1章
季節は十一月中旬、すっかり秋冷えする季節になり、早朝だと息が白くなる。そろそろジャンパーを着ようか悩む季節になった。
今日も僕はこの入雲神社でアルバイトをこなしている。
島根県出雲市のとある場所にある入雲神社。大鳥居に本殿、後は社務所があるだけの小さな神社だ。
建立されたのは江戸時代の初期頃。歴史のある小さな神社ではあるが、それなりに参拝者も訪れる。まぁ、島根県と言えば誰もが知っている出雲大社がある。出雲大社に参拝した人達が、ついでに来る場所なのであろう。
まぁ人がそれなりに来るということで、神主さんは境内の清掃には力を入れている。アルバイトを数人雇っては、早朝から境内の清掃をしている。僕もそのアルバイトの一員だ 。
二十四歳で2年間働いていた会社を退社。次の職までの繋ぎとして始めたこのバイトも、2年を迎えていた。朝の6時に集合して、境内の清掃を始める。ゴミ箱の片付け、雑草の処理、今の季節で言うと、枯葉の処理をしている。大体お昼ごろで、境内の清掃は終了する、基本的には半日の作業であるが、繁忙期では夜まで参拝者の対応を行うようになっている。まぁ、神社の歴史について説明をしたり、お守りを売っている授与所の手伝いだ。
神社にだって繁忙期が存在する。年末年始はもちろんだが、この島根県では十一月も繁忙期となっている。この時期は旧暦で神無月、島根県では神在月というが、全国の神様が島根に集まっていた。全国の皆は神様が全員、出雲大社に集まると思っているが本当は違うことを知ってほしい。全国の神様だって何百という数ではない。それはもう数え切れない数という神様がいる。そんな神様達が全員出雲大社に入れるわけがない。よって神様がやってくるのは出雲大社だけではない。島根県にある限られた神社にもやってくるのだ。もちろんこの入雲神社にも神様がやってくる。とはいえ出雲大社は超高級ホテル、差し詰めこっちはB級旅館といったところだ。
だがそんなB級旅館にも神様がやってくる。その神様がやって来る期間、アルバイトを雇っているということだ。そんな仕事をしているのが僕こと、岡村公平だ。
「公平、これ片付けてくれ」
「公平先輩、これどうすればいいですか?」
アルバイト生活も2年となると、信頼される。しかし、何だか良いように使われているようなのは気のせいだろうか。
「先輩これどこに持っていけばいいですか?」
「良いよ。俺がやっとくから」
断れない自分がなおさら悔しい。
落ち葉の入ったゴミ袋をゴミ捨て場に運ぶ最中、あることに気づく。
「どうして開いてるんだい?」
本殿の横にある、長屋の扉が空いている。ここは神様が実際に泊まる神聖な場所だ。だから誰もが簡単に入れるような場所ではない。半年間働いてきた僕でも、中を見たことはない。無断でこの中に入ったら即刻クビだと言われている。
焦げ茶色の木材で出来た、今にも潰れそうな長屋に近づく。中からは何も物音は聞こえない。
「誰かいるのですか?」
僕の問い掛けに返事はない。もしかしたら誰かが悪戯に入って、そのまま出て行ったのかもしれない。
いや、不審者が息を潜めて隠れているかもしれない。僕はゴミ袋を持った手に力を入れ、恐る恐る入口から中の様子を伺う。
「何だこれは?」
中の様子に驚いた。長屋の中にはありとあらゆる物が散らばっていた。飲み干された缶ビールの山、日本酒の一升瓶、おつまみの菓子袋、杓子や古いお守りなど、ゴミが沢山落ちていた。
「一体誰がこんなことを…」
きっと誰かが夜に来て、お酒を飲んでいたらしい。ゴミの量からして大人数のようだ。
とりあえず、神主に報告しようか、悩んでいると奥から物音が聞こえてきた。
「おい、誰かいるのか!」
返事はない。恐怖心と戦いながら中に入る。長屋の奥には光が届いてなく、暗闇となっている。細目にして、暗闇に慣れるのを待つ。しばらくして、目が暗闇に慣れ、序々に奥の様子が分かるようになった。どうやら酒の一升瓶があるようだ。しかし不思議なことに一升瓶の横に大きな人影がある。
それに近づくに連れ、人影の容姿がはっきりと分かるようになる。肩まで伸びた黒髪、僕よりも一回りは小さい身体。何処のメーカーか分からないジャージを着ている。あと数メートルという所で、ようやく人影が女性だということが分かった。しかも僕より何歳も年下のようだ。
「大丈夫か?おい!」
これは事件の匂いしかしないぞ。僕は転げ落ちるように、彼女に近づく。
声を荒げるが、起きる様子はない。身体を揺さぶろうと、肩に手を掛ける。少し揺らすと、少女はようやく重い瞼を開けた。
「大丈夫か?何か悪さされたのか?」
僕の問い掛けに少女は半開きの目で、周りを確認する。そして首を横に振る。どうやら事件に巻き込まれたわけではないらしい。それにしても、こんな少女が何故、このような場所で一人寝ていたのだろうか。
「どこから来たんだ?どうやって入ってきた?それより何歳?彼氏はいるの?どこ出身?」
僕の質問に少女は表情一つ変えず、首を傾げる。返事ぐらいしてはどうなんだ。そうか、きっと僕のことを恐れているに違いない。人に物を尋ねるときは、まずは自分からと言うものだった。
「僕は岡村公平、君の名前は?」
しかし、少女は口を開かない。ただ首を傾げるだけだった。
「おい、返事ぐらいしたらどうなんだ」
最近の若者はここまで酷くなったのだか。自分がこの年だったら、もっとハキハキと喋っていたぞ。
「どうやら喋ることを忘れているようですな」
「喋ることを忘れる?そんな馬鹿な話があるか!えっ?」
あれ、僕は一体誰と喋っているんだ?
声の元を探して周りを探すが、誰も見当たらない。なんだ、幻聴か。
「上ですよ。上」
老いた声がまたしても聞こえる。声から察するに、八十歳位のお爺さんだ。
声に導かれるまま、上を見上げる。長屋を支える横柱に一匹の梟が止まっている。
「今喋ったのはお前か?」
僕の問いに梟は、返事をせず、毛づくろいをしている。どうやら思い違いのようだ。そう思った瞬間、梟はそのまま横柱から、ピョンと飛び、翼を広げて床に降りてきた。
「どうも、こんにちわ。私、梟と言います」
目の前に現れた梟は、大きさ五十センチぐらい。どう見ても機械ではなく、本物の梟だ。僕は驚きのあまり、尻餅を着く。
「しゃ、喋った!!」
「そう驚くのも無理はありません。なんせ神使を見るのは初めてなのですから」
翼を腰に当て胸を張る梟。
「紳士?」
「違います。今あなたが思ったのはジェントルマンの方でしょう。確かに私はジェントルマンですが、そうではありません。神に使えると書いて神使。そこの可愛らしいお嬢さんが私の神様です」
「神様?神使?」
一体、この梟は何を言っているんだ。
「神様って言うけど、そこの神様は何の神様なんですか?」
「忘れ物ですよ」
「忘れ物?忘れたってこと?」
自分の神様が何の神様か忘れるとは、酷い神使だ。
「違います。忘れ物の神様ですよ。忘れ物もよくするし、色んな記憶も忘れる。その証拠に今、忘れ神様は言葉というものを忘れているんですよ。ほら喋らないでしょ」
梟の言葉に納得する。そうか、だからさっき幾ら問い掛けても返事が無かったわけだ。
「神様って言うんだったら、もう元の場所へ帰らないといけないだろ?神在月も終わったぞ」
「そうなのですが、恥ずかしながら帰る場所を忘れてしまったんですよ。そのせいで帰ることが出来ないんですよ」
「神様が忘れたって、梟さんは忘れてないんですよね?」
「それが忘れたんですよ~忘れ神様は、自分は勿論、近くの人にも忘れさせることが出来るんですよ。なので、私も帰る場所が分からなくて。でもご安心を、数日すればまた思い出しますから。忘れるといっても、永遠に忘れるってわけじゃないですから」
恥ずかしそうに翼で頭を掻く。しかし声からして老人、可愛さなど皆無だ。
「それで神在月が終わった今もここにいるってことですか?」
「その通りです。それに周りを見てください」
僕は首だけ動かして周囲を確認する。
「このゴミのこと?」
「ゴミとは失礼な!これは全部ここに泊まりに来た神様達が忘れていったものなんですよ。困ったことに忘れ神様の力で、皆忘れ物をして帰っていったのです」
「これが全部忘れ物?」
僕は近くにあった酒瓶を手に取る。まさかこんなゴミみたいな物が神様の大事な物だったなんて。きっとこれを忘れた神様は今頃慌てているに違いない。
「すみません。それはただのゴミです」
梟が頭をペコリと落とす。思わず身体が沈む。
「ゴミって、神様はここに酒を飲みに来てるんですか?会議しに集まるんじゃないですか?」
「会議をするのは出雲大社、ここは泊まる場所。会議が終わったらお酒を飲むのが常識ですよ」
「そうなんですか?」
まさか神様もお酒が好きだったなんて。神聖な姿を想像していたが、お酒を飲んで大暴れしている姿なんて、想像しただけで悲しくなる。
「でもどうするんですか?このゴミ…忘れ物は来年持ち主が来るまでここに置いとくんですか?」
「いえ、この忘れ物を届けるのが私、忘れ神様の神使のお仕事でございます。なので、これから届けに行こうと思っています」
「でもどれが誰の忘れ物か分かるんですか?」
「勿論です。私だって神使になって三百年、すっかり慣れています」
三百年、神使というのは、一体何歳まで生きていられるのだ。
「でも一つだけ困ったことがあるのです」
「困った事?」
「そうです。それは忘れ神様のことです。何時もは忘れ神様を自宅に残し、私一人で忘れ物を届けに行っていたのですが、忘れ神様は自分の帰る場所も忘れてしまっています。このまま忘れ神様を一人残すのは危険だと思っています」
梟さんの言うことも分かる。言葉も喋れない女の子を残すのは、思い悩むことだ。
「おい、何やってるんだ!」
いきなりの怒声が僕の耳を襲う。声の主は入口に立っていた。
「さ、佐伯さん」
入口に立っていたのはこの神社の神主である佐伯さん。六十歳を過ぎているというのに、まだまだ元気なお爺ちゃんだ。
「ここは立ち入り禁止のはずだぞ!一人で何をやっている?」
「一人?」
確かに佐伯さんは一人と言った。でも僕の横には言葉を話す梟と、ジャージ姿の女性に気づいていない。
「なんで見えてないんだ?」
僕は小声で梟に問う。
「見えてない訳ではないです。きっと私達のことを忘れているだけです」
「忘れてる?」
「私達の事は見えている筈です。ただその見た記憶をすぐに忘れているんです。視覚で認識した情報を忘れる。見えてないと言ったら嘘になりますが、それに近いことです」
「そうなんですか」
少し難しい話で理解に苦しむ。神様は何でも有りか。
「おい、何一人でブツブツ話してるんだ?」
「いえ、何でもありません」
慌てて答える。今重要なのは、この状況をどうやって説明するかだ。きっと佐伯さんは僕がここで一人で酒を飲んでいたと勘違いしているに違いない。
「いいか公平、ここは立ち入り禁止だと言っている筈だ。それに無断で入った奴はクビだとも言ったぞ」
「いえ、これには深い事情が…」
「理由など聞きたくはない。今日を持ってお前はクビだ。もう俺の前に二度と顔を見せるな!」
佐伯さんはそう言って、僕の前から去っていった。
「可笑しい。佐伯さんは普段はもう少しだけ優しい筈なのに…」
「きっとその優しさも忘れてしまったのでしょう。すみません。私達のせいであなたの仕事を奪ってしまって…」
梟は頭を四五度下げ、謝罪のポーズを取る。梟に頭を下げられたところで僕の仕事は帰ってこない。
「でも私達からしたら好都合です」
「好都合?」
この梟は何を言っているんだ。僕の仕事が無くなるのが好都合だと?
「先ほども言いましたが、私達はこれからこの忘れ物を返しに行く旅をするのですが、人手不足に困っていたのです。なので、よろしければ、あなたが手伝ってくれれば嬉しいのですが」
「僕が?でも何も出来ないですよ。神様についてもよく知らないですし」
「大丈夫です。手伝うと言っても簡単なことです。お礼の報酬も支払わせて頂きます。なので、他の仕事を探すのであれば、私の仕事を手伝ってくれませんか?」
僕は少し考える。今から佐伯さんに土下座して、仕事させて貰えるようにお願いするか。それともハローワークに行き、タウンワークを毎週持って帰るだけの日常に戻るか。それとも得体の知れない神様と喋る梟と一緒に行動するか。
「ちなみに聞きますけど、お給料と言うのは、どれぐらいですか?」
梟の耳元で静かに尋ねる。仕事を選ぶ時には大事な話である。これは重要だ。うん、重要だ。
「そうですね。旅に出る間の食費と宿泊費、それを合わせて一ヶ月このぐらいでどうですか?」
梟はどこから出したか分からない算盤を翼で器用に弾き、それを僕に見せる。
「一、十、百…」
見慣れない算盤を指で確認して驚く。まさかこんなに貰えるなんて。
「岡村公平です。二十四歳、天秤座のA型、これからよろしくお願いします」
僕はそう言って、雇い主の梟へ頭を下げる。こうして僕はフリーターから、神様への部下へ転職に成功した。
「では早速ですが、旅路の準備を始めましょう。とりあえず散らばった忘れ物を集めましょう。ゴミも混ざっているので、間違わないよう気を付けましょう」
「了解です」
そして僕は梟さんの指示により、床に散らばった様々な物を集める。
「それは忘れ物なのでこっちです。それはゴミなので捨てていいですよ」
神様の忘れ物も人間と同じで、携帯電話やメモ帳もあれば、神様だと分かるお守りや、古風な物もある。反対にゴミはお酒瓶に菓子袋、弁当箱もあれば、ティッシュの箱など、人間性溢れている。
その神様である、忘れ物の神様は座ったまま、何を考えているか分からない表情で僕の姿を眺めている。
案外ゴミと忘れ物の分別は早く終わった。忘れ物は数え切れない程あるが、それだけ、これからの仕事があると思うと、楽しみに変わる。
忘れ物と書かれたダンボールを持ち上げる。するとあることに気がつく。
「あれ?神様は何処に行ったんですか?」
長屋の中を見渡すが、神様は居ない。もしかして僕は忘れているのだろうか。
「きっと衣直しに行ったのでしょう。寝巻きのまま旅をするわけにはいけませんから」
あのジャージはパジャマだったのか。普通の女性ならもっと可愛いパジャマを用意するが、スポーツ店で特売されているようなジャージは驚きだ。
「とりあえず神様が帰るまでの間に私達も準備しましょう。公平さんは旅の支度をしに家に帰ってきてください。私はこちらでお待ちしていますから」
「大丈夫です。準備はもう出来てますから!」
待ってましたと言わんばかりで答える。
「出来ているとはどういうことですか?このままだと何も持たずに旅に行くことになりますよ?お家に帰って衣類など、生活用品を持って来たほうがよろしいかと」
梟さんは戸惑いながら喋る。
「実は僕、家が無いんですよ。でもあると言ったらあるかな」
僕は曖昧に返事する。梟さんは頭の上にクエッションマークを出している。
「家が無いのであれば、どこで寝泊りしているんですか。最近ニュースでよく聞く、ネットカフェというところですか?」
「違いますよ。ちょっと着いてきてください」
僕は梟さんを肩に乗せ、長屋を出る。
「どちらへ向かうのですか?」
「駐車場ですよ」
肩に少しばかりの重みを感じながら、僕は境内の階段を降りて駐車場に向かう。
「あれです。あそこに僕が寝泊りしているところです」
僕が駐車場の端を指差す。
「あ、あれは?」
目を細めた梟さんが驚愕の声を上げる。
「そうです。フォルクスヴァーゲンタイプⅡ!小型のバスと勘違いしてしまう程の長さ。空色とクリーム色のツートンカラーはまるで空の上を走っているかと錯覚する色合い。これが僕の家でもあり、移動車でもあります。どうですか、凄いですか?」
「す、凄いですよ!こんなカッコイイイ車初めて見ました!」
梟さんは翼をバタバタとはためかせる。痛い痛い、顔に翼が当たってるよ。
でも梟さんが驚くのも無理はない。それほどにこの車はイカしているのだ。僕も一目惚れで即ローンを組んで購入。勿論まだ返済出来てない。
「凄いですよ、公平さん。是非、中も見させてください!」
「その言葉を待っていました」
ポケットからキーを取り出す。最近の車は遠くからでも、ロックを解除できるが、この車にはそんな機能は付いていない。鍵穴にキーを差込み、回転させる。
「どうぞ、これが中です。思う存分見てください」
梟さんは車内を見てさらに驚愕。翼が千切れんばかりのスピードを出している。
車内は左ハンドルに助手席、普通なのはここまで、車内の後部には座席は無く、あるのはホームセンターで買った、ソファーベッド。今は敷布団が敷いてある。その横には5段のタンスが置いてある。ここに僕の全ての衣類が揃っている。その横にカラーボックス、生活用品が置いてある。
「凄いですよ。まさか車中泊をしているなんて!」
目を大きくして叫ぶ梟さんを見て僕は気を良くする。
「旅の移動手段はどうするつもりですか?」
「今考えているのは電車などの公共の交通機関を使おうかと。普段は飛んで行くのですが、今回は神様をいらっしゃるので…」
「でしたらこの車で行きますか?そっちのほうが安く済みますし」
「本当ですか?それはいい考えです。私もこの車に乗ってみたいと思っていたところです」
目をキラキラ輝かせる梟さん。ここまで自分の車を褒められるとは、嬉しいばかりだ。
「でしたらすぐに準備をしましょう。急いで戻って神様と忘れ物を持ってきましょう」
僕達はスキップをしながら長屋へ戻る。
長屋へ入ると神様が準備を終えていた。先ほどまでの寝巻きと違い、白いワンピースの上に黒いジージャンを羽織っている。靴は有名メーカーの黒いスニーカー。白い肌と黒い服のマッチングが絶妙である。こうやって見るとそこらにいる大学生の女の子と何も変わりはない。
「神様、準備が出来たのですね。私達は車で旅に行きますよ。公平さんの車は、それはもうカッコ良いのです。早く神様も行きましょう。私は先に行ってますから」
すっかり僕の車の虜になった梟さんは、そのまま僕の車のある方角へ飛んでいった。
長屋に取り残された僕達に変な空気が漂う。神様は何も言わず、いや言えないと言ったほうがいいか、僕を見つめいてる。こんな美人に、見つめられることも無かった僕は、たどたどしく口を開ける。
「じゃあ、僕達も行きますか」
相手の年は不明だが、僕の雇い主、敬語で話すのが常識だろう。
神様は頷き、床に置いていた旅行バックを持ち上げる。
「僕が持ちますよ。こういった雑用をするのが僕の仕事ですから」
神様からバックを受け取り、片手にバック、片脇に忘れ物が入ったダンボールを持って、駐車場へと向かった。
「神様はこの旅楽しみにしてますか?」
僕が尋ねる。神様からの返答はない。しかし、顎を下に下ろす。どうやら頷いているようだ。喋れないだけで、それ以外は普通の若い女性のようだ。
「御二方早く来てください!さぁ公平さん早く車を開けてください」
車の屋根で目を輝かせた梟さんが翼で僕達を手招きする。
「どうですか神様。公平さんの車カッコ良くありませんか?」
助手席に座った神様の膝の上で梟さんが陽気に尋ねる。神様は車内をゆっくり見渡し、首を横に振る。
「どうしてですか?こんなにもお洒落な車、中々見ませんよ!」
だが神様は首を横に振る。
「すみません公平さん。女性には少し難しいのかもしれません」
「大丈夫ですよ。梟さんにここまで褒めて貰っただけでも嬉しいですから。それでまずは何処へ行きますか?」
僕は車のエンジンを入れ。梟さんに尋ねる。
「そうですね。まずはこれを届けに行きましょう」
梟さんは車の後部に移動し、忘れ物ボックスからシャモジを取り出す。一見どこにでもあるような、木で作られたシャモジ。僕も最初はゴミと勘違いしていたぐらいだ。
「このシャモジは何処の神様が忘れたか分かりますか?」
梟さんの問いに僕は少し考えて答える。
「何処にでもある幸せな家庭ですか?」
きっと家事が大好きな神様が、わざわざ持ってきたシャモジを忘れていったのだろう。
「公平さん、それは本気で言っているんですか?」
僕は頷く。これは違ったらしい。それが違うなら、もう考えは無い。
「公平さん…少し勉学に励んだほうがいいかと。聞いたことありませんか?宮島のシャモジについて」
梟さんに言われ、僕は脳をフル回転させて思い出す。
「そういえば、テレビで見たかもしれません。確か必勝のお守りみたいな」
テレビでは部活をしていた学生が買っていたのを思い出す。
「そうですね。あとは商売繁盛など様々です。宮島では代表的な名産品になっています。なので、これもきっと宮島の神様が忘れていったんだと思います」
「分かりました!まずは、宮島ですね。早速出発ですね。行きますよ神様…そしてフックさん!」
「人を海賊みたいに呼ばないでください」
フックさんから、良いツッコミを受けた所で、、僕は勢い良く車のアクセルを踏み込む。
車は勢いよく上下に揺れ、数センチ進んでエンジンと共に止まってしまった。
「ど、どうしたんですか?まさか壊れてしまったんですか?」
フックさんは頭を抱えて怯えている。神様は表情一つ変えず、後部座席でアシスタントグリップを握っている。
「すみません。間違えました。大丈夫です。壊れてません、ただのエンストですよ。エンジンストップです」
久しぶりの運転で間違えてしまった。そういえばこの車はミッション車だった。
「今度は大丈夫です。今度こそ行きますよ!」
そう言って、僕はゆっくりと車を発進させる。
「おー!動きました。動きましたよ神様!」
フックさんは窓の外を眺めながら翼で神様を叩く。
「私、車に乗るのは初めてなんです。このような姿なので車に乗る機会などありませんので」
そう言いながら流れる景色に見とれている梟さん。僕は久しぶりの運転で冷や汗を流しながら、ハンドルを動かす。そういえば、ここ一年車を運転した記憶がない。ずっと寝床として使っただけだ。このままだと宮島どころか、広島まで行けるかも心配だ。
僕達は入雲神社を発進させ、出雲神話街道を走る。フックさんは騒いでいた疲れか、寝息を立てている。神様はずっと全高方向を見たままだ。フックさんが寝てから車内に沈黙が走る。もう我慢の限界だ。僕は神様に話しかける。
「神様、体調の方は大丈夫ですか?トイレ行きたくありませんか?お腹空いていませんか?」
神様は自分から意見を出すことが出来ない。僕は気遣いを忘れないよう、話し掛けていく。上司のことをしっかりと考える、僕は何て良い部下なんだ。
神様は僕の問い掛けに首を横に振る。これはどっちの意味なんだ。お腹空いているのだろうか。それともトイレに行きたいのか。
「あっ、コンビニあったので寄りますね」
僕は思わず声を出す。とりあえず寄ってみて損はないだろう。
「あれ?ここはどこですか?」
コンビニの駐車場に車を停めると、フックさんが目を覚ました。
「コンビニですよ。もう少しで広島県に入るところです」
「これはすみません。私寝てしまいました。神使としてあるまじき行為…」
「大丈夫ですよ。どうぞゆっくりと休んでいてください。僕はコンビニに行ってきますので」
そう行って車から出る。神様も出るかもしれないので、鍵を開けたままにする。
コンビニに入ってカゴを手に取る。神様にはお茶とオニギリでも買えばいいだろう。神様だし、和食な食べ物が無難だろう。フックさんは一体何を食べるのだろうか。数分悩み、僕はレジへと向かった。
「早かったですね。何円しましたか?」
車に戻るとフックさんが訊いてくる。
「今回は僕に支払わせて下さい。このぐらいだいじょうぶですから」
「そうですか?それはありがとうございます」
フックさんからお礼を受け、僕は買い物袋から食料を取り出す。
「はい、神様どうぞ」
僕はそう言って、お茶とオニギリを2個渡す。
「具は昆布と梅干ですけど大丈夫ですか?」
一応和風な物を選んだ。もしも苦手だったら、僕がかったツナマヨか五目オニギリと変える予定だ。しかし、神様は小さく頷き、オニギリを開ける。どうやら大丈夫なようだ。
「私は?私の食事は何ですか?」
フックさんが待ちきれないとばかりに、身体を揺らす。
「フックさんにはこれです。梟って何を食べるか分からなかったので想像で買いました」
僕は袋からミネラルウォーターと魚肉ソーセージを取り出す。
見た目は梟だが、中身はお爺ちゃん、もしかしたら口に合わないかもしれない。
フックさんは魚肉ソーセージを受け取ると、黙ったまま俯く。もしかして怒っているのかもしれない。
「すみません。魚肉ソーセージは苦手でしたか。もっと普通の食べ物を買ってきましょうか?」
僕はコンビニに戻ろうと車のドアに手を掛ける。
「待ってください!」
フックさんが突如叫ぶ。僕は驚いて窓に頭をぶつける。説教ですか?
「これで大丈夫です。私はこれで大丈夫です」
フックさんは泣いているのか、声が震えている。
「すみません。お見苦しい姿を見せてしまい。実は私このような姿なので、今まで食事と言われ出されたのは、ネズミやコオロギなどでした。私はそのような物は一切食べることが出来ません。しかし!公平さんは私にこのような、人間と同じ食べ物を与えてくれました。それが嬉しくて、嬉しくて」
言えない、梟が食べそうな昆虫やネズミが売ってなかったから、仕方が無く魚肉ソーセージを買ったとは言えない。
「勿論じゃないですか、僕はフックさんの事をちゃんと考えていますから」
僕はそう言って最大の営業スマイルを見せる。すみませんフックさん、以後気をつけます。
「私、生まれて五百年近く生きていますが、一番の幸せかもしれません。この食べ物を私は一生大事にします!」
「そんな事言わずに食べて下さい。初めて食べるなら開け方も知らないでしょう。僕が開けてあげます」
フックさんからソーセージを受け取り、袋を開ける。食べやすいように、手で一口サイズに千切る。
「どうぞ、食べてください」
フックさんは僕からソーセージを受け取り、勢いよく口にした。その瞬間、翼を大きく拡げ目から涙を流し始めた。
「美味!これは美味です。今まで食べたことがない味です。このような食べ物があったとは、驚きです!」
そう叫んだフックさんはソーセージを勢いよく食べ始める。
「喜んで貰えて良かったです」
まさか適当に買った魚肉ソーセージでここまで喜ばれると、僕としては申し訳ない気持ちになってしまう。
「ありがとうございます。神様どうですか?食べてみますか?」
フックさんは助手席で黙々とオニギリを食べている神様にソーセージを差し出す。神様は数秒見つめ、首を横に振った。
「こんなにも美味しいのに食べないんですか、苦手なら私が全部食べます」
神様の優しさに気づかないフックさんは、ソーセージをサラッと平らげた。
「皆さん食べ終えましたね。出発します!」
数分後、神様がオニギリを食べ終わるのを確認して、車のエンジンを付ける。休憩を取ったことで、精神的にも大分余裕が生まれた。僕は勢いよくアクセルを踏む。
車はそんな僕の余裕を弄ぶかの如く、縦に激しく揺れ、最後には静かに止まった。
「またですか?」
車の揺れで車内の後部まで飛ばされたフックさんが呆れるように呟く。
「す、すみません」
神様に頭を下げ、もう一度エンジンを付ける。
「今度は大丈夫です」
ゆっくりと車を発進させる。フックさんも安堵のため息を出す。
「さぁ宮島へ!」
時速30キロ、僕達は宮島へと急いだ。