貴様は本当に
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――音声ログ再生
君が目を覚ました時に私はいないだろうから,生命徴候に連動する録音再生機を持たせておいた.
良いニュースがある.裏天使は詠唱された.凄かったよ! あれだけの数のもんすたーを,原子が励起される共鳴周波数の周期なみの短時間で活動停止させるなんて!
ああ,共鳴周波数の周期というのは,――説明するには時間が足りないな.まあ,極めて速く動く振り子のようなものと思ってくれたまえ.
さて,君は起きたのに真っ暗な風景だから驚いていることだろう.実は裏天使の詠唱と同じ頃,ブラダリア城地下で私の右手の質量消却が起動していたんだ.
戦術的機能である質量消却は,情報の漏洩を防ぐための自爆に用いられ,大地を蒸発させる程度の威力はある.私は君を生存させるために完全黒体を展開して致命的なエネルギーの遮断を図った.これがいま君が暗黒に包まれている経緯だ.
私は質量消却の制御を試みるため外に残るよ.君が起きる頃には済んでいるはずだ.少し移動すれば完全黒体の外に出られるだろう.君が生きて大地を踏めたのなら,私も嬉しい.
私は,君に会えて私は,本当に嬉しかったんだ.君に出会えたから,私のInHeartalOnは再起動できた.宇宙の果てで閉ざした私の“心”が再度機能したのは,君がいたからだ.
君が私にしてくれた全てに対して,感謝しかない.
君にとっては迷惑だったかもしれないが,また会えた時にはよろしく――
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その小さな用具からの声は聴こえなくなった。
アンドロイドめ。貴様は……、
貴様は本当に、私を混乱させる……!
闇雲に伸ばした右手の先に、光を感覚した。導かれるように身体を動かした私の視界が突然ひらける。
そこにはただ、無地の世界が広がっていた。
古城はおろか荒野までも、ブラダリア領域の全てが消滅した世界。色を忘れた大空の下、視程の果てまで彩りの無い底面が続いていた。
ただひとつ、私の眼前に煌めく金色を除いて。
それは肩にかかる程度の金色の髪を輝かせ、両手を天に掲げながら立っていた。アンドロイドは私に気付くと、手を降ろして近寄ってくる。縫い目の無い白服には傷ひとつない。
「――ああ,起きたのか」
「……おかげ様でな。貴様も、遺言めいた声を残した割には健勝のようだな」
「超新星爆発と比較したらそよ風みたいなものだ.切り離した右手の質量消却が起動した時はどうなることかと思ったが,少ない質量損失で済んだ.Blackhole Driverでの遠隔制御がうまくいってね」
特に感慨もない様子で、私の背後にある黒闇にその右腕を突っ込んでいる。
「完全黒体も運用できたし,ほら,この通り右手も大部分が回収できたよ」
「……そうか、良かったな」
自爆したはずの右手で黒闇を吸い尽くしたアンドロイドにより、私の常識がまたひとつ壊れていった。そして無傷を誇るブラダリアの破壊者は、両手を擦り合わせながら、おずおずと言葉を続ける。
「ただその,ええと,頑張って制御したんだが,――地形が跡形もなくなってしまった」
「世界の底がむき出しになるほどの猛威だ。ブラダリアは世界地図から消えただろう」
「うぅ,私が破壊してしまったっ! 私には責任がとれない――!」
私は両ひざをついてうなだれるアンドロイドに歩み寄る。そして落ちた肩に、魔術枷の外れた右手をおいて言葉を探した。
ブラダリアが消し飛んだのは誤算だったが、囚われの地が消失したことで、私は魔術枷から自由になった。また裏天使の完成と合わせて《禁忌魔術》である《エコシード》の完全打破に至ったことも事実だ。
「よくやった」
「も,もしかして,地名を世界地図から消し飛ばすのは,君たちの文化的には大丈夫そうなのかい?」
「極刑だな。まあ、古代森復元の礎にはなれるだろう」
「酷いな!?」
アンドロイドは世界の底を拳で叩くと、私の手を頼りにして立ち上がった。
「だいたい,この世界はアンドロイドの手には負えないよ! 科学技術を舐めていると言っていいねっ! ちっとも気化もプラズマ化もしないこの白い地盤のことさえ私には分からないんだ」
「貴様が踏んでいるのは地盤ではなく、世界の底だ」
「底なんてものがあるのか!? 天体は重力と自転の影響で楕円体の形状になるのに」
「現実を見ろ。大地をえぐり続けて世界の底面にいきついた。これより下の地は存在しない」
「もしここから下が無かったら重力の説明ができないぞ.質量による時空の歪みが重力の正体なのに! 重力理論が崩壊するなら私はどうやって動作しているんだ!?!?」
空想をわめいて地団駄を踏むアンドロイドを、私は両手でその頬を押し込むことで黙らせた。
「貴様に世界魔術を教示してやる時間はない。そもそも、拝した大任に報いねばならんのはこの私だ。私の杖ともあろうものが、この程度の展開で慌てるな」
「この程度って,――さっき極刑と言っただろう!?」
私はアンドロイドに背を向けると、前髪をかきあげるように頭を押さえながら天を仰ぐ。なんと嘆かわしい! 地名を消すほどの猛威を振るう者が、これほどまでに簡単なことが分からんとは。
「他の誰かならともかく、有能な魔術師であるこの私が極刑になるなどあり得ん。処されるようでは有能とは言えんからな。もちろん、私の杖である貴様も同じだ」
「――うぅむ,既に流刑に処されていたのではと言ってもいいものか」
「そんなことはあり得んッ!」
「えぇ――? この周波数を聴き取るのかい!?」
私は振り向きざまに無礼者のむなぐらをつかんだ。アンドロイドは小さく両手を上げながら弁明する。
「君が有能な魔術師なのは疑いようのない事実だよ.ただ,冤罪という言葉もある」
「フフン、知らん言葉に道引かれる私ではない」
私はアンドロイドから手を離し、宮廷魔術師の証たる黒きローブを大きく翻す。エン罪とやらを含め、あらゆる罪を被らないのが真に有能な魔術師というものだ。まだまだ教示が必要らしいな。
「とにかく、さっさとここを離れるぞ。色を忘れた空模様からして危険だ」
「やはり君から観てもグレースケールなのだね.私はさっきまでの青空を,大気中分子の軌道電子と光子の相互作用で弾性散乱が生じた結果と思い込んでいたのだが――」
少しの意味もわからん解釈を語る口が止まった。黒と白の濃淡を私たちに映す大空から、もうパラパラと降り出してきている。アンドロイドは頭に手をやってから、首をかしげる。
「あれ? 砂が降ってきたぞ.質量消却で一帯の物質は消滅したはずなのに」
「消えた大地を再び埋めるように天気が変わっている。すぐに大地をひっくり返したような土砂降りになるぞ」
「どしゃ降りって,そういう土砂かい!?」
他の土砂があるかとでも言うような口ぶりで、砂降る空を見上げている。
「実に恐るべき物質循環だな.ところで,その大量の土砂はどこから運ばれてくるんだ?」
「天に決まっているだろう。世界魔術により創造された土砂が、天から降り積もるのだ」
「つまりは魔術か.私に慣れた理論で解釈できない現象群には,――興味が尽きない」
徐々に強く降りしきる土を手のひらの上で触るアンドロイドが私を見返した。
「まったく,有り得ないことばかりだ」
「最も有り得ないのは貴様自身だがな」
土砂降りになる前に領域外へ転移するため、私はアンドロイドの両手を握って魔術を詠唱した。魔術応答すらまともに返さず、未知なる用具と身体構造を有し、ブラダリアを地図から消滅させるほどの力を秘める、アンドロイドを杖にして。
転移、失敗。
「次の問題は何だっ!」
「エネルギー残量――1%.まずいな,私の機能不全が原因かもしれない!」
杖としての不調、あれだけの大魔術の後ともなれば当然か。杖を修繕する魔術が必要だな。もちろん、私はそういったものを開発している。
「くぅ,こうなれば,Blackhole Driverで私自身の質量を代謝する機能を――って,あれ? エネルギー残量――90%.どういうことだ!?」
「フフン、私が詠唱する杖の術継ぎは完成されている。聖書に載った心半分な魔術と異なるのは当然だな」
「有能すぎるぞ君は!? このエネルギー量はさっきの質量消却が比較にもならない水準だ!」
「フハハハ! そう、私こそが我が国で最も有能な魔術師、ロイ=ド=オアロイドだ!」
称賛に気分を良くした私は再び転移を詠唱する。修繕された杖によって私たちは、土砂の降りしきる旧ブラダリアから、我が国の領域へと転移した。