第60話 ギベッドの話
次の朝、ジョナサンたちの船は港を出た。
拍子抜けするほどに海は穏やかで、エルモはいつも通りの態度を崩さなかった。
何事もなく航海は進む。
うららかな日差しと、吹き抜けていく風が心地よい。
この辺りの海域は、障害物こそ多いが気候はとても穏やかで過ごしやすい。
たどり着いた島も、地獄だなんだと言うから身構えてはいたが、いたって普通の、むしろ住み良さそうなのどかな島だ。
小高い丘が海の上に浮いているようだ。丘の上には、教会のような建物がある。広々としたその島はどうやら開拓の途中のようで、あちらこちらに進行中の手入れの痕跡が見て取れる。
レンガを漆喰で固めて作ってあるようだ。あれならば、多少の雨風どころか嵐が来てもビクともしないだろう。
あれが、話に聞くギベッドが捕らえた罪人たちを働かせて作った「天使の工場」と言うやつだろうか。
土がいいのか、青々とした草はらが地面を覆っているし、教会のそばには畑もある。島の周囲に植えてある椰子の林は潮風を避けるためのものだろう。
見た目だけなら牧歌的だ。ここがどんな場所なのか知らなければ、「ここに住んでるやつはさぞのんびりした暮らしをしているのだろう」と言う感想が出て来ただろう。
岸に船をつける。
デビーだけを船に残してみんなが島へ降り立った。
「エルモ。気が変わったらすぐに言いなさい。あの男を惨たらしく殺してあげるから」
デビーはそう言って、一行を見送った。
柔らかい土を踏みしめて、教会へ向かって歩き出す。
教会の門の前までたどり着いた時、ジョナサンはこんな場所では聞こえるはずのない音を聞いて動きを止めた。
「子供の声がしねえか?」
他の三人も、耳をすませてあたりの様子を伺い始めた。最初に気づいたのはクラフトだ。
「……確かに聞こえる。罪人であれば、子供でも容赦なくさらう、ということか?」
「ううん。違うと思う」
エルモがその可能性を否定した。
「この泣き方は、まだ赤ちゃんだよ」
メアリーが不思議そうに首をかしげる。
「なんでこんなところに赤ちゃんがいるの?」
ジョナサンは、なぜだか言いようのない不安に襲われた。ぞわぞわと、肌の上をウミウシが這い回っているような寒気を感じる。
「それは、もう本人に聞くしかないね」
エルモがためらいなく教会の扉に手をかけた。扉はなんの抵抗もなくすんなりと開く。
「ギベッド! 来たよ!」
中も、普通の教会のように見える。
ありふれた質素な教会の祭壇で、ミサにやってくる信者達を待っているように、ギベッドは待ち構えていた。
「遅かったな。待っていたぞ」
「……私ね、デビーちゃんから全部聞いたよ」
「デビーちゃん……?」
ギベッドが不思議そうな顔をしている。
「まさかとは思うがデビー・ジョーンズのことか?」
「そうだよ」
「驚いたな。あの恐ろしい女をデビーちゃん呼ばわりとは」
「そう? デビーちゃんはかわいいし優しいよ? あなたに裏切られたこと、すっごく怒ってた。謝ったほうがいいんじゃない?」
「許すわけないだろう。あの女の執念深さを知らないのか」
「私も一緒に謝ってあげるよ」
あっけらかんと話すエルモを見るうちに、ギベッドの顔がだんだんと険しくなっていく。眉を寄せ、ほぞを噛み、忌々しそうにため息をついた。
「……全部聞いたんじゃないのか。もっと他に言うべきことがあるだろう」
エルモは迷いなく答えた。
「私は恨み言を言いに来たわけじゃないの。そうだな。聞いて欲しい話があるとすれば、あなたに置いていかれてからどんなことがあったか、ってことくらい。結構充実した人生だよ」
「呼んでおいてなんだが……、お前はなにがしたくてここへ来たんだ」
「あなたの真似っこをしに来たのよ。悪いことしてるんなら、十字架でぶん殴るから」
「殴り合って勝てると思ってるのか?」
「勝てるよ。あなたは私を殴ったりしないもん」
言いようのない居心地の悪さを、ジョナサンは感じていた。
それというのも、ギベッドの目が異様な光を放っているからだ。
ああいう目をした人間を、以前一人だけ見たことがある。
村にいた、周りから孤立して一人で暮らしていた老人だ。
その老人は、「すべての人間は自分を殺そうとしている敵である」と思い込んでいた。近づく者は誰であろうと罵倒し、武器を向け、反撃しようとするので、ジョナサンは村長から「絶対に近づくな」と言われていた。
その老人が最後にどうなったのか、当時まだ幼かったジョナサンは聞かされなかった。
ギベッドの目には、その老人と似た光が浮かんでいる。
完全に自分の中で自己完結して、他人の話を聞く気がない奴の目だ。ジョナサンは直感的にそう思った。
「そっちこそ、なんで私をここへ呼んだの?」
「お前に頼みがあるからだ」
「頼み? 私に?」
必要とあらば、問答無用でエルモを連れてここから逃げたほうがいいかもしれない。ジョナサンがクラフトに目配せすると、クラフトは「少し待とう」と言うように手首を小さく動かして、手のひらをこちらに見せた。
ギベッドは祭壇に置いてある燭台をグッと掴んで、向きを変えた。カチリ。と何かがはまる音とともに、小さく地面が揺れる。
ゴゴゴ、と重苦しい音を立てて、祭壇が動いた。先ほどまで祭壇で塞がれていた場所には、地下へ続く階段が伸びている。
「案内しよう。入れ。心配しなくてもだまし討ちなんぞはしない」
先を行くギベッドの後をエルモが追いかけ、その後をジョナサンたちも追いかける。
重苦しい。湿っぽい空気は腐りかけの肉のような嫌な匂いがする。薄暗い通路は、弱々しいロウソクの明かりでかろうじて照らされている。
「道すがら、話そうか。懺悔だと思って聞いてくれ」
石畳を鳴らす靴音が反響する。こちらに背を向けて、歩みを止めないままで、ギベッドは話を始めた。
目には目を、歯には歯を。罰とはそういうものらしい。
だったら命には命を、って考えたこともあるが、俺一人の命ではどう考えても釣り合いが取れない。
お前を置いて出て行った後、俺はとあるものを探した。
人造人間の設計図だ。
俺が伝説の錬金術師を探してたって話は、デビーから聞いたか? 錬金術師ヴィクターが人間の作り方を書き記した設計図を、なんとしても手に入れなければいけないと思った。それがあれば、死んだ人間の代わりを作り直すことができる。エルモに両親を返してやれるし、滅ぼしてしまったたくさんの島や村を元どおりにできると思ったんだ。
命には命を。俺の命で釣り合いが取れないのなら、代わりの新しい命を作り出せないか、って考えた。
以前は金儲けのために探していたが、結果としてまた同じものを探すことになって、妙な因果を感じたよ。
わずかな手がかりを頼りに、俺は旅を続けた。しかし、見つかるのは尾ひれのついた嘘っぱちの偽物ばかり。
だが、ある時ついに見つけたんだ。古ぼけた羊皮紙にかすれたインクで記されたその手記には、人造人間の作り方が記されていた。
「悪しき目的のために、この本を開いてはならない」
表紙にはそう記されていた。
いいことのために使うつもりでいた俺は、迷うことなく本を開いた。
なにが書かれていたかって? ……。教えない。あれは人が手を出していい領分じゃなかった。うっかり漏らして真似されたら困る。
設計図に記されていた材料を揃え、手順に従って、俺は新しい生命体を生み出した。
失敗した。
そいつは、人の形をしていなかった。
生きてはいる。食事もするし、動く。猟犬くらいの大きさだった。
だが、肉団子のようなぶよぶよした塊は、みられたものじゃなかった。中途半端に人のパーツがくっついているのがなお悪い。うじゃうじゃと手足が絡まりあい、その隙間からぎょろりと目玉が覗く。まごう事なき怪物だ。
こんなものでは、俺が壊したものの代わりになどなりっこない。俺は実験と研究を続けた。
何度繰り返しても、俺には人間を作ることなどできなかった。研究に使っていたあばら家は、すぐに怪物でいっぱいになった。うっかり逃げ出して騒ぎにならないよう、俺はそいつらを鉄の檻に閉じ込めた。
怪物の寿命は、あまり長くはなかった。できそこないだからだろうな。個体にもよるが、すぐに動かなくなる。
処理には困らなかった。同じ檻に入っている怪物が死体を食うからだ。最初は気味が悪かったが、餌代がかからなくて助かる、くらいにしか考えていなかった。俺は、積極的にスペースに余裕がある檻には複数の怪物を入れるようになった。
それがよくなかった。
奴ら、繁殖を始めたんだ。
ふと気がついたら、檻の中の怪物が増えていることがあった。最初は疲れて数え間違えているのだと思ったが、なんども続けばさすがに気づく。俺は、真偽を確かめるために檻を見張り続け、ついに出産の現場を目撃した。
子を産んだ怪物は、我が子を慈しむようにそばに寄り添い、温め始めた。
そして、驚いたことに声を発したんだ。
赤ん坊の喃語のような、言葉にもなっていないうめき声のようなものだ。だが、その母親は、確かに我が子に話しかけていた。
俺は激しく後悔した。こいつらは生き物だってことが、そこでようやく実感できたんだ。
俺はまた、他の命を自分の都合で弄んでいた。
自分の目的のためにこの生き物達を檻に閉じ込め、死ねば仲間に食わせた。
もしこの実験が成功していたら、誕生した人造人間を檻に閉じ込めていただろう。逃げ出さないように、俺の理想通りの言動をするようにしつけていたことだろう。
仮に人造人間が「エルモの親の役をやるのは嫌だ」と言い出したら、鞭で打って折檻していたかもしれない。
悔い改めたつもりでいたが、俺という人間はまったく変わっていない。
これ以上実験を続ける気にはなれなかった。しかし、計画を打ち切るにしてもこいつらを檻の外に出すことはできない。
こいつらが野山に放たれ、そこで繁殖を繰り返し、土地に定着してしまったら? 想像して俺は震え上がった。そんなことになったら、どんな影響があるかわかったものじゃない。
悩んだ末に、俺はすべての怪物を殺した。
苦しまずに死ねる毒を食事に混ぜ、あばら家ごと燃やした。人の手で生命を作り出すなんて、神に唾を吐くような不遜な行いだと心底思った。
設計図は元あった場所に戻した。
家ごと燃やすことも考えたが、この世から葬り去るにはあまりにも惜しい。本当にいいことに使える奴の手に渡ることを祈るほかはない。
そのあとも、色々と探した。
あの世へ渡る方法。死人を呼び出す方法。土人形に魂を下ろす方法。鏡に死人を映す方法。死霊の声を聞く方法。
どれもこれも、使い物にはならなかった。
壊れたものを直すことはできない。半ばやけくそで、俺は調査を続ける傍で奴隷商人達を潰し続けた。
そんな時に、生き別れた兄貴を探しているっていう女のガキと出会った。お前らが助けた罪人達の中にいたはずだが、話は聞いたか?
そうか。聞いたか。
あの一件で、俺は天啓を得たんだ。
あの兄貴は自分の娘の成長を糧に、悲劇を乗り越えつつあった。
どうして今まで気づかなかったのか、不思議なくらいだ。俺だって、エルモの存在に救われていたのにな。
新しい命は、未来への希望になる。幼い子供が健やかに育つ様を見守るうちに、より良い未来の訪れを予感して、深い傷が癒されていく。
命には命だ。失われた命の代わりはいなくとも、新しい命を育むことはできる。
難しく考える必要なんてなかったんだ。
神の御業にも、伝説の錬金術にも頼る必要はない。
そんなことしなくたって、人間には人間を作ることができるじゃないか。
ジョナサンは嫌な予感に身震いした。
「どういうこと」
それはエルモも同じのようで、戸惑ったような声で問いかける。
ギベッドはこちらを振り返り、薄笑いを浮かべながら答えた。
「俺は、どんな罰を受けたって文句を言えないような罪人を集めて、この場所を作って、工事がひと段落ついたら手が空いた奴から薬を飲ませていった。精神に作用する、人格を壊して理性を無くさせる薬だ。飲んだ奴は猿にも劣る獣になる」
ヒュッ、とエルモが小さく息を飲んだのが聞こえた。
背後で、クラフトがメアリーを後ろへかばったのが気配でわかった。
ギベッドは、じっとエルモを見ながら話を続ける。
「そうやって理性を奪って、本能でしか動かなくなったやつらを男女ごちゃまぜでこの先の部屋に閉じ込めてある。どうなるかは……、わかるよな?」
一歩、エルモが後ずさった。
「ここで生まれた新たな命を、傷ついた人たちのところへ届けるんだ。血の繋がりはなくたって、新しい家族は生きる活力になる」
くい、とジョナサンの服の裾が引かれた。メアリーが、こちらを見上げている。
「どういう意味?」
わからなくとも、よくない話だということは肌で感じているのだろう。その目にははっきりと怯えの色が浮かんでいる。
ジョナサンは、少し迷ったがごまかさずに解説することにした。
「こいつはな、この先の部屋で捕まえた罪人達に無理やり赤ん坊を産ませてるんだ。それで、生まれた赤ん坊を「新しい家族です。死んだ人の代わりに育ててください」って届けよう。と、そういうことを言ってるわけだ。ドン引きだぜ」
ジョナサンは、目線をギベッドとエルモの方へ戻した。
エルモはギベッドの方を見たまま固まっていて、ここからではどんな顔をしているのか見ることはできない。
「そこでだ、エルモ。お前に頼みがある」
固まったまま返事をしないエルモに、ギベッドは話を続ける。
「お前にこの島の管理人になって欲しい。今は俺が管理しているが、本当なら俺もあの部屋で罰を受けるべきだ。全てを失っても笑って生きているお前にこそ、みんなに希望を届ける聖母の役はふさわしい」
震える声で、ようやくエルモは返事をした。
「な、なにを言って……」
「早く終わらせてくれ。お前の手で俺を地獄へ送って欲しい」
そう言ってギベッドは、エルモに小さな薬瓶を差し出した。




