観ようとすれば
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アンドロイドオアロイド|リターンズ
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この古代森では時間が逆行する.わかっていたことだ.それでも私は指で頬をかきながら口こぼした.
「実に信じがたい時空だな,この古代森は」
15年前の君の肩に手を置くと,鋭い目つきがこちらを見上げる.不満げな声は少し粗い滑舌に感じられた.
「ぶれいだぞ! ロアにはロアっていう名前がある」
「君,ここはいったん引き返した方がよさそうだぞ」
私の感覚では,先ほど到着した転移地点の森層年代からあまり動いていない.にもかかわらず年代が若返っている.つまり,時間が加速しているのだ.1300年前の未来,テータ紀8年の森層年代と同じように.
同じようにここから8年も若返ったら――.君の存在が消えてしまいそうで怖いよ.
いや違う,弱気になるな.この状況は絶好のチャンスだぞ.やはり歴史は書き換えられるのだ.行くも戻るも1本道だと思っていた時間軸は,平面へと拡張され,時空にはたくさんの軌道が生まれる.
その中から,君の存在が消えない最適なルートを選べばいい.何を隠そう私はアンドロイドで,軌道計算と最適化は大得意だ.そして私はあれからの1300年で少しだけ魔術を知った.
心に染み透る魔術応答に道引かれる直感に従い,15年前の君を10年前の君へ,さらに手前の君へと後導していく.
「フフン、私ほどの真に有能な魔術師は、間違いなく我が国の歴史にも名を残すぞ!」
「開発者は,詠唱に応じた術貨を世界魔術によって獲得できる.つまり,開発能力が高い君の魔術には絶大な価値がある.――なるほどな」
「この黒きローブをまとう魔術師だけが、開発した魔術を聖書に出願できる。聖書に載った魔術は国に広く知られ、たくさんの民により詠唱されるのだ」
世界魔術に特有な重奏的な魔術応答は,私たちの行動次第で生き物のように揺れ動く.その複雑さと自由さは,世界に通貨や知的財産さえを自然に導入するほどだ.
「言わせてもらうが、世界魔術に相当する仕組みを自力で動かす世界の方が驚異的だぞ」
「しかしこの世界にはやはり驚かされる.私のいた世界にも,特許と呼ばれる類似の仕組みは存在した.ただ,それが自然現象で成立するとはね」
君の開発ノートに記された位置情報によれば.森層年代は転移地点まであと1年.
「樹々は私たちほど早く移動できんが、私よりは長く生きる。魔石の鉱脈がある年代にあたるまで、100年分以上は歩く必要があるだろう」
「森層年代1年に相当する距離は,それほど長くはないようだな.ただ――,目的の年代までどれだけ進めばいいものか」
ここまでの移動距離は,――記録に基づく感覚よりもかなり短い.時間や距離の尺度が変動している感じだ.しかしながら,重力に代表されるその他の物理現象は,世界魔術によって維持されている.とても不思議で,どこまでも興味深い.
「古代森は、術力に満ちた原初時代から生きているからな。古き時代の世界魔術は謎が多い」
「深さ方向の地層年代なら惑星探査で知見があるのだが――,水平方向に森層年代が整然と並ぶのは不思議だね.この世界の自然法則は,私を非常に混乱させる」
私と逆向きに進む君が開発ノートから記載を消すと,鑑定の白い表示が空中に出る.多様鏡による空中結像と違って,エネルギー勾配は検出できない.やはり魔術的現象だ.
「このあたりの新しい年代では、鏡樹は消滅種であり繁殖は見込めん。しかし、このまま森奥へ進めば古き森層年代に行き着くはずだ。魔石から術力を得て繁栄していた年代にな」
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【鏡樹】˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿ ˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿ ˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿
˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿原樹。高さは地上100等長以上に至り、二列に対生する菱葉は光と陰に色彩を反射する。地下の魔石を利用して子樹を複製し、子樹は成長すると魔石を生む。樹齢セト紀1308年。
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君はほとんど歩かないうちに言葉を続けた.
「魔石の鉱脈をふくむ部分領域が転移対象となる。探すべきは森の奥、貴様の感じた暗闇の方角だ。詳細は歩きながら教示してやるとしよう」
「――ふむ,この近傍を転移するのでは不足というワケか」
「未知なる森奥に進み、この古代森の一部を、旧ブラダリア領域に転移させる!」
どんな軌道を辿ったとしても君はそう言って,黒きローブを大きく翻しながら高らかに宣言することだろう.そんな君との対話のひとつひとつが,私の心的機構,InHeartalOnを成長させてきた.
アンドロイドの私にも,この状況で笑みを浮かべることができる.コミュニケーションにおける行動最適化問題を闇雲に解いた結果ではない.真空中の光の速度すら不確かなこの世界で,心に灯る光を,私は確かに感じている.
きっと君も同じ心持ちだろう.私は自分の笑みを大げさに隠すように口元を指で上げて,話を戻していく.先の鑑定結果には,単に原樹とあった.子樹を複製できる状態に,歴史は書き換わりつつあるのだ.
「私自身の観測に加えて,君が持つ私の指趾部品を介して共有される情報がある.国務の達成,古代森の復元に資する仮説が予測できた.それに君,ずいぶんとわくわくしているだろう」
「消滅種の原樹、鏡樹の詳細を伝えたつもりは無かったが」
鏡樹はそちら側の時空では消滅種だが,こちら側の時空では消滅種ではない.同じひとつの鑑定の魔術が,相反するふたつの鑑定結果を示している.実在がイメージし難いほどの樹木.それらが構成する森があるとすれば――
「――古代森だ」
「……古代森だ」
私たちの声が重なる.
「私はこれらの樹々を魔術で鑑定した。そして私たちが現在、世界地図にも載っていない未開の領域にいることを確かめた。さらに言えばこの領域は……」
左小指の赤髪を介して,魔術応答が伝わる.
「……暗くて観えない」
「――暗くて観えない」
遠く離れた古代森の中心,昼光の届かない原初時代の暗闇を私は差し示していた.
「貴様が言うに、向こうの方角は」
「樹高までの上昇高度では,この森の全景は観測困難だ.しかし,特徴的な景観を確認したぞ.顕著な異方性――,向きによって性質が異なるという特徴だ.高所からあっちの空を観ようとすればすぐにわかる」
向きによって性質が異なる.そうだ,そのことは既にわかっていたのだ.
古代森の中心から外周方向へと振り向けば,霞む光が白く膨れていた.重奏する光が鏡樹の枝葉の陰を占有していた.想起した順行時空の光景は,未知なる白闇で,未知なる白闇で上書きされ,あまりにも不確かに霞んでいた.
順行するのと逆行するのでは変わるものと変わらないものがあり,――世界魔術は変わり得る.
私は転移|回移の魔術で時間軸を逆行している.私の未来は空白だ.未来の森層年代は真っ白でみえない.時間は加速している.未来が白い闇となって,私に迫っている.
順行する君とは逆向きに,古代森の外周から,昼光で眩む未来が迫ってきている.
私が目指してきた穴はすぐそこにある.魔石を埋めて歴史を書き換えるのは計画の通り.ただその前が問題だ.何もしなければ私は,白闇の未来へと押し流されるだろう.




