できることできないこと
3才の千絵ちゃんにはお友だちがいます。
千絵ちゃんが生まれた日におじいちゃんおばあちゃんがプレゼントしてくれたくまのぬいぐるみ、ちーちゃんです。
千絵ちゃんとちーちゃんはどこに行くのもいっしょです。
いっしょなのですが──。
明日は入園式。
千絵ちゃんはとてもワクワクしています。朝から何度もママに言います。
「ママ、あしたはようちえんにいくんですよ」
ママはニコニコ笑って言います。
「そうね。明日持っていくもの、ちゃんと見ておかないとね」
「だいじょうぶです。かんぺきですよ」
千絵ちゃんは明日の持ちものを見ました。
制服のぼうし、ブラウス、ブレザー、スカート、靴下。ななめかけのカバン。ハンカチ。ティッシュ。上履き、上履き入れ。
「かんぺきです!」
千絵ちゃんはほこらしげに胸をはった後、ふと自分の腕の中を見ました。
「あ、わすれてました」
千絵ちゃんはうっかりしていた様子で言いました。
「ママ、ちーちゃんをわすれてました!」
どこに行くにもいっしょのちーちゃんです。もちろん、明日もいっしょです。
すると、ママはこまったような顔をしました。
「千絵ちゃん、ちーちゃんは幼稚園には連れて行けないのよ」
「え?」
千絵ちゃんはびっくりしました。
「ちーちゃんですよ?」
ママに見せます。ほら、よく見て。この子ですよ?
でも、ママはやっぱりこまったように言います。
「ちーちゃんは連れていけないの」
千絵ちゃんはちーちゃんを見ます。
つれていけない?
言葉の意味をゆっくりとわかろうとします。
千絵ちゃんの目にじんわりと涙がたまってきます。
ぽろぽろと涙があふれはじめます。
千絵ちゃんは言いました。
「ちーちゃんいけないなら、ようちえん、いきません」
さて、たいへんです。
あんなにもワクワクしていたのに千絵ちゃんはすっかりすねてしまいました。
今、千絵ちゃんはちーちゃんといっしょに押し入れにとじこもっています。
ママはふすまの向こうの千絵ちゃんに話しかけます。
「千絵ちゃん、出てきてください」
「やです」
「ママとお話ししましょう」
「やなおはなししたくないです」
ママは思いました。
わがまま言わないで。
そう言って怒ることは簡単です。
でも、それは大人のためだけの言葉です。
2人のための言葉を千絵ちゃんにはあげたいと思いました。
中の千絵ちゃんに届くようにママは話し始めます。
「あのね、千絵ちゃん、ちーちゃんといっしょに幼稚園に行くことはできません。でもね、忘れないで。できないことのそばにはできることがあることを」
「……できること?」
「うん。幼稚園には行けないけど、ちーちゃんの名前を呼ぶことはできるよ。千絵ちゃんがあげた大切な名前だよね。これからも何度も呼んであげて」
千絵ちゃんは腕の中のちーちゃんを見ます。
千絵ちゃんが言葉をしゃべるようになるまで、ちーちゃんに名前はありませんでした。
ただのくまさんだったのに、ある日、千絵ちゃんはこの子のことをちーちゃんと呼び始めました。大事な友だちに自分の名前の文字をあげたのです。
その日からこの子はちーちゃんになりました。
「ちーちゃん……」
千絵ちゃんはその名前を大切に呼びました。
「幼稚園には行けないけど、ちーちゃんを抱きしめることはできるよ。千絵ちゃんはちーちゃんをギュッとするの大好きだよね。これからも何度も抱きしめてあげて」
千絵ちゃんは腕の中のちーちゃんを見ます。
ちーちゃんを抱きしめるとふわふわで、とてもいいにおいがします。おひさまのようなポカポカとしたにおいです。
千絵ちゃんはちーちゃんを抱きしめると幸せな気持ちになるのです。
千絵ちゃんは大切にちーちゃんをギュッと抱きしめました。
「幼稚園には行けないけど、ちーちゃんといっしょに生きていくことはできるよ。千絵ちゃんはちーちゃんがいなくなるのが怖いんだよね。これからもずっといっしょに生きてあげて」
千絵ちゃんは腕の中のちーちゃんを見ます。
千絵ちゃんにとってちーちゃんは一番のお友だちなのです。
いなくなってしまうなんて考えられません。
これからもずっとずっといっしょに生きていきたいのです。
「ね、千絵ちゃん、こんなにたくさんできることがあるよ。できないことばかり見て、できることを見ないのはもったいないよ」
千絵ちゃんはママが言ってくれたことを思い出します。
忘れないで。できないことのそばにはできることがあることを。
ちーちゃんといっしょに幼稚園に行けないのはとってもとってもかなしいことです。
でも、名前を呼ぶことも、抱きしめることも、いっしょに生きていくこともできます。
できないことだけではないのです。
押入れのふすまがゆっくりと開きました。
千絵ちゃんは言いました。
「ようちえん、いきます」
まだ少しだけ涙は出ているけれど、その目はきちんと前を向いていました。
ママはうれしそうに笑うと
「ありがとう」
千絵ちゃんをちーちゃんごと抱きしめました。
次の日。
「千絵ちゃん、もう行きますよ」
そう言うママに千絵ちゃんはあわてます。
「もうちょっとまってください」
リビングのソファーの上。
そこにはちーちゃんがすわっていました。
千絵ちゃんはその周りにいろんなものを置きました。
千絵ちゃんのお気に入りのおかし、おもちゃ、絵本。
ちーちゃんがさびしくないように。
「そうだ、かぜをひいたらたいへんです!」
千絵ちゃんのお気に入りのブランケットもかけてあげます。
「千絵ちゃん、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
微笑むママに千絵ちゃんは不安そうに言いました。
「ママ、かえってきたら、ちーちゃんに「ただいま」いえますか?」
ママはニッコリ笑うとその手をやさしく握って言いました。
「できますよ」
千絵ちゃんはうれしそうに顔いっぱいに笑います。
元気いっぱいにちーちゃんに手をふって、家を出て行きます。
「いってきます!」
声が聞こえた気がしました。
「いってらっしゃい」と。