第71話 萌芽
迎えに来たよ。その女はにっこり笑ってメアリーに微笑みかけた。
誰かが「自警団を呼べ!」「用心棒を呼べ!」「それより医者だ! 人が刺された!」と叫んでいるのが、どこか遠くに聞こえる。
真っ赤になるまで熱した炭のようだ。ジョナサンは、メアリーの様子を見て思った。
エルモの後ろにかばわれているが、その佇まいに怯えはない。少しの刺激で弾け飛びそうなほど、感情が高ぶっているのが一目でわかる。
ふー、と食いしばった歯の隙間から息を漏らし、メアリーはメアリーをにらみつけている。
大きい方のメアリーが、なにか言おうと口を開いた。
しかし、その声は乾いた銃声にかき消されて誰にも聞こえない。
「あっ、ダメ!」
「メアリー! やめろ!」
ジョナサンとエルモの制止には耳を貸さず、メアリーは弾がなくなるまで打ち続けた。
冷静さを欠いた乱射は軌道をそれ、まともに当たったのは最後の一発だけ。しかし、その一発は、しっかりと腹に当たった。腹部に弾を受けた衝撃で、大きいメアリーは手にしていたナイフを取り落とす。
その隙を、メアリーは見逃さない。
素早く身を翻して走り出しナイフを拾うと、よろけた大きいメアリーの右手首を切り裂いた。
次に右足首、左足首を深々と切り裂いて腱を断つ。大きいメアリーは支えを失ってまともに立っていられなくなり、その場にバッタリと仰向けで倒れてしまう。
しかしメアリーは止まらない。
「死ねぇ!」
一声叫ぶと、大きいメアリーの上に馬乗りになって、傷口をえぐり広げるように腹の弾倉にナイフを突き刺した。
広がった傷口から、暗褐色の血が噴き出して、二人のメアリーはあっという間にぼたぼたと滴る血でぐっしょり濡れてしまった。
「死ね! なんで! なんで来たの! 私の大事なもの、壊して楽しいの!? 死ね! 死んでよ! ほっといてよ! もう私に構わないで!」
ひと突きするごとに、大きいメアリーの体がびくりと震える。
メアリーは泣いているのか怒っているのかわからないような悲痛な声で、息を切らせながら体力の続く限りナイフを振り下ろし続けた。
動かなくなったメアリーの上で、メアリーはようやくナイフを振り下ろす手を止めた。
メアリーの手から離れたナイフが、カランと音を立てて石畳の上に落ちる。
ぴくり、と大きいメアリーの手が微かに動いた。まだかろうじて息があるのだ。
大きいメアリーは、血に濡れた手でメアリーの頬を撫でると、うっとりとその顔を眺めて嘆息を漏らす。
メアリーの指が這ったところに、ツーっと血の筋が通る。
今にも口づけでもしそうなほどに顔を寄せて、血にまみれたメアリーの顔をまじまじと見つめると、心の底から嬉しそうに呟いた。
「ああ、本当にそっくりだねぇ……」
そして、今度こそ彼女は力尽きた。あの様子ではもう助からないだろう。
メアリーは、仕上げと言わんばかりにナイフを拾い直し、今度は大きいメアリーの頚動脈を断ち切った。
一瞬の出来事だった。
止めに入る間も、なだめる隙も全くないまま、メアリーはメアリーを殺してしまった。
それから、こちらを振り返り慌てて駆け寄ってくる。
「クラフト! 大丈夫なの!」
血まみれの少女が走ると、事の成り行きを見ていた街の人々がどよめいて一歩引いた。
どんどん血が失われていくせいで、クラフトの顔はすでに真っ白だ。
こふ、とクラフトの口の端から、また血が漏れた。
「ダメじゃないか……、メアリー」
弱々しい声色で、クラフトはたしなめるようにこぼす。
「だって……! あいつがクラフトを……!」
ゴボゴボと、クラフトの喉から水の音がする。本来空気が通るべき場所に、血が入り込んでいるのかもしれない。
「喋っちゃダメ! もうすぐお医者さんがくるから!」
エルモが止めるのも聞かず、クラフトはメアリーの頬についた血を拭おうと手を伸ばした。
「せっかくの、かわいい服が、台無しだ」
その手は、メアリーに触れる前に力をなくし、だらりと垂れ下がる。その手を掴んで、メアリーは泣き叫んだ。
「やだ、クラフト! 死んじゃやだ!」
頭の中が凍りついたようだ。本当はメアリーと一緒になって叫びたいはずなのだが、ジョナサンはその場で固まってしまって、動くことができなかった。
クラフトが死ぬかもしれない。
その可能性で目が塞がれているかのように、思考が真っ黒になってしまう。
刃傷沙汰でパニックになっている往来の中、ジョナサンはただその場に突っ立っていた。




