第十四話「獣人入植地の現状」
統一暦一二〇四年八月十三日。
グライフトゥルム王国南部ラウシェンバッハ子爵領、領都ラウシェンバッハ。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
領都でのイベントを終え、今日はレヒト法国から亡命させた獣人族の入植地を訪問する。
二年前に訪問した時と同じように、馬でいくつもりだったが、代官であるムスタファ・フリッシュムートに聞くと、笑顔で首を横に振った。
「道の整備が終わっていますので、狼人族の村までなら、馬車でも問題なくいけます。獣人たちがずいぶん頑張ってくれたのですよ」
領都ラウシェンバッハからヴォルフ村までは約二十キロメートル。それまでは草原と荒野が広がっているだけで、獣道程度の道しかなかったが、入植が進むにつれ、荷馬車の運行が必須となり、道が整備されたらしい。
今回は私とイリス、弟のヘルマン、護衛のカルラとユーダ、カルラの部下の影三名に加え、モーリス兄弟も同行する。
フレディとダニエルについては認めないつもりだったが、馬車での移動であることと、ユーダから魔獣が出没する可能性はほぼなく、出たとしても自分たちだけで十分対処できる程度だけだと断言されたため、同行を許可した。
今日はイリスもドレス姿ではなく、鎧を身に纏い、剣を下げている。その姿にモーリス兄弟が目を丸くしていた。
「これが本来の私の姿よ」
朝の鍛錬は欠かしておらず、剣を使うことは彼らも知っていたが、鎧姿は初めて見た。
母ヘーデがいるところでは男装すら遠慮していたので、意外に思ったのだろう。
イリスは久しぶりに剣士に戻れたので、生き生きとしている。
朝一番に町を出発し、草原に入っていく。
草原に入ると、以前と様子が変わっていることに気づいた。
「放牧が始まっているね。それに畑も作られている」
馬に乗るイリスに馬車から声を掛ける。
「そうね。集落もできているわ。あそこに風車小屋があるわね」
馬車からは見えないが、彼女からは遠くの建物まで見えるらしい。
「ここに集落はなかったのですか? よさそうな土地に見えますが」
フレディがそう聞いてきた。
確かに見た感じでは草原が広がる長閑な場所であり、農村があってもおかしくはない。
「数年前まで魔獣や野生の獣がよく出る土地だったんだよ。今ではこの先にある獣人族が魔獣や獣を狩ってくれているから、安全になったのだけどね」
「そうなんですか……これもマティアス様のお考えで始めたことなんですか?」
レヒト法国から獣人族を引き抜いているのはモーリス商会だが、機密保持のために息子であっても教えられていないらしい。
「確かに私が考えたことなんだけど、ここまで上手くいったのはモーリス商会のお陰なんだよ。特にライナルトさんと法国総支配人であるトルンクさんが頑張ってくれたから」
「父さんたちが……」
二人はライナルトが関わっていると聞き、驚いていた。
ライナルトは一代で財を成したが、世界中を駆け回っており、家にいることが少なく、二人は父親がどのようなことをしているのか、直接聞いていないらしい。
「ライナルトさんはお金儲けだけじゃなく、人を幸せにすることを考えている素晴らしい商人なんだ。私も尊敬しているよ」
そんな話をしながら、馬車に乗っていたが、昼過ぎに目的地である狼人族のヴォルフ村に到着した。
事前に連絡が入っていたのか、大勢の獣人たちの出迎えを受ける。
狼人族だけでなく、他の氏族もいるようで、千人以上いるように思えた。
彼らの先頭には狼人族の長、デニス・ヴォルフとその息子エレンがいた。デニスは四十代半ばだが、所作は武人のようにきびきびとしており、目つきの鋭さも以前のままだ。
エレンは二十歳前だが、以前より身体も大きくなり、自信に満ちた表情をしている。定期的に受けている報告では剣術の腕も上がり、戦士の中でも抜きんでた実力を見せているらしい。
私が馬車を降り、イリスが馬を降りて私の横にやってくると、二人は片膝を突いて頭を下げる。その動きに他の獣人たちも一斉に倣った。
相変わらずの忠誠心に面映ゆさを感じ、できるだけフランクに声を掛けた。
「皆さん、お元気そうで何よりです! 堅苦しい挨拶は抜きにしましょう!」
私の言葉でデニスが顔を上げる。
「ご結婚おめでとうございます! 心よりお祝い申し上げます!」
デニスがそう言うと、獣人たちが一斉に顔を上げ、「おめでとうございます!」と祝福してくれた。
「「ありがとうございます」」
イリスと二人で軽く頭を下げる。
その後、何とか彼らを立たせて村の中に入る。
以前よりも家が増え、掘っ立て小屋から立派な家に代わっていた。
「ずいぶん立派になったわね」
イリスも同じ感想を持ったのか、周囲を見ながらそう言ってきた。
「モーリス商会が全面的に協力してくれましたので」
イリスの言葉にデニスが律儀に答える。
モーリス商会はここに店舗を作り、現金収入が少ない彼らのために、魔獣を狩って得た魔石を買い取っていた。
また、その店舗では生活物資だけでなく、武器や建材など獣人たちが必要とする物を取り寄せている。
モーリス商会の店舗とラウシェンバッハから来る行商人のお陰で、他の村も開拓地にありがちな物資不足に悩まされることはないらしい。
村長であるデニスの家に向かうため、村の中を歩いていくが、ここでもヴォルフ族の住民たちが私たちを見て平伏せんばかりに頭を下げていく。
家に入ると、五人の犬人族の男が片膝を突いて待っていた。
形としてはデニスたちと同じだが、その表情に崇拝の色はなく、冷静さを感じさせる。
「我々に武術を教えてくださっている影のリオ殿たちです」
デニスの紹介で納得した。
リオは獣人入植地の防諜担当として派遣されている影だが、獣人たちの願いを受け、武術指南役にもなっている。
「本来の仕事以外のことをお願いして、ご迷惑をおかけしました」
そう言って頭を下げる。
「これも任務の内ですので、お気遣いは無用に願います」
リオは影らしく感情を見せることなく、平板な声でそう言ってきた。
「鍛錬の成果を確認いただきたいと、デニス殿たちが申しております」
リオの言葉にデニスが頷く。
「各氏族の長が是非とも挨拶したいと申しております。食事と休憩の後に、長たちの挨拶を受けていただき、その後に鍛錬の成果を見ていただきたいのですが、いかがでしょうか」
「それで構いません」
正直なところ、私が見て分かるものなのかと思わないでもなかったが、真剣な表情で頼まれたため、即座に了承した。
少し遅い昼食を摂るが、この辺りで獲れる野生の鹿や猪を使った料理には調味料をふんだんに使われており、思いのほか美味しかった。
昼食後、各氏族の長が挨拶していく。
現状では六十を超える氏族が入植しており、簡単な言葉を交わすだけでも大変だった。
その中には昨年ヴェストエッケで捕らえた熊獣人族の長、ゲルティ・ベーアの姿もあった。もともと大柄だったが、以前より一回り大きくなったと勘違いするほど肉付きがよくなり、肌の艶もいい。
「元気そうで何よりです。何か困ったことはありませんか?」
「ございません。安全なこの地で家族と共に暮らせており、今は満足した生活を送っております。これ以上望むことはありません」
彼以外にも聞いてみたが、元の生活が悲惨だっただけに誰からも要望は出なかった。
実際、ここは辺境の村は言うに及ばず、王都近くの農村よりも恵まれている。
モーリス商会が経営する商店があるだけでなく、各村を定期的に回る行商人がいるため、必要な物資が容易に手に入るためだ。
また、価格も必要経費以外は乗せられていないので、ラウシェンバッハで買うより少しだけ高い程度の良心的な価格だ。
この他にも叡智の守護者から派遣された治癒魔導師が、どの村からも五キロメートル以内にいる。そのため、急病を発したり不慮の事故での大怪我を負ったりしても、すぐに治療を受けられる。
王都周辺の農村でも治癒魔導師がいるところは少なく、治療を受けるために患者を運ばなければならない。また、治療代も高く設定されており、比較的裕福な農家でも簡単には治癒魔導師の治療を受けることはできない。
二時間ほどで各氏族の長からの挨拶を受け終えた。
「では、我らの鍛錬の成果をお見せいたします。村の中では狭いので、ご足労をおかけしますが、西の草原に移動いたします」
五百メートルほど離れた村の西側の草原で行われるらしいが、広い場所が必要という言葉に嫌な予感がした。
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