第77話 メアリーの話⑤
こんなの納得できるわけないよ。
私のせいでデビーちゃんが……。
あのね、起きたら知らない船にいたの。怖かった。
村長さんがそばにいて、なにがあったのか教えてくれたけど……。
「メアリー。次はお前が海賊王だ。その身にデビー・ジョーンズを宿した以上は、他に道はない。その海を自由にできる力で、俺たち海賊をまとめ上げるんだ」
そう言って、ベッドに座ってる私に膝をついて頭を下げてるところを見てたら、ちょっと、その、むかついちゃって。
大丈夫だよジョナサン。殺してないから。ただちょっと、威嚇のつもりでピストルを撃ったら耳にかすっちゃっただけで……。
う、うぅ、ごめんなさい。ジョナサン、いつもこういうの良くないって言ってたもんね。
でもね、ジョナサンだって怒ってよ。
村長さんってば、あんなにデビーちゃんのこと敬ってたのに、今度は私に頭下げたりしちゃってさ……。
本当にデビーちゃんを尊敬してるなら、私の中からデビーちゃんを助け出す方法とか、探すはずなんじゃないの?
デビーちゃんがいたら、ものすごく怒ると思うよ。デビーちゃんのことも私のことも、海を操れる道具くらいにしか思ってないんだよ。
それから、銃声を聞きつけて他の海賊たちが船長室に乗り込んできた。
「だからこんな小娘乗せるのはやめようって言ったんだ!」
誰かがそう言った。私だって別に好きでここにいるわけじゃないのに、怖い顔で睨んで来るの。
「今からでも遅くない。こいつは放り出そう」
「女を乗せると災いを呼ぶんだ」
「なあ、いいだろ船長。海賊王の娘だかなんだか知らねえけど、こんなガキぶち殺しちまおう」
どいつもこいつも勝手なことばっかり。
大人たちの手が、私の方へ伸びて来た。ピストルを警戒してるから、みんなすぐに距離を詰めて来る。間合いを詰められちゃうと、狙いづらいから。
誰かのグーが、私のほっぺを殴った。村長さんが「やめろてめえら!」って叫んでたけど、誰も止まらない。
また誰か手が迫って来て、今度は私の首を掴もうとした。私はそいつの手首に食らいついて、静脈を狙って歯を立てた。その人がひるんだ隙に、腰に差してたカトラスを盗んで、隣にいた人のお腹を軽く切りつけた。
服についてる血は、その時の血だよ。ごめんねジョナサン。せっかく買ってくれたのに、どんどん汚れちゃう。
ちゃんと殺さないように加減したよ? ほんとだもん。こうしなかったら私は今頃、首の骨を折られて海に捨てられてた。
血を見たせいか、子供に反撃されてイラついたせいか、海賊たちの殺意は高まる一方だった。
大人たちが私を絞め殺そうと、ジリジリ寄って来る。
私は、無駄だってわかってたけど、大声で叫んだ。
「来ないで!」
その時、すごく大きい音がして、みんなが騒いでる声を全部かき消した。雷が落ちたの。
慌ててみんなが甲板に出ると、マストが燃えてた。
海賊のおじさんたちが悲鳴をあげた。海の真ん中で、それもこんな嵐の中で船が火事になっちゃったら、誰も助からない。
「いい気味!」
私が思わず呟くと、村長さんがこわごわこっちを見た。
「メアリー。お前がやってるのか?」
それからはね、すごくおもしろかったよ。
大人のおじさんたちが、なんとか私の機嫌をとって助けてもらおうと、急に下手に出始めた。
「頼むよメアリー」
「もういじめないから」
「お願いだから」
「なんでも言うこと聞いてあげるから」
他にも色々。
わざとらしく笑顔を浮かべて、駄々っ子をなだめるみたいにして、猫なで声で私に言うことを聞かせようとするの。
ふざけないでって感じ。
デビーちゃんの真似をして、指を鳴らしてみた。
本当に思った通りのことが起きたよ。雷も落ちるし、波も大きくなる。みんなが私に注目して、大波で船が揺れるたびに悲鳴をあげて私に助けを求めるの。
楽しかった。私よりずっと強いはずの大人の男の人が、半泣きで右往左往してるんだもん。
デビーちゃんのことがちょっとだけわかった気がする。
あの時、雨と火の粉を浴びながら笑ってた私は、きっとデビーちゃんによく似てた。
でもね、急に首根っこを掴まれたの。
「やめろ。小さいうちからそんな遊びを覚えたら、ろくな大人にならんぞ」
ギベッドおじさんだった。一緒の船にいたなんて知らなくてびっくりしたけど、そんなことより邪魔されたのが嫌で私は言い返した。
「うるさい! みんなこのひとたちが悪いんだよ!」
「確かに。だがよく考えろ」
雷が落ちても高波が来ても、ギベッドおじさんは私の襟首を掴んだまま離さなかった。
「だいたいの話はエルモから聞いてる。お前がなりたいのは、人の悲鳴で高笑いするような悪女じゃないはずだ。お花屋さんになりたいんだろう?」
私がなにも言えずに黙っちゃうと、少しだけ雷の勢いが和らいだ。
「火を止めろ。生きて再び大地を踏みたいのならな」
私が指を鳴らすと、船の両脇から二頭の鯨が顔を出して、思いっきり潮を吹いた。勢いよく打ち付けられた水のおかげで火は止まって、みんなが「助かった!」って喜んだ。
ねえ、ジョナサン、エルモ。
私、まだお花屋さんになれると思う?
こんなに血まみれの悪い子だけど。今もまだ、この船にいる海賊たちをぶっ殺したくてうずうずしてるけど。
クラフトが「かわいい」って言ってくれるような、おしとやかで優しい子になれるかなあ?
肩を落としているメアリーに、ジョナサンは語りかける。
「なれるさ。大丈夫」
葉巻がもう短い。残された時間はあとわずかのようだ。
「メアリー。頼みがある。俺はは今から船を出して追いかけるが、嵐に難儀してるんだ。この嵐を止めてくれないか?」
「うん。わかった。待ってるね」
最後に、メアリーがパチンと指を鳴らした姿が見えて、魔法の煙は霧散していった。
船室の外に出てみると、まだ空は分厚い雲に覆われているが、雨は上がり、かすかに陽光が見え始めている。
「ところでエルモ」
「うん、なに?」
「あのおっさんはなんであっちの船にいるんだ?」
話を遮りたくなくてスルーしたが、気になるところだ。
エルモには信頼されているが、ジョナサンはギベッドに対してまだ警戒を解けずにいる。なにか企んでいるのでなければいいが。
「あれ? 言ってなかったっけ? 私が村長さんのところに行った時に一緒に訪ねてって、「デビー・ジョーンズに関することなら助言ができる」って言って無理やり乗り込んだんだよ」
「なんでそんなことするんだ?」
「気にかけてるんじゃない? もしメアリーが教会暮らしを選んだら、保護者になるわけだし? あれで結構面倒見はいいからね」
「うーん、心強いような不安なような……」
ともあれ、海は穏やかになった。
ジョナサンは大波に揺られて荒れてしまった船の中を見回って、壊れた箇所がないことを確認し、散らかったものは片付け、船を出す用意をする。
「なあ、デビー」
眼帯の上から真珠を撫で、ジョナサンはぽつりとこぼす。
「俺、お前がいなくてもちゃんとやれるかな?」
その言葉は潮騒に紛れて消えた。当然、返事はない。
嵐の名残で、まだ少し風が湿っている。濡れた帆が風を受けて、船は港を離れた。




