果てを旅していた
ある昼、バルコニーの物干し場に誰かが⋂の形で引っかかっているのを発見した。右手で小杖を向けながら近寄ると、死んだようにぐったりしている。私は警戒を緩め、金髪がかすめるその肩を叩いて声を掛ける。
「おい……、おい! 大丈夫か!?」
返事は無い。まずは干し竿から降ろして、魔術で処置してみよう。縫い目ひとつない白服は肌触りまでも奇妙だが、今は究明より救命だ。
どうにか仰向けで石床に寝かせて、治癒を詠唱する。しかし、私に手ごたえが返ってこない。
「魔術応答も無いとなると、……もはや手遅れか」
「――InHeartalOn,起動」
「うわぁっ!!」
思わず飛びのく。いきなり両目と口が開くとはどういうことだ? 魔術応答がないのに、生きている……?
「エネルギー残量――5%.――自己診断を実行」
「な、何を言って」
言葉はわかるが意味が不明だ。翻訳魔術がうまく効いていない? そんな未開の出身領域があるのだろうか。
「――――――――」
両瞳はぼやけており、開いたままの口からは謎が零れている。ここは少々強引になるが、魔術で調べさせてもらおう。魔術師が居るバルコニーに来たことが運の尽きと思ってくれ。
まったく、貴様はいったいどこの誰なんだ。
鑑定、失敗。
私は距離を取りながら小杖を構えなおした。こいつは、どこの誰かではない。
「……貴様、何だ」
「――私のInHeartalOnは正常に起動した」
首だけを鈍く動かした無表情がこちらを向いている。両目の黒瞳が、次第にはっきりしてきた。
「うん? 心的機構は正常起動.とするとこの知覚情報は――動作不良ではない,のか?」
それは私と視線を交わすと、手で目をゴシゴシと擦ってから、まばたきを数回し、再び私を見つめた。
「うわぁ! なんかいる!!!」
「こっちの台詞だ!!」
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アンドロイドオアロイド|ハロー
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起き上がったそれは両腕を大空に掲げながら、バルコニーの光あたりのいい場所を陣取っていた。肩にかかる程度の金髪が昼光を浴びて輝いている。
「Hello, World!! まさか再び私のInHeartalOnが起動できるとは! この恩は返しきれるものではないが,私にできることがあれば何でも言ってくれたまえ」
「良くわからんが、貴様から礼を受けるのは後だ」
礼意があるとしても、鑑定の魔術が失敗するような怪奇なやつだ。少しは翻訳魔術が効いているようだから、まずは自己紹介を試みよう。
「私は魔術師のロイ=ド=オアロイドだ」
「私はアンドロイドで,IDはヤグラジマシステムNo.3 HT_10005Wだ.文明存続のため宇宙の果てを旅していた.よろしく頼むよ」
「貴様がアンドロイドなことだけはわかった」
つまり、何もわからん。
ひゅう、と青空から吹く風がバルコニーを通り、後ろで束ねてある私の赤髪をなびかせ、右手に見える洗濯物を揺らした。
「なぜ物干しに引っかかっていたんだ?」
「回答できない.その記憶の想起は制限されているようだ」
「記憶喪失、そう言いたいのか」
うむ、と偉そうにアンドロイドは頷きを返す。無表情のくせにやけに自慢げに見えてくるのは、バルコニーに降り注ぐ昼光が明るく照らしているからか。私の疑問もこの空のように晴れてはくれまいか、などと考えるうちに、アンドロイドは周囲を見渡しつつ、記憶喪失ながらも身の上を話し始めた。
「詳細は分からないが――,
現地点の光子の流束密度から推測するに,恒星の活動を利用する光代謝系を立ち上げてエネルギーチャージを試みたのだと思う」
「は?」
「例えると――日光浴を知っているかね? 私は光を浴びると元気になるのだよ」
「話せば話すほどに貴様の謎が深まるのだが」
前髪をかきあげるように頭をおさえる私にアンドロイドは続ける。
「理解を深める説明のためにはInHeartalOnの能力向上が必要だ.心的機構はコミュニケーションで成長する.コミュニケーションとは双方向の情報伝達の意味だ」
「ひとことで言うと?」
「君のことを知りたい」
ようやく、少しは私にも分かる話になったな。どこから語るべきか迷っていると、アンドロイドは自ら問いを投げかけてきた。
「君はマジュツシと言っただろう.マジュツシとは何だね」
「覚えていないのか? 魔術を開発する者を魔術師と呼ぶ」
「私が知る語では研究者に近いものかな.それで,マ術とは技術の一種かい? ちょっとやって観せてくれないか」
誰しも魔術を見たことがあるはずだが、それすら忘れているのか? 記憶喪失にしては変な所だけが欠落しているような気がする。まあ披露してやることにしよう。実際にみて思い出すこともあるだろうからな。
小杖に術力を込めて空舞いを詠唱。物干しで揺れている洗濯物をカゴに移し入れる。
宙をふわりと舞う布地たちを、アンドロイドはやけに真剣に凝視していた。フフン、なかなか良い目をしているな。大魔術ではないにしろ、普通は空中で洗濯物をたたむまではいかない。しかし私ほどの有能な魔術師ともなれば、
「驚いた,これは慣性制御だね!」
「完成制御? ある意味そのようなものだろう、な……」
私の完成された魔術に感嘆したかに見えたアンドロイドは、いきなり走り出して洗濯物のひとつをつかみ取った。何をするかと思えば、布地を両手で広げて顔を近づけ、くまなく観察している。
「やはり運動機構を有していない.重力場で静止している物体に対し,力を与えずに複雑な運動を――」
「それは私の下着だ! 無礼者めっ!」
とっさに突風を詠唱。耳をつんざく轟音が通り過ぎ、バルコニーには砂埃が舞った。
洗濯物は奴の後方に勢いよく吹き飛んでから、縦に大きく弧を描いて舞い戻り、カゴへと落下する。一方、魔術で吹き飛ばしたはずのアンドロイドはというと、なんと同じ場所に留まっていた。
「何だと……!? 抵抗の魔術応答は無かった。貴様、どうやって私の突風に耐えた」
「S.E.N.S.E.により,変位を相殺するように姿勢制御スラスタを用いた」
「そう言われても私には分からん。もっとていねいに説明してみろ」
やはり私から問いかけても謎が深まるばかりだ。ていねいに説明を、と苦情を入れたのも軽率だっただろうか。
「ていねいにと簡単に言うがね,技術情報は機密が多く,私自身もアクセスが制限されているのだよ.古い情報なら公開可能なものがあるかな――」
そう声に出したアンドロイドの黒瞳が瞬間だけ虚ろに映ったかと思えば、すぐに光を取り戻した。そしてまた謎の長大な呪文が流れ出てくる。
「姿勢制御に関する古い情報を想起した.角速度の測定にはサニャック効果を利用した光ジャイロが,加速度の測定には圧電効果を利用した圧電素子が用いられることがあったようだ.まずは光ジャイロの原理から丁寧に」
「もういいから、ひとことで言え。どうやって私の魔術に耐えた」
「私の平衡感覚で耐えた」
ため息しか出ない。泥のごとく深まる謎を解く作業を、私は未来へ託すことにした。
話を戻して、ここからは私自身の話をしよう。
「先ほど、私のことを知りたいと言ったな。そのためにはまず、私がいるこの古城の話をせねばなるまい」
「場所の話には興味があるぞ.私も位置情報の取得を試みてはいるものの,中性子星の電磁波が見つけられなくてね.中性子星はかつて宇宙の灯台とも呼ばれたくらいに規則的なパルス状の電磁波を」
「まず、私の話を、最後まで、黙って、聞け」
アンドロイドの両頬をつねってひっぱりながら言い聞かせる。まったく、口を挟ませるとロクなことにならん。
それから私は古城のバルコニーの欄干まで歩いて手を掛け、右手首に嵌められた環状の腕枷をひび割れた石造りの手すりに押し付けた。
そして視程の果てまで広がる、怖気の走る風景を見渡す。立ち並ぶ枯れ木の合間をゾンビやスケルトン、そしてゴースト共が席巻する、亡国の死の荒野を。