第二十一話「大賢者の苦労」
統一暦一二〇四年十一月三十日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンベルク、ラウシェンバッハ子爵邸、マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
ゾルダート帝国の皇帝コルネリウス二世が倒れてから二十日ほど経った。
帝都からの情報では倒れた日以降、皇帝が姿を見せたことはなく、重篤な状況ではないかという憶測が飛び交っているらしい。
闇の監視者の影やモーリス商会の従業員が情報収集に当たっているが、皇帝についての情報は得られていない。
帝国軍の最前線であるエーデルシュタインにも情報が届き、マクシミリアン皇子が暗殺を企てたという噂と合わせて、一時騒然となったようだ。
残念なことに、ゴットフリート皇子がマクシミリアン皇子を糾弾しようとした部下たちを一喝し、帝国軍に大きな混乱は起きていない。
それでも火種は燻り続けているので、少しずつ油を注ぐように噂を流し続けている。
王国軍情報部については、十一月十五日に設立が決まり、明日十二月一日をもって正式に発足する。
情報部長は予定通り、ギュンター・フォン・クラウゼン男爵だ。
既に闇の監視者との契約も済ませ、情報分析室を担当する組頭エルゼ・クロイツァーとその部下の影が情報部に属することになった。
エルゼは組頭という地位にあり、五十人もの部下を持つらしいが、全員を雇うほどの予算は確保できなかった。しかし、これまでも叡智の守護者の情報分析室付きとして動いており、実質的には何も変わらない。
影の中から、クラウゼン男爵の補佐役兼連絡役兼監視役を送り込み、マルクトホーフェン侯爵派が関与してこないように対策を打っている。
今のところ、これが功を奏し、予定通りに活動ができる見込みだ。
また、防諜に関しては、情報部発足前ではあるが既に行動を開始しており、帝都やヴィントムント、ヴェヒターミュンデ城、ラウシェンバッハ子爵領にいる帝国の諜報員はすべて捕縛している。
これで諜報員の目を気にせずに行動でき、叡智の守護者の上級魔導師マルティン・ネッツァー氏の屋敷や騎士団本部に堂々と行けるようになった。
そして本日、そのネッツァー氏から連絡が入った。半年ぶりに大賢者マグダが王都に戻ってきたらしい。
イリスと共に堂々と屋敷の中に入っていく。
応接室に入ると、やや疲れた表情の大賢者が待っていた。
「帝国でのことではいろいろと手間を掛けたようじゃの」
「そのことでお聞きしたいことがあります」
私がそう言うと、大賢者は私の目を見た。
「シュトルムゴルフ湾での魔獣のことじゃな。マルティンよりそなたが気にしておったと聞いておる」
「はい。計画では噂を流してモーリス商会の商船のみを止める予定でした。それが実際に魔獣が活動を始めております。偶然というにはタイミングが良すぎますし、大賢者様が何らかの関与されたのではないかと考えました」
私の問いに大賢者は頷いた。
「うむ。儂が関与しておることは間違いない。じゃが、意図したことではなかった。不幸な偶然が重なったと言ってもよかろう」
彼女の言葉の意味が掴み切れない。
「関与はされたが、意図してはおられないと。具体的にはどういった状況なのでしょうか」
「ライナルトが船を止めた六月の半ば頃の話じゃ。儂のところに代行者たる神狼から話したいことがあるという連絡が入った。神狼は皇国の北、ハルトシュタイン山脈におるが、そこまで行くには時間が掛かる。それで向こうからこちらに来ると言ってきたのじゃが、四聖獣が下手な場所に現れれば、大騒ぎになる……」
代行者は神である管理者が不在の間、この大陸を管理する者であり、四聖獣である北の神狼、東の聖竜、南の不死鳥、西の鷲獅子がそれに当たる。
四聖獣はこの大陸で広く信仰されている四聖獣教の信仰対象であり、神の代行者として敬われている。また、秩序を乱す者には天罰を与える者として恐れられており、突然現れればパニックが起きることは間違いない。
「……そこでここから船で行けるデンメルンゲ島で会うことにしたのじゃ。会うだけなら問題はなかった。じゃが、あの阿呆めは儂に会うなり、怒りをぶつけてきおったのじゃ……」
そこで大賢者は大きな溜息を吐く。
デンメルンゲ島はシュトルムゴルフ湾の中にある島で、避泊地となる小さな漁村があるだけで、ほとんど人は住んでいない。
「四聖獣たる神狼が怒りを爆発させた。それによって魔素が乱れ、魔獣どもが暴れ始めたのじゃ。儂も魔素の流れを整えようとして試みたが、水の中ゆえになかなか上手くいかなんだ。仕方なく聖竜に連絡し、海中で魔素の流れを整えてもらい、ようやく魔獣どものが落ち着いた。これが九月の十日頃の話じゃ」
思った以上に大ごとになっていることに驚く。
「そもそも神狼様がお怒りになったのはなぜなのでしょうか?」
イリスが私も思った疑問を口にした。
「神狼は管理者が命じたことに盲従する。儂が王国に肩入れし、帝国を抑えようとしたことが管理者の言葉に反していると言ってきたのじゃ。儂が管理者の復活と、この大陸を守るという我らの目的のためには仕方がないと説明したのじゃが、あの頑固者は全く聞く耳を持たなかったのじゃ。それで言い争いになったというところじゃな」
四聖獣はそれぞれ特徴的な性格を持つと言われている。
神狼は管理者が定めたことを愚直に守ることを第一とする。
聖竜は力こそ正義という思想で、管理者がいない今こそ、自分たちが積極的に力を示すことで平和をもたらすという考え方だ。
不死鳥は因果応報を信条としているため享楽的で、管理者が戻ってくるまで流れに任せればよいと考えている。
鷲獅子は正義が最も重要であり、例えそれが管理者の命じたことであっても、正義に悖るのであれば認めないという考え方だ。
聖竜に仕方なく頼んだというのも、力こそ正義という考え方の聖竜に協力を頼めば、もっと積極的に介入すべきと言われかねないからだろう。その予想は当たった。
「分かりました。大賢者様が積極的に行ったものではないと理解しました。しかし、九月の半ばには落ち着いていたのに、二ヶ月以上戻ってこられませんでしたが、何かあったのでしょうか?」
大賢者は私の問いに更に疲れた表情を浮かべる。
「聖竜が代行者を集めて協議すべきだと言ってきたからじゃ。助言者である儂が単独で動いておるのが気に入らぬと言っての」
助言者と代行者はいずれも管理者の部下に当たる。軍の組織で言えば、管理者が総司令官、助言者が参謀長、代行者が実戦部隊の司令官に該当する。
助言者と代行者は同格だが、参謀に過ぎない助言者が勝手に動くことは指揮命令系統的に問題がある。
「ということは、四聖獣様が一箇所に集まったのですか?」
イリスが驚いて質問する。
四聖獣は本来、それぞれの居場所から動くことはない。これは四方に配置することで、異常事態に即応できるようにしているからだ。
「そうじゃ。聖竜めは自らの聖域、オストインゼル島に集めよと要求してきた。癖の強い代行者どもを集めるのにひと月、儂が動くことを認めさせるのに半月も掛かったのじゃ」
四聖獣に乗って移動したため、時速数百キロメートルで動けたらしいが、大陸の東西南北を何度も行き来するため、何千キロメートル移動したのか想像もできない。
「まあ、苦労の甲斐はあったがの。奴らも儂が動くことを最終的には認めたからの」
「四聖獣すべてが認めたのですか?」
「そうじゃ。まあ、期限は付けられたがの」
「期限ですか?」
「そうじゃ。今の候補者たちが神となり得るのか、判断ができるまでじゃ。年数で言えば、二十年といったところかの」
今判明している候補者はグライフトゥルム王家の三人の王子で、第三王子のジークフリートが筆頭候補だ。
最も若いジークフリート王子は現在六歳。二十年後なら彼でも二十六歳になるから、神になり得るか判断できるということだろう。
「ということは、二十年ほどは四聖獣の介入は気にしなくてよいということでしょうか」
四聖獣が介入すれば、国が亡ぶことにもなりかねない。派手にやるつもりはないが、制約がなくなることで気持ち的にはかなり楽になる。
「そうとも言えぬ。神狼は最後まで納得しておらなんだから、あまり派手なことをやると、再び口を出してくるかもしれぬ」
今まで通りなら問題ないようなので、とりあえず安堵する。
「この話は終わりじゃ。マルティンより皇帝の話は聞いたが、どうなりそうなのじゃ?」
大賢者であっても四聖獣を相手にしたことは思い出したくないらしく、話題を変えてきた。
「皇帝の容体は分かりませんが、帝国に大きな混乱はないようです。帝都では内務尚書が、エーデルシュタインではゴットフリート皇子が混乱を抑えており、思ったようにはいっておりません」
私の言葉に大賢者は頷いた。
「いくらそなたであっても、すべてが上手くいくとは限るまい。では、情報を集めつつ、揺さぶりを掛け続けるしかないということじゃな」
その後、大賢者と情報交換を行い、私たちは屋敷に戻っていった。
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