6.病み勇者、魔物に嫉妬する
※勇者視点
この生活を楽しんでいたわけではない。
けれど、どんな些細なことにも気遣いと感謝を示してくれるクララに心を開いていたのは事実だった。
だから遺跡とやらで魔物を撫でまわしていたクララを目にした時、ああ本当に魔女だったのかとどこか冷静に思った。優しいクララは偽りで、やはり俺は裏切られるのだと。
けれど、目の前で子猫にまみれて慈愛に満ちた笑みを浮かべるクララはやはり優しいクララだ。
「オマエ、ドウイウツモリだ」
クララの家で、食卓の上に陣取った魔獣が言う。クララいわく「見た目が黒猫に似てるから」という理由でクロネコと呼んでいる魔獣だ。クララが魔物を撫で回すのを監督する様はまぁ「守り神」と呼んでやっても良いだろう。
傍らの椅子に座って食卓に頬杖を突きながらクララを眺めていた俺は、クロネコをちらりと見て答えた。
「別に。わざわざ遺跡まで行かなくても良いんじゃないかと思って」
ここのところクララが姿を消していた理由は魔物を撫で回すためだったらしい。
このクロネコとの契約で、縄張りに住む代償にクロネコの眷属を撫でまわす役目を負ったという。俺はそれで納得した。だから魔物の森でのんびり暮らしていられたのかと。
だったら家の方で好きにやってくださいと言うと、クララは心底驚いていた。
「良いんですか?」
「ええもちろん。それよりも姿が見えなくなるほうが心配です」
「でも・・・嫌悪感とかあるかなって・・・その・・・魔物の類だし・・・」
「俺は気にしません。まぁ、『魔獣さん』の方が嫌かもしれませんが」
そう告げた時の感動して涙ぐむクララの顔を俺は一生忘れない。ありがとうございますと微笑むクララは天使以外の何物でもなかった。あれは魔女じゃない、聖女だ。
クララは撫で回す魔物の事を魔獣と呼ぶ。話を聞くと、どうやら魔物と魔獣には違いがあるらしい。いわく、生き物が瘴気により魔物化した後、生き物としての本能の残った個体同士が繁殖して生まれたのが魔獣だと言う。
理屈としては理解できなくもない。そう考えると、魔王が消えてからも残る魔物はもしかしたら魔獣の類なのかもしれない。
そんなことを思い出しているうちにクララの周りから子猫が消え、今度はカブトムシのような魔物が現れる。子馬程もある巨大な甲虫にクララはビクリと固まったが、じっと動かないカブトムシに恐る恐る近づき、背伸びをしながらその背中をそっと撫でまわし始める。虫は得意ではないと言っていたのに、健気だ。
「オマエマモノ殺ス。ナゼオレ殺サナイ」
「興味ない」
クロネコのつまらない問いに俺は短く返した。魔王とは言わないまでも、クロネコがいわゆるヌシ級の魔物だというのはすぐにわかる。縄張りを持ち、人間と契約できるほどの知性を持つ魔物はめったにいない。時と場所によっては一国を滅ぼしかねない危険な階位の魔物だが、クララが守り神というのだからこいつはもう神で良い。
「クララを守護する間は見逃す」
「・・・オマエの剣、フユカイ」
「だろうね」
なにせ魔王を殺した剣だ。クロネコのような魔物など上に命じられるまま山程屠ってきた。魔物の血が染みついているだろう。
「オマエフユカイ、ハヤクキエロ」
「その件なんだけど」
俺は体ごとクロネコに向き直る。ゾワゾワとクロネコが毛を逆立たせて俺を警戒するが、クララがそばにいるからかそれ以上の威嚇はない。俺もクララの手前、クロネコに無体を働くつもりはない。俺とクロネコの間に、クララを通じた奇妙な信用が生まれていた。
俺はニコリと笑う。
「俺ももうしばらくここに住もうと思う」
「マジデメイワク、ハヤクキエロ」
「そんなこと言わずに、アンタの縄張りでは魔物殺さないようにするからさ」
「サイアク」
クロネコはむくりと起き上がると、テーブルから降りてクララの方へと向かう。そして消えたカブトムシと入れ替わるようにクララの前に滑り出た。
「あらクロネコさん、お疲れは回復しましたか?」
クララがクロネコを撫でながら聞く。抱きしめたり顔を埋めたり、そっと肉球に頬ずりしたりと随分楽しそうだ。クロネコも満更ではないようなのが癇に障る。
「キグロウオオイ。最近ナワバリアラサレル」
「まぁ、そうなんですか。そういえば大物さんはどうなりました?」
「困ル。魔王のザントウ礼儀ナイ」
「魔王の?」
クララが驚く。俺も思わず眉根を寄せた。
「魔王さんはたしか・・・一年前に討伐されたんですよね?」
クララが俺を振り返った。俺は頷く。
「国からはそう発表されています。でも残党がいるなんて聞きませんね」
(徹底的に焼き滅ぼしたはずだが)
間違いはない。ほかならぬこの俺がこの手で済ませたからだ。
逃げ惑う魔物を逃さず殺し、討ち損じを生き延ばさぬよう泉に毒を混ぜ、最後には面倒になって所かまわず焼き尽くした。その殲滅っぷりは人間側にも憎悪を買うほどで、魔物のいなくなった土地をあわよくば山分けしようとしていた各国の施政者達は苦い思いで俺の報告を聞いていた。あの土地はしばらく人間どころか虫けら一匹も住めないだろう。
「でも、古の魔王の時もそんな風にして魔物が入ってきたと聞いたことがありますね」
クロネコの耳の後ろをかきながらクララが言う。喉をごろごろと鳴らしながらクロネコは頷いた。
「オレノ御先祖。デモ今のヤツミンナ手負イ。気がタッテル。スグ喧嘩ウル。面倒」
「なるほど・・・それは怖いですね」
心配そうに肩を落とすクララにクロネコが妙に良い声で言う。
「ダイジョウブ、オレ守ル」
「まぁ・・・クロネコさんったら・・・ありがとうございます!」
感極まったクララが抱きついて頬ずりをする、その肩に寄り添うように顔を置いてクロネコがこちらを見た。何故だろう、俺はものすごくイラっとした。仲の良さを見せつけられている。獣のくせに生意気な。
(俺だって守れるし)
クロネコの挑発に煽られる自分に気付き、俺は眉間にしわを寄せる。魔物相手に嫉妬してどうするんだ。俺だってできるなんて子供じゃあるまいし。
「でも、怪我には気を付けてくださいね。小クロちゃんたちが悲しみます」
「魔獣ソウイウノナイ。イズレ後継アラソウ。ソウイウ世界」
クロネコはそういうと立ち上がり、ニャーゴと吠えてかき消えた。
「あら、もうおしまい・・・」
クララが物足りなそうに呟いた。どうやら集まりが悪かったらしい、多分俺がいるせいだろう。クララは立ち上がってくるりと振り返ると、今気づいたというようにハッとし、心配そうに俺をうかがう。
「あの、大丈夫でしたか?その・・・嫌な気持ちになったりは」
「何ともありませんよ。大丈夫です」
俺の返事にクララはほっとして笑う。クロネコ以外はみんな小物だったし、恐れるに足る相手はいなかった。クララが押しつぶされないかだけが心配だったが、魔物の方も礼儀を知っているらしい。
「ですが、どうして魔獣は撫でられたいんでしょうね」
俺は首を傾げて言う。魔物が撫でまわされるのを好むなんて聞いたことがない。クララが魔獣と呼び区別する魔物たちだって、森の外では人を襲うのだ。
クララも頬に手を当てて思案する。
「それが私にもわからないんです。クロネコさんは癒しだって言ってましたけど」
「あぁ・・・!でしょうね」
俺は納得して深く頷いた。そしてクロネコが妙に腹立たしかった理由も理解する。どうやら俺はクララに撫でまわされるクロネコを羨んでいたらしい。
(いいよな・・・よしよしされたいよな・・・あ~わかる。わかるけどさすがに駄目だぞ俺・・・恋人ならまだしも。でも・・・)
「いいなぁ・・・」
思わず口から出た。
「え?」
クララが真顔で見てくる。俺は背筋を凍らせた。
(まずいまずいまずい)
恋人でもない男にそんなことを言われたら怖いに決まっている。
最悪だ。所詮俺はクララにとって偶然助けた行きずりの男。そんなのが触れ合いを求めるような発言をしてくるなんて、普通に考えて地獄だ。まずい。引かれてしまう。嫌われる。
俺は慌てて言った。
「いや・・・あの、マッサージみたいなものかなと思って。疲れているときにされたら確かに癒されていいなぁって」
そう言いながら冗談っぽく笑う。よしよし、咄嗟の言い訳としては悪くないんじゃないだろうか。そう、マッサージみたいでいいな。そうだ、そういう「いいなぁ」の意味で行こう。
心臓をばくばくさせながらクララの反応を待つ。ちょっとでも嫌な顔をされたら、外で寝よう。距離を取られたら速攻帰ろう。いや、家を建てると約束してしまっている。三日だ、三日だけもらって速攻で家を建てて存在を消そう。
俺の心配をよそにクララは視線をはずして黙ったまま少し考え、ふと俺を見て言った。
「カロンさんにもしましょうか?」
「え・・・?」
今度は俺が聞き返す番だった。えぇ!?
「いえあの・・・癒されるなら癒して差し上げたいなと。力仕事をお願いしているのに何のおもてなしもできていませんし。私ばかりが助かっているのは申し訳ないなって・・・・」
もしや俺の冗談に乗っただけかと思ったが、クララは大真面目のようだった。
(マジか・・・・)
「じゃあお願いします」
心の中の躊躇などどこ知らず、俺はすぐに顔を差し出した。どんな顔をしていいのかわからないので顔は伏せている。
「あーでは・・・参ります」
覚悟のような掛け声とともに、クララが俺の頭に触った。
(あぁああああああ、これかぁああああああ)
クロネコが喉を鳴らすのがわかる。細い指が髪の間に入り、額を通って耳の後ろ、後頭部と流れていく。マッサージのように揉まれているかと思えば髪をわしゃわしゃと撫でまわし、また優しく髪をすく。
(緩急が・・・これは・・・)
丁度良い力加減でもみほぐされる。これは癖になる。クロネコが囲って毎日撫でさせるわけがわかる。毎日でもされたい。傍から見ればまるで犬みたいな状態だが、勇者だって犬みたいな生活だった。今更恥じることもない。
(いっそのこと犬になりたい、クララに飼われたい)
そんなことを考えている間に、クララが以上ですと言って俺の頭を起こした。
「あの・・・いかがでしたか?」
「最高に気持ち良かったです。頭がすっきりしました」
思わず素直な感想が出る。いや、マッサージ、マッサージとして。
しかし俺の心配など打ち消すようにクララは微笑んだ。
「良かった。少しでも癒しになったのなら嬉しいです」
(なりました・・・・)
「またお願いします!」
独白と発言が逆!と言ってから思った俺に、クララが笑ってもちろんですと力強く答える。
うっそ・・・なんなのこの人?天使じゃん。
ああ、俺のこれまでの頑張りって今この瞬間のためにあったのかもしれない。