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海賊のひまつぶし  作者: 櫂矢 真衣
海賊王の娘
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第83話 外へと誘う声

 ジョナサンとクラフトは、渦潮を目前にして一度止まった。これ以上進めば、渦に巻き込まれて海底まで一直線だ。

 さっきまでここにあった海賊砦は、もう全く跡形もない。

 一番下に埋まっていたというヤドカリの死骸は、どこへ行ったのだろうか。

 全てを海底へと引きずりこむための大穴の中心に目をやって、クラフトは「あそこだ」と呟いた。

 言われずとも、ジョナサンだってその気配を感じ取っていた。

 怒り狂う自然の脅威。身が竦むほど濃厚な、危険の予感。暴れまわるその恐ろしい力は、到底幼い体に収まるようなものではないはずだ。

「よし、あと一息だな」

 立ち泳ぎをしながら、二人は顔を見合わせる。ぬるい海水が体にまとわりついて重たい。そろそろ手足が疲れて来た。

「凄まじいな……。本当にこれをメアリーがやっているのか?」

「案外なんとかなるって。お前が「こっちへおいで」とか言ったら喜んで出てくるよ。俺、メアリーにお前が死んだって伝えちまって……。それでこの有様だ」

「なんてことをするんだ、もう」

 クラフトは呆れ顔を浮かべて、ジョナサンの頬をつねった。

「いててて、悪かったよ。だからさ、お前が生きてるってわかれば、あっさり出てくるんじゃないか? おーい、メアリー! 迎えに来たぞ!」

 相変わらずの荒れた天気だ。大きな口を開けると、雨粒が喉に飛び込んでくる。

「来ないで」

 びゅうびゅうと騒ぐ風の音に混ざって、弱々しい拒絶の声が聞こえた。

「メアリー! いるんだろう! 僕だ! 君のおかげで命拾いして、今追いついたんだ。心配をかけたね。一緒に帰ろう!」

 一瞬、戸惑うような静寂が辺りを覆った。しかし、次の瞬間にはさっき以上の暴風雨が吹き荒れ始める。

「来ないで。見られたくないの」

 ごう、と水の塊のような強い波が、二人の体を押し返した。

 拒否されている。だが二人とも、このまま帰る気はさらさらない。

「クラフト。メアリーは任せていいか。俺はデビーをなんとかする」

「よしきた。任せろ」

 二人は同時に潜水し、一直線に泳いで行った。




 クラフトは重たい海流に翻弄されながらも、一心に渦の中心を目指した。

 流れに身を任せ、渦が巻くのに従って、深く深く潜って行く。

 ふっ、と不意に視界がひらける。

 海の底、陽の光もかすかにしか届かない奥深くに、不思議な場所があった。

 その周辺にだけ、大きな空気の泡が留まっているのだ。あの中に入れば、呼吸ができるかもしれない。

 クラフトは迷いなく、その場所へと向かう。

 泡の中へと踏み込むと「来ないでって言ったのに」と恨めしそうなメアリーの声が聞こえた。

 そこは、森のような場所だった。異常なほどに成長した淡い桃色の珊瑚が、森の木々のように立ち並んでいる。

「いいや、君は誰かが来るのを待っていた」

「違うもん」

「どこにいるんだい? こんなところに閉じこもっている必要はないよ」

「帰って」

 声の聞こえる方へ、クラフトは歩いて行く。水を吸い込んだブーツが煩わしいが、足元の砂には割れたガラスや貝殻、木片が混じっているため脱ぐことはできない。

 ようやくメアリーの姿を見つけて、クラフトは「あっ」と息を飲んだ。

 メアリーは閉じ込められていた。

 珊瑚の枝でできた檻の中で、膝を抱えて丸くなっている。

「見ないで」

 その体は、いびつに歪み始めている。その身に封じたデビー・ジョーンズの影響だろうか。

 皮膚にはびっしりと鱗が生え、身じろぎするたびにボロボロと剥がれ落ちる。首筋に空いている穴は、エラだろう。呼吸に合わせて、パクパクと動く。瞳は魚の眼のように動きが鈍く生気がない。指と指の間には水かきができていた。

「私、いっぱい悪いことしたから怪物になっちゃったの」

「大丈夫だ、メアリー。もうすぐジョナサンがここへ来る。君とデビーを助けるために、この地に眠る伝説の剣を探しに行ったんだ」

 ぐ、と力を込めて、珊瑚の枝を握る。なんとか壊せないかと思ったが、硬い。無骨な棘が手のひらをこすって、血が滲んだ。

「やめて。私に構わないで。帰って」

「違う。君は、自分を連れ出してくれるものを待っている。そうに違いない」

 おいで。クラフトは、檻の隙間から顔を出して、語りかけるのをやめない。

「なんでそんなこと言うの。帰ってって言ってるのに」

「僕がそうだったからさ。足がすくんで外へ出るのを拒んだ僕に、ジョナサンが手を差し伸べてくれた。それがどうしようもなく嬉しかったんだ」

 ピキピキ、と硬いものが軋む音がして、珊瑚の檻が成長していく。枝が太くなり、数が増して、メアリーの姿がだんだんと見えなくなって行く。

「私、ママに似てるんだって。それから、パパにも。外に出たら悪いこといっぱいするよ」

「では聞くが。どうして村長さんを殺さなかったんだい? 彼を殺せば、一連の騒動は終わったはずだ。君は彼の悲願から解放され、自由になれただろう。だが、君は彼に銃を向けなかった」

 檻の奥で、メアリーは黙り込んだ。

 そして少しためらってから、押し殺すように吐き出す。

「あの人、ジョナサンに似てたの」

「そうか?」

「うん。雰囲気とか、私を見る目とか。だから……」

「ほら大丈夫。君はちゃんと、人殺しを我慢できる。自分の持った特性を抑えることができる。それは苦しいかもしれないが、少々の我慢をしてでも見て回る価値が、この世にはあるよ」

 クラフトは、中の見えない檻の前でしゃがみこんだ。

 檻はジョナサンが壊してくれる。僕がやるべきなのは、メアリーを救うことだ。

 檻の中から、すすり泣く声が聞こえる。その戸惑いや苦しさが、他人事だとは思えない。

 自分の声は人を殺す。メアリーは自分自身を怪物と呼んだが、それは僕だってそうだ。

 自分も一度は、外へ踏み出すことを拒絶した。ジョナサンが誘ってくれなければ、未だに膝を抱えていたかもしれない。

「ねえ、メアリー。僕が死んで悲しんでくれた?」

「うん」

「ありがとう。でも、あのまま僕の命が消えたとしても、僕はちっとも悲しくなかったんだ。僕は自分の乗るべき船を見つけた。それに勝る幸福はないよ」

「船に乗らなければ、あんな目に遭わなかったのに? これからも、危ない目に遭うかもしれないのに?」

「うん。旅路があそこで終わりだったとしても、後悔なんて一つもなかった。そりゃあ、君たちに会えなくなるのも、二度と家に帰れないのも寂しいけどね。ジョナサンの船に乗った時から、僕の魂は自由なんだ」

 珊瑚の檻は成長を止めていた。

「ここにいちゃだめだよ、メアリー」

「……私も自由になっていいの? そんなの誰も望んでないのに」

「僕が望んでいる。僕はね、ずっとジョナサンと船旅を続けるつもりなんだけど、たまには大地の匂いが恋しくなるだろう。そんな時に君が営む花屋に立ち寄って、四季折々の草花を愛でることができたら素敵だなって、そう思うんだ」

「……。うん。すごく素敵。私にできるかな?」

 その時、ザパッと水音がして、気泡の中に入ってくる者があった。

 ジョナサンだ。その手には、古びた剣を携えている。

 ここにくる道中で、それにまつわる話を聞いた。

 ヤドカリの甲殻から作られたというその剣は、おおよそ地上では見たことのない輝きを持っている。乳白色の刃は幅が広く、厚みがない。ところどころに、殻だった頃の名残らしき赤褐色の筋が一本、すっと入っている。なにかを斬るための武器というよりは、祭事に使う装飾品のようだ。

「おっと、邪魔しちゃ悪かったかな?」

「いいや。そろそろ来る頃だと思ってた。見つけたんだな。どこにあったんだ?」

「なに、ちょろいもんだ。デビーならどこに隠すか考えたら一発だったぜ。あいつは意地悪だからな。絶対見つからない場所に隠して、困ってる奴らを大笑いしてたんだろうよ」

「と、いうと?」

「デビー・ジョーンズ・ロッカーだ」

 ああ! なるほど! とクラフトは手を打った。

 デビー・ジョーンズ・ロッカーへ行く方法は二つ。死ぬか、周囲に陸地の見えない大海原の真ん中で深く海へ潜るか。

 海賊砦は難破船の集合体であり、島の様相をしているが陸地ではない。ならば、この場所で死んでもおかしくないほどに深く潜水すれば、生きながらデビー・ジョーンズ・ロッカーへたどり着くことも不可能ではない。

「こいつを手に入れるには、それ相応の覚悟が必要だった、ってことだ」

 ジョナサンは、ぎっちりと固まった珊瑚の檻に目をやった。

「メアリー。その中にいるんだな?」

 鈍く輝く剣を掲げて、ジョナサンは叫ぶ。

「俺たちは自由だ。どこにでも行ける。だから、そこから出てこい!」

 強固だった檻が崩れ始めた。

 朽ちた珊瑚はさらさらと流れ落ち、海底の砂の一部となる。

 檻がすっかり消えると、そこには二人の少女が座っていた。


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