第75話 エルモの話⑤
昔、むかぁし。まだ、海にたくさんの怪物が棲んでいた時代のお話です。
あるところに、とても大きなヤドカリがいました。
ヤドカリには一つ、悩みがありました。あんまりにも体が大きいせいで、自分にふさわしい大きさの貝殻が見つけられず、裸の背中を覆うことができないことです。
当然です。彼が住処にできるほど大きな貝など、この世のどこにもありません。
そこで彼は、海の底に住む悪魔、デビー・ジョーンズにお願いをしに行きました。
「僕が入れる住処をください」
デビー・ジョーンズは彼の願いを聞くと、おかしそうに笑いました。
「この私にものをねだるなんて命知らずな子。代償は覚悟の上でしょうね?」
そう言われて、ヤドカリは困ってしまいました。
海の生き物は生まれながらにデビー・ジョーンズの下僕。命も運命も全て彼女のもの。今更なにを捧げればいいのかわかりません。
「あなたが望むのならば、なんでも用意します」
「なんでも? ふうん、なんでもねぇ……」
それならば、とデビー・ジョーンズはヤドカリのハサミを片方、要求しました。
ヤドカリは自分で自分のハサミを片方引き抜くとデビーに差し出しました。
「いいわ、気に入った。あなたにふさわしい住処をあげる」
デビーはパチンと指を鳴らすと、大波を起こして一隻の大きな船を沈めて見せました。
「これなら、あなたも入れるでしょう?」
ヤドカリは喜んで、船を背負って自分の住処にしました。
ようやく手に入れた自分の家です。毎日欠かさず手入れして、大事に使いました。
けれど、やはり潮流にさらされ続ければ、だんだんと沈没船は傷んで行きます。
ヤドカリは再びデビーに相談しました。
「あら、大変。それなら、新しい船が来てくれるようにしましょうか」
デビーは、ヤドカリからもらったハサミを一本の剣に変えると、崩れかけた難破船の床に突き刺しました。
そしてこう言ったのです。
「この剣を手にした者が海の王者よ。このデビー・ジョーンズが認めてあげる。ご褒美に、なんでもお願いを叶えてあげちゃおうかしら」
それから、また指を鳴らすと魚の群れを呼び寄せて、「このことを世界中に触れ回りなさい」と命令しました。
「じきに、この剣を欲する冒険者たちがあなたのもとを訪れるでしょう。あなたはただ、やって来た船を沈めて自分のものにすればいいだけ。これで新しい住処には困らない」
ヤドカリは、試しに自分の背中が海面に出るくらい浅い海に行ってみました。するとしばらくして、本当に船がやって来るではありませんか。
ヤドカリはハサミで船を掴み、剣を我が物にしようとやって来た勇ましい男たちもろとも、あっという間に船を沈めてしまいました。
船は次から次へとやってくる上、ヤドカリが大きく恐ろしいと噂が立てば立つほどに丈夫で大きな船がくるようになるので、住処に困ることがありません。
以前は体が大きくなるほどに「入れる貝殻がない」と憂鬱になったものですが、今となってはそんな悩みともおさらばです。だって、背負う住処はどんどん向こうの方からやって来ます。体が大きくなったら、一本残っているハサミを器用に使って船を組み合わせ、大きな住処を作ればいいのです。
ヤドカリとヤドカリの住処は、どんどん大きくなっていきます。
ある時、小さなボートに乗った少年がヤドカリの元へとやって来ました。
いつも通り沈めてしまおうかと思ったヤドカリでしたが、少年のボートは小さすぎてヤドカリには必要ありません。
どうしようか悩んでいるうちに、少年はどんどん櫂を漕いでヤドカリに近づいて来ます。
「そんなボロ船で、こんなところに何の用だね」
ヤドカリが尋ねると、少年は言いました。
「僕の父さんが海に出たきり帰ってこない。あんたが持ってるっていう剣は、なんでも望みを叶えてくれるんだろう? 父さんに会わせて欲しいんだ」
まあ、それくらいならいいだろう、と了承したヤドカリでしたが、困ったことに剣がどこに行ったのかわかりません。手当たり次第に難破船をくっつけて大きくしていったせいで、デビー・ジョーンズが剣を刺した最初の船がどこに行ったのかわからなくなってしまったのです。
仕方がないのでヤドカリは、少年に「好きに探すといい」とだけ言ってじっとしていることにしました。
傾いた甲板を歩き、折れたマストをよじ登り、破れた船底をくぐり抜け、時には水没している通路を泳いで渡り、少年はヤドカリの住処をくまなく探検しました。
少年は毎日、今日はどんなものを見つけたのかをヤドカリに話して聞かせます。
「今日は古いコンパスを見つけたよ」
「海図があった。僕たちが今いるのはこの辺だね」
「宝石を見つけたんだ。もらってもいい? これを持って帰ったら、母さんに楽させてやれる」
「なあ。ここ、壊れてるけど直しといてやろうか?」
「父さんに会えたら、あんたのこと紹介するよ」
ずっと一人で暮らしていたヤドカリは、少年の話をとても喜びました。
日が暮れる頃、その日の探検を終えた少年はヤドカリにその日の出来事を話して聞かせ、ヤドカリは少年に捕まえた魚をやって食べさせるのです。
毎日自分の背中の上でとととっ、と足音が響くのを、いつしかヤドカリは気に入ってしまいました。
今までは、天気なんて水底に潜ってしまえば気になりませんでしたが、日差しの強い日は少年が涼しく過ごせるように住処に水をかけ、雨の降る日は飲み水が確保できるように空っぽの樽がある場所を教え、真っ暗な夜には共に潮騒に耳を傾けます。
一日の終わりに少年が話してくれる冒険譚を聞くのが、なによりの楽しみでした。
そしてついに、少年は剣を見つけ出しました。
ボロボロになった木の床から剣を引き抜くと、どこからともなく怪しい目をした少女が現れます。
「あら、意外。こんな子供が手に入れたのね」
デビー・ジョーンズはしげしげと少年を値踏みするように見つめると、高圧的に言いました。
「望みを言いなさい。その剣を手に入れたご褒美をあげる」
「父さんに会いたいんだ。どこにいるか教えてください」
「あら、そんなことでいいの?」
軽く笑うと、デビー・ジョーンズは少年の前に立って歩き始めました。
彼女は少年を、ヤドカリのところへ連れて行きました。
「あなた、沈めた船の乗組員ってどうしてる?」
「食べております。船乗りの肉はよく鍛えられているおかげで身がしまっておいしいので」
「骨や服も食べてるのかしら」
「いいえ。食べられないものは吐き出して、そこに積んでおります」
デビー・ジョーンズはパチンと指を鳴らして、たくさんのカニを呼びました。
カニはわらわらとヤドカリが食べ残した骨の山に群がります。
「なにを……」
少年が尋ねると、デビー・ジョーンズは酷薄な笑みを浮かべて言いました。
「探し物よ」
カニの群れは、用事を終えると少年の前にやって来ました。小さなカニたちは協力して、帽子を一つ、少年のところへ運んで来たのです。
その帽子は紛れもなく、少年の父親が気に入っていた帽子でした。
父親はすでに、ヤドカリに食べられていたのです。
事実を知った少年は、怒りに任せて剣を振り上げました。
ヤドカリも反撃しようとハサミを振り上げますが、少年の泣き顔を目の当たりにしてしまうと、どうにも振り下ろすことができません。
動くことのできないヤドカリの頭を、少年は串刺しにしました。
怒りに任せて友人を殺してしまった少年は、慌てて剣を引き抜こうとしました。けれど、がっちりと甲羅に刺さった剣はビクともしません。
後悔してデビー・ジョーンズに彼を助けてくれと頼みますが、後の祭り。もうどうしようもありません。
仕方なく少年は、剣をそのままにヤドカリの元を去りました。
今もその剣は、ヤドカリの頭に突き刺さったまま、どこかに残っているそうです。
っていうのがね、海賊砦にまつわる昔話なの。
海賊砦、覚えてる? メアリーのお父さんが手紙に書いてた、難破船が積み上がってできたっていう海賊たちの根城だよ。
今は海賊が住み着いてるから海賊砦って呼ばれてるけど、昔は「ヤドカリ島」って呼ばれてたらしいの。
エドワードがあそこを拠点にしたのは、その剣を探すためだろうって村長さんが言ってた。海賊の世界はとにかく箔が大事だからって。
でも、結局見つからなかったみたいだね。そんなものが手元にあったのなら、エドワードは「俺はデビー・ジョーンズの剣を手に入れた海の王者だ」って言いふらすに決まってるもの。そうした方が、他の海賊を従わせるには有利だし、デビーちゃんはそんなこと一言も言ってなかった。
村長さんはメアリーを海賊砦に連れて行って、その剣を探すつもりだよ。
小さい女の子の身で海賊たちを従わせるには、そういう目に見えてわかりやすい「この子が王様」ってものがあった方がいいんだってさ。
今までエドワードには見つけられなかったってことは、子供じゃないと入れないところにあるのかも……。
あれ? ジョナサン? 聞いてる?
……寝ちゃったか。いっぱい泣いて疲れたもんね。
おやすみ。話の続きは、起きたらしようね。




