第73話 宿命
不意にドアが開いて、ずぶぬれの男が床に水滴を撒きながら大慌てで駆け込んで来た。
「ジョナサン! 無事か!」
村長だった。きっと街で人が刺されたと聞きつけてやって来たのだろう。
「俺は無事だけど……」
眠る二人を見て村長は顔を渋面を作り、バシッと背中を叩いてジョナサンを励ます。
「気をしっかり持て。海の世界ではよくあることだ」
「ああ。わかってるよ」
わかってはいたはずだった。海賊同士のどんぱち騒ぎや切った張ったは、村の人間から耳にタコができるほど武勇伝として聞かされていた。
けれどこうして実際に目の当たりにすると、頭が真っ白になって気力が全て削がれてしまう。
「海が荒れてるが、これはあれか? デビー・ジョーンズの怒りに触れたってことか?」
「……そうかもな」
ジョナサンは、海が荒れている理由を村長に語って聞かせた。
デビーは今、メアリーの中にいる。
それを知ると村長は、目を丸くしてメアリーを見つめた。
「エドめ、とんでもねえことしてくれやがったな。死んでも人騒がせなやつだ」
そして、顎を撫でて唸ってから、「よし」と頷いて、メアリーを布団から抱き上げた。
「この子は俺が引き取る。海賊の世界以外に、この子の居場所はない。すでに街じゃ、一瞬で人を殺した悪魔みたいにおっかない子供がいる、ってもっぱらの噂なんだ」
「ま、待てよ!」
ジョナサンは大慌てで出入り口と村長の間に立ちふさがった。
「そういうことは、せめてメアリーが起きてから決めようぜ! 寝てる間に連れて行くなんて誘拐だぞ!」
「だからお前は甘いって言うんだ!」
ピシャッと怒鳴ると、村長は渋面を作ってジョナサンを諭す。
「いいか。メアリーはすでに、この身にデビー・ジョーンズを宿しちまった。首輪をつけて自分の船に置きたがるやつなんかごまんといる。暴力と硝煙と酒しか頭に詰まってないクズどもが大挙して襲いに来るぞ!」
「デビーをここから解放する! そうすればメアリーは普通の女の子だ! その方法を見つけるまで隠し通せばいい。人前でデビーみたいな力を使わなきゃいいんだろ!?」
「できるのか? 一瞬たりとも気は抜けないぞ。バレた瞬間にメアリーは連れ去られ、お前らはサメの餌か、よくて奴隷だな。メアリーに、人の目を気にしてビクビクし続ける人生を送らせるつもりか? デビー・ジョーンズを解放するって言ったって、そんなのどこにもアテはないだろ?」
ぐ、と言葉に詰まる。
もし海賊と戦いになったら。きっと自分は勝てない。なんの力も持たない、ただの船乗りなのだから。
「この子が健やかに自由に生きる道はただ一つ。誰にも負けないくらい、誰も近寄りたがらないくらいのクレイジーな海賊になるしかない」
「で、でもよ……」
「この子は海賊王になるために生まれてきた。それが持って生まれた宿命なんだ」
そんなのはメアリーの望む人生ではない。絶対に違う。
なおも反論しようとするジョナサンに、村長はきっぱりと取りつく島もなく吐き捨てた。
「ジョナサン。海賊ごっこはもう終わりにしろ」
ジョナサンは荒れ狂う海へ、桟橋で大波に揺られる自分の船へと向かった。
波に洗われる桟橋は、今はまだしっかりとその場に固定されている。
曇り空を写した海は灰色で、どこかよそよそしい。
もやい綱がしっかりと結ばれていることと、錨がしっかり降りていることを確認し、船の中の様子を見る。
どっ、と高波が押し寄せて来て、頭から水をかぶってしまった。塩水で肌に張り付く服が煩わしくて、ジョナサンは服を脱ぐ。
長らく使っている船だから少々古いが、手入れを欠かしたことはない。多少の雨風ならば大丈夫とは思うものの、海から流れてくるなにかが派手にぶつかったりするかもしれない。あまりにも嵐が激しければ、桟橋が壊れて船が持っていかれるかもしれない。
波にさらわれては困るものを持ち出そうと、船内に目線を走らせる。
海図、コンパス、望遠鏡、そのほか航海に必要な道具たち。
堅焼きのビスケット、干し肉、干した魚、ウミガメの肉、ライムの実や、瓶に詰めたジュース。
それから、デビーの好物のりんご。
「ドウシタンダ、ジョナサン」
不意に声が聞こえたかと思うと、頭の上にラヴがとまった。
「なんだ、お前か」
「ゲンキガナイヨウダガ」
「そりゃそうだ」
デビーはいなくなってしまった。クラフトも、助かるかどうかはわからない。
メアリーも連れて行かれてしまった。
村長の言うことは全て正しい。自分のところよりも、海賊のいろはがわかっていて、メアリーを保護できるだけの力がある村長のところにいた方が、彼女は安全だ。
村長がメアリーに言った、「俺の目が黒いうちに、一人前の海賊にしてやる」という言葉が頭の中でぐるぐる回る。
俺には「絶対やめろ」の一点張りだったのに。俺だってそんな風に言われてみたかった。
ブンブンと頭を振って、その考えを追い払う。
違う。そうじゃない。
メアリーは自分とは違う。海の世界を望んでなんかいない。
誰もいない船の中、一人で作業をする。デビーと出会う前はこれが日常だった。
「俺さあ。昔からずっと一人だったんだよ」
ラヴを相手に、愚痴をこぼす。
「村では変なやつ扱いで、バカにされてさ。俺が外に出たいって言うとみんなゲラゲラ笑うんだ」
少しだけのつもりが、止まらない。
「デビーが外に連れ出してくれて、みんなと出会って、やっと一人じゃなくなった」
ラヴは返事をするでもなく、黙ってジョナサンの頭に陣取っている。
「そうだな。特に嬉しかったのはクラフトと初めて会った時か。あの時俺は、心の底からホッとしたよ」
自分と同じ悩みを持った人間が他にもいた。自分は村のやつらが言うような異常者ではなかったのだ。
「だけどこんなことになっちまって……。なあラヴ。俺、あの時クラフトを誘うべきじゃなかったかな……」
あの時、あのセイレーンの海で「俺の相棒に」なんて誘わなければ。きちんと故郷に返していれば。こんなところで生死の境をさまようようなことにはならなかったのに。
ラヴは、返事をせずに翼をはためかせて飛び立ち、またどこかへ行ってしまった。
荷物が多い。なにせ、五人と一匹分だ。運び出すには少し時間がかかるだろう。
「ん?」
メアリーのポシェットがある。花の刺繍の入った、彼女のお気に入り。置いて行ってしまったのかと思って、手にとってみる。
「あっ、えらいもん忘れてる……。いや、わざとか?」
ポシェットの中には、エドワードの葉巻が入っている。例の、会いたい人に会える葉巻だ。
このポシェットは、いつもメアリーが肌身離さず持ち歩いている。自分の体を明け渡すと決めたメアリーがここに置いたのか、それとも封印されると気づいたデビーがメアリーの肩から外したのか。
経緯はどうあれ、魔法の葉巻はジョナサンの手元にやってきた。
勝手に使っちゃいけない。そう自戒したが、一つの考えが頭から離れない。
これを使って呼び出せば、眠ったままのクラフトと話をすることができるんじゃないか?
死んだ人間は口をきけない。これを使って話すことができれば、ひとまずは安心することができる。
ジョナサンは葉巻の両端を切り落とし、ランプの火に近づけた。




