一方通行だ
「――よし,接触に成功したぞ.このまま巻き上げて回収しよう」
「き、貴様っ! う、う、腕が!!」
「私のテザーアームがどうかしたかね.ごく単純な有線制御だよ」
「そんな魔術は……いや、あえて聞くまい」
細い線が腕から奥へと垂れている。そのまま手首まで繋がっているようだが、しかし、本当に謎の多い生き物だな。
私は新たな謎をノートに記録し終える。そして謎の塊はというと、まだテザーアームとやらを伸ばしたままだった。腕と線の接合部からギリギリと引きつるような音が鳴っている。
「どうした、早く吊り上げて見せろ」
「う,う,ウインチが巻けない!! き,君っ! どうなっているんだいこの穴は!?」
「ランプで照らせ。……これは一方通行の魔術だ。恐らく、《エコシード》の補助として組み込まれている。下から上には戻れないようだな」
「どんな罠だそれは!? 物理現象として――いや,一方通行の魔術だと受け入れたとしても,おかしいだろう!」
アンドロイドはランプで照る穴を左手で指差した。右腕から伸びるピンと緊張した線は、穴の途中から突然だらりと緩んで垂れ下がり、その先には樹の根をつかんだ手首が繋がっている。
「下から上に戻れないだって? 底が視えるってことは,底に当たって反射した光が戻ってきて,君の眼に入ったってことなんだぞ!」
「貴様の解釈は分からん。ただ、魔術を破るための本質はついているな」
「物理学の敗北にさえ思えるが――続けたまえ.魔術が破れる十分条件は何だ」
「魔術を破ることが実現するならば、魔術は破れる」
一方通行で下から上に戻れなくなっているのなら、別の魔術で下から上に戻ることを実現するのだ。一度打破すれば、魔術の効果は消え去る。
「あのだねぇ,それは循環論法と言って――.いや,魔術は自己言及を許容すると考えるべきかな」
「魔術を吸収するこの暗闇は厄介だが、一方通行の魔術が例外的に吸収されないと分かったのは大きな前進だ。少し待っていろ。この場ですぐに魔術を開発して……」
開発ノートをめくろうとする私を、アンドロイドの左手がさえぎった。
「大元の問題を先に解決するんだ.君の予想が正しければ,この縦穴は100年前の魔術の痕跡だろう.先に100年前の魔術の謎,すなわちこの縦穴の謎を解く.テザーの回収は,その系として導く」
「つまり?」
「私の右手の回収は,縦穴の謎を解いた後でいい」
言いたいことは分かったが、なぜそう言うのか分からん。
「しかし、縦穴の謎を解く鍵はあの樹根だと私は睨んだ。調査には、貴様の右手ごと樹根を回収できる魔術の開発が先んじる」
「採取は難しそうだが,私がつかんでいる有機物の感覚はテザーを通じてS.E.N.S.E.で同期されているぞ.光による情報伝達は一方通行の影響を受けない」
「要するに……、貴様を調べることで樹根を調査できるというのだな」
出会った直後では失敗した鑑定の魔術。その成功を私は確信する。なぜなら鑑定の対象はアンドロイドではなく、そいつが感覚する樹根だからだ。
右手の小杖に込めた術力がアンドロイドの感覚に触れると、特徴的な魔術応答の輝きが私に鳴り渡った。
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【ユウレイガヤ】
禁忌の魔術《エコシード》により生成した樹木。地上に3等長程度の枯木状の茎を伸ばし、この地上茎から発信する魔術波により周辺の屍や残留思念をモンスター化する。本体は深さ50等長に至る地下茎(樹根)。大地の力を吸収して領域の全域に……「ふむふむ,こうして画面的な視覚情報があるにもかかわらず,君の鑑定魔術それ自体は私のS.E.N.S.E.に感覚されない」
「おい邪魔だ、読めないだろう」
宙に浮かぶ鑑定結果と私の間に割り込むように、金髪のアンドロイドが生えてきた。横にどかそうとしてもびくともしない。くそっ、何なんだこいつは!
「これはつまり――,密度行列の複素成分を測定しているのだ!!!!!」
「は?」
「この感動をなんと伝えよう! 君は,物質の長さを測定したことがあるかね」
「え? あ、おい!? どうして腕の線を!?!?」
妙な勢いで興奮するアンドロイドは、いともたやすく自らの右手を繋ぐ線を切り離していた。するすると穴に吸い込まれていく命綱。何なんだ、こいつは、いったい。
困惑する私の眼前では、アンドロイドが短くなった線を左手でつまんで肩幅の長さにピンと張っている。
「このテザーの長さは有効数字3桁で0.389mだ.長さの測定結果は単位長さに対する比で表現され,必ず数直線上のどこかに対応する.一般に,物理的な測定結果は実数の区間に対応するのだ.
私のS.E.N.S.E.では物質の状態を表現する密度行列の固有値、すなわち実数を直接感覚している.しかし行列の複素成分を直接得るとなると,その解釈は――」
「黙れ後にしろ。まだ鑑定結果を最後まで読んでいないんだ」
「ここからが重要な話なのに! 実数直線の真上や真下にあるような値を君は実測して――」
早口でまくし立てるアンドロイドの肩越しに顔を割り込ませるようにして、宙に浮かぶ鑑定結果の続きを読み進める。
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【ユウレイガヤ】
禁忌の魔術《エコシード》により生成した呪木。地上に3等長程度の枯木状の茎を伸ばし、この地上茎から発信する魔術波により周辺の屍や残留思念をモンスター化する。本体は深さ50等長に至る地下茎(樹根)。大地の力を吸収して領域の全域に広がっている。
地上茎が傷つけられても、地下茎が残っていれば再び伸長する。地下茎を傷つけられた際には周囲のモンスターに激しく防衛させる。
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やはりこの根が運命を左右していたか。フフン、私の予想通りだな。
しかし、圧倒的な再生力とモンスターを操っての防衛力は脅威だ。アンドロイドに折り取って持ってこいと言ったのは訂正せねばなるまい。
「……先の私の発言は誤りだった。樹根は傷つけるな。さもないとモンスターが襲ってくるようだ」
「――先の私の行動も誤りだった.あの根っこ,さっき感動のあまり握りつぶしてしまったんだ」
「なんだって!?」
私が叫んだと同時に、城内にけたたましい警報音が響いた。まさか、モンスター共がこんなにも早く……! 地上への階段へ急ぐ私にアンドロイドが追従する。
「敵襲といっても外でのろのろ動いていた奴らだろう.知能はなさそうだったが,そんなに危険なのかい?」
「死ねばゾンビに、肉体を焼けばスケルトンに、骨を砕いてもゴーストになり襲ってくるのが《エコシード》。このたったひとつの《禁忌魔術》が、100年前にブラダリアを滅亡させたのだ」
地上への階段を上り、城の階段を駆け上がり、アンドロイドを見つけたバルコニーの扉を開ける。
そこで私が見たものは、ブラダリア中の亡者がこの城目掛けて押し寄せてくる、怖気の走る光景だった。
かつて幾千の傭兵とブラダリアの民、古代森のモンスターさえを全滅に追い込み、それら犠牲者全てを戦列に加えてブラダリアを席巻する、不死なる軍勢だった。