルダート帝国軍第三軍団の追撃を防いでいた。
「もう少しで増援が来る! それまで持ちこたえるのだ!」
そう怒鳴りながらも、四元流の技を使い、敵を吹き飛ばしていく。
但し、既に魔導器を使い過ぎで魔象界から上手く力を引き出せなくなりつつあった。
これまでなら五倍程度の筋力増強で数人まとめて吹き飛ばせていたが、今では二人が精一杯だ。俺の直属部隊も同じように疲労しており、突破した時のような精彩さはなかった。
それでも敵の追撃を防ぎつつ、ゆっくりとだが後退できている。
これはこちらの奮闘もあるが、敵がこちらの疲労を待つ作戦に出たことも大きい。
(ここが俺の墓場になりそうだな……)
そんなことが頭に過るが、すぐにその考えを追い払う。死を受け入れるようなことを考えると本当にそうなってしまうからだ。
時間感覚が無くなり、何分戦っているか分からなくなりつつあるが、北の方から悲鳴が上がっていることに気づいた。
「北から新手の騎兵! 数は五千騎以上!」
俺たちが突破した後に逃がした後衛部隊を追いかけた騎兵たちが戻ってきたようだ。
騎兵による追撃とはいえ、この短時間で全滅したとは考え難い。恐らく増援部隊と合流したため、追撃を諦めてこちらにきたのだろう。
気にしていた後衛部隊は何とかなったようだが、今度はこちらが危険になった。
「側面はノルトハウゼン伯に任せろ! こちらは後ろに集中するんだ!」
側面が気になるが、ここで注意を反らすことは自滅を意味する。
目の前の戦いに集中するが、俺の周りでも直属の兵が、櫛の歯が欠けたように一人、また一人と倒れていく。
年貢の納め時かと思った時、帝国軍の攻撃が緩んだ。
肩で息をしながら敵を見ていると、ゆっくりと後退していることに気づく。
北側でも戦闘の音は消え、馬蹄の響きが遠ざかっていた。
「増援が到着したぞ! 助かった!」
その声に安堵の息を吐き出すが、すぐに命令を出す。
「負傷者を収容しつつゆっくりと後退せよ! 油断するな!」
それからすぐに一万ほどの部隊が俺たちを庇うように前面に立った。
渡河地点を防御していた部隊五千に加え、早期に撤退した北門を攻撃していた別動隊の一部と、更にヴェヒターミュンデ騎士団の旗が見えた。
これで我が軍とカスパル殿の軍を合わせて二万を超える。
予備まで含めてすべて戦場に運んだらしく、増援の多くが弩を持っていた。そのため、二千基もの弩が揃い、それを見てこれ以上損害が増えることを嫌い、追撃を諦めたのだろう。
大量の弩も大賢者様の策の一環らしい。
大賢者様は敵が皇国との戦いを控え、損失を減らそうとするとお考えになったらしく、大量の弩を見た帝国軍が攻撃を手控えるとカスパル殿に教えたらしい。
大賢者様の人知を越えた知恵に素直に驚嘆していた。
増援のお陰で無事に渡河地点であるヴィークの渡しに辿り着く。
我が軍の生き残りが防御陣を作り、俺たちを出迎えてくれた。
「よくやってくれた! 国に帰るぞ!」
弱々しい歓声が響くが、ここにいる兵のほとんどが共和国軍であることに違和感を抱く。
ワイゲルト伯が指揮する二万の兵士のうち、二千ほどはカスパル殿が救出したが、九割近くが戦死したとは考え難い。
そのことが顔に出たのか、渡河地点を防衛していた部下の一人が憤懣やるかたないという顔で事情を説明してくれた。
「王国の奴らとは二度と一緒に戦いたくないですね。俺たちと一緒にここを死守しようとあいつらに言ったんですが、そんな命令は受けていないとほざいて勝手に向こう岸に逃げていったんですよ。まあ、ほとんどの奴が武器を捨ててきているんで役に立たなかったとは思いますがね」
詳しく聞くと五千ほどの王国軍が逃げてきたらしいが、そのほとんどが勝手に撤退したらしい。
呆れていると、カスパル殿が今後の協議のためにやってきた。
開口一番、勝手に逃げた自軍の兵のことを謝罪する。
「申し訳ありません。貴軍に防衛を押し付けて逃げ出すとは恥さらしもよいところです。本当に情けない……」
この言葉に俺はどう答えていいのか困り、話題を変える。
「今はそのことより撤退のことを話し合わねばならんのではないか。殿は我が軍が務めるから負傷者の搬送をお願いしたいのだが」
「いえ、殿は私の責任で行います。貴軍にこれ以上迷惑を掛けるわけにはいきませんので」
議論する時間が惜しいと考え、その提案を了承する。
「では、我が軍から引き揚げさせていただく」
その後、再び帝国軍が近づいてきたが、大賢者様のお考え通り、二千にも及ぶ弩弓兵の姿を見て、必要以上に近寄ってこなかった。
最後は弩弓兵が小型船に乗って威嚇しつつ、カスパル殿たちが撤退していく。
撤退戦の見本のような動きに素直に感心していた。
カスパル殿たちが王国側の岸に辿り着いたところで浮橋を切り離し、ようやく生き残れたと実感する。
カスパル殿は私を見つけると、頭を大きく下げた。
「此度の敗戦はすべて我が王国の責任。同盟国である貴国に多大な損害を与えたこと、必ず王宮に伝えると約束します」
「責任の一端は俺にもある。もう少しワイゲルト伯の考えを変える努力をすべきだったし、俺ができることもあったはずだ。何ができたのかは分からないが」
これは本心だ。
やりようはあったと思うが、具体的にどうしていいのかはっきりと言えない。もう少し時間が経ち、冷静に考えれば答えは見つかるかもしれないが、我が軍が帝国軍に劣っていることだけは理解している。
その後、負傷者の治療を行いつつ、兵士たちを休養させた。
治療は魔導師の塔から治癒師が派遣されており、スムーズに行われている。
これもカスパル殿が手配したものかと思ったが、彼に聞くと首を横に振った。
「私も知らなかったのですが、大賢者マグダ様が手配してくださったようです。この作戦自体が失敗に終わることを予言されておりましたから」
「なるほど。さすがは大賢者様だな。そのお陰で多くの者が命を落とさずに済んだ。王都に戻られたら大賢者様に礼を言っておいてほしい」
九月中旬だが、まだ涼しいという季節でもない。そのため、負傷が原因で命を落とす者が少なからず出ると思っていたのだ。
落ち着いたところで確認すると、我が方の損害が甚大であることが分かった。
未帰還者は約五千。派遣軍の六分の一を失ってしまったのだ。
負傷者は五千人ほどで、手足の欠損など治癒魔導で治せなかった者が多数出ている。
王国軍は更に悲惨だった。
未帰還者は全体の半数ほどの一万五千弱。生還者のうち、最後まで戦った一万は何らかの負傷を負っていた。無傷だったのは戦場から逃亡した一団だけということだ。
この報告を聞いたカスパル殿が怒りに打ち震えていたことが印象的だった。
俺自身はそれほど気にしていない。戦わずに逃げ出すような奴らと一緒でなくてよかったと思っているほどだ。
俺は部下たちを労いながら、今後のことを考えていた。
最初の構想では2話で終わらせるつもりでしたが、久しぶりに戦争のシーンを書いたので調子に乗ってしまいました。
主人公がずいぶんご無沙汰していますが、次話から復活します。
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