3.病み勇者、魔女の生活環境を心配する
※勇者視点
再び目覚めた時、外は眩しいほどに明るかった。
「ん?」
眠る前にあの女・・・クララと話した印象では昼頃だと思ったのだが、戸口の向こうはそうは見えない明るさだ。
(これはどう見ても朝だな)
どうやらそのまま朝まで眠ってしまったらしい。おかげで不調は全て回復し、気分は爽快感すらある。
寝台の上で体を起こしさすがの自分の無防備さに呆然としていると、桶を持ったクララが布をめくり部屋に入ってきた。
「あっ!カロンさん!良かった~!お目覚めですね!」
「あ・・・はい」
俺はぼんやりとしたまま頷いた。クララは持っていた桶を棚に置いて俺に向き直る。態度がまた妙に明るい。どういうことだろう。
「なにか食べられそうでしょうか?カロンさんあの時お休みになってから起きなくて、昨日は丸一日寝てらしたんですよ。今日起きなかったらどうしようかと思っていました」
良かった~生きてて!とクララが笑う。どうやら俺の生存を喜んでくれているらしい。
(そうか、拾った怪我人が家の中で死んだら嫌だよな)
俺はぼんやりとしたまま納得したが、ふと思い至りギクリとした。
「ということは、今日は・・・?」
「え?あぁ、そうですね・・・お休みになった2日後の朝です」
指折り数えて言うクララに、俺は思わず手で顔を覆う。いくらなんでもそんなに寝るとは。唖然とする俺にクララが微笑んだ。
「よっぽどお疲れだったんですよ。少しは休めましたか?」
少しどころじゃない。無防備に2日も眠っていたなんて。
(確かに疲れを自覚したが、そのせいで2日も・・・?)
黙り込んでしまった俺にクララが再び気遣うように言う。
「あの。もし動けそうなら、東の森を少し行ったところに泉があります。水浴びしたら気分もさっぱりするかもしれません」
「・・・ありがとうございます」
俺は言われるがまま家を出た。最初はいくらかふらついたが、毒も痺れも完全に抜けたようで身体が軽い。
家の東は草が茂る広い空き地のようになっていた。深い森の中にこんなに広い場所があったとは。踏み分けられた道を通り森に入ると、ところどころに敷かれた石が道となり泉へと導いていた。
あたりを木々に囲まれた泉は、ふちを石で補強されていた。俺は借りた桶に水を掬い、手ぬぐいで身体を拭く。受け身を取り損ねたせいで小さな傷や痣が増えていたが、ダメージというほどのものでもなさそうだ。
(それにしても)
俺は周囲を見回した。森の入り口は鬱蒼とした木々に遮られ光も差さない恐ろし気な様子だったのに、このあたりは空が開け朝の光すら地面に届くほど。まるでよくあるのどかな林のようだ。
だというのにクララの家を出た直後から、一つ茂みの向こうには常に魔物の気配があった。
(装備一式はクララの家に置きっ放しか・・・)
アレを家と呼んでいいのかはともかく、気が付いた時装備は全て解かれていた。となれば剣も鎧もあの家・・・住処のどこかにあるのだろう。
負けると知って襲ってくる魔物はいないから、襲ってこないということは小物だ。だとしたら装備がなかろうと返り討ちにするのは容易い。
それよりも気になるのは、これだけの魔物に家を囲まれていながらのうのうと生活しているクララのことだ。これだけの魔物に囲まれていては遭遇すればひとたまりもない。瞬く間にやられて骨一つ残さず捕食されるはずだ。
(結界を張れるほど高位の僧侶なのか・・・?いや、それにしては魔物の気配が近すぎる。もしかして俺と同じく高レベル過ぎて襲われないとか?)
それならあり得るかもしれないが、見たところ二十代そこそこ。そんな女が俺と同じレベルに達するなど。
(・・・まぁ、俺だって二十五で魔王倒すレベルだけど・・・)
それは血反吐を吐いて世界中を駆けずり回らされたからだ。あの女がそんな過酷な境遇で戦ってきたようには見えない。
(いや・・・あんな廃墟に住んでけろっとしている女だ。どんな境遇にあったか分かったもんじゃないな)
それに、何かされるなら眠っている間にされているだろう。心を許すわけではないが、警戒するのも無意味だ。
(その気になればすぐに制圧できるしな)
そんなことを考えながら家に戻ると、クララはボロ家の外で鍋をかき混ぜていた。手製なのか石を組んだかまどらしきものがある。ここは台所ということだろうか。
「おかえりなさい。調子はどうでしょう?とりあえずスープが出来ました。ありあわせのもので作っているので味はそんなになのですが」
「いえ、お気遣いありがとうございます。頂きます」
「良かった。えっと、そこの石にでも腰掛けてお待ち下さい。食事できそうな場所がそこしかなくて」
クララは近くにある台形の岩を指し示して言った。かまどの位置から察するに、丁度食卓のような位置ではある。しかし丁度腰掛けられそうなその岩以外、他には何もない。
(周囲より少し高い台地だし・・・キャンプ地としては悪くないが)
「クララさんはここに住んでいるんですか?」
周囲を見回しながら俺は尋ねた。周囲は木々と緑でおおわれているが、よくよく見れば踏み分けた道があり、生活感のようなものを感じられなくはない。
「あ・・・えぇ、まぁ。そうです」
クララはちらりと俺を見て肯定した。気まずそうだ。
「その・・・変ですよね。こんなところに女が一人で・・・」
「・・・そうですね、正直性別問わず変わり者のような気はします」
俺は正直に言った。クララは困ったように微笑みながらスープを器に盛っている。
「その・・・なんと言いますか。ある時とても人が嫌になっちゃって。一人になりたくなって、とりあえず逃げ込んだのがここだったんです」
「・・・・それで一年もこんなところに?」
魔王が討ち果たされたのを知らないなら、少なくとも一年以上は森の外を知らないはず。
「えぇ、その。一年も経っていたとは気づかなかったのですが、どうやらそのようです」
クララが恥じ入りながら俺にスープを渡してくる。木製のスプーンを渡され、もはやなにかを疑う事もなく俺はそれを口にした。見たことのない色のキノコと草が入っているが、塩味が染みるように美味い。
「でも、不便なのでは?どうやって生活しているんです?」
スープを飲み干しもう一杯をもらったついでに尋ねる。久しぶりの純粋な興味だった。クララは片手を頬にそえて言う。
「えっと・・・食べるものには困らないんです。森が豊かなので。それに何の効果か、一年中暖かいんですよね。だから最悪どこで眠っても平気ですし」
「・・・ずいぶん野性味溢れる生活ですね。でも、そういう鍋とかは?」
「あ、どうしても無いものは少しはなれた町へ薬草を売りに行って買い物します。移動呪文を覚えているので行きは良いんですけど、帰りは近くの村まで移動したあと徒歩でここまで戻るのがもう大変で・・・」
クララがうなだれて言う。なるほど、その姿を村人に見られるから『森に潜む魔女』が存在しているわけだ。
「ちなみに、他に森に住んでいる人とかは?」
ここにきて他の魔女なんていないと思うが、俺は一応尋ねる。クララはまさかと笑った。
「こんな辺鄙なところ、誰も住まないですよ」
いや、あんた住んでるだろ。という言葉をぐっと飲みこむ。すると一呼吸後にクララ自身もハッと気づいてぐっと口を引き結んだ。どうやら同じことを思ったらしい。
「あー・・・ということはこの家も手作り、とか?」
俺は話を変えようと背後の家を振り返り言った。外から見るとまた迫力のあるボロさだった。良いように言えて東屋、正直に言えば壊れかけた馬小屋だ。危険すら感じる。
「それが、これは元々あったものなのです。多分敷石的には母屋と台所と倉庫といった感じの家じゃないかなと思うのですが」
「家?こんなところに?」
「はい」
俺は思わず一気にスープを飲み干し、立ち上がって周囲を見回して歩く。よくよく見てみると、確かにこの台地自体が家の基礎のようにも見える。土と草に隠され途方もなくすり減っているが、石畳のような鈍色の石まであった。北にひと棟、中央が台所兼中庭、そして南にひと棟といった所だろうか。
「信じられない、ということは人が?」
少なくとも建築の概念を持つ生き物の作だろう。人間と同等の知能を持つ生き物はこの世界に居なかったわけではない。
「私も最初驚きました。でも、よく見ながら歩くとこの奥にも同じような遺跡があったんです。もしかしたら伝説にある古代の魔王城だったのかも」
クララはクスリと冗談めかして言ったが、俺はまったく笑えなかった。
魔王城など思い出したくもない。記憶がよみがえり思わず殺気がわいたのを慌てて誤魔化そうとしたが、俺の顔色の変化に気づいたクララは表情を固くした。
「すみません失言でした。そんなわけないと思います。森に呑み込まれた村が妥当な線です」
「いやあの・・・すみません。つい反応してしまって」
「いえ。私、不謹慎な発言が多くて。申し訳ありません」
クララはうなだれる。空気を悪くしてしまい、俺は柄にもなく焦った。
「遺跡好きですよ。ただ住むには危険です。せめて修理しないといつか生き埋めになります。俺で良ければ手伝いますよ」
勢いのままにいった言葉に驚いたのは俺自身だった。最悪だ。困った人は助けるという勇者の時の癖が出ている。
だが確かにこの家はボロい。倒壊していないのが不思議なくらいだ。特に土壁の上に無理やり渡したあの屋根。あの脆さではいつ落ちてきてもおかしくない。
クララは目をぱちくりさせて俺を見た。俺はやってしまったと下唇を噛む。
(癖にしたって重い提案だよな・・・)
昔からそうだ。俺はすぐに重いことを言うらしい。何度となく勇者の恋人の立場に憧れる女に言い寄られては、すぐに「重い」と振られていた。
しかし、クララはゆっくりと口元に手を当てて目を輝かせた。
「えっ、うそ・・・・あの・・・、大工さんなんですか?」
「あーいやその・・・大工ではないですが、もとが百姓の出なのでちょっとした小屋くらいなら建てられますし」
俺がそう言うとクララは両手を胸の前で組み、一目でそうとわかる喜色を浮かべる。
(良かった、喜んだ)
俺は何故か胸をなでおろしていた。
「あ!でもでも、道具が何にも無いんです。薪割り用の手斧とハンマーくらいしかなくて」
そう言いながらも軽い足取りでクララは家の裏側へと入っていく。
「何とかします。俺の剣はありますか?」
「あ!あります!ここに!」
クララが家の陰から言う。そして俺の剣を抱きかかえ、よたよたと戻ってきた。
「あのこれ、すごく重くて」
「ああすみません。そうですよね」
俺は歩み寄って剣を受け取る。何の変哲もない握りと柄の剣。魔王を討った聖剣はあまりの重さと古ぼけて見えるがゆえに、俺の手元に残った唯一のものだ。
鞘から剣を少し引き抜き刀身を確認する。子供の身の丈程もある分厚い鉄の塊のような両刃の剣だが、俺の手にはレイピアのように軽いのは秘密だ。
それが俺が勇者である証だと、剣を託して死んだ老人は言った。
「これがあれば大抵のことは出来るんですよ。木を選べば木材の一軒分くらいなんとかなるでしょう」
「すごい・・・!すごいです!わぁ!」
クララがキラキラとした目で俺を見てくる。その視線に俺は胸が温かくなった。聖剣には悪いが、俺が聖剣を使ってきた中で一番嬉しい称賛かもしれない。
「あっ!でも、無理はしないでください。回復したばかりですしもう少し様子を見てから。それに依頼があるんですよね」
(依頼か、忘れてたな)
「もちろんです、また倒れてはご迷惑ですから」
妙にふわふわした気持ちで俺は微笑む。何かを作ることを喜んでもらえるなんて、どれくらいぶりだろう。久々に嬉しい。本当に嬉しい。
「そうだ!でしたら薬草摘みは私が代わりにさせていただきます!」
それくらいは私も役に立てます!とクララが力強く提案する。どうしよう。出来ればその話は忘れて欲しい。
「あー、まぁとりあえず。お代わりください」
「え?あ、はい!」
木の器をクララに渡し、なんとか話を逸らす。毒消し草しか知らない俺に珍しい薬草の名前なんて思いつかない。
(何とかして誤魔化そう)
今はただ、もう少しだけこの人に喜んでもらいたい。