第二十二話「経済戦」
統一暦一二〇四年四月三十日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、マルティン・ネッツァー邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
リヒトプレリエ大平原の遊牧民たちがゾルダート帝国の第一皇子、ゴットフリートに敗れてから二ヶ月ほど経った。
遊牧民たちが敗北することは想定内であり、それを前提とした策はほぼ完璧に成功している。
私が狙ったのは遊牧民たちが帝国の戦力とならず、逆に火種になるようにしたことだ。
具体的には、今後起きるであろうゴットフリート皇子とマクシミリアン皇子の間の皇位継承争いで不安定要素となるよう、遊牧民たちがゴットフリート皇子個人に忠誠を誓うように誘導したのだ。
遊牧民の実数は不明だが、人口は二十万人を超えると推定されている。そこから考えられる兵力は十万人を超える可能性すらあった。
また、今回の戦いではゴットフリート皇子に完敗したが、野戦では無類の強さを発揮する。上手く使えば、その機動力は戦術の幅を大きく広げるもので、ゴットフリート皇子のような天才が用いれば、同数の帝国軍と充分に渡り合えるだろう。
帝国軍の方陣に対して完敗している件だが、対抗策なら私でも思いついている。
帝国軍が方陣を築き防御に徹した場合、無理に攻撃することなく、周囲を包囲し続ければ疲労が蓄積し、いずれ方陣を維持できなくなり、最終的な勝利を得ることは難しくない。
この作戦では遊牧民側も疲労することになるが、攻撃側は順次休憩すればよく、疲労度合いは全く違う。
もっともこの戦法は強力な指導者がいるという前提であり、今の遊牧民連合では難しいだろう。
話を戻すが、その強力な遊牧民が戦争の天才であるゴットフリート皇子に臣従したことは、マクシミリアン皇子にとって大きな不安要素となる。
冷徹なマクシミリアン皇子が簡単に軽はずみな行動に走るとは思わないが、今回のことが皇位継承争いにおいて大きな波乱要素になったことは間違いない。
モーリス商会には苦労を掛けたが、商会がゴットフリート皇子と遊牧民の双方に対して伝手ができたことは大きい。今後、商会を通じて情報収集や操作が行え、帝国に対する謀略に幅ができたことは間違いないからだ。
それを含め、モーリス商会には何らかの補填を考えなければならない。具体的にどうするかだが、一応案はある。但し、叡智の守護者の承認が必要であり、私の一存ではできないことだ。
今日は大賢者マグダと会う約束をしていた。
大賢者と会ったのは昨年末であるため、半年ぶりくらいとなる。
大賢者はリヒトロット皇国が滅亡した際に、皇室の血を残すためにいろいろと動いており、王都シュヴェーレンブルクに来ることが減っている。
リヒトロット皇室の血を残す理由は、グライフトゥルム王室と共に神である管理者を生み出す可能性がある家系であるためだ。
今日はその大賢者から相談があると言われて、上級魔導師であるマルティン・ネッツァー氏の屋敷に来ている。未だに帝国の諜報局が私の周囲を探っているが、ネッツァー氏は医師としても有名であり、診察を受けに来たという形で訪問した。
ネッツァー邸に入ると、応接室に通される。
そこには老婆ではなく、妙齢の美女姿に戻った大賢者が待っていた。
挨拶を交わした後、すぐに本題に入った。
「坊に相談したいのは皇国の件じゃ。このままでは皇都が落ちるのは時間の問題。あそこが陥落すれば、滅亡まで一直線じゃ。どうにかならんものかと思うての」
皇都リヒトロットはグリューン河を天然の堀にした堅牢な城塞都市だ。また、船を使った補給も容易で、精強なゾルダート帝国軍でも攻めあぐねている。
しかし、リヒトプレリエ大平原で遊牧民連合がゴットフリート皇子率いる第一軍団第二師団に敗れたという情報が皇都に流れたことから、兵士や市民たちが動揺していた。
また、南部鉱山地帯で行われている抵抗運動も、マクシミリアン皇子率いる第一軍団第三師団に追い込まれており、帝国軍が補給線に不安を抱えることなく、全面攻勢に出る可能性は高まりつつあった。
叡智の守護者の情報分析室の諜報員を通じて、ゲリラ活動を行っている者たちにシュッツェハーゲン王国に一旦退避するよう助言しているが、協力者である地元民を見捨てて逃げることができず、多くの戦士が捕らえられ、処刑されている。
「この流れは覆しようがありませんが、遅らせることなら何とかできると思います」
私の言葉に大賢者が目を輝かす。
「どのような策じゃ?」
「帝国が購入している小麦などの食料品の流通を止めます。それによって食料品が高騰し、帝国は備蓄した物資を放出せざるを得なくなります。そうなれば、大規模な軍事作戦は行えません」
大賢者は想像していなかったのか、一瞬呆けたような表情をした後、疑問を口にした。
「確かに食料がなければ軍は動かせぬが、誰かが儲けようと帝都に運び込めば、すぐに効果はなくなるではないのか?」
「大賢者様の懸念はごもっともです。ですが、帝都周辺は元々食料生産能力が低く、他国からの輸入や遠方からの輸送に頼っています。そして、輸出や運搬を行っているのは大型船を持つ商人組合に属する商人たちですが、その一部が船を出さないだけでも、供給不足になり、価格は一気に上がるでしょう」
帝都ヘルシャーホルストは以前から、主食である小麦をグライフトゥルム王国やレヒト法国からの輸入に頼っていた。このことは帝都の物価動向や流通について調べている過程で知ったことで、今まで他国では知られていなかった事実だ。
数年前からグライフトゥルム王国からの輸出は王国政府によって禁じられているが、商人たちは帝国の東にあるオストインゼル公国に輸出する偽装をして、帝国に売り続けている。
私はこの事実をずいぶん前から知っていたが、王国政府は商都ヴィントムントが自治都市である関係から、この事実を把握していなかった。
帝国に利することになるが、王国政府に知らせると、何も考えずに食料品の輸出を禁じることになる。そうなると、もう一つの敵国であるレヒト法国が儲けるだけになるし、商人たちの反発も大きくなるだろう。そのため、私は王国政府に知らせなかった。
「そうかもしれぬが、今の帝国はリヒトロット皇国の穀倉地帯のかなりの部分を抑えておる。そこから運び込めば足りなくなることはないと思うがの」
「その点は問題ありません。モーリス商会が輸送を停止するだけでも十分な効果はありますから」
モーリス商会は王国からの輸出だけでなく、グリューン河流域の穀倉地帯の小麦の輸送も請け負っている。その規模は商人組合でも断トツで、帝都に運び込まれる小麦の三割近くはモーリス商会系が占めていた。
これはそうなるように仕向けたためで、モーリス商会が輸出と輸送を停止するだけでも十分に効果が出るようにしてある。
「それに加えて、シュトルムゴルフ湾で魔獣が多く出没しているという噂を流します。レヒト法国の商船に対しては、グランツフート共和国の海軍に監視を強化してもらうように依頼し、法国からも運び入れられないようにします」
シュトルムゴルフ湾はグライフトゥルム王国の東側にある湾で、ヴィントムント市やグリューン河を出発する船が必ず通る海だ。元々、サーペントやクラーケンなどの魔獣が出没することで有名なため、噂を流せば船を出さなくなる。
レヒト法国からの輸出は西方教会領のヴァールハーフェンと南方教会領のハーセナイから出港することが多い。
レヒト法国から帝都に向かうには、我が国の領海を通る北回りと、グランツフート共和国とシュッツェハーゲン王国の領海を通る南回りがあるが、北回りは我が国の港を利用できないため、ほとんど使われない。
南回りも敵国であるグランツフート共和国の領海を通ることになるが、共和国の領海内を通る距離が短いため、その間は無寄港での航海で突破することは可能だ。しかし、航路自体はほぼ決まっており、待ち伏せることはそれほど難しくない。
ちなみに船には百人人以上乗せられないという制限がある。これは人数が多くなると魔獣に襲われる可能性が上がるためで、海軍の船も同様だ。通常は安全を見て更に少なく、五十人程度に抑えている。
そのため、地球での大航海時代の海戦のように、相手の船に乗り込んでの白兵戦はほとんど行われず、火矢を撃ち込んで焼き払う攻撃が主流となっている。
また、帝国内であれば、陸上輸送という手もあるが、船舶による輸送と荷馬車による輸送ではコストが桁違いなため、価格上昇を抑えるという点では効果は期待できない。
「懸念はモーリス商会に負担をかけてしまうことです。獣人たちのことではずいぶん助けてもらっていますし、大平原でも急遽、無理なことをお願いしていますので……」
モーリス商会のライナルト・モーリス商会長は私の依頼をいつも快く受けてくれる。しかし、商業活動的に見れば不合理なことが多く、以前から気になっていった。
「確かにライナルトはようやっておるの。儂や叡智の守護者が直接何かを与えるわけにはいかんが、他にできることがないか考えておくかの」
大賢者は神を補佐する助言者であるため、本来中立的な存在であり、特定の組織に肩入れすることは禁じられている。
また、魔導師の塔である叡智の守護者も特定の国家や組織に対価なく協力することは禁忌とされていた。
現在、大賢者及び叡智の守護者がグライフトゥルム王国に力を貸しているのは神の復活のためであり、帝国に対する謀略に手を貸してくれているのも、魔導の無制限な利用を防ぐという大義があるためだ。
「一つよい方法があるのですが」
そう言って温めていた案を説明する。
「うむ。それならばよいかもしれんが、どの程度可能なのか、塔の方に確認せねばならんの」
叡智の守護者のトップである大賢者が認めてくれたため、何とかなりそうだと安堵する。
その後、この他の経済的な攻撃手段についても話し合い、帝国を経済的に混乱させることが決まった。
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